第二話『サメ人間VS人喰いザメ』

 翌日。

 今日も、海水はぬるい。

 

 昨晩食べた、イチゴ味のかき氷の冷たさを思い出して、気を紛らわせる。今、僕の大顎は、なぜかより一層、イチゴ味を欲している。今日もひと仕事したら、おやっさんにかき氷を作ってもらおう。そして今日こそ、シロップ談義に決着をつける。イチゴ味こそ至高であると。あれ……待てよ? 昨日おやっさんは『みぞれ』を使っていたよな? でも、僕の記憶が正しければ、おやっさんは赤いシロップのかかった氷を食べていた気がする。あ、あれだな。イチゴ味の良さに気づいて、こっそりかけていたんだ。後で指摘してやろうっと。おやっさんの、慌てて言い訳をする顔を見るのが楽しみだ。よおし、今日も働くぞ! 

 僕は、竿陸海岸の海水浴場の賑わいがピークになる激アツの真昼まで、沖で、不審者がいないか巡回することにした。


 ビーチフェンスのすぐ外側から、砂浜の方を見る。竿陸海岸にはいつもと同じく、水着を着た人間たちが、わらわらと集まり始める。と思ったが、なんだか様子がおかしい。不思議なことに、大人も子供も爺さんも婆さんも、皆揃って波打ち際に集結し、一様に沖の方を見ている。何かに指差しているようだが、その対象は、僕ではないようだ。何か、あったのか?


「見て、あそこ! サメだわ!」

「本当か!? サメ、昨日も来てたよな。っていうか、毎日来てるよな、サメ」

「確かに、言われてみれば、そうかも。でもいつも、ウロウロするだけで、襲っては来ないわ」

「きっと、臆病なやつなんだよ」

 そんな会話が聞こえてくる。

 海水浴客は、呑気だ。

 人を襲わない僕相手だから、そんなことを言っていられるのかもしれないが、もし本物のサメが来たりすれば……って違う違う! 彼らは僕の方を指差してそう言っているのではないじゃないか! つまるところ……


 本物のサメが来てしまったのだ。


 僕は、すぐさま海水浴客の視線の先へ泳ぎ出し、その本物のサメとやらを、必死に探す。


 見つけた。


 そいつは、サメ人間の僕とは、外見が明らかに異なる。脚は、無い。やはり本物のサメ。体格は僕と同じくらい、五メートル前後と見た。それにしてもあいつ、妙な形をしたサメだな。頭部が、金槌かなづちのような形をしていて、なんというか……ヘンテコだ。僕の姿が、サメに人間の脚が生えている事実は、一旦棚に上げさせてもらう。よし、金槌野郎、お前を泳げないくらいにボコボコに……いや、こう言った方が粋だろう。


 名前通り、再起不能カナヅチにしてやる!!


 そう思った矢先。金槌野郎は、鼻を海上に突き出したかと思うと、バシャリと水しぶきを上げながらビーチフェンスを飛び越え、遊泳区域に侵入する。そして、浅瀬で遊んでいた水着カップルに向かって、一直線に泳ぎ出した。


「きゃあ! サメがこっちに向かって来るわ! 誰か助けて!」

「おい! 砂浜まで逃げるぞ! 早く!」

 

 彼氏の方が、彼女の手を引いて逃げようとする。だが、確実に、間に合わない。彼らが砂浜に着く前に、あの金槌野郎に追いつかれてしまう!


 僕は、尾びれと二本の脚の三刀流を駆使しながら、全速力で金槌野郎を追いかける。

 距離はみるみるうちに縮まっていく。

 よし、泳ぎは僕の方が得意のようだ。

 もう、追いつくぞ。

 こいつ、鈍いな、背後を取ったぞ!

 その勢いのまま、突っ込む。

 僕は、尖った鼻先を照準器のように器用に動かし、狙いを定める。

 金槌野郎の下腹部めがけて……


 盛大なタックルをお見舞いした!


 金槌野郎は、怯んでいる。

 砂浜側、少し先のところで、カップルが抱き合っている。

 いや、凍りついているのか?

 何せ、巨大なサメに襲われるかと思ったら、また別のサメが現れて、サメ同士で喧嘩を始めたんだもんな。

 戸惑うのもわかる。

 そういえば、僕に脚が生えているのは、見られていないよな?

 まあいい、一旦それは忘れよう。

 とにかく、いちゃいちゃしていないで、今のうちに逃げてくれ。

 僕は小さな目で、彼らにそう訴えた。

 すると、その思いが伝わったかのように、彼らは再び走り出した。

 よし、それでいい。

 それに、僕は砂浜側に陣取ることに成功した。

 これで、泳ぐのが僕よりも遅い金槌野郎が砂浜の方に行くのは、かなり難しくなったはず。

 

「ねぇ、もしかしてあのサメ、私たちを助けようとしてくれた?」

「信じられないけど、俺にも、そんなふうに見えたよ!」

 カップルの、息を切らしながらの会話。

 そう、ご名答。

 でも、酸素はしゃべるのにではなくて、少しでも速く走るために、全身の筋肉に使ってくれよな!

 

「おっ! トンカチじゃ無い方のサメは、人間の味方か?」

 砂浜の方からも、さっきも聞いたような意見が聞こえてくる。


「きっとそうよ! 正義のサメ……ジャスティスシャークよ!」

「なるほど、ジャスティスシャークか。がんばれ、ジャスティスシャーク! ほら、みんなで応援しよう!」


「「「がーんばれ! がーんばれ!」」」

 ギャラリーが、僕を応援し始めた。

 

 俄然、力が沸いてきたぞ。

 僕は、金槌野郎の方に向き直る。

 すると、いると思ったはずの場所に、いない。

 しまった。

 正直、気を抜いていた。

 やつはどこに——


「いってぇ!!」


 激痛。

 僕は脇腹に、特大の体当たりを食らった。

 思わず声が出ちまった。

 くっ、アバラが……

 となるとでも思ったか?

 確かにサメのアバラ骨は案外、細くて弱い。

 外からの衝撃から、内臓を守りきれない。

 だが、忘れてもらっちゃあ困る。

 僕は……


 サメだ!!


 人間等しく、太くて頑丈な骨格を備えている。

 フッ、きっと今頃金槌野郎は、なぜ僕が気絶しないのか、不思議に思って——


「ぐっ!!」


 さっきよりも激痛。

 今度は、脚に噛みつかれる。

 右脚の太ももに食い込む大顎。

 まずいな。

 正直、調子に乗っていた。

 僕の脚は、鮫肌のような硬い皮膚に覆われてはいない。

 生身の人間の脚だ。

 すね毛のヴェールでは、まるで防御にならない!

 そして金槌野郎は、ワニのように、大顎を体ごと、水中で回転させる。

 まずい。 

 ブチっと音を立て、僕の右脚が、根本から持っていかれた。

 今度は痛すぎて、声も出ない。

 鉄臭い。

 僕の血が、煙のように、水中を漂う。

 金槌野郎よ、僕に傷を負わせたことは、褒めてやろう。

 だが甘いな。

 僕の脚は……


 再生する!!


 傷口からニョキっと、新たな、毛の無いツルツルの脚が生えてくる。

 何度も言うが、僕はキマイラ。

 この、僕の人間のそれそっくりの脚には、抜けても無限に生えてくるサメの歯の遺伝子が移植されている。

 だが、痛いもんは、痛かったぞ。

 お返しに、これでもくらうがいい。

 

「トルネードスクリュー!!」

 つい、技名を叫んでしまった。

 一度、言ってみたかったんだ。


 僕は、尾びれと二本の脚の三つで海水をかき回す。

 船の、スクリューみたいに。

 体の後方に、水の渦が生まれ、僕は高速回転する。

 そして、普通の泳ぎとは比べ物にならないくらいの、推進力を得る。

 音速並みの速さで、金槌野郎の脇腹に突っ込む。

 グサリ、と僕の鼻先が、金槌野郎の体を抉るように突き刺さる。

 血の匂いを、鼻で直接感じる。

 これは、効いたんじゃないだろうか。

 案の定、かなり悶え苦しんでいる。

 フフフ、酷い夏バテだなぁ!

 よし、ダメ押しに、もう一発、いこうか。


「サマーソルトっ!!」


 僕は、さっき抉った金槌野郎の傷口を、思い切り蹴り上げる。

 そのまま、後方宙返り。

 決まった。

 苦しそうな金槌野郎。

 だが、もう一声!


「必殺! ーソルトっ!!」


 聞き間違いじゃないぞ?

 これは、さっきのサマーソルトキックのように、全身を大きく使わない。

 何をするか。

 やつめ、驚くぞ。

 なんて言ったって……


 口からビーム、なんだからな!


 僕は、上下の顎を大きく開き、海水を大量に口に含む。

 海水は圧縮され、塩分濃度上昇!

 狙うのはもちろん、金槌野郎の傷口。

 口をすぼめ……

 圧縮海水を、一気に吐き出す!!


 槍のように鋭い水の柱が、金槌野郎の体を、貫通した。

 

 実は、サメーソルトの真の恐ろしさは、その貫通力ではない。

 体内にひとたび圧縮海水が入り込むと、傷口の周囲の体液は、浸透圧現象で圧縮海水側に吸い寄せられる。

 そして全身の血液が一点に集中してしまい、脳や筋肉に栄養と酸素が行き渡らなくなって、動きがナマケモノのように鈍くなるのだ。

 

「おい、金槌野郎。さっさと降伏サメンダーするんだな!」


 そう浴びせると金槌野郎は、負けを認めたのか、ゆっくりと、沖の方へと去って行った。


〈第三話『夢ならばサメてくれ』に続く〉

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