第4話 影狼
・
クアは部屋でしばらく休ませ、宿のロビーのバーで飲む事にする。
爬虫婦人の言うことを鑑みればここを離れないほうがよいだろう。
念の為、窓とドアに仕掛けを施す。
1階ロビーに降り、小さなバーカウンターの3席のうちひとつに腰掛けた。
他の客はいないようだ。
受付にいる、相変わらずこちらを見もしない婦人に声をかける。
「女将、でいいか。何か飲みたいんだが」
「エールとワイン以外なら大体あるよ」
女将がけだるそうに狭いバーカウンターに入った。
「ウイスキーを頼む。銘柄は何でも」
女将は背にある棚から迷いなく瓶を選び、ショットに注ぎ差し出した。
手の平から氷を落としながらグラスを引き寄せ、一口煽る。
琥珀の甘みが空腹に沁みる。
「氷の魔術、隠さないんだネ」
そう言いながらライムの輪切りを小皿に乗せ、塩を盛る。
女将が動くたび、爬虫人女性が身につける甘いココの香水が強く匂う。
「魔力があるの、わかっていたろ」
「あんたのは視えて無かったよ。さっき部屋に乗り込んだのだって、あんたがコレクターかもって疑ったからさ。弱った亜人の子供を連れてりゃ、そらネェ」
「いつも、ああなのかと思った」
「あはは!! ンなわけないだろ!」
そういって分厚いまつ毛の奥から見つめてくる。
「……あんた『影狼のダイン』だろ?」
天井に取り付けられた、魔石を動力とする空調の羽がカラカラと鳴っている。
「アタシもその筋の者だったもんでね。獣人魔術師なんてそもそもそう聞かないし。馬鹿正直に台帳にダインって書いてるし」
女将はウォッカをショットに注ぎ、煽った。
「あんた何故、偽名にしない」
「……前の仕事を辞める時、過去もこの身も偽らない……。ひとつそれだけを決めた」
「あの子のことがよっぽど大切なんだねェ」
宿のある横道の向こう響く繁華街の賑わいがさざめく。
その上に、唱えるような女将の声が乗る。
「見たところ、あんたら魔術の師弟だろう。
……冒険者証のホロは偽れない。あんたが身元を偽り魔術師範の規定を満たせなかったら、あの子を真っ当な魔術士として育て上げることができない」
女将の尾がペタンと鳴った。
「なぁ。魔術の道を歩ませるっていうのは、あの子にとってどうなんだい」
「……彼女が望んだ。やめる時もじぶんで決めればいい」
「あんたは、やめられたのかねェ」
……わたしは、やめられただろうか。
魔術の道はわたしにとってどう在ったのか。
得たものより失ったものばかりが、やたらと鼻につく。
魔物と呼ばれ暮らしてきた。自身を透明にして、生きてきた。
視界から自らを消して生きてきたわたしが、
『自分のことは自分で決めれば良い』
……などという説法を人に差し向けて許されるのか?
『パチンッ』
仕掛けの弾ける音に緊張が走る。ドアの方だ。
トタトタトタッという足音と共に獣の少女が現れた。
「お師匠、おはようございます。クア、お腹が空きましたぁ」
ほっとした。
「……クア、螺旋は」
「くるりくるりですよね。大体わかりましたし、いけてます」
クアは女将におじぎして言う。
「トカゲのお姉さん、お薬ありがとうございました!」
「……え、ちょッ あっはは!! 今の聞いた? お姉さんだって。マジに見積もって二十年ぶりに聞いた。はー……全く。コレ、嫌味なんだか良い子なんだか」
女将の照れ張り手がダインを揺さぶった。
「『クソ田舎もん』の娘の言うことだ。そのまま受け取ればいい」
……クアを見ると、俯いている。
「どうしたクア、まだ体力が回復していないのか。何か食べて……」
「そうじゃありません」
「?」
「あの…、お師匠…わたし……」
「言ってみろ。今なら女将も聞いてくれる」
クアが顔を上げた。
切実ですと眉間に書いてある。
「わたし! 『田舎もん』で、恥ずかしいですッッッ!!」
ダインと女将は、同時に吹いた。
クアがマナを放出した要因のひとつにはこの気落ちもあったのか……。
どうやらこれも、盲点だったようだ。
・
夜半。
宿の隣の居酒屋「海鹿亭」。
テーブル4卓程とカウンターの小さな店だが混んでおり、たまたま出る客があり席を取ることが出来た。
どういう流れか、女将と3人で食事をとることに。
店の主人は女将を『ティア』と呼んだ。
「ティアさんてすごくきれいな名前ですね。クア好きです」
「アタシにもそういう名前が似合う時があったのさ」
ティアはクアの頭を引き寄せ抱っこした。
クアがこの婦人に懐いている様子を見て、ダインも安らいだ。
程なく、ティアの注文した料理が食卓に並んだ。
・根菜の酢漬けとモッツァレラチーズ
・豚肉とピーマン炒めの特製トマトソース
・白身魚の刺身と旬の青菜のカルパッチョ
・ホワイトチキンスープのペンネ
こうして、ベランガスの居酒屋は肉も魚も同じ食卓で楽しめるのが良い。
内陸部ではこうはいかない。
「都会だの田舎だのをこうも気にするなんてほんと、年頃の子だねェ」
「まったくだ。この時じぶんがどうだったのか、思い出せない」
「男の子はバカだからね。狩った獲物と登った山のことしか憶えてない」
クアといえば目新しい料理を夢中で頬張っている。
時折、僧のように目を瞑りもぐもぐしているのは、味を再現するために記憶している……というのは本人の談だ。
婦人は少女を眺め、目を細めた。
「うちの娘はこんぐらいの時に連れてかれちゃったんだ」
「……コレクターにか?」
「アタシと同じ、視える能力があったから」
「……」
話題の明度に反し、爬虫婦人は笑みを浮かべている。
「楽しい食事の時間になんでこんな話をって思ってる?
……これが楽しい話である理由は、ふたつ」
ティアはモッツァレラを一口、それをエールで流し込み言った。
「ひとつ目。アタシは娘が生きてるって信じてるから。この能力はある種の仕事で重宝される筈」
ダインの相槌を待たず、彼女は続ける。
「ふたつ目。……この街にもう一度『影狼のダイン』がやってきたから。あんたはこの『再び現れた珍獣コレクター』の件を、絶対に、放っておけない」
ティアはダインを真っ直ぐ見つめたまま、唱えるように続ける。
「みっつ目があった。
アタシはいつかこの種のチャンスが来ると信じて、この街で亜人向けの宿をやり続けた。腕の立つ亜人冒険者だったら誰でも良かったが、アタシは特等を引き当てた。
しかもコレクターが再び現れたこのタイミングにね。
……要は、そんなアタシのド根性とド強運を引き継いだ娘は、やっぱり絶対どっかで強く生きてるってコト」
そして、いつの間にかペンネを一人で平らげたクアがダインに言う。
「お師匠、これって冒険者のクエストですよね? 引きうけるんですよね?」
大きな瞳が、こちらを見ている。
「……いや、クア。通常クエストというのはだな。各地のギルドを通して請けるんだ。そうしないとギャランティのやり取りでトラブルが起きたり、大怪我をした時の冒険者保険も」
「でも、引きうけるんですよね?」
女が二人、こちらを見ている。
異様な雰囲気に他の客の視線も集まってるような気がする。
この時、ダインはこう考えていた……
『…あー… …わたし自身は断る気など無いのに、なにか女二人に乗せられてやる雰囲気になっているのが… なんとなく…嫌だな……』
「もちろん、調査中の宿代はタダでいいよ。バーでの飲み代も半額だ」
こうして、二人はティアが女将をつとめる宿「ベンダ・デンダー」にしばらく滞在することになった。
ちなみにベンダ・デンダーは第二古代語で『陽気な・バカヤロー共』を意味する。
【続く】
挿絵
・宿の女将
https://kakuyomu.jp/users/nagimiso/news/16818093084046227158
『白狼のダイン』 #イズミと竜の図鑑 凪水そう @nagimiso
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