第6話
家に到着し、車から出るとお母さんが、そのままリビングに座りなさい。と厳しい、叱る時の声で言った。玄関で靴を脱いでいる時、お父さんが部屋から出てきて驚いた。普段ならまだ会社にいる時間なのに。
お父さんは何も言わなかった。私は顔を見れなくて、下ばかり見ていた。
リビングのテーブルに着くと、お母さんが「朱莉ちゃんを無視していじめてたって、クラスメイトの子が教えてくれたって担任の先生から聞いたけど」と言った。
「ママてっきり、二人は親友なんだと思ってたけど、どうしたの? 喧嘩したの?」
喧嘩したうちに入るんだろうか。私は何も言えなかった。
「無視してたっていうのは本当なの?」
「…無視してたっていうか、ちょっと気まずかったの」
絞り出した答えだった。
「どうして気まずくなるの?」
また沈黙。向かい合わせに座る私とお母さんとは違って、お父さんはずっとテーブルの隣に立って腕を組んでいた。表情は硬く、いつもの温厚なお父さんの雰囲気は皆無だった。
「言いたくないならいい。ママが朱莉さん家に行って謝ってくるから」
「なんで? しなくていいよ」
「何でしなくていいの? ちゃんと言ってくれないとママわからないよ?」
「もういいじゃん! ほっといてよ!」
母が驚いた顔でこちらを見た。
「いじめてない。それに…向こうに問題があるんじゃないの…鬱になる方が悪いんだよ。いじめられる側にも原因があるっていうじゃん」
「本気でそう言ってるのかお前!」
唐突に鼓膜を劈くような父の怒号に、全身鳥肌が立った。背筋が凍って、ぴんと張った背中に急に汗が吹き出した。
「俺が家に居なかったのが悪いか? なぁ? 俺がもっとお前といれば、そんなふうには育たなかったのか?」
ぶたれるかと思うほど、父は私を怒鳴りつけた。唾が飛んでくるのを気にするどころじゃない。体が硬直して視界が揺らいだ。必死に泣くのを我慢している時、お母さんがお父さんに、外に行ってちょっと落ち着いてきたら。と玄関の外へと促した。
玄関を閉める音がした途端、体の緊張は解けたけれど、それと同時に、生まれた奇妙な静けさに居心地が悪くなる。お母さんと目線がかち合って、途端に動けなくなった。
「あのね、優香」
母は優しい顔をした。
「私も昔、いじめられてたの」
凍り付いた空気に息が詰まった。母の表情に落ちる影がみるみる濃くなった気がして、足元がますます寒く感じた。
「ね? 大切な人がいじめられてるって思うと、貴方が何をしてきたのか、少しは身近になったんじゃない? 貴方がしてることはそういうことなのよ。いじめは何も解決しないの」と言って、お母さんが悲しそうな顔をした。
もう凍てついた空気は感じなかった。私はただ、緊張して強張った身体と冷たい脇汗を感じていた。お母さんは、話はこれで終わったとばかりに立ち上がって、玄関に向かった。
玄関から聞こえてくるお父さんとお母さんの会話のやり取りが、どこか他人事のように思えた。
あの後、私はお母さんと一緒に朱莉の家に謝りに行った。今まで無視してしまっていたこと、私が陽介くんのことを好きで、第二ボタンを投げてしまったこと。私が覚えていた限りの心無い行動を一つ一つ朱莉に打ち明けて謝ると、朱莉は私の謝罪に、いいよ。と言って許してくれた。私はなんてお人好しなんだろうと思った。
その後学校で、私は償うようになにかと朱莉を誘った。弁当を食べる時も、ダンスをするときも、カラオケに行くときも、ファミレスに行くときも。グループチャットに朱莉の連絡先を入れることで、グループ内でも朱莉は馴染んだ。何かを取り返そうとするかのように、朱莉は常に私たちについて回った。
きっと傍から見たら、全てまるく収まったように見えると思う。けれど、私は今でもお母さんの言葉が忘れられなかった。
お母さんは例え話として、いじめられていたと言ったけれど、あれは実は本当だったんじゃないだろうか。
確かめることもできなくて、ただ日々が過ぎていった。
体育祭当日。意外にも他クラスは皆簡単な振付のダンスばかりを踊っていて、本格的な振付のダンスを踊った私たちのクラスは大盛り上がりだった。踊り終わって退場する時に、歓声の中、お母さんの姿を探した。お母さんは私をしっかりと見ていて楽しそうに笑っていた。
心の棘が、まるで喉に小骨が刺さったように、鋭い痛みをまだらに与える。
私は、朱莉に贖罪することで、お母さんに対するいじめの免罪符を買っているのだと思った。
お母さんの笑顔を見る度に、私は朱莉に話しかけた。
悪意の居留守 伊藤東京 @ItohTokyoNovels
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