After the rapture virus (後編)
天日干しをして申し訳程度に綺麗にした布団の上で夢心地になろうとする中、どしりとした衝撃が俺の腹の上に加わった。
「ジュン」
目を開けると、ミカが俺の腹に乗っていた。長い放浪生活の中、見つけた食糧も節約しながら消費しているから充分な量の食事が出来ているとは言い難い。だからミカが俺の上に乗っても俺にとっては、羽でも落ちて来たのかと思うくらいに軽い。
「今日は良いよね?」
ミカの言葉に俺は頷く。ミカはさっき布団に飛び込んだ時とも違う、にっこりとした笑顔を俺に見せた。ミカは着ていたシャツを脱ぎ捨てる。いつかどこかで拝借した大人びた下着が露わになる。ミカは俺の汗ばんだシャツの中に手をそっと入れて捲り上げながら、俺の肌に触れるか触れないくらいの優しい手触りで、腹の下から胸の横までを五指でなぞる。
「ミカ」
俺が彼女の名前を呼ぶと、ミカは嬉しそうに笑って、俺の両頬を挟むようにする。
「ジュン」
ミカも俺の名前を呼ぶ。俺はゆっくりと上体を起こす。お互いの口元に唇を近付けて、重ねた。俺もミカの首筋を抱く。口の中で蕩けるように舌が混ざり合う。何の本で覚えたのか。俺も負けじと舌を絡めるが、いつも彼女の方が
「ミカ、ミカ」
「ジュン、ジュン!」
時折、唇を離してお互いの名前を呼ぶ。俺達が事の最中に口にするのは吐息以外にはそれだけだ。だから、二人で繰り返し唱えるお互いの名はより一層、獣の咆哮のように思える。
俺はミカの下着を脱がせる。ミカも俺の腕を上に掲げて、汗で張り付いた俺のシャツを脱がせた。お互いにベッタリとした汗と埃塗れになった体を裸で重ね合わせる。荒く息を吐くミカに呼応するように、俺は彼女の胸の先端に触れて、また唇を重ねて彼女の口を塞ぐ。
ミカが足先を器用に俺のズボンに引っ掛けて脱がせる。俺も彼女の衣服の全てを剥ぎ取って、遠くに放り投げた。上体を起こしたままの俺の背中に、ミカは脚を絡める。俺の太腿に、温かくてぬるりとした感触が伝わる。
──ミカが初めて俺を求めたのは、マサノリが光の束となってから約一年後のことだった。まだ毛も生えたばかりのガキのくせして、と俺はミカの頭をパシンと叩き付けた。実際その時は、彼女と情事を重ねるつもりなんて、さらさらなかった。まだ小さな子供だったし、何よりも世話になった恩人の娘だ。歳も一回り以上は離れている。短い間とは言え、マサノリと一緒に成長を見守ったし、マサノリと一緒に初経を迎えたミカにあたふたしたこともある。
「ジュン、ジュン」
「ミカ、ミカ……!」
そんな彼女を相手に、お互いの名前を呼びながら、俺はもう何度も体を重ねている。旅の途中、最初に行為に及んだのは一年程前のことだ。ミカとは毎日一緒にいた。家族をこえた相棒のような存在だ。ミカはそんな俺のことを懲りずに誘惑し続けたし、俺も「そんな気にはなれねえ」としつこく迫るミカをあしらうのは最早、習慣のようなものになっていた。
けれど、一年前のある日気付いた。ミカはもう、子供ではないことに。彼女の乳房は大きく膨らみ、こんな生活では処理しきれない体毛も、俺と同じように伸びている。
──そしてこの世界で、彼女を拒む理由を俺は見つけられなかった。
「そろそろ、ね」
「ああ、わかった」
俺達は、獣の咆哮のように名前を呼ぶのを止める。そして貪りつくように、どちらともなく腰を重ねる。二人して荒く息を吐き、強く乱暴に互いに互いの体を打ち付けて、俺は彼女の体内の温もりを感じながら果てた──。
🌒
事を終わらせても、変わらず抱き合ったりキスをし合ったりするのを何度か繰り返した後、俺達は服を着直す。ベトベトになった布団を見て小さく溜息を吐きながら、俺はその布団を部屋の
俺はそんな彼女のゴワゴワとした髪を撫ぜ、天井を見上げる。罪悪感がない、と言えば嘘になる。マサノリは決して、こんなつもりでミカを俺に託したのではない。
「……ッ!?」
俺は何か、妙な気配を感じてミカを自分の体の上からどかした。ミカもそれで目を覚ましてしまい、目を擦りながら欠伸をしたが、伊達にここまで生き残っていない。ミカもまた、気配に気付いたらしく、直ぐに起き上がって臨戦体制に入った。
「ジュン」
「分かってる」
小さく床の軋む音が聞こえる。誰かがこのケーキ屋に入って来ている。俺は商店街を探索している時に拾っておいた鉄パイプを持ち上げて、いつでも振り下ろせるようにする。今自分達がいる寝室への入り口にある、引き戸の近くで息を潜めた。
──引き戸が勢い良く開けられる。
「あ?」
俺は戸の向こうにいた男の手に、ナイフが握られているのを確認するや否や、鉄パイプを男の後頭部に打ち付けた。ガツンという鈍い音と共に、男は出血し、その場に倒れる。その後ろにも同じようにナイフや木刀、エアガンまで手にした男達がいた。俺は躊躇することなく、続けて全員の頭に目掛けて鉄パイプを力一杯に振り当てる。
男達の頭がカチ割られ、床に血溜まりが出来る。三人目の頭をぶっ叩いたところで、鉄パイプが少しへし折れた。まだその後ろには仲間がいた。俺は変形した鉄パイプの扱いを間違い、目測を見誤った。
「痛ってぇ!」
頭を狙った筈が、鉄パイプは肩にぶつかり、そこにいた若い男に掴み返された。
「死ね」
俺がもたついてる間、ミカは倒れた男達が手に持っていたナイフを拾い上げると、俺に反撃をしようとしていた若い男の左胸目掛けて、体重を思い切りかけながらナイフを差し込んだ。男は、声にならない悲鳴を上げる。そのまま口から吐血したかと思うと、バタリと倒れた。
「これで全員か?」
「分かんない」
日が昇っている間、確かに商店街は無人だった。ケーキ屋の扉にだって誇りが溜まり、人がいた気配もなかった。だから、今俺とミカが倒したのは、俺達と同じように安全な場所を探しに来た旅人か、または幾つかの居住地を転々と
「何かあったか!」
案の定、下の階から仲間を呼ぶ声がした。くそっ! 何人いる? 今日は月明かりも薄く、ミカも起きたばかりだ。周りの様子を確認し切れない。
俺はマサノリの論文の入った自分の鞄を背負って、男達が落とした武器を回収した。エアガンはミカに渡し、ゆっくりと下の階に降りる。
下の階には、男が三人、女が二人。明らかに旅人の規模じゃない。俺は全員の頭を鉄パイプで乱暴に殴りつけてから、背中をナイフで刺した。俺が仕損じた女の頸動脈をミカがナイフで掻き切る。
「他いねえか!?」
「いない!」
俺とミカはお互いの無事を確認しつつ、ケーキ屋の中に他に仲間がいないことを確認して、建物のシャッターを開ける。
──その瞬間、背筋をヒヤリとした物が伝う。
建物の外には、おそらくは今俺達が相手取った奴らの仲間であろう人間が、少なくとも目視で三十人以上いた。彼らは建物を取り囲んでいる。俺からは死角で見えてないところを含めると、何人居るのかも分からない。
油断した。これだけ整っている場所であれば、いつ
──ドウン、という鈍い音が鳴る。車のエンジン音だ、クソッタレ。眩い光が俺達を照らす。
「あらあら」
おそらくは彼らの
「結構な精鋭を行かせたのに」
「精鋭? クソしかいなかったな」
この人数を相手取るのは流石に骨が折れる。俺はせめて強気の姿勢を見せた。この
「おい!」
彼らの仲間の一人が、乱暴に俺の鞄をぶん取った。そいつは中身を確認し、食糧品やタオルなどの衛生品だけ抜き取ると、鞄を
「おい、触るな」
「怒気が強い。そんなに大切なの?」
「何だこれは」
「つまらん。捨てろ」
その仲間は
論文と俺の鞄が地面に落とされる。そして女は松明の火を、それに近付けた。
「ふざっけんじゃ、ねええ!!」
松明の火が、論文に移るのは直ぐだった。お前、お前らクソが。それが何かわからねえくせして!
──燃え広がる火から論文を何とか守る為に、俺は飛び出そうとする。だが、俺の背中を誰かが強く抱き締めた。
「駄目!」
ミカだった。俺は彼女を振り向く。ミカは鋭い目付きで、
「大丈夫」
「ざけんな! あれはお前の父親が!」
「あれなら私も書ける!」
ミカの口にする言葉に、俺は一種ポカンと呆けた。
「……本当か?」
「うん、私が何度お父さんの論文読んだと思うの?」
ミカの声は震えている。今ここで俺が何とか生き延びられることを、彼女は望んでいる。
──だが、その希望は直ぐに潰えた。
「あんたら、ウチの仲間を殺し過ぎたね」
「殺せ! 殺した奴には褒美をやる!」
このイカレ女が!
「本当に、書けるのか?」
「うん、書ける」
ミカの声は尚も震えている。彼女は俺に抱きついて離れようとしないが、このままでは二人とも死ぬ。
「ミカ」
「うん」
「お前は絶対に生き延びろ」
「──え」
俺はミカを無理矢理引き剥がす。そしてミカを肩に抱えると、襲い来る
俺は自分達を照らすヘッドライト目掛けて走った。邪魔な
「ミカ」
「駄目だって」
ミカは流石に賢こい。俺が今からしようとしていることも理解している。奴ら、あの規模だ。このまま二人逃げ切るのは厳しい。
俺は運転する車で商店街の中心を駆け抜け、車体にしがみついている連中を全員振り落としたのを確認する。
「ジュン!」
俺の名前を叫ぶミカの口に、俺は唇を重ねる。最後のキスは、血の味がした。
「俺は馬鹿でさ」
「駄目」
「お前が言ってんのが、本当なのかどうかもわかんねえんだわ」
「駄目」
「だから、信じることにする」
「駄目!」
俺は運転席の扉を蹴り開ける。扉が外れ、追いかけてくる
メキメキと、体の軋む音がする。体の骨が折れ、筋肉が裂ける。俺は後ろを振り向く。ミカの乗る車は方向を変えて遠ざかって行く。流石ミカだ。自分のやるべきことが分かっている。
「──ッ!!」
俺は乗り上げた車のフロントガラスを拳で割る。そのまま運転手の顔を殴り付けて気絶させて、車から飛び降りた。車はスリップして、近くの電柱に正面からぶつかって大破した。未だ後ろには、血相を抱えた女
──俺の旅はここまで。俺は光の束にはならない。愛する
俺はその場に落ちていた鉄パイプを拾い上げて咆哮する。そして、襲い来る敵に向けて腕を大きく振り上げた──。
『 』 宮塚恵一 @miyaduka3rd
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