最終話
ぼくには、ふたつの道がありました。
ひとつは、誰かに食べられて、誰かの血肉となることです。
そして、もうひとつは、捨てられることです。
自分で道を選ぶことはできないけれど、どちらかに進むことができます。
あの子にも、ふたつの道があります。
ひとつは、生きること。
そして、もうひとつは、死ぬことです。
死ぬタイミングは、ぼくらのように突然やってくるのを待つのが自然でしょうが、必ずしも時を待つ必要はありません。
ぼくらとは違い、手や足があるから、好きな時に終わらせることは、不可能ではないのです。
でも、あの子は自らの意思で、死への道に大きくて重たい壁を置き、塞いでいます。
あの子から直接、道を塞いでいるのだと聞いたわけではありません。だから、このことは、あくまでぼくの想像にすぎません。けれど、ぼくには、『生きていたい。生きていたい――』どうしても、あの子はそう思っているように見えるのです。
あの子からは、死への希望を感じないのです。
子どもは、何があっても簡単には環境を変えることができず、自分が属する場所に縛り付けられたまま生きるしかないというような話を、ぼくは耳にした気がします。
今は縛り付けられた狭い世界の住人であっても、これからもう少し大きくなったら、今よりもっと、世界は広がっていくのでしょう。
でもそれは、今のあの子には想像し難い話です。
今が揺らいだあの子は、輝かしい未来を見通すことができる透明で曇りのないレンズなど、持っていないでしょうから。
でも、大丈夫。大丈夫――。
いつの日か、殻を割ることができた時。その時はきっと、曇ったレンズを手に入れられると、ぼくは思います。
いつの日か、レンズを手に入れたらね。それをよーくよーく、磨くんだよ?
生まれたての子は、目がよく見えなくて、当たり前。
何も焦ることはない。
よーくよーく、じっくり時間をかけて、磨いて磨いて、透明なレンズにするんだ。
そして、そのレンズで今を見るんだ。
今の先にある未来ごと、ずーっと先まで続いている、今を見るんだ。
そうしたらきっと、未来のキミは、今のキミにこんなことを言いたくなるんじゃないかな。
『大丈夫だよ』って。
『今、苦しいよね。わかるよ』って。
『あなたは耐えられる。いつか、ぷつりと切れてしまった糸を結び直せるから、安心して。いつかまた、大きく、体いっぱいに息を吸えるからね』って。
『私はあなたを待ってるよ』って。
ぼくは、たくさんのゴミと一緒に、キミより先に家を出た。
目的地は、わからない。
ぼくにわかるのは、ここは鼻が曲がりそうなくらい臭いってことだけ。
ガシッと何かにつかまれた。
グォーンッてなんだかすごい音とともに、ぼくらはどこかへ連れて行かれる。
熱い――。
どこからか熱を感じるよ。
懐かしいなぁ。熱を感じたのは、いつのことだっけ?
フライパンの上で踊った時も、熱かった。
でも、それよりも前。冷蔵庫で凍えるよりも前に、とてもあたたかいところにいたんだ。
そうだ。あれは、ぼくの一部がお母さんからポロン、って出てくる前のことだ。
あったかかったんだ。お母さんの中は、あったかかったんだ。
血が巡っている体の中は、とてもあったかかったんだ。
きっと、人間だってそうだよね。きっと、あったかいんだよね。
キミは生きて、あったかくしていてね。
心地いい場所で、ぬくぬくしていてね。
ぼくらをガシッとつかんでいた、何かが力を抜いた。
ぼくらはパラパラと落ちていく。
ああ。今、下を見てみたんだけど、まるでぼくをカッカッカッカッと溶いたみたいな、赤くて黄色い炎があるよ。
なるほど、そりゃあ熱いよね。
もう、ダメだ。耐えられない。
さいごにぼくから、一言言わせて。
大丈夫。
キミは殻を割れるよ。
少しずつ、自分のペースでコンコンと、ゆっくりじっくりつつくんだ。
キミの殻は厚いから、時間がかかるよ。
だから、焦らないで。
そうしていつか殻を割って、自分の足で外へ出るんだ。
生きることを諦めていない、キミにならきっとできるからね。
赤と黄色が混じり合います。
ぼくは焼かれて、白になりました。
気づけば色を失って、空気にとろんと溶けていました。
ぷかぷかと浮遊しながら、世界を見下ろします。
ぼくは今、こんな夢を抱いて、風に乗っています。
キミにぴったりな居場所へ先回りしたい。
そこでいつか、キミの曇りのない笑顔を見たい。
キミにぼくが見えなくても、ぼくはキミを見守っていたい。
いつかキミが、美味しそうにオムライスを頬張る顔を、見てみたい。
ぼくの夢を叶えて、なんて言ったら、押し付けがましいと思うので、ぼくは密かに願い続けます。
いつの日か、いつの日か――。
〈了〉
ミエナイアイ 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya
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