【微ホラー】湯煙亭の木魂さん
藍埜佑(あいのたすく)
【微ホラー】湯煙亭の木魂さん
私は齋藤柚香。26歳の平凡なOLです。
仕事に追われる日々に疲れ果て、思い切って一人旅に出ることにしました。行き先は、都会から少し離れた山間にある小さな温泉町。SNSでも話題になっていない、ひっそりとした秘湯です。
秋の連休、紅葉が始まったばかりの山道を車で進みます。カーナビも頼りにならない山奥で、やっとのことで見つけた宿は、想像以上に古びた佇まいでした。「湯煙亭」と書かれた看板は、苔むして判読するのも一苦労。正直、最初は戸惑いましたが、好奇心が勝りました。
玄関に足を踏み入れると、年季の入った畳の匂いが鼻をくすぐります。フロントには誰もいません。「すみませーん」と声をかけると、奥から小柄なおばあさんがゆっくりと姿を現しました。
「お待ちしておりました」と、おばあさんは微笑みます。
その笑顔に安堵しつつも、予約した覚えがないのに、という違和感が頭をよぎります。
部屋に案内されると、そこは予想以上に広く、立派な造りでした。
しかしなぜか背後に視線を感じます。
振り向くと、床の間に何やら不気味な面が飾られています。
好奇心から近づいて見ようとすると、おばあさんが静かに言いました。
「あまり、近づかない方がいいですよ」
その言葉に、背筋がぞくっとしました。でも、単なる迷信でしょう。私は自分に言い聞かせます。
夕食は部屋食。新鮮な山の幸が並び、美味しくいただきました。食後、露天風呂に向かいます。夜の森に囲まれた湯船に浸かると、なんとも言えない解放感。でも、湯煙の向こうで何かが動いたような……気のせいですよね。
部屋に戻り、布団に潜り込みます。静寂に包まれた宿。心地よい疲れと温泉の効果で、すぐに眠りに落ちました。
……。
カタン。
物音で目が覚めます。草木も眠る丑三つ時。
音の正体が気になり、恐る恐る障子を開けると、廊下に人影が。でも、すぐに消えてしまいました。寝ぼけていたのかな?
再び布団に入りますが、今度は窓の外から微かな笑い声。子供のような、老人のような……。温泉地には珍しくない野生動物の鳴き声かもしれません。でも、どことなく人間の声にも聞こえて……。
眠れなくなった私は、スマホを手に取ります。
電波が入らない。時計を見ると、
3時33分で止まったまま。
電池の消耗?
それとも……。
「誰?」
視線を感じて私は闇に誰何します。
もちろん返事はありません。
考えるのをやめて、目を閉じます。
朝。
目覚めると、昨夜の不安は嘘のよう。
朝食をとりながら、昨夜のことをおばあさんに話してみました。
「あら、それは木魂(こだま)さんですよ」
おばあさんは落ち着いた様子で答えます。
「この辺りにはね、昔から木魂さんがいるって言われてるんです。いたずら好きだけど、悪さはしない。むしろ、宿を守ってくれてるんですよ」
なるほど、座敷童のようなものなのかな。
地域に伝わる民話なのでしょう。
心なしか肩の力が抜けます。
午前中は近くの滝を見に行きました。マイナスイオンを浴びて、心身ともにリフレッシュ。昼食後、再び温泉に浸かります。湯煙の中、ふと先ほどのおばあさんの言葉を思い出します。木魂……か。
チェックアウト時、おばあさんが笑顔で見送ってくれました。
「また来てくださいね」
その言葉に、なぜか懐かしさと寂しさが込み上げます。
帰り道、車のバックミラーに映った宿がまるで霧の中に溶けていくように消えてしまいました。私は目をこすり、もう一度確認します。そこには、確かに「湯煙亭」の看板があったはずなのですが……。
家に着いて荷物を解いていると、バッグの隅に見慣れない木の実が。いつの間に……? そう言えば、おばあさんが最後に何か握らせてくれたような……。
木の実を机に置いて、スマホで調べようとします。と、その時です。
カタン。
微かな物音と共に、木の実がゆっくりと転がり始めました。
私は息を呑みます。気のせい、ではないような……。
窓の外に目をやると、紅葉した木々が風に揺れています。その葉擦れの音が、まるで笑 い声のように聞こえた気がして……。
木の実を写真を撮って、画像検索をかけますが、一件もヒットしません。
この木の実はなんなのでしょう。
あと……今、私のこと、誰も見てないですよね?
【微ホラー】湯煙亭の木魂さん 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます