Ep.3 妖撃

「後ろ!」


 紫音が叫ぶ。両腕を落とされたはずの白い怪物がその1つしかない瞳から光線が放たれるも、霧夢はそれを飛び上がって回避する。霧夢の体が最高点に達すると、霧夢は怪物の方に向いた。にっこり笑顔から一転、真剣な眼差しに変貌する。


「稲荷流仙術――【おぼろ】」


 紫音の目から霧夢と怪物の姿が突如として現れる霧の中に消える。それが霧夢の持つ特殊な技であることを彼らは確信していた。

 その霧の中で怪物は全く動いていなかった。黄色に妖しく光る眼玉をギョロギョロと動かして警戒しているようだが、その体勢を変えることは出来ない。


「この霧の中で動けるのは僕1人……これが稲荷流仙術【朧】」


 怪物の真下に霧夢はいた。怪物も真下に目玉を動かして見ようと試みるが、霧に巻かれたその視界では足元さえ見ることが叶わない。これこそが【朧】の能力。相手を霧で固定し動けなくさせる力。対妖魔における、妖狐族の秘術である。


「【解界げかい】」


 縦に一閃、10mもの高さを霧夢は跳んだ。霧夢の持つ十束にも及ぶ刀で怪物を縦に薙いだ。

 怪物すらも何が起こったかすら分かっていないかのような瞳で高く飛び上がる霧夢の姿を追いかけていた。

 遅れて妖力が動き出すと辺りの霧がかき消される。紫音たちが霧夢たちの姿を再び見られるようになるころには怪物は既に真っ二つになっていた。


「……これが妖魔退治かぁ」


 着地をした霧夢の第一声はそれだった。霧夢にとって初めての妖魔退治に当たるこの戦いは、無事に終わることが出来なかった。

 霧夢の心臓辺りに白く尖った棘が突き刺さる。


「え」


 ズドン、と霧夢の背後から大きな音が聞こえる。これは確かに霧夢にとっての初めての戦い。だが、人間と妖魔の戦いはここで初めて起きた事では無い。

 故に起きてしまう事態。あまりにもイレギュラー。例えるなら、RPG最初のチュートリアルで負けイベントではないかと錯覚してしまう強さの敵が現れるような異常事態。

 白い怪物は立っていた。真っ二つにされたはずの白い怪物は、何食わぬ顔で立っていたのだ。油断した霧夢を殺すために、真っ二つになっても少しの時間再生しないで待っていたのだ。


――妖魔は真っ二つになったくらいじゃ死ぬことは無い。


 いつだったか、師匠から教えてもらった事。初めての戦いの高揚で忘れていた大事な事。妖魔の弱点は脳でも心臓でも無い。”魂”だという事。


 「グォオオオオオオオ!!!」


 怪物が咆哮する。怪物の腹部に亀裂が入ったかと思うと、そこから口が裂けて現れる。――食らうつもりだ。

 怪物が地面にその口を打ち付けて霧夢を食べようとして、紫音が霧夢を外に追いやる。間一髪で怪物を避けた。心臓部分に刺さった白い棘を抜き取ると、その傷はすぐに再生して塞がる。妖力で体を構成している妖魔には造作もない事だ。だが、先ほどの衝撃からか気を失っている。

 ここで霧夢が戦闘不能になるのは手痛いが、元々紫音たちだけで戦うつもりだったのだ。むしろここまで戦ってくれたのは感謝してもしきれない。


「……後は任せて」


 紫音はそう言い残して静かに霧夢を地面に寝かせて置く。一息深呼吸をした後、紫音は立ち上がった。


「……妖術――【転羅刹てんらせつ】」


 紫音の心臓が高鳴り、額の右側から皮膚を貫いて白い角が生えてくる。犬歯がより長く鋭い牙に変貌し、指の先からは黒く長く硬い爪が伸びる。瞬きすれば黒かったはずの瞳はカラーコンタクトでも入ったかのように赤く染まる。

 その姿はまるで鬼。肩幅や身長こそ変わらないものの、その妖力の質も量も、筋力もけた違いに強化されている。地面を蹴り、怪物のもとに1歩。それだけで怪物の真正面に跳んだ。


「ハァッ!!」


 ただの1発、固めた拳で今まさに立ち上がろうとする怪物を吹っ飛ばした。先ほどの紫音とは別人のような動きである。


「紫音!こっちはあの狐のおかげで準備万端だぜッ!!」

「分かった。うまく誘導す……いや、

「……しゃ来いッ!!」


 飛ばされた怪物が起き上がろうとする頃には既に紫音が怪物の背後にいた。怪物はノーモーションで地面から大量の棘を出す。衝撃波もあり、道路はおろか近くの家にすらヒビが入る。


 だが紫音には関係のない事だった。


 先ほどと同じただの一発。今の紫音にはそれだけで十分だった。怪物を動かすほどの力はあっても、あれを貫けるほどの力はまだ無い。満を持して活躍するのはこの男、時月修斗である。飛んでくる怪物に狙いを定める。うっかり笑みが零れる。それは狩りをする肉食動物の笑み。霧夢が寺の境内で見せた恍惚な笑みと同じ、野生の獣を彷彿とさせた。


「妖術――【閃雷せんらい

「食らえ……ッ!!【妖撃ようげき】ッ!!!」


 怪物にぶつかる直前を穂乃華の【閃雷】で固定し、修斗の拳は怪物に直接当たることすらなく振り下ろされた。だがその拳を見れば理由がわかる。莫大な妖力が込められているのだ。

 妖術の使用には必ず妖力が必要になる。それは霧夢の扱う稲荷流仙術でも同様の話だ。どんな攻撃にも必ずそれに対応した力が必要になる。修斗の【妖撃】もまた当然同じように、妖力を必要とする攻撃だ。異なる点と言えば、修斗の【妖撃】にしかない――すなわち修斗の特徴。

 彼の特徴は、その圧倒的な妖力量にある。その量は20年修行を続けてきた、妖魔の霧夢を超える。今現在紫音に翻弄されているこの白い怪物をも上回るのだ。

 そしてそれを一点に”全て”集中できる。つまり、彼の一撃は文字通り、彼にとってもただの1回しか攻撃できない必殺技であり、それは相手を一撃で粉砕する最強の一撃へと成り果てる。


「うおりゃあああああああッ!!!」


 頭部を狙って放つ一撃は怪物の魂を巻き込み、くりぬいた。力の無くなった腕や体のパーツが関節の外れたフィギュアのように取れて地面に倒れる。

 妖魔の弱点は魂。だが彼はそんなことを気にしない。それは彼の直感が鋭いのもあるが、それとは関係なく、”1発撃ちゃ勝ち”だから。頭、そして魂の無くした怪物はその残骸を残して完全に行動を停止した。


「……終わったぁ」


 一瞬で紫音の角や爪が元通りになる。情けない声を出してへなへなと座り込んだ。そこに穂乃華が近付いていき、紫音の横に座る。


「お疲れ。紫音」

「今回のはホントに焦ったわマジで」


 ぶっきらぼうな言い方だったが、お互いに笑っていた。修斗もまた声を震わせながら地面に寝そべった。そこに霧夢が目を覚ます。


「ハッ!?怪物は!?」

「やったぜ、俺が……いや、俺たちがな」

「……え」

「さっきも言ったけど、僕らは対妖魔専門の組織。妖魔と戦ってるんだよ」


 霧夢はポカンと口を開けている。人間が?妖魔と戦ってる?確かにそう言った事をしているのは平安時代くらいからあったって師匠からは聞いている。だがしかし。だがしかしだ。

 それは当時、人間たちの間で陰陽術だとか祈祷術、呪術や占術など、様々な妖術の発展技があったからこそ妖魔と戦えてたわけで。現代それをして戦えるわけが無い。


「あ?その顔、まだ信じてねぇな?今こうして実際にやって見せたってんのに」

「それはそう、なんだけど……そうじゃなくて」


 だがもし、現代にかつてのような強さの妖怪がいないのであれば?九尾の狐だってこの時代にはいないのだ。師匠が殺しちゃったから。鵺も、牛鬼も酒呑童子なんかも皆、過去に倒されている。

 だとするのならば、それが本当であるならば、現代でも戦えるのかもしれない。


「……まあ、本部に実際に足を運んでくれれば分かるよ。それに僕らとしてもぜひとも来てほしいんだ」

「そーそー。俺たちは実際見せてもらったけど、上司たちからすれば人間に味方をする妖魔なんて初耳だろうからな」

「なるほど確かに。僕も師匠たち以外で見たことないなぁ」

「ついてきてくれる……かな?」

「もちろん!」


 霧夢が笑顔でそう答えると、紫音たちは立ち上がり一斉に歩き出す。「結局観光できなかったなぁ」だったり「飯食いてぇなぁ」だったり言いながら進む。遅れて、霧夢もそれについていった。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 霧夢たちの姿が遠のいていく。学校の付近から、駅前の商店街の方に向かっている。学校の付近にはまだ怪物の残骸が残っているものの、鳥の鳴き声すら聞こえない。避難しているせいで人の声すらも聞こえてこない。だが昼が来て夜になって再び朝日が顔を出す頃にはもうここらの整備は終わっていることだろう。


「思っていたより大したことないじゃないか。人間も妖魔も」


 学校の屋上、フェンスにもたれかかりながらつまらなそうに呟く女。その見た目はどこか平安貴族や陰陽師を彷彿とさせる立ち居振る舞いである。手が隠れるほど大きな袖で口を隠しながら、その奥では嘲るような表情を浮かべている。


「君から見たら誰も彼も大した事は無いだろうさ」

「どれだけ弱くとも楽しい戦いくらいは作れる。のようにね」


 女の横でフェンスに手を置き、帰っていく紫音たちが見えなくなっても目で追いかけ続ける男が1人。名を朔黒さくろといった。髪もその瞳も吸い込まれるほど黒く、身に纏う衣装すらも黒い。逆にその肌は不気味なほど真っ白で、人と同じ形でありながらどこか違う雰囲気を醸し出している。飄々とした顔で女の顔を覗き込むようにしている。


「で、だ。”仮称”フォルトゥナ。が君の眷属かい?」


 思い出したかのように朔黒は声を少しだけ張り上げて、彼女に聞こえるように言った。すると。


「試作品だ」


 フェンスから声がする。掴むところの無い空の上に彼女は立っていた。”仮称”フォルトゥナ。運命を操る妖術を持つ妖魔である。黄色の光輪が頭の上に浮き、その背には白鳥のように大きく美しい羽が生え、しかしそれを一切動かすことなく浮いている。その姿はまるで天使のような神々しささえ感じられる。


「アレはあくまでも私が貴様らと共同で眷属を創る上での試作個体に過ぎない」

「言い訳でもする気かい?あの程度の子供も倒せなかったのに?」

「訳の分からない狐もいただろう?」

「あんながいようがいまいが関係なかっただろうよ」

「まあ待て朔黒。良いじゃないか。せっかくのなんだ。なにも、1度遊んで壊してしまっちゃあもったいないだろう?」

「……君がそう言うのならまあいいか」


 さっきまでの高圧的な態度から一転、女の一言で急に掌を返す朔黒に怒りを覚え拳を固めるフォルトゥナ。だが、ここで戦いを挑んだところで面倒くさいことになるのは本人が一番理解している。

 朔黒が掌を返すこの女――アマモという名の”大妖魔”。朔黒に向けていた目がフォルトゥナに向いた途端、フォルトゥナの背筋が凍り付く。冷や汗が止まらなくなる。全身の毛が逆立つ感覚。蛇に睨まれた蛙の如く、全く動けなくなるほどの威圧感。かつて、”絶対王者”と呼ばれていたというのは知っていたが、まさかこれほどまで”絶対的”であるとは。

 アマモはその目でジッとフォルトゥナをしばらく見つめて、やがてそのあまりの間抜けさにニンマリとみを浮かべて言った。


「と、いうわけだフォルトゥナ。今後とも私たちは仲間で。君の計画に私は従ってやるよ。さ、次は何を見せてくれるか……」


 先ほど紫音たちが倒した怪物――ゴーレムとも言うべき白い巨人が、突如大地を割って現れたによって食べられた。アマモの妖術だ。それと同時に黒い雲が一気に晴れ、太陽の光が差し込む。


「――楽しみだよ」


 アマモの声がフォルトゥナに届く頃には、アマモはおろか朔黒すらもその姿を消していた。残っていた魔力の痕跡が日の光で焼かれて跡形もなくなっていく。1人、取り残されたフォルトゥナは静かに道路を見つめる。先ほどまで霧夢たちの戦っていた辺りをゆっくりと見通す。

 先ほどアマモが作った穴が白い巨人が倒された地。そして、人間たちが向かっていった方を見つつ、考えているのはあの狐の事。朔黒は雑魚だと明言していたが、何か嫌な予感がして仕方がない。


「あの狐…………?」


 雲一つない快晴の下で、邪悪な天使の思案は続く。時は4月14日午前9時36分。人間たちの朝はまだ始まったばかりである。

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ユメギツネ 天夜鳥 @Amayado3

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