死神だったのかもしれない②


 こいつはやばい。僕は素早く部屋に戻って、玄関ドアを閉めて施錠をした。


「出てきやがれ、この野郎っ!」


 怒りが収まらないのか、Rさんは強い力でドアを叩き続けていた。僕が無視して部屋に閉じこもっていると、反対側の中庭の方に回った。


 僕の部屋は一階なので、Rさんは中庭からサッシ窓を叩き始めた。まだ、昨夜の酒が抜けていないらしい。激高した酔っぱらいは、手のつけられない乱暴者だった。5分たっても、10分たっても、口汚く怒鳴っていた。


 このままでは、らちが明かない。僕は再び、110番通報をすることにした。


 しばらくして、パトカーがやってきた。Rさんは警察官に取り囲まれ、最寄りの警察署に連行されていった。僕も事情を説明するため、警察署に赴いた。パトカーに乗ったのは、後にも先にもこの時だけである。


 結局、Rさんは厳重注意を受けて、留置場で一晩すごすことになった。

 後日、Rさんの息子さんからお詫びの品を受け取ったが、当人からの謝罪は一切なかった。


 この一件があって以来、僕はできるだけ、Rさんと顔を合わせないようにした。幸い、お礼参りを受けることもなく、Rさんが深夜に騒ぐことは二度となかった。時折り、へたくそな演歌を壁越しに聞かされることはあったが、それぐらいは大目に見ることにした。


 噂によると、Rさんは評判の鼻つまみ者だったらしい。近所の居酒屋で暴れたり、駐輪場の自転車を盗んだり、コンビニで万引きをしたり。その結果、家族からも疎まれて、アパートで独り暮らしをする羽目になった、という話だ。


 数カ月が過ぎた頃、深夜、Rさんに荒々しく壁を叩かれた。何が気に入らないのか、壁を叩き続けている。何度も繰り返し、断続的に。物音が止んだのは、10分ほど経ってからのことだった。


 数日後、僕がアパートに帰ると、通路に制服警察官が一人佇んでいた。僕は住人であることを名乗り、彼に尋ねた。


「アパートで何かあったんですか?」

「実は、住人の方が一人亡くなられました」


 亡くなったのは、Rさんだった。誰かに殺されたわけではない。死因は心筋梗塞だから、病死ということになる。元々、心臓が弱かったらしい。


 そのことを聞いた時、僕はハッとした。


 あの時、Rさんが壁を叩いていたのは、不平不満やストレスの発散などではない。おそらく、僕に助けを求めていたのだろう。胸が苦しくて、必死に壁を叩いていたのだ。


 あの時、僕が少しでもその可能性に思い至り、大家さんに連絡をとったり110番通報をしたりしていたら、Rさんは命をとりとめていたかもしれない。


 もちろん、これは僕の勝手な想像である。Rさんが壁を叩いていた直後に亡くなったのか、朝になってから息を引き取ったのか、そんなことは誰にもわからない。


 すべて結果論であり、「たられば」の世界である。


 ただ、僕は気づかないうちに、人の死と関わってしまったようだ。人の死を左右してしまったことは、見方によっては「死神」ということになる。


 まったく自覚していなかったが、その時の僕は


 そう考えると、今でも、背筋が寒くなってしまうのだ。



                 了

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死神だったのかもしれない 坂本 光陽 @GLSFLS23

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