第3話 怖い顔


 ・


 シャトルがベランガス市内に入り、路面の舗装により尻に伝わる振動が整然へと変化していく。


 都市の中心部にゆくにつれ建物は木造から石が多くなり、地方のちょっとした寺院ほどの贅沢な作りの建築物が立ち並び、それが一般企業の社屋であったりする。


 微かに漂う下水の匂いが都会を感じさせるが、嗅覚の鋭い亜人以外は気にならないレベルのものだろう。


 クアは「ほあー」やら「はえー」などと言葉にならぬ感想を漏らしていたが、次第に黙り込んでいった。


「……どうした、クア。具合でも悪いのか」


「いえ、何でもありません。お師匠」


 下を向いてしまった。


 この年頃の子は大人が皆忘れ果てた「些細」で気を落としていることがある。

 ひとまず飯で落ち着かせ、彼女から話してくるようであれば聞くことにしよう。


 夕暮れが落ちると共に、光源が街の明かりに交代していく。

 路地には魔石を贅沢に使った街灯が目立つ。


「宿を取ってからの食事としよう。クア、何か食べたいものはあるか?」


「わからないです……おっきい街は初めてなので…」


 都会酔いの可能性もある。

 ちょうど良く、横道に宿のありそうな歓楽街が見えた。


 操手に声をかける。


「おっさん、この辺で。停めないでいい」


「あいよー、毎度。よい旅を!」


 操手が前を見たまま手を上げる。


「よい旅を」


 運賃は前払いだ。

 荷物を確認し、走行中のシャトルの後ろから飛び降りる。


 人混みの歓楽街に歩き入っていく。

 連立した居酒屋はどこも賑わっており。メニューは東洋、南部と様々だ。

 夜だというのに随分と明るく、燃料式と魔石式の明かりがそれぞれよく働いている。


 クアはどんどん元気が無くなっていく。

 彼女を引きずるように連れ、薄暗い路地にてようやく亜人を受け入れ可能な宿を見つけた。


 紫に照らされたドアを開ける。

 こじんまりとしたバーのあるエントランス。


 受付カウンターには爬虫系亜人の中年女性。

 こちらを一瞥し、手元のペーパーバックに再び視線を落とした。

 片肘を台に乗せ、ぶっとい二の腕には第二古代語で「クソババア」と入れ墨がされている。彼女は意味を理解して彫っているのだろうか?

 パーマで盛られた頭髪はピンクに染め上げられており、薄緑の肌とのコントラストが目にうるさい。


「今夜の部屋はあるか? 出来ればツインで」


 盛った睫毛の奥から値踏みしてくる。


「ありますよ。その嬢ちゃんと二人で?」


「ああ、親子だ」


 婦人の尾がペタンと鳴る。


「はぁ……。狼と兎が親子ねぇ?」


 婦人は噛みハーブの強い香りが混じる溜息をつきながら、ガジャリと鍵を取り出す。

 クアは俯いたままだ。


「朝飯付きで七千ジル。シングルの部屋だけど、寝床入れておくよ」


「頼む」


 こんなものだろう。むしろ安い。


 少し待って案内された2階の部屋は思いの外清潔感があり、その価格からすれば上等なものだった。

 ベッドふたつと小さなテーブルスペース程度の細長い部屋だ。


 奥の窓を開けると真下に居酒屋の喧騒が広がる。

 こうして退路を確認するのも今となっては悪い癖なのか。


「おい見ろ、クア…」


 振り返ると、彼女はベッドにうつ伏せになっていた。

 いつもだったら旅の荷物の点検をとどやすところであるが……。


 クアをそっと仰向けにし、額に手のひらをかざし感覚を澄ます。


 原因はすぐにわかった。

 体内のマナが枯渇していた。今の彼女は小さな蝋燭に火を灯すこともできないだろう。


 ひさしぶりにこの都市に訪れたわたしにとって、盲点だった。

 この街は街灯の光源や下水の浄化の細工の動力として魔石を組み込んでおり、それらは空気中のマナを消費し稼働している。


「……よく聞け、クア。ここのマナはひどく薄い。そのような環境に慣れの無いお前の体のマナは、大気に溶け出してしまった」


 魔術導体を持つ者は魔力が切れると体力に影響を及ぼす。


「あい…」


「今からわたしがお前の肩よりマナを流す。その時にイメージするのだ… 染みたマナがじわりと体に巡る様子を……」


 ベッドの横に膝をつく。

 人差し指と中指をクアの肩に当て、目を閉じ集中する。


「外に出てゆこうとするマナもあるだろう。……しかしそれらはくるりと流れを変え、体の芯に戻る」


「くるり…くるりです」


「無数の螺旋が描かれる」


「らせん…です……」


 しばらくして、肩からマナの流れを感じた。

 これで問題ない筈だ。あとは本人の回復力にまかせたようが良いだろう。


 まあ、クアにとっては良い経験だ。

 かような環境下に晒されることはこれからもある。


 ……にしても、このままでは冒険者試験を受けさせることは出来ない。

 しばらくベランガスに滞在することになりそうだ。


 バン!! とドアが開く。


 身構えた先には先程の爬虫婦人。


「何事だ」


「これッ!」


 婦人は下唇と共に手を前に差し出している。


「こーれ! 嬢ちゃんに飲ませな!!」


 ギンギラのマニキュアのぶっとい指に小瓶が握られていた。


「マナ枯れだろう?? 栄養剤! ……よくあんだヨォ。 あんたらみたいなクソ田舎臭ぷんぷんさせてるような子らはヨォ」


「この子はケモノなのに何故魔術士だと」


「そんだけ魔力のお漏らししてればわかるヨォ! アタシ自身はが、は視えるんだ」


「……なるほど」


「まぁ、ヤバい客を見分けるための勘だネ」


 これも盲点だった。

 身近な物の匂いに慣れ麻痺し気付かなくなることを感覚的順応というが、この子の発する魔力に気付けないでいた……。


「ケモノの魔力持ちなんて初めて見たよ。……ほんと気をつけなァ」


 栄養剤を湯で溶きクアに飲ませながら、彼女は吐き捨てるように続けた。


「コレクションされちまうよ」


「……コレクション?」


「あぁ、今この区で子供の誘拐が続いていてね。この子みたいな変わった特性の……しかも獣系亜人の子が狙って攫われてるってんで、珍獣コレクターって呼ばれてんのさ」


 ざわッッッ


 ダインの白銀が逆立つ。


 体の一部に残っていた黒いものが、一気に全身に染み渡る。


 ……『影狼』と呼ばれていた頃、はたしかに透明にした筈だ。


 体を鋭敏が支配する。

 窓の外の居酒屋の喧騒がそれぞれ分解され単音として聴こえてくる。

 わたしの様子に息を呑む婦人の喉の動きが超高解像度で伝わる。


「お師匠」


 気がつくとクアがベッドに横たわったままわたしの袖を掴んでいた。


「…お師匠、怖い顔は……だめです」






【続く】


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