Act.14 そして、生きていく。
薪の爆ぜる音と、ぐつぐつという鍋の中身が煮える音が、キッチンに響く。
手に持ったレードルで鍋の中をぐるりとかき混ぜ、彼は寝室へと声をかけた。
「イオー。そろそろ起きないとまずいんじゃないのかー?」
鍋を火から降ろし、中身を器へと盛る。
トロトロに煮込んだ野菜のスープは、ほかほかと湯気を立てている。
いい感じ、と一人で満足気に頷いていると、背後で扉が開く音が聞こえた。
「……おはよう」
「おはよ。ほら、ご飯できるから座った座った」
別の皿にパンを数個並べ、スープとそれを青年の前に置く。
ありがとう、そう笑んだ青年に、彼もまた高く結い上げた黒い髪を揺らして微笑んだ。
+++
――ユナが目を覚ますと、真っ先に視界に入ったのは泣きじゃくる少女……リサの姿だった。
彼女の魔術で治療されたのか、傷はきれいに治っていた。
「しんぱいっ、心配したんだからあ……っ!!」
ぐずぐずと涙を流す少女に、ごめん、と返す。
顔を上げれば、安心したような表情のリーストとイオがいた。
二人の瞳にも薄っすらと涙が浮かんでいることに気づいたユナは、改めて頭を下げる。
「みんな……ごめん。……ありがとう」
「ユナくん……ユナくん、ユナくん……ッ!!
良かった……ホントに、ほんとに……良かった……っ!!」
耐えきれなくなったのか、ぽろぽろと大粒の涙を零しながら笑ってみせたリーストに、ユナも思わず目頭が熱くなる。
「……みんなが」
自身の傍らで泣き続けるリサの頭をそっと撫でてから、ユナはぽつぽつと呟いた。
「……みんなが、呼んでくれた声……聞こえたよ。
オレは……オレたちはずっと、“誰か”に認めてもらいたくて……愛してほしかった、だけだったんだ」
「ユナ……」
「でも……ヘルはその性質から、愛されなくて。壊すしか……なくて。
オレも……ヘルがしたことを覚えてるわけじゃないけど、血に濡れた手を見て……自分は存在してはいけないと……思って。
自分で死ぬことを選べなくて、“殺してもらうため”に旅を……続けて……」
ユナの告白に、ぎゅう、とリサの抱きつく力が強まる。
それにぽろりと涙をひとつ落とし、ユナは続けた。
「でも、みんなに出逢った。リーストも、リサも、イオも……オレを大切にしてくれて……信じてくれて……想って、くれて。
全部知った今も……こうして、こんなオレのために、泣いてくれて……」
だから、と彼は顔を上げる。
涙を湛えた黒い瞳を、まっすぐに仲間たちへと向けた。
「……生きたいって、初めて思ったんだ」
そう言って泣き顔のままで笑ってみせたユナに、仲間たちもまた嬉しそうに微笑んだのだった。
+++
――カチャリ、と紅茶の入ったカップを置く。
千切ったバケットを口に入れながら、イオは目の前の彼――ユナを見た。
美味しそうにスープを口に運ぶ彼の耳は、以前のように長くはない。
王城で再会した【創造神】アズールが、そのチカラを以て人間と同じ耳に変えたからだ。
『これで君も、少しは生きやすくなるはずだよ』
そう言った女神は、それを「【
突然そんなこと言われても、と戸惑うユナを引き取ったのは、イオだった。
リーストとリサは王族であるため、自分しかいない……とは当然建前。本音は、ユナの“これから”を側で見守り助け、支えたかったからだ。
「イオは今日、騎士団だっけ?」
「……ああ。色々、後処理があるからな」
食べ終えた食器を片付けるユナの声に、イオはハッと我に返る。
そのまま気づかれないようにそう返答すると、「大変だな」と彼はゆるく微笑んだ。
二人が暮らし始めたのは、小さなアパートだった。元々イオが暮らしていた部屋に、ユナを招いただけなのだが。
「リーストも何か忙しそうだし、オレだけのんびりしてていいのかなあ……」
「……お前な。今までが大変だったんだ、少しくらい休んでいても罰は当たらない……というか、そうしていろ」
王としての責務に戻ったリーストが忙しいのは当然であるし、彼や前王の手引きで諸々の手続きを済ませ、正式に“獣国ビーストウェアからの客人”となったリサもまた、叔母であるミツキリチアの件を穏便に収めるために……そして、自身がもう二度と命を狙われないように、母国とやり取りをしているという。
「……リサ、ちゃんと国に帰れたらいいな」
「父君である皇帝陛下と連絡も取れたらしいし、近いうちに帰れるだろう」
ロマネスクの現国王が、謀反人に殺されかけた獣国の姫君を助けた……という、嘘ではないが微妙に間違っている話をユナが小耳に挟んだのは、二、三日前の買い物中だ。
国民の間ではすでにちょっとした英雄譚となっているらしいが、リースト曰く。
「あんまりチヤホヤされるの、好きじゃないけど。
両国の関係を保つためにも、それ利用しようかなあ」
だとか、何だとか。それを思い出したユナは、ため息をひとつ吐いたのだった。
「……悪い大臣から疎まれ、死を望まれた姫を助けた王様は、姫と従者と共に諸悪の根源である魔王を見事討伐してみせました、めでたし、めでたし」
「……ユナ?」
窓の外は青く、澄んでいる。
仕事に行く準備をしていたイオが、怪訝そうに彼の名を呼んだ。
「ん、何でもない。
……ホントのことなんて、イオたちさえ知っててくれたらそれで良いなって」
「……そうだな」
リーストは【魔王】を討伐したことを公表したが、ユナに関することは伏せられた。
“黒髪のエルフ”は【魔王】だったが……
それはあえて表立って公言されなかったが、暗黙の了解として一部の人々の間に広められたという。
全部、ユナくんを守るためだよ。
悲しげな笑顔でリーストにそう言われてしまえば、ユナは自責の念に駆られても何も言えなかった。
優しい人たち。優しい世界。まだ、そんなものに慣れないけれど。
「……さて、そろそろ行ってくる。夕飯までには帰れるとは思うが……」
「ん。……待ってるよ、ちゃんと」
イオの手が、ユナの黒髪に触れる。
蔑まれていた髪色を、彼は綺麗だと言ってくれた。
(だから……ほんの少しだけ、自分の髪を好きになれた)
「行ってらっしゃい、イオ」
「……行ってきます」
唇に軽く触れる、彼のそれ。その温もりに、ユナの心は暖かくなる。
イオが開けた扉の向こうは、きらきらと輝く世界で。
(ああ――いつだって、そう)
「――イオ!」
堪らず呼び止めた声に振り返った彼は、朝の光を浴びて、眩しくて。
それでも……そばにいたいと願った。共に生きたいと、願ったのだ。他ならぬ、自分自身が。
「……だいすきだよ!」
愛してほしかった。認めてほしかった。生きていいのだと、言ってほしかった。
すべて与えてくれた、信じてくれた、彼と仲間たち。あいする人々。
「……オレもだ、ユナ」
心底嬉しそうに笑ってくれたイオは、きれいで。
――ほら、世界はこんなにも……愛おしい。
「【魔王】は
これから始まるのは、たった一人の普通の少年の――ありふれた、人生」
青空の下、女神は微笑んだ。
黒髪のエルフ 完。
黒髪のエルフ 創音 @kizune
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