深夜の帰り道

深川我無@「邪祓師の腹痛さん」発売中!

深夜の帰り道

 その日は仕事で帰りが遅くなり、相方と二人深夜の山道を車で走っていました。


 というのも、我が家は山の中にあり、遠出した日は最後の難関として曲がりくねった山道が待ち構えているのです。

 

 その日は本当に疲れており、お互いにクタクタで口数も少なく、もうすぐ帰れるね……と、それだけを頼りに運転していました。

 

 いくつかの難所を通り抜け、帰路も終盤戦に差し掛かったころ、ノロノロと慎重に斜面を下っていると、カーブミラーに奇妙なものが映っています。

 

 普段は無い一台の自転車。

 

 道の端に打ち捨てられたように倒れています。

 

 自転車だね……なんて言いつつも、私は嫌な予感がしてさらにスピードを緩めました。

 

 ヘッドライトが暗い夜道を照らすに連れて、事態の核心も姿を表し始めました。

 

 ……人が倒れている……

 

 時刻は深夜を回っていました。

 

 山道には倒れた自転車と、仰向けに横たわる初老の男性。

 

 ピクリともしない男性を前に、私達は息を呑みました。

 

 もしかすると……死んでいるかも知れない……

 

 口にはしませんでしたが、相方も同じことを考えていました。

 

 疲れ切っていましたが、放置するわけにもいかず車を路肩に止めて、私達は男性に近づきます。

 

「大丈夫ですか? どうされましたか?」

 

 反応がありません。

 

 鼻と頬からは擦りむいたのか血が出ていました。

 

 意を決して脈を取ろうと手を伸ばしたその時でした。

 

「あ゙……い……」

 

 男性が突然判然としないうめき声を上げました。

 

 あまりの驚きに叫びそうになるのをなんとか堪えて、私は再び男性に呼びかけました。

 

「大丈夫ですか? 意識はありますか?」

 

 男性は小さく頷きました。

 

 どうも帰り道で転んだらしく、そのまま動けなくなってしまったそうです。

 

 救急車を呼ぶか尋ねると、男性は頑なにそれを拒否します。

 

 仕方なく私達は、男性を家まで送ることにしました。

 

 どうも背中が痛むらしく、男性は自力で立てませんでした。

 

 肩を貸すと、痛みに喘ぎながらもなんとか男性は立つことができました。

 

 乗っていたバンには幸い荷物が少なかったので、自転車と男性を荷台に乗せて男性の家に向かいます。

 

 道中男性は聞き取りづらい小さな声でボソボソと何かを呟いていました。

 

 冷静になってくると、私は急に怖くなってきました。

 

 果たして、本当にこの人を車に乗せて大丈夫だったのだろうか……?

 

 私はそんなことを考え始めました。

 

 そして、ホラー作家の性といいますか、一度考え始めると次から次に怖い想像が浮かんできます。

 

 もしや、これは事故の演技で、後々難癖をつけて金を要求されるのではないか……?

 

 精神科のお世話になってなっているような方で、何かしらの妄想に囚われて逆恨みされるのではないか……?

 

 ややこしい親族が出てきて、ひき逃げ犯に仕立て上げられたら……?

 

 相変わらず後ろでは、男性がブツブツと何かを呟いていますが内容はさっぱり聞こえません。

 

 ゆっくりと車を走らせていると、突然男性が声を上げました。

 

「ここです……!」

 

 咄嗟に車を停めると、そこには旅館がありました。

 

 建物の様子から察するに相当に古いものらしく、人の手入れもされていましたが、どうやら廃業しているようで人の気配はありません。

 

「ここに住んでるんですか?」

 

 尋ねると、男性は頭を振りました。

 

「この裏に家があります……」

 

 そう言って男性が指さした先には、神社にあるような石の階段がありました。

 

 ステンレスの手すりがついた、細い石段でした。

 

 再び男性に肩を貸して起き上がらせましたが、男性は石段を登ることが出来ないと言います。

 

 先ほども話した通り、私はすでにかなり恐怖を感じていたので、ここで解散したいというのが本音でした。

 

 しかし普通に考えれば、男性が私を騙している可能性の方が低く、このまま放って置くわけにもいかなかったので、私は男性に肩を貸して家まで連れて行くことにしました。

 

 暗い石段をスマホのライトで照らしながら、私は男性を支えていました。


 バランスが取りづらく、男性の吐く息が顔にかかっても体勢を変えられません。


 石段を登る間中、男性は痛みで苦しそうにしています。


 はぁ……はぁ……


 そう言って男性がうめく度に、私の顔には生暖かい息が吹きかけられました。


 

 半ばそうなることを願いながら、私は今からでも救急車を呼ぶかと尋ねました。

 

 すると男性はハッキリした声で「いや。それはいい」と否定します。

 

 やはり、救急車を呼ばれては困ることがあるのではないか?

 

 そんな妄想が再び浮かんできて、私はもはや逃げ出したいような気持ちでした。

 

 ふと周囲の様子が変わり、気がつくと石段が終わって辺りは針葉樹の森に変わっています。

 

 まるで本当に神社の境内に入ったような、ひんやりとした気配がしました。

 

 左手にはまだ廃旅館が続いており、その壁には白いプラチックのプレートで旅館の成り立ちなどが書いてありました。

 

 なぜこんな人目に付きにくい場所に……?

 

 そう思いながらも内容を目で追うと、旅館は戦後から形を変えていないことや、由緒正しい何かしらの岩のようなものがあるといった事が書かれています。

 

 途端に地面に転がった石臼や、森の中に佇む岩が、意味のある何かに見えてゾクゾクしました。


 古い鍬や、農機具が、因習村のようで不気味です。


 突然村人がゾロゾロ出てくるのでは……?


 そんなことを考えていると……


 

「こっちです……」

 

 男性は森に続く小道を指してそう言いました。

 

 緩い下り坂でした。

 

 腐葉土を踏みしめながら男性を運んでいくと、一軒の小屋が見えてきました。

 

 殺されても、きっと発見されない……

 

 暗い森に佇むその小屋は、そんな印象を与えるには十分過ぎる代物でした。

 

 ほとんど廃墟のような小屋には外から南京錠をかけたガラスの引き戸がついていました。

 

 プレハブよりは頑丈ながらも、山に建てられた仮設の工事現場にあるような、そんな小屋でした。

 

「鍵が鞄に入ってるから……上のポケット……」

 

 男性はそう言って私に鍵を開けるように促します。

 

 この家に入ったらまずい……

 

 私はそう確信しました。

 

 しかし男性は自分では鍵が開けられないと、しきりに私に訴えます。

 

 仕方なく鍵を取り出して扉を開け、私は男性のリュックを玄関框に置きました。

 

 男性はよろよろと壁に近づくと何かを探して暗がりで手を動かします。

 

 パチン……

 

 小さな音がして電気が点きました。

 

 蛍光灯に照らされた部屋には、無数の黒いゴミ袋が散乱しています。

 

 ヤバイヤバイヤバイヤバイ……!

 

「じゃあ、これで失礼します……具合が悪くなったらすぐに救急車を呼んでくださいね」

 

 そう言い残して立ち去ろうとする私に、男性は言いました。

 

「お茶しか無いが、どうぞどうぞ……」

 

 そう言って奥の部屋を指さしています。

 

 そこにもやはり、ゴミ袋が山積みになっていました。

 

 無理無理無理無理無理無理……!

 

 これ以上は無理だ……!

 

 私はそれを必死で断り帰ろうとしました。

 

 しかし男性も引き下がりません。

 

 見ると男性は泣いています。

 

 名前を尋ねられましたが、答えるわけにはいきません。

 

 とうとう諦めたのか、男性はスッ……と私に手を差し出しました。

 

 擦りむいて血まみれの手を。

 

「ありがとう。本当に……ありがとう……」

 

 どうやら握手を求めているようでした。

 

 逃げ出したい。

 

 本当に逃げ出したい。

 

 それでも私の中のお人好しが顔を出したのか、私はその手を軽く握りました。

 

 凄い力で握り返された手を振りほどいて、私は山道を駆け戻りました。

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