Ep.2 現代の妖魔

「……ねぇ、穂乃華」

「ん?」

「助けていいかな、アレ」

「あぁ……」

「こんなこと初めてなんだけどさ。僕、あの妖魔がすごく気の毒で」


 混乱していた紫音は改めて確認する。そして自問自答する。

質問その1、自分たちの任務は何か?それは妖魔退治。

質問その2、妖魔退治よりも優先すべきことは?それは困っている人を助けること。

応用問題、じゃあ困っている妖魔は?それは……どうしようか。

 考えれば考えるほどノイズになるのは同期の修斗。幼馴染でもある彼は力も背丈も大きいが、肝心な脳は小さくなる時がある。基本的には賢くて優しい奴なのだ。ホントに。……ホントに。ただし、時折こうしてどうしようもなく気色悪いほど馬鹿になる時がある。それはまさに罪悪感に押しつぶされたり、自分がふざけていいと確信したりする時。今回は恐らく前者だろう。そのせいでいつもより数倍ほど感受性が豊かになり、相手に必要以上に同情してしまったのだろう。だとしてもキモイけど。


「うぉういぇいうぉぉぉおおおお!!」


 ……リズムも刻みだした。これはふざけている証拠だ。しかし質が悪い。紫音にとってこの状況は、同期を介錯せねばならぬ証なのだ。ここまで狂ってはもう……後戻りはできないのかもしれない。紫音は腰につけた刀を静かに抜き取る。その目からは涙が零れていた。


「ごめん……修斗。僕には何が正しいのか分からないんだ」

「ごめんホントオレが悪かったから刀は戻してくれ頼む今度なんか奢るから」


 紫音は嘘をつける性格ではない。紫音はやる時は本気でやる男だと分かっているからこそ修斗は爆速で泣き真似を止めて土下座する。そのあまりの態度の変貌っぷりに妖魔の霧夢はまた驚愕する。

 一方で穂乃華は「良いのが撮れた」と呟いて満足そうな表情を浮かべている。


「ああ、本当におかしくなったのかと思った」

「最初の方はホントに泣いてたんだがな?なんかお前の反応が面白くてさ。つい」


 修斗は紫音の肩をポンポンと叩くと、そのまま帰ろうとする。紫音は安堵の表情から一転、今度は紫音が修斗の肩を持って真剣な眼差しを向ける。


「じゃあ、説明してもらおうか。あの、妖魔について」

「……説明も何もねぇ。ただ退治する必要はねえよ」

「僕たちにはそれで良い。でも上には?さんにはどうやって説明するの?」

「ぐっ……それは……俺に任せとけ」

「じゃあ同じ説明を今、ここでして」


 一連の会話を見聞きして、霧夢が話そうとしたがそれを修斗が手を伸ばして止める。


「分かった分かった。ザッと手短に話すからよーく聞いとけ」


 そして修斗は紫音と穂乃華に対し、霧夢がいかに無害かを説いた。霧夢は豊川稲荷のお狐様であること、人を守るために日々修行をしていることなど。それを聞いた紫音は考えていた。

 確かに修斗が言ったことが正しければ霧夢という妖魔は無害である。それどころか、むしろ『ファンタジア』と利害が一致する仲間であるとさえ言えるだろう。しかしながら相手は妖魔。妖魔は人間の心につけ込み人間関係や人間そのものを破壊する存在。どこまで信じて良いものか。判断を間違えれば自分たちにとって大きな損失となる。

 今まで、人間の味方をする妖魔なんて紫音は聞いたことが無かった。そもそも妖魔と相手していて一度だって予想外の事をしてこなかったことなんて無いのだが、そうだとしても人間を守る妖魔はそれらの予想外よりも信じられることではなかった。この狐……霧夢を見ていると、どうもこの狐が嘘をつけるようには思えない。実際に今こうしてじっとしているのもあるが、殺意や悪意を本当に一切感じないのだ。

 当の霧夢は紫音がじっと見つめてくるのにキョトンとしてパチパチと瞬きをする。反対に紫音の目をじーっと見つめ返す。負けるものかと目力をこれでもかと強くして紫音を見つめる。なんだか面白く思えてきて声を出して笑ってしまう。


「ふふふ……くふふふ」

「……何」

「いや、ふふっ……なんでもないんだけどさ。ずっと見てたら面白くて」

「……はぁ」


 霧夢はそう言いながら笑い続ける。霧夢がからかっているようにも見えない。1人で勝手に睨めっこをして失礼にも笑うただの幼い少年のようにしか見えない。不思議な耳と尻尾のついただけの翡翠色の髪の少年。観察すればするだけ霧夢が悪い奴に見えない。その耳と尻尾が無ければ本当にただの少年と同じだ。

 修斗の言ってたことが分かったかもしれない。確かにこれは口で説明できるようなことではないし口で説明しようとするまでも無かったのかもしれない。ましてなら……


「修斗の言ってることは分かった。『ファンタジア』本部に連れて……」


 その瞬間だった。


 紫音は全身の皮膚が逆立った。心臓が締め付けられるくらいに痛くなるのを感じる。冷や汗が止まらなくなるほどの威圧感を感じる。一体どこからだろうか。

 気が付けば辺りが暗い。雨でも降りそうなほど黒い雲が空を覆っていた。この予兆は間違いない。”妖魔”だ。それも、妖魔。異形の怪物の気配。

 紫音のその勘は当たっていた。空から黒い雲を突き破って1つの塊が近くの学校の方へ落ちていくのが見えた。一般人が多くいる住宅街の方である。


「修斗!」

「分かってるっつうの」


 お互いに短い掛け合いをして紫音と修斗は壁を飛び越えて音のする方へと駆けて行ってしまった。残った霧夢はいったい何が起こっているのか分からなかった。今までこんなこと起きてなかったはず。今日の今日までずっと平和に20年生きてきた。

 ……そのはずだったのに。


「一体どういうこと……?」

「ねぇ、あなたって戦える?」

「え?」


 考え事をしている霧夢の横にいた穂乃華が霧夢に向かって言った。表情1つ変えず、真顔で静かに言った。先ほど、修斗たちのやり取りに笑っていた子とは思えないくらい落ち着き払っていた。


「あ、うん」

「ならよかった。あなたの背後にいる、祓ってくれない?」

「え――」

「ギリリリッ!!」


 穂乃華の声と同時に霧夢の背後から何やら機械のような虫のような不気味な鳴き声の怪物が叫んで霧夢に飛び掛かる。霧夢はその怪物を反射的にバックステップをして避ける。霧夢が見たその怪物は飛び出た1つ目がつく白い塊。その塊からはタランチュラを彷彿とさせる毛の生えた足が長さすら合わず生えている。ただひたすらに不気味な見た目をしていると断言できる。


「えっ気持ち悪」


 霧夢は思ったことが割とすぐ口から「こんにちは」と言わんばかりにこぼれ出る。今もまた前の異形に対しあっさりと吐き捨てたのだ。

 その様子を見て穂乃華は安心する。穂乃華にとってこの1つ目の怪物が何なのか詳しく知っているわけでは無い。だがソレが使い魔であることは知っている。そしてその使い魔が霧夢を襲ったという事実。さらにそれを見て言葉ではあるが霧夢も攻撃しているということ。それはつまり、少なくともに対してこの霧夢というは敵対関係であることを示している。つまり、現状において言えば信用における存在だと確信したのだ。

 穂乃華は手の平を前に突き出す。そして唱える。


「妖術――【閃雷せんらい】」


 瞬間、穂乃華の手の先から一閃の光が使い魔めがけて駆けてゆく。使い魔は再度飛び掛かろうとして――穂乃華の放った光に貫かれた。


「ギッ」


 使い魔の体が空中で固定され地面に落ちる。どうやら穂乃華の放つ電撃には対象を硬直させる能力があるらしい。硬直時間はあまり長くないのか、よろめきながらも既に使い魔はその虫のような細い足を使って立ち上がろうとしている。


「止め、お願い」

「……あー、そういうこと」


 霧夢はそれを聞いて確信する。穂乃華が自力では倒せないのだと。だから自分に妖魔を倒せるのか聞いたわけで、そのうえで祓ってくれと頼んだのだろう。

 元より、敵がなんだか分からなくても人を守るのが稲荷の狐の性分であり為すべき大切な仕事。そして何よりも霧夢にとって初めての仕事だ。大切に片づけなくてはならない。


「んふふ……せっかくだしぃ……」


 弱った獲物を見るその霧夢の表情は恍惚としている。獲物を狩る野生の獣のような瞳を浮かべて笑っている。そう、稲荷の狐……人の守護者とはいえ彼もまた妖魔なのだ。


「稲荷流仙術……」


 霧夢の左手に鞘に入った刀が現れる。その刹那、霧夢は居合の態勢で構える。


「――【解界げかい】」


 再び一瞬の出来事。穂乃華の目には映らない速度の居合切り。気づけば霧夢は使い魔の背後にいた。使い魔が霧夢の方へ振り向くと同時に


「これぞ我等が由緒正しき妖狐族に代々伝わる稲荷流仙術……思い知ったかこの目ん玉お化け!!」

「ギギ……ギ」


 完全に切り落とされた使い魔は何かをすることもなく死に、体が崩壊し消滅した。穂乃華はその光景を目を輝かせてみていた。この狐はさっきまで弱そうなイメージを抱いていたが違った。もしかして本当に……


「ようし!人間!僕をの所まで案内してよ!」

「……あっ、うん。と言っても――」

「ギリュオオオオオオ……」


 遠くから咆哮とも呼ぶべき鳴き声が聞こえてくる。人よりも耳の鋭い霧夢からすればその声の主がどこにいるのかすぐに分かった。霧夢は穂乃華を腕を引っ張ってぶっ飛んだ。


「え?」

「行くよッ!」


 10mよりも高く飛び上がり、お寺の屋根に着地する。穂乃華は危うく顔を打ちそうになるのを受け身を取って対処する。


「うわぁ、あれだよね」


 霧夢が指さした先を見れば、遠くに怪物が立っているのが見えた。だがその怪物は明らかにその辺りの家よりも大きい。近くで見れば寺と同じくらいに見えるのではないだろうか?10mはあるだろう怪物はその手のようなものから光線を放ったりしている。その状況から察するに戦っているのだろう。先ほど走っていった紫音や修斗たちと。

 穂乃華はスカートの裾を強く握りしめた。彼女たちがこうして戦い始めてもう3年ほど経つだろう。だが今、胸が何度でも緊張する。何度でも不安になる。誰かが死んでしまわないかと脳裏に過る。


「行こう人間。……僕がいるから大丈夫」


 穂乃華の前に霧夢は立っていた。その小さな狐は振り返らずに言った。先ほどまで敵かもしれないと疑っていた自分が馬鹿みたいに思えた。この狐はその140㎝にも満たない小さな体で地球上のどんな人間よりも大きな何かを抱えているのではないかと錯覚してしまう。それくらいに頼もしかった。


「僕1人で先に行っちゃったらキミも彼らも心配するだろうから、ほら」


 霧夢は振り返ってからそう言って手を差し出した。穂乃華はもう疑っていなかった。差し出された手を握ったその瞬間、2人の姿が消えた。寺の瓦が1枚だけ吹き飛んだ。


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――稲荷高校、正門側道路

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 紫音と修斗はただ攻撃を避けていた。通常であれば穂乃華がこの状況で妖術【閃雷】を発動させ、敵を怯ませてから攻めに転ずるはずだった。

 だが今回は少し異なっていた。本来であればあの豊川稲荷に現れる低級妖魔の退治のはずだったのだ。こんな上級妖魔と戦うなんて思ってもみなかった。だから準備が甘かった。

 ――上級妖魔。白く大きな巨体。黄色に縦長の瞳孔の目が1つ、白い体の顔らしき所についている。腕と体は直接つながっておらず、その間に細長い天使の輪っかが浮いている。体と同じくらいある金棒のような手の先に3つの鋭く太い指がある。それに対して足は貧弱と呼ぶべきか、ひざも無い滑らかな角のような足が体を支えている。よく見れば足の先から地面は少しだけ浮いている。

 見た目自体は今まで戦ってきた妖魔以上にシンプルだ。だが、それ以上に感じる威圧感。ただ単純なる暴力が感じられる。手の先から放たれるただの光線も、単純に手を振り下ろすという行為すらも脅威なりうる。そのくせこちらの刀は通さない。だからこうして避けて時間を稼ぎ、全滅する前に本部から応援が来るのを待つしかない。


「どうする紫音……このままじゃジリ貧だぜ。ゴリ押しされて殺されるぞ俺ら」

「……」

「おい紫音ッ!?」


 こんな事になるならもう少し計画しとくべきだった。いや、こうなることも想定しておく必要があった。紫音は後悔していた。紫音の頭にはもう残された選択肢は1つしかなかった。


「修斗、僕が妖術を使う。それで必ず時間を作るから、修斗の妖術で決めてくれ」

「ッ……分かった」


 紫音は大きく怪物と距離を取って深呼吸をする。目を閉じて意識を集中させる。だが怪物がその隙を逃すわけもなく、怪物は大きく腕を紫音に向けて振り下ろす。


「妖……術……」

「ギュオオオオオオオ!!!」

「紫音ッ!」

「――て」

「【閃雷】!!」


 紫音の背後から穂乃華が術を発動させる。その効き目は小さな使い魔ともなんら変わりない。一瞬の硬直、それによって怪物に隙が生じる。

 その隙をついて、穂乃華よりさらに後ろから飛び上がる1匹の影。世にも珍しき人間に味方をする妖魔。稲荷の狐を夢見る彼の名は霧夢。空中で居合の構えを取ると、足元に結界を生み出し、それを踏み台にして怪物の方に突き進む。


「稲荷流仙術――【解界】」


 その姿を紫音と修斗は辛うじて見た。空間を景色ごと断つその技はまさに超能力、仙術たりうる力だ。どんなに堅かろうと関係なく断ち切る、そんな技。当然、怪物にも技は効いた。今にも紫音を潰さんとするその右の腕を半分に切り落として見せた。

 怪物の足元に立って紫音の方に振り返る。


「僕の名前は霧夢!人間たちを守る稲荷――」


 霧夢の喋る間にも怪物の左腕が迫りくる。だがそれを霧夢は何食わぬ顔で切り刻んで見せた。そしてなんともまあ可愛らしい顔を浮かべて見せた。


「――の狐……を目指す見習い妖狐でございます!以後、お見知りおきを!」

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