運命は歪む

 時計の針が4を指す頃、ジュピターは隣のベッドでいびきをかいて寝ているオベロンを起こさないように、そっと立てかけてあった大剣を手に取り、忍足で部屋を出ていく。

 外は肌寒く、空は曇っていた。僅かに霧がかかっている。静まり返ったオフィウクスの市街地を、ランプもなしにゆっくりと歩いていく。綱渡りをするように慎重に。


 しばらく街道を歩くと、薄暗闇の中、純白に塗られた教会が見えた。屋根の上にある風見鶏が左右にチラチラと動いている。不気味なほど冷たい風がジュピターを歓迎するように教会側から吹いてきた。扉に近寄って手をかけてみる。鍵はかかっているようだ。横に回って窓をみると、教会内に光はない。耳を澄ましても教会からの物音はなかった。フォルトゥナはまだ来ていないようだ。

 ジュピターは教会の入り口を監視できる隠れ場所を探す。教会は街の中心からやや北にずれたところに位置している。教会の前は小さな広場になっていて、南へ向かう大きな街道がある。広場の左右にそれぞれ二つずつ小路こうじがあり、この時間帯ならば通る人はいないだろうと、そこで息を潜めることにした。


 どれくらい待っただろうか、時計を持ってきていないので体感でしかないが、恐らく一時間近くは待っただろう。東の空が青紫色に染まりつつある。すると、コツコツという足音がした。顔を建物の角から少し出してみる。燃え盛るような赤髪を靡かせながら、褐色肌の女が歩いてきた。あれがきっとアンカアだとは思いつつも、早とちりで市民を殺してしまっては困る。だから、ジュピターは市民のふりをしてアンカアに近付いた。


「すみません。今日宣告を受ける者なのですが、教会がまだ空いていなくて。」

「あら。随分と早いのね。ここでは寒いでしょう。もうすぐ教会の扉を開けるから。」


 女は特に疑わず、自分が教会関係者であることを無意識に明かす。女が教会に歩いている隙に、ジュピターはそろりそろりと後退し、小路に置いていた剣を取る。


「あんたが司祭で間違いないな!」


 そして、斬りかかった。女は咄嗟に後ろへ飛び退る。


「あなた、一体何者なの?」

「俺はジュピター。あんたらフォルトゥナを殺す抵抗者レジスターズの一員だ!」


 ジュピターが高らかに宣言すると、女は腹を抱えて笑い出した。


「可笑しいことを言うわね!あなたが私を殺す?身の程知らずも大概にしなさいよ!二百年生きた私が、この“アンカア”が、あなたのような雑兵風情に負けるわけがないでしょう!」


 アンカアが手を大きく広げる。すると、彼女の背中から真っ赤な炎が翼のように広がった。その翼から無数の火炎が放たれる。走るジュピターを追尾するようにそれらは飛んでくる。

 ジュピターは最後の一つを大剣で切り裂くと、その勢いのままアンカアの方へ駆け出した。

 大剣を大きく振りかぶる。アンカアは日輪のように丸く翼を広げると、白く光る球をジュピターと自分との間に生成する。大剣の刀身より僅かに小さい直径の球。しかし、固く、大剣の先から煙が出る。

 一旦引いて確認してみると、刃が少し焼けているではないか。どうするかと思う間もなく、次の攻撃がジュピターを襲う。降り注ぐ炎が地面を《や》灼く。


 遠距離魔法に対して剣は不利ともいえ、有利ともいえる。要は遠ければ弱いし、近づけば強いのだ。しかし、アンカアの場合は違った。アンカアは防御手段を持っていた。それがあの光の球だ。あれは剣を溶かすほどの高温で、ジュピター達剣士にとっては天敵となる。それを掻い潜るには背後をつく、油断しているところを襲うというように、とにかく相手の意識を防御からずらすことが必要なのだが、そんなの、剣しか攻撃手段を持たない上、独りで戦っている未熟なジュピターに出来るわけがない。

 最初に話しかけた時に確認など取らずに殺せばよかった、あるいは誰か一人でも強引に連れてくればよかった。今更そんなことを考えても後の祭り。

 とにかく逃げ続ける。いつかチャンスが来るんじゃないかと絶望的な希望を抱いて走り続ける。


「逃げてばっかりじゃない!さっきの大口はどうしたの?」


 アンカアが高らかな声でジュピターを煽る。しかし、そんな挑発に乗れる余裕はなかった。それを分かって言っているのだろう。全くフォルトゥナというのは、本当に腐った性格をしている。

 心の中で嫌味を連ねる。アンカアを恨めしそうに睨んでいると、視界の右の方が赤く染まった。前に視線を戻すと、目の前から炎が迫っていた。

 しまった!油断した!

 咄嗟に剣を前に立てることで眼前の炎は打ち消すことが出来たが、横から別の炎が現れ、ジュピターの脇腹に激突する。ぶつかった衝撃と、焼けるような熱さ。二重の痛みが彼を襲う。地面にのたうち回る。

 アンカアが靴音をわざとらしく鳴らしながらジュピターに近付く。

 やっぱりフォルトゥナという者は下劣な性格をしている。どうせトドメを刺す前に嫌味な罵声を浴びせて絶望させるのだろう。全く、下らない。

 足でジュピターを転がす。徐々に青に染まりつつある空が見えた。次の瞬間にはアンカアの醜い顔が映り込み、同時に腹に衝撃が走る。


「ほんっと愚かよね。」


 ジュピターを踏みつけ、歪んだ笑みを浮かべるアンカア。


「私が勝つなんて最初から決まりきっていた予定調和。それを知らずに無謀にも私に挑むなんて、笑っちゃうくらい愚かね。」


 さて、と急に顔を変え、冷めた顔になる。その凍るような殺戮者の視線とは対をなすかのような真っ赤な炎が、まるで剣のように細長く、ソルの胸の上に現れる。

 しかし、アンカアは実に不運だった。


「何してるんだ!一体!」


 南東の小路から新聞配達の男が現れた。アンカアは小さく舌打ちし、顔を見られないように手で覆うと、ジュピターを殺すことを諦め逆方向へと逃げていく。広場に残されたジュピターに駆け寄る男。


「あんた、大丈夫か!誰にやられたんだ!」


 痛みで声が出ない。


「待ってろ!今、助けを呼ぶからな!」


 ジュピターの意識はそこで途絶えた。



 目を覚ますと、見知らぬ白い天井がある。広いベッドに横たわり、右手には包帯がグルグルと巻かれている。起き上がると、そこは病院だった。まだ腹部に痛みがある。


「あ、気付きましたか!」


 近くにいた看護師がジュピターに気付き、医者を呼ぶ。医者からは「君は運が良かった」と言われた。病院に運ばれた時には虫の息だったそうだ。医者が出ていくと、入れ違いに見覚えのある人物が入ってきた。


「げっ……」

 ウラヌスだ。分かりやすく怒りの表情を湛え、ジュピターの方へと早歩きで近づいてくる。


「お前、とんでもないことをしてくれたな!」


 怒号が飛ぶ。「病院内ではお静かに」なんて注意を躊躇ためらうくらい、恐ろしい形相でジュピターを糾弾する。しかし、意地っ張りのジュピターは反駁する。


「ふざけんな!俺はあんたに認められたいから戦ったんだ!それの何が悪い!」

「お前はフォルトゥナを何だと思っている!」

「俺達が斃すべき悪い奴らだろ!」

「浅はかなんだよ!その認識は!」


 ジュピターの反論を押し潰すほどの大声でウラヌスが怒鳴る。


「良いか!よく聞け!フォルトゥナは運命を操る存在だ!お前によって乱された運命を戻すためならば、奴らは何だってする!人の命を奪うこともいとわない!お前のしでかしたことはオフィウクスの人間を、ひいては世界に住まうすべての者の命を危険に晒す行為だ!それが分かっているのか!」

「そ、そんな大袈裟な……」


 ジュピターの頬に鈍い痛みが走る。ウラヌスに殴られた。


「な、何すんだよ!」

「数万という命を危機に晒しているお前が、これくらいで済むことに感謝しろ。」

「何だよ!確かに俺が悪い所はあったかもしれないけど、俺は怪我人だ!殴ることはないだろ!」

「まだ重大さに気付いていないのか、お前は!」


 今度はジュピターの胸ぐらを掴んで持ち上げる。


「お前は罪なき人々の運命を歪ませたんだ!死罪すらも生ぬるい大罪だ!反省しているのならばこの程度で済ませようと思っていたが……否、もうお前にこれ以上言っても分からんようだな。」


 ウラヌスは続きを言うことなく、ジュピターを投げ飛ばすように離して、病室を出ていった。残されたジュピターは不平不満を独り言で垂れ流す。


「何だよ!フォルトゥナの討伐失敗がそんなに重いことかよ!訳わかんねぇ!」


 部屋をでたジュピターはすぐにサジタリウスに連絡を取る。


「私だ。ウラヌスだ。至急、討伐隊の増援を頼む。いや、アンカアの件ではない。このままでは、」


「オフィウクスが滅亡する可能性がある。」

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ラプラスの運命 元目嘉月 @Mac_Lap

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