『   』

宮塚恵一

After the rapture virus (前編)

 神様なんてのが本当にいるのなら、世界はこんなにも残酷じゃないはずだ。

 ──と、人間がこの地球に産まれ落ちてから、幾度となく吐き捨てられたのだろう言葉を、俺はこの旅の中で何度反芻して来ただろう。


「ジュン、ここ多分安全だよ」


 人の気配一つ感じられない商店街。俺と二手に分かれて様子を探っていたミカが俺と合流するや否や、嬉しそうに言った。


「だな。こっちも異常はなかった」

「やった! 久しぶりに休める!」


 ミカはその場で大きくピョンと跳ねると、俺の首に抱きついた。俺はミカをゆっくりと引き剥がすと、今日の寝床を探しに歩き出す。


「あっちの方。多分、ケーキ屋さんなんだけど、二階がすごい綺麗だったよ?」


 黙って歩き始めた俺の後ろをとてとてとついて来て、ミカが言う。ミカはいつも俺より寝床を見つけるのが上手い。何かコツがあるのか知らないが、なってしまった世界への、適応とでも言えるものかもしれない。


「分かった。案内してくれ」

「りょーかーい!」


 ミカは俺を追い越すと、笑顔で俺を先導する。俺は溜息をつきながらも、そんなミカの様子を見て自然と顔が綻び、彼女の後に続いた。



🍰


 人間が光の束になり消えていく。

 そんな怪現象が初めて起こったのは、十年前の夏の頃。俺がエアコンの効かない中で段ボールをひたすらに積んでいく倉庫整理の仕事の休憩時間に、職場の食堂で注文した飯を待ちながら、汗が固まって出来た塩の欠片を剃り残しの髭から落としている最中、テレビに映るニュースで観た映像が印象的だったのを覚えている。


「何これ? 映画?」


 俺と一緒に食事を待っていた同僚が、これまた陳腐な台詞を吐いた。けれど、確かにその様子は映画でも観ているかのようで、それが現実に起こっていることとは、当時の俺にはどうしても信じられなかった。


「これは現実です」


 そんな俺達の気持ちを見透かしたように、ニュースキャスターが冷静を努めながら、けれど興奮と恐怖を隠せない様子でそう伝えた。

 映像の中では、眩い光と共に人間が光の束になったかと思うと、その場に灰だけを遺して消えた。今思えば、人が死ぬ衝撃的な映像なのだが、当時はこの現象が何なのかを誰も説明出来なかった。それに、映像の中で人が消えていく様には、それに思わず魅入る美しさがあった。


 携挙ラプチャーウイルス。


 人を光の束に変えてほぼ跡形もなく消し去るその現象は、そう呼ばれるようになった。携挙というのは、聖書に書かれている予言で、この世界が終わる時に、人間が天国に昇天する時に起こる出来事らしい。

 携挙ラプチャーウイルスが引き起こすその現象は、正に聖書に記された携挙そのものである。──そう主張したカルト集団が言い出した呼称が、そのまま誰もに使われる物になったらしい。そもそも、この現象を引き起こすのは厳密にはウイルスではなく、微粒量子なんちゃらと呼ばれる別の物だとも聞いたが、詳しいところを俺は知らない。

 正確には、聞いたは良いがよくは理解できなかった。


「世界がこんな風になったのは神の裁きとでも?」


 俺は携挙ラプチャーウイルスについてを教えてくれたマサノリに、嘲笑まじりでそう言った。俺の問いに対して、マサノリは首を横に振った。


「たとえそうだとして、僕は現状に甘んじるつもりは全くない」


 マサノリは力強くそう言っていた。俺に対してと言うよりは、自分に言い聞かせる言葉だったのだろうと思う。彼自身、神を信じている人間だったが、少なくともこの世界は神の裁きにあっているのだと曰う、他の馬鹿どもとは違った。

 携挙ラプチャーウイルスは、世間の人間があのニュース映像を観ながら「まるで映画みたいだ」なんてのほほんとしているうちに、世界中に瞬く間に広がった。携挙ラプチャーウイルスにもマスクが有効だとニュースが言うので、いつだかのウイルスの大流行パンデミックの時のように、職場ではマスクの着用が義務づけられ、俺も熱い中で塩飴を舐めながら熱中症と闘いながら仕事をしている最中、遂に職場の人間も携挙ラプチャーウイルスに感染した。


「    」


 俺の目の前で積み上げた段ボールを荷役運搬車両フォークリフトで運ぼうとしていた中国人の同僚のウォンが、運転席で急に大口を開けて何か言葉を口にした。──かと思うと、眩い光と共にウォンは光の束となった。ウォンの居た場所から熱風が吹上げ、荷役運搬車両フォークリフトに載せたダンボールごと焼け焦げる。ウォンの座っていた運転席も熱でどろりと溶ける。夏の暑さと、目の前で吹き上げた熱風にも関わらず、俺の背を冷ややかなモノが伝わった。

 遠目でその様子を見ていたバイトの若い女性が悲鳴をあげた。かと思うと、その女性もまたその場で光の束へと変貌する。それに呼応するように倉庫内は大パニックになった。俺もその時に持ち上げていた段ボールを放り投げて、同僚と同じように倉庫から抜け出した。


「皆、焦らず外へ!」


 そう口にしたタカハシ主任もまた光の束になった。携挙ラプチャーウイルスは厳密には空気感染するのではないという。しかしニュースによれば近くに居る人間が発症しやすいのも間違いないらしく、職場は阿鼻叫喚の地獄となった。何が携挙だ。人に言わせれば携挙とは神の祝福だそうだが、こんなものが祝福であってたまるものか。倉庫の外に出ても、至るところで光の束が空に向かって伸びていた。ニュースのテレビ放送もない。ネットの書き込みやラジオ放送で、これまた聖書になぞらえたらしく、審判の日と呼ばれるようになったその日の出来事は、今世界に生き残る人々の記憶に鮮明に残っている。




 ミカの言う通り、商店街のケーキ屋の二階にある部屋で俺達は二人、眠りに就くことにした。勿論、食べ物の貯蓄がないかの確認も欠かさない。ミカはそれとついでに、その家に本がないかをいつも探す。その家にある本があればその日のうちに必ず3冊は持ち出して読む。彼女がこの数年で、民家に残された本を何冊読んだのか、数えてはいないが少なくとも千冊は超えているだろう。こんな世界で本を読みたがる気持ちが、俺には分からないが仮宿にした家に本がなくて読めない時は目に見えて不機嫌になる程に、ミカは本を読むのが好きだ。


「今日は何か面白いのあったか?」

「前に読んだのと同じ作者の小説があった。ホラー小説でね」

「中身は別に良い」


 俺がそう言うと、ミカは大きく溜息を吐いた。


「ジュンも本読んだら良いのに」

「俺は映画とかアニメの方が好きだったんだよ」


 当然、今の世界で映像作品を観るのは困難だ。その点、本はこんな状況でも楽しめる娯楽として優れているのだということを、俺はミカを見ていて初めて知った。


「漫画でも良いよ」

「歯抜けだったりすると嫌だ」

「わがままだなあ」


 ミカは俺に呆れたように床に寝転がる。それからもそもそと這うようにして、部屋の隅に置いた俺の鞄に近付いた。


「また読んで良い?」

「好きにしろ」

「ありがと」


 ミカは、にこやかに笑うと俺の鞄のチャックを開け、中に入っている紙袋を取り出す。紙袋の中には厚い紙の束が入っている。製本はされていない。チラシの裏や段ボールやら、とにかく掻き集めた紙に続けて書かれているそれは、俺がミカと共に、マサノリに託された物だ。


「   」


 四年前、マサノリは自分が持っているその紙束を俺に投げ付けて、光の束になった。旅の中、マサノリが迂闊に助けた老夫婦が携挙ラプチャーウイルスに感染していて、いつの間にかマサノリも同じように侵されていた。

 携挙ラプチャーウイルスが世界中で猛威を奮った審判の日から十年、もう光の束となって消える人間を見ることは減ったが、今でも携挙ラプチャーウイルスに感染する可能性の高い場所は随所に存在している。そこに足を踏み入れれば、マサノリのように今でも携挙ラプチャーウイルスに感染し、光の束になる危険性がある。老夫婦が光の束となって蒸発した時、マサノリも自分の死期を悟ったらしく、俺に紙束を託すことを何度も口にしていた。

 俺がマサノリとつるむことにしたのは、彼のサバイバル能力が優れていたからだ。道端にある雑草のどれを食べても良いのか、何もない時に飲用水を手に入れるにはどうしたら良いか、民家で見つけた缶詰を缶切りなしに開ける方法、そうしたものは全て、マサノリから教わった。


 ──頼む。


 マサノリが光の束となって消える時、彼が何と言っていたのか実際のところは分からない。けれど、俺には確かにそう聞こえたような気がした。散々ぱら、耳にたこが出来る程に言われてきたからそんな気がしただけだとは思うが、今の俺はそんな彼の意志を継いで、北にあると言う研究所に向けて旅を続けている。

 マサノリが俺に託した物。それは彼が言うには、携挙ラプチャーウイルスのワクチンを作る方法を記した論文だ。旅の途中、俺も何度か目を通したが、文字は拾えても何が書いてあるのかまではさっぱりだった。だから、俺にはこれが本物なのかどうか判別する術はない。この論文はマサノリが書き上げた物だ。マサノリは確かに聡明で、色々なことを知っていたが、そんな物を書ける程の賢人なのかどうか、それすら俺には分からない。


「この論文の内容を実現できれば、携挙ラプチャーウイルスを世界から根絶出来る。世界の復興も夢じゃない」


 マサノリはそう語った。馬鹿な妄想だと笑うことも出来たけれど、俺は何故だか、彼の言葉を信じてみたくなったのだった。それ以外に今、俺がやれることがないと言うのはある。法も秩序も崩壊した世界で、目的も何もなく生きていくよりかは、もしかしたらという希望を持って生きた方がマシだ。


「後、どのくらい歩きゃあ良いんだか」


 論文を読み漁るミカの隣で、俺は地図帳を広げた。山登りと旅行が趣味だった俺は多少地図が読める。それに加えて、自分が今大体どのくらいの場所にいるのかを知る方法もマサノリに教わったから、ミカが論文を見るのと同じように、俺もことある度に地図を広げ、自分の現在位置を確認するのが日課だ。


「間違いなく、近づいちゃあいる」


 目的としている研究所は、マサノリに論文を託された時点で、一日中歩き続ければ一か月程でつく距離だった。俺も長く見積もって半年くらいでつくと過信していた。だが、インフラが死に絶えたこの世界、実際には崩落した橋を渡る術を見つけたり、森の中を進む時はより慎重になる必要があったり。それだけじゃない。携挙ラプチャーウイルスに感染する危険性のある場所を避けながら旅をする必要があったし、それに各地には生き残った人間の持ち物をぶん取って生きる不成者ならずもの連中だっている。そのせいで、四年も歩き続けているというのに目的地に着かない。

 いつだか観たゾンビ映画を思い出す。そこでもやはり、生き残る為に他人を犠牲にする不成者ならずもの同士の戦いが描かれていたが、現実も似たようなものだ。ゾンビがいないだけマシと言うのは、いささかポジティブが過ぎるか。


「論文、鞄戻すね」


 ミカは論文に一通り目を通し終わると、綺麗に元あったように論文を紙袋の中に入れ、俺の鞄に戻した。


「ああ、しかし飽きないな」

「読む度に分かるようになることも多いから」

「……本、沢山読んでるもんな」


 今日は偶々、このケーキ屋にあったのは小説くらいだったが、ミカが読むのは小説だけじゃない。大学生が使うような教科書や専門書、英語で書かれていて俺には何が何だかほとんど分からない本まで、雑多に読み漁っている。

 ──そういうところ、確かにミカはマサノリの娘なんだなと、旅をしている中で何度実感したか分からない。

 俺だって、若い頃は親の脛をかじって大学に通っていたこともあったが、ほとんど遊び呆けていただけだったし、ミカが読むような本の内容は、マサノリが遺した論文と一緒で、読んだところでてんで分からない。


「布団、出すぞ」


 俺は部屋に入って直ぐに押入れの中から取り出して、外に天日干しにした布団を部屋の中に取り込む。部屋の中の埃をある程度掃くのはいつも俺とミカの二人でやる。家そのものが崩れてしまっていれば別だが、こうしてただ住人がいなくなっただけの家は、布団が使えることも少なくない。別にいつも野宿だってしてるのだから、布団を使う必要なんてないのだが、せめて昔のように夜を越したいという気持ちもある。

 布団を中に入れた瞬間、ミカはその上にダイブした。彼女の様子を見て、俺は笑う。それにこうして楽しげな彼女の姿を見れるのも、俺は存外嫌いではない。


 



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