怖そうで怖くない少し怖い修学旅行の話

霧野

闇に潜むもの

 中学校の修学旅行の話です。

 旅行初日の行程を終え、食事や入浴も済ませ、あとは寝るばかりとなった女子中学生達の部屋。もちろん修学旅行の初日におとなしく寝る生徒など居るはずもなく、皆お菓子を食べながらおしゃべりやカードゲームなどに興じていました。

 そんな中、何気なく窓の外に目を向けた一人の生徒が「えっ?」と声を上げたのです。

 声につられるように窓から外を見下ろすと、立派な日本庭園の奥に流れる小川のさらに向こう、鬱蒼とした木々の陰に、白い服を着た髪の長い女性が立っているのが見えます。

 思わず皆、顔を見合わせました。無理もありません。そんな、お約束みたいな格好の幽霊なんて……

 その場所は旅館からかなり距離があったし、小川に隔てられています。また、修学旅行の高揚感も手伝ってか、皆「いやいやいや」「流石にないでしょ」みたいなノリで流してしまい、UNOの続きに戻りました。とはいえ、カーテンはしっかり閉めましたから、やはり少し怖かったのだと思います。


 しばらくして、窓の外から物音が聞こえた気がしました。数人はその音に気づいた様子でしたが、何も言いません。それどころか、「気づきたくない」とばかりにさらに陽気にはしゃいでいるようでした。


「コツ、コツ」


 今度は確実に、音が聞こえました。さすがの彼女達もおしゃべりをやめ、カードを繰る手が止まります。


「コツ、コツ」


 窓ガラスを叩く音でした。この部屋は4階。ベランダはありません。

 窓際にいた生徒が慌てて布団の上を転がり、そこから離れます。生徒達は廊下側に固まって抱き合い、中には早くも布団を被って震えている生徒もいました。


「バン! バン!」


 ひいぃっ…という声があちこちから漏れました。ヤバいヤバいヤバい……呪文のように呟く者、ぎゅっと目を瞑り耳を塞ぐ者、かと思えばスマホで窓の方を撮影している猛者もいます。


「バンバンバンバンバンバン!!!」


 彼女達は一斉に悲鳴をあげました。が、一人だけ。すっくと立ち上がった勇者がいたのです。


「うるせえ! 用があんなら入ってこい!!」


 彼女は勇者ではなく、愚者でした。怪異を招き入れてどうする!!!



「………」


 カラカラカラ…と窓が開き、カーテンが大きく揺れます。


「え、鍵開いてんじゃん…」と愚者が呟いたのを、私は聞き逃しませんでした。戸締まり確認、大事。


 窓枠に白い手がかかり、次にカーテンの裾から痩せた足が現れました。そうしてもう片方の足が、最後にカーテンがよけられ、頭が………


 恐ろしくて声を上げることすらできずに、私達は身を竦めてその様子を見守るしかありませんでした。

 部屋に降り立った白い服の女性は、長い髪を垂らし、じっと立ち尽くしています。

 もうだめだ、全員とり殺される……と覚悟したその時、動いたのは例の愚者でした。



「えー、髪めっちゃ長いのにすごい綺麗じゃん。何使ってんのー?」


 狂った、と思いました。恐怖のあまり狂ったのだと。

 まるで友達に接するかのように、髪に手を伸ばします。心なしか、愚者の瞳孔が開いているようにも見えました。


 すると、白い服の女性の髪がするすると伸び、愚者の手首に絡みついたのです。

 愚者が捕まってしまった! 殺戮が始まる! と恐ろしさに思わず目を閉じ、声にならない悲鳴をあげたその刹那。シャキン! という音が響きました。


「あ、東さん? つーかハサミでかっ」

「私、手芸部なんで」


 恐る恐る目を開くと、そこには鈍く光る裁ち鋏を持った手芸部の東さんの姿が。普段目立たない彼女が、なんと愚者の手首に巻き付いた女性の髪を切ったのです。

 おそらく咄嗟の行動だったのでしょう、東さんは呆然とした顔をしていました。


「え…」

 それは白い服の女性の声でした。

 切られた髪は愚者の手首を離れ、音もなく畳の上に落ちました。


「あー、そっかー。うん、短いのも似合うね。いいんじゃない? この際、イメチェンしちゃう?」


 この愚者、ギャルではないけれどまあまあの陽キャ。いわゆるカースト上位者です。物理攻撃が有効と踏んだ彼女は早くも立ち直ると、強者特有のノリを発揮し始めました。相手が幽霊だからとて容赦はしません。グイグイ行きます。


「ほら、ここ座んなよ。ねー誰か、新聞紙とか持ってない?」


 アホか、女子中学生が新聞紙なんて持ってるわけねえだろ、大体何に使うんだよ…と心の中でツッコミましたが、その真意を汲み取った賢者がいました。愚者の陽キャ仲間です。


「あたし、レジャーシートならある。コテも持ってる」

「あ、あたしもコテあるよ」

「あたしネイル持ってきてるー」

「アクセは?」

「えー、無いよ。禁止じゃん」

「イヤーカフなら」

「え、ずるぅい。あたしも明日買お」


 あっという間に簡易美容院の開設です。布団を避け、部屋の隅に片付けられていた座卓が運ばれてそこに座らされ、足元にはレジャーシートが広げられました。なんたるチームワーク。幽霊さん、完全に女子中学生の勢いに飲み込まれ、言いなりです。

 3人がかりで髪を梳かれ、「痒いところありませんかー?」「あ、はい…」と美容院トークに応じ、「お茶どうぞー」とお茶を手渡されてマゴマゴするばかり。


「あー、これショートもいけんね。頭の形もいいし、ってか顔めっちゃかわいくない?」

「あー、あたしもそれ思った。絶対ショートの方が似合うって」

「ってか服さー、丈ハンパじゃね?」

「確かに。足細いし、膝上でしょ」

「裾切ってオフショルにフリル襟とか、どうよ」

「絶対的にそれ」

「おーい、手芸部集合〜」



 いつしかその部屋は、「幽霊さんオシャレ改造」の会場となっていました。中学生とはいえ女子は女子、おしゃれはお手のものです。陽キャが持つ揺るぎない自己肯定感が、躊躇いなくそれを推し進めます。手芸部の皆さんも手際よく、各々の仕事を黙々と仕上げてゆきます。


「手芸部、ミニソーイングセットとかじゃなくガチの裁縫箱持ってきてんだ」

「気合い入ってんね」

「まあ、ね」

 手芸部の気合いがなんなのか私にはわかりませんが、手芸部の皆さんは満更でもなさそうです。


 髪を切られメイクを施され、白くて長いのっぺりワンピースは今時っぽいオフショルダーのフリル襟付きミニワンピに変身、手足の爪は控えめだけれど綺麗な色に染められました。耳元には300円のイヤーカフが可愛らしく揺れています。


「ほんとはウエストも詰めたかったんだけど」

「着衣のままじゃ危ないからね」

「流石に脱げとまでは言えないし。ま、上出来じゃない?」


 手芸部の皆さんも達成感に満ち、満足げです。クラス委員長は切った髪の掃除に余念がなく、借りたコテやネイルキットが間違いなく持ち主の元へ戻ったかの確認も行い、ヘアメイクの優秀なアシスタントと化しています。さすが委員長です。一部始終を動画に撮る子、写真を撮りまくる子、寝転がってお菓子を頬張りながら見学する子、飽きて枕で正座バレーボールなる競技をしている子達もいます。膝立ちで3歩歩くとトラベリングを取られるという謎の新競技です。



 やがて、愚者が幽霊さんを立たせ、一周ぐるりと回らせて最終チェック。

 最後に、部屋にある中で一番大きな鏡を手渡しました。


 幽霊さん、「こ、これが…私?」みたいな反応してんじゃないよ。


「はーい、出来上がり〜」

「ユウちゃんに拍手〜!」


 会場が、いや、部屋が歓声と拍手に包まれました。

 さあ、パーティーの再開です。

 みんな布団の上で輪になって、UNO二組を使ってのゲームが始まりました。いつの間にかユウちゃんと命名された幽霊さんも、ルールを教えてもらいながら参加します。まだちょっとオドオドしていますが、それなりに楽しそうです。


「ねー、そのお菓子こっち回して〜」

「ねえアンタ、昼間ユウトといい感じじゃなかった?」

「そんなんじゃないからー」

「とか言いつつ、自分だって……」

「えー、それ今言う〜?」

「もうさぁ、男子呼んじゃおっか」

「ギャー、無理無理無理」

「死ぬ。絶対死ぬ」


 お約束の盛り上がりで、夜が更けていきます。


「あっヤバい、先生きた!」

「隠れろ!」

「誰か、電気!」


 みんな布団を頭まで被って寝たふりをします。もちろん幽霊さんも問答無用です。

 出口付近に居た子が電気を消し、間一髪、布団に潜り込みました。


「おーい、お前ら〜。消灯時間過ぎてます。早く寝なさいねー」


 先生も寝たふりに気づいていますが、うるさくは言いません。この後、先生同士の宴会が待っているのです。

 一応、部屋を一渡り見まわした先生は凍りつき、真っ青な顔で窓の方を見ていましたが、つと目を逸らし、足早に部屋を出ていきました。


 足音が遠のくのを確認し、誰かが電気を点けました。


「はー、セーフ!」


 そう言って笑い合ったのも束の間、誰かが声を上げます。


「あれ? ユウちゃんは?」


 全員が起き上がって布団をめくりましたが、驚きのイメチェンを果たしUNOを楽しんでいた幽霊さんの姿はどこにもありません。委員長が片付けた、切った髪の毛も消えていました。ゴミ箱の中にはただ、くたびれた白い布の端切れが少し、残されていただけでした。



「……ユウちゃん、明日も来るかな?」

 いつの間にか再び開かれた窓と揺れるカーテンを見つめながら、愚者が呟きました。


「お菓子用意しとこっか」

「だね」


 みんな、すっかり幽霊さんとお友達気分です。最初は怖がっていた生徒達も、愚者や陽キャたちに引きずられるように馴染んでいます。



 陽キャって、いや、今時の中学生って怖いな、と私はつくづく思いました。

 普段押入れの中に潜んでいる地縛霊の私ですが、彼女達には絶対に見つかりたくありません。あんな風に大勢に取り囲まれて色々されたらと想像するだけで、恐ろしくて身がすくみ、震えが止まらないのです。




おわり👻

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