第5話
「では点呼を取ります。」
担任が名前を読み上げていく。テンポよく読まれる名前と生徒の返事がリズムを築いていた時、急にそのリズムが途切れた。
「朱莉さん。朱莉さん?」
途切れたリズムの不快さに、今になって朱莉が休むのは久しぶりだと気づいた。欠席ですね。という担任の声を最後に、周りの声がただの遠い雑音になった。朱莉のことを、まるで怪我した野良犬を見た時のように可哀そうだと思った。でも、それだけだった。
この日を境に、朱莉はピタリと学校に来なくなった。やがてそれが普通になり、誰も、どうして来ないんだろう。なんて興味は持たなかった。
「今日は先生から皆さんにお話があります」
体育際のクラスTシャツのデザインを募集するはずだった時間、急に先生が改まった顔でそう言った。
「朱莉さんが学校に行くのを嫌がっていて、いじめられていたのではないかと親御さんから相談を受けました。クラスで何かあったのではないかと先生も困っています。何か知っている人はいますか?」
何もなかったから行きたくない。誰も知らないから行きたくない。そういうことだとなぜ気づかないんだろう。
みんな不思議そうな顔で見合った後に、黙っているものや、ふざけて笑っているもの、談笑を始めるものがいた。みんな特に真剣に捉えてなどいないようだった。そんなものだよ。そんなものかな?
「何もないかな? 言いづらかったら後で先生にこっそり教えてくれてもいいので」
そう言って先生は何事もなかったかのように、Tシャツのデザインを考えてきてください。と一枚一枚プリントを配った。
プリントにはTシャツ型のイラストが描いてあって、そこに自分で絵を描き足してデザインを作るらしい。とはいえ自由参加なので、どうせまたあの女子グループが何か考えてくるに違いないと、その紙を鞄の奥に乱雑に突っ込んだ。
放課後、みんなでダンスの練習をしていた時、担任が教室にやってきた。
「優香さん、ちょっといいかな」
「え、はい」
教室にまだ残っていたみんなの目線が刺さったけれど、ダンスを練習する靴音と音楽は止まることがなかった。
職員室に連れていかれるやいなや、先生は私がいじめているのではないかと言った。職員室にいる先生たちの聞こえぬ振りが、更に居心地を悪くさせた。
「何か心当たりない?」
「ないです」
「本当に?」
「はい」
確かに遠巻きにはしていたけれど、積極的に悪意を持って、朱莉を傷つけたことなんてない。
「朱莉さんね、昨夜自分のことを切ったんだよ」
開いた口が塞がらなかった。そんなことを言って何がしたいの?
私の返答を少しの間待った先生は、私の沈黙を何と受け取ったのか「親御さんに朱莉さんのことと、今日送迎に来てもらうように連絡するから、荷物をここに持ってきなさい」と言った。
嫌ですなんて言えなくて、はい。と言って職員室を出る。教室ではまだ、みんながダンスの練習をしていて、鞄を取る私に、帰るの? と訊いてきた。帰る〜。と平然を装うと、また明日〜。と向こうも何ともなさそうに返答して、さっさと目線をスマホに戻した。
職員室に戻ったあと、私はただ黙ってパイプ椅子に座っていた。朱莉のいない椅子も、これくらい冷たいのだろうか。
暫くして、職員室の扉が開いた。こちらですと職員に案内されたお母さんが、覗くようにして職員室内を見渡した後、私の顔を見た途端、母親の顔になった。
「いつもお世話になっております。優香の母です。うちの娘が大変な迷惑をおかけして申し訳ありません」
担任に駆け寄るが早々、頭を深く下げるお母さんに、私は顔が熱くなっていくのを感じた。
「いえいえ、こちらこそ担任の立場でありながらすみません」
「本当に申し訳ありませんでした。優香、行くよ。先生に挨拶して」
「さようなら」
「はい、さようなら。また明日ね優香さん」
目まぐるしくやりとりがなされていく中、半ば強引に職員室から連れ出され、そのまま車に乗せられた。暫くの間、私は誰かに見られるんじゃないかと怖くなって、窓の外から見えないように俯いていた。お母さんは何も言わずに運転した。
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