第三話『夢ならばサメてくれ』
痛い。
治りかけの傷口に、塩水が染みる。
きっと、アドレナリンが切れたんだな。
僕は、疲れた体に鞭を打ち、平静を装いつつ、竿陸海岸に凱旋した。
「おい、痛々しい傷だな」
おやっさんが、僕の右脚の付け根を見てそう言った。
「いや、どうってことありません。僕の全身には、サメの歯の細胞が組み込まれているんで、再生能力が高いんです。明日には、すっかり良くなってます」
「そうかい、お勤めご苦労。お前さんのおかげで、
声の調子がいつもと違う。確実に、何か大事な話だ。
「話、と言いますと?」
恐る恐る、尋ねる。
「願いの石を、お前にやる」
まさかの言葉。
僕は、耳を疑った。
「ええっ? なんですって?」
「サメに戻るもよし、人間に生まれ変わるもよし、もちろん……今は亡きガールフレンドを生き返らせるもよし。好きに使ってくれ」
急に何をおっしゃるか、とも思ったが、正直に言って、特に最後の提案は……かなり魅力的だ。いや、待て待て、これは、断った方がいいやつに違いない。
「ダメですよ、そんなの!」
「いいや、お前さんが使うべきだ。おれの元から離れて、新しい人生……いやサメ人生というべきか? いずれにせよ新しい生活を、始めるべきだ」
「今となっては、この体には慣れましたし、それほど不自由はしていません!」
「じゃあ、やっぱり、選ぶのは女か?」
「……」
「図星だよなあ。いいじゃないか、彼女を、生き返らせてやれば。そうして、広い海に出て、のびのびと暮らすといい」
「でも僕昨日、おやっさんに一生ついていくって、言ったところですよ! 僕は、自分の言葉に、責任を持つ男です!」
「いいんだ。お前さんは、まだ若い。こんなところで、老いぼれのために時間を浪費するのは、勿体無い」
「どうしてそんなこと言うんです? それにおやっさんは老いぼれじゃありません、まだまだ元気でしょう? 九十を過ぎても、いや、百歳になっても、一日中、この竿陸海岸の海の家にいるんでしょう?」
「いいや、おれあもう、長くない……ッゴホッ! ゴホッ!」
「おやっさん!?」
咳き込み、ふらつくおやっさんの体を支える。
嫌な予感。
口元を抑えた手のひらを見ると、黒い血が、びっしりとついていた。
そうか、もうその時が近いから、見られてはならないと思って、わざと僕を突き放そうとしているんだ。
「あぁ、ついに見られてしまったか……」
僕は、全てを察した。そうか、そういうことだったのか。
「おやっさん……願いの石を、
「そうだよ。おれあ……末期がんなのさ。こんな体じゃ、あいつが元気に蘇っても、結局すぐにお別れだ」
「が…がん!? おやっさん、がんってのは、いつからなんです?」
「十年前だ。あいつが逝ってから、急に大きな腫瘍が、喉にできちまってな」
「願い石を見つけたのも、十年前、ですよね。すぐに使ってしまえば、奥さんと十年も、過ごせたかもしれないのに!! 奥さんの気持ちにもなってくださいよ!」
僕は、初めておやっさんを非難した。たぶん、僕も似たような経験をしているからこそ、そうしてしまったのだと思う。
「でもそれは、結果論だよ。もはやおれが使う意味も消え失せた今、どうせなら未来あるお前さんに、願い石を託したいと言っているわけだ。より良い選択肢があるなら、自分が得をしなくても、そっちを選びたい。おれあ、そういうバカな人間だ」
「おやっさん……」
僕は、膝立ちになって、おやっさんを胸びれでそっと包んで、小さな瞳から、竿陸海岸の海水よりもしょっぱい涙を、ダラダラと流した。
「今すぐにでも、願い石のある海底まで行け。そして心の中で願えば、その通りになる」
「でも……」
「うるさい! 行け! そして、幸せになれ!」
「おやっさん…………」
おやっさんは、黙ったまま、コクリと頷いた。
「はいっ!!」
僕は、全速力で、海へと走った。
<°)))彡 ♡ <°)))ミ
竿陸海岸から遠く離れた、どこかの海。
僕は、おやっさんの言った通りに、願いの石を使ってガールフレンドを生き返らせ、再会の喜びに浸っていた。
「タッちゃん、ずっと一緒にいようね」
「もちろんだよ、ウバ子」
イタチザメだから、タッちゃん。
彼女の方は、元ウバザメだから、ウバ子。
安直過ぎるだろうか。
それにしても……
いちゃいちゃするのは、いいものだ。
僕とウバ子は、さっきからずっと、抱き合いながら泳いでいる。
お互い、尾びれに加えて脚が二本あるから、体をピタッとくっつけやすいのだ。
しっかりとすね毛を剃った僕の脚を、ウバ子の脚に、絡ませてみる。
うん、やっぱり、良いな。
ザラザラとした鮫肌とは、全然違う。
ウバ子の脚は、スベスベしていて肌触りが良い。
「やだ、なんだかチクチクするわ」
「あっ、ごめん!」
しまった、剃り残しがあったか。
昨晩、胸びれを使って剃ってみたのだが、思ったよりも切れ味が悪かったらしい。
僕の脚と、ウバ子の脚を見比べる。
ツルツルで、真っ白な、
毛穴一つ見えない。
ウバ子は、自前の鋭い
いや待てよ、僕はいつからムダ毛処理なんかを気にするようになったんだ?
自分が元々サメだったことを、忘れてしまいそうになる。
でも、なんだかんだ……
サメ人間も、悪くないな。
〈完〉
【お知らせ】今夏、第二弾『ジャスティスシャークスVS人食いザメVSテラロドン』を公開予定。
ジャスティスシャークVS人喰いザメ 加賀倉 創作 @sousakukagakura
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