私はあなたが好き、あなたも私が好き

クニシマ

◆◇◆

 好きだったんです、とあなたは言った。一緒に住み始めた日のことだった。ふたりの新しい家に置くための雑貨をいろいろと買い込んだ帰り道、冷やかしに寄った百円ショップで、壁際の棚の前にかがんで、星の形をした蓄光シールのセットを指差してそう言った。好きだったんです、昔。大小もさまざまな蛍光色の緑、赤、青、黄の星々が数十個。買いましょうかと私は応えた。欲しいなら、買いましょうか。あなたは微笑んだ。困っているようにも、喜んでいるようにも見えた。そして私たちはそれをレジに持っていった。百十円だった。

 家の近くの横断歩道で、遅い信号を待ちながら、あなたは昔話を始めた。

 小学生の頃、わたし、仲良しの友達がいたんです。わたしの家の、道路を挟んで向かいの、大きなマンションの五階に住んでいて、ひいちゃんって呼んでいました。一年生のときから、偶然ですけど、ずっと同じクラスで。生徒の数が少なかったのも、あると思いますけど。入学式のときも、隣に座ってたんです。わたしたち、よく似ていました。身長も体重も、だいたい同じぐらいで、顔も、それなりに。

 信号が青に変わって、私たちは歩き出した。家までは五分とかからない。あなたは話を続ける。

 小学生ぐらいなら、まあ、顔なんか、みんなほとんど一緒みたいなところ、ありますけど。髪型も同じにしてみたり、してたんです。クラスの子とか、先生とかが、双子みたいだねって。それが嬉しくて。服も、おそろいでお互いお母さんに買ってもらったり。すごく仲良しでした、わたしたち。家族みたいでした。毎日一緒にいました。朝、一緒の登校班で学校に行って、一緒のクラスで授業を受けて、休み時間には一緒に遊んで、給食も一緒に食べて、掃除も喋りながら一緒にやって、それはよく怒られちゃったりもしましたけど、でも、すごく楽しくて、それで下校もやっぱり一緒で。夏休みとかには、よく、ひいちゃんの家に泊まらせてもらったり、わたしの家に泊まってもらったり、しました。ひいちゃんの家にはお姉さんがいて、いろんな雑誌とか、漫画とかがたくさんありました。わたしはひとりっ子なので、家には新しいおもちゃがたくさんありました。わたし、ひいちゃんが一番の友達でした。ひいちゃんの一番の友達も、わたしだったと思います。わたしたち、お互いのことがとっても大事でした。一番に大事でした。でも、ひいちゃんは、二番目とか、三番目とか、どんな友達も、ほとんど同じぐらい大事にする子でした。

 家の前につくと、あなたは話を一旦やめて、上着のポケットから真新しい鍵を取り出した。扉を解錠するのに、ほんの少しだけ手間取る。今までとは違う生活の始まりがそこにこそあるような気がする。

 リビングに入ってひと息ついたあと、私たちは買ってきた品の開封を始めた。丸いフォルムの置き時計。陶器でできた歯ブラシスタンド。色違いのマグカップ。ちょうど輸入食料品店で見つけた珍しい茶葉のティーバッグがあるから試してみようということになって、私はキッチンに立った。やかんを火にかけ、マグカップを軽くすすぐ。あなたはリビングで荷ほどきを続けながら、ひとりごとのように昔話を再開した。

 四年生のときだったと思います。秋の頃、合唱コンクールがありました。クラスごとに一曲、何曲かある課題曲から選んで、練習するんです。クラスの中で、ピアノの伴奏をする子と、指揮をする子がそれぞれひとりずつ、あとの子はみんな歌うんですけど、ひいちゃんが指揮者になったんです。それで、休み時間とか、放課後とかに、ひいちゃんの指揮の練習と、わたしの歌の練習を、一緒にやりました。いつでも、どこでも、ひいちゃんが両手を振ったら、わたしも歌って、すごく楽しかったんです。

 お湯が沸いたので、マグカップに注ぎ、ティーバッグを入れて、リビングへ持っていく。ティーバッグのパッケージには二分ほど蒸らすように書いてあったため、そのとおりにする。あなたはガラスの一輪挿しをテーブルの上に置き、包装紙を丁寧に畳んでいた。もうずいぶん部屋に彩りが増している。二分が経ち、ティーバッグを取り出すと、やや酸味を含んだ香りが立った。

 あなたはマグカップの水面に視線を落とし、また話し始める。

 その頃、クラスにひとり、ちょっと変わった子がいました。悪い子じゃなかったんですけど、うん、でも、いい子でもありませんでした。ちょっとした嘘をすぐつくんです。つく意味もあんまりないような嘘です。家でトイプードルを五匹飼っているとか、ファッション雑誌に載っているモデルの子と友達だとか、ゲーム機を全種類持っているとか。初めのうちは信じる子も多かったんですけど、話を聞くたびにいつも言うことが微妙に違っていたり、家に遊びに行きたいっていくら言っても何かと理由をつけて断られたり、そういうことがあって、だんだんみんなその子を相手にしなくなっていったんです。それがその子にとっては不満だったみたいなんです。それで、合唱コンクールの練習が毎日続いて、クラス中が疲れて少しずつ険悪な雰囲気になってきたとき、その子の中で何か、決壊したものがあったらしくて、練習中に突然泣き出して先生のところに行って、みんなに無視される、仲間はずれにされる、って。まあ、先生も、生徒を見てないってわけじゃないですから、大きい問題だとは思わなかったみたいで、ただ五、六人、その子と少し仲良くしたことがある子たちを呼び出して、あの子はそう感じたようだから謝ってあげてね、って言ったんです。ひいちゃんとわたしもそこに含まれていました。謝る、なんて、別にわたしたち、なんにも悪いことはしてないのにって、そう思いました。他の子たちもそうでした。でも、ひいちゃんだけは違いました。先生から謝るように言われてすぐ、ひいちゃんはわたしたちを連れてその子のところに行って、無視されたなんて思わせて本当にごめんね、絶交されてもしょうがないけど、でもまた一緒に遊びたい、って頭を下げたんです。それからわたしたちも同じようなことを言って謝りました。その子はそれで満足したみたいでした。そうです。ひいちゃんは、ややこしいことをあしらうのが得意でした。

 話しながら紅茶を半分ほど飲んだあなたは、いよいよ蓄光シールを取り出して、小さくため息をついた。

 その次の年の夏休みに、ひいちゃんの家に泊まりに行ったんです。ひいちゃんの部屋でふたりで遊んでいたら、ひいちゃんのお姉さんが来て、買った雑誌についていたふろくが、子供っぽくていらないからって、わたしたちにくれました。それが星形の蓄光シールでした。わたしたちは喜んでそれをひいちゃんの部屋の天井に貼りました。わたし、星座は詳しくなかったんですけど、ひとつだけ覚えていたオリオン座の形を作ったりして。それで、夜、寝るときに、部屋の電気を消して、そうしたらきれいに光るんです。嬉しくて、わたしたち、ちょっと夜更かしなんかもして、それを見ていました。そのときでした。隅っこのほうに貼ってあったシールが一枚、粘着力が弱かったんだと思います、床に落ちたんです。落ちちゃった、って、わたしは言いました。ひいちゃんはちょっとだけ笑って、流れ星だね、って応えてくれました。

 あなたは蓄光シールのパッケージを開封し、ゆっくりと立ち上がって、椅子を持ってリビングの真ん中へと向かった。そうして椅子の上に乗り、天井に一枚、また一枚と蓄光シールを貼り始めた。

 すごくすてきだなって思ったんです。すごくすてきなことを言ってくれる、すごく、すてきな子だなって、思ったんです。わたし本当にひいちゃんのことが好きだったんです、そのとき。好きって言いました。夏で、部屋には扇風機しか回っていなくて、あっ、暑い、って急に思ったのを覚えています。ひいちゃんは、なんて返事したんだったでしょうか。もう、忘れたような気がします。でも、ひいちゃんは、ややこしいことをあしらうのが、とっても得意だったんです。

 手の届く範囲にシールを貼り終えて、あなたは椅子を降りた。そして別の場所に椅子を移動させようとしたとき、小さな黄色の星が一枚落ちてきた。あなたは少しの間それを見つめ、やがて拾い上げて私のほうを向いた。あなたが私になんと言ってほしいのか、気づかないわけでは決してなかったけれど、私はその言葉の代わりに、そんなものですよ、と言った。そんなものですよ、結局、どんなことも。

 あなたは何も応えなかった。わずかに瞠ったその目のふちから、次第に涙がこぼれ出した。私はあなたの頼りない背を抱きしめた。あなたは声を殺してただ泣くのだった。

 強く握り込んだその手の中で、小さな星は淡く輝いていた。

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