後編

 それから数日の後、ニフにはうっすらと気づいたことがあった。

 例の余所者の若者と元鉱夫の老人の、二人ともが街から姿を消したのである。そしてそれを街の大半が知っているのに、話題にするのを避けているのだ。そのなんとも生ぬるい空気がニフは気に食わなかった。


「なぁロッツ」

「なんだ」

「酒場の隅っこにいたじいさん、いったいどうなったんだ」


 ギルドでニフが尋ねると、ロッツはすっと顔を固くした。


「ニフ、掟を知らないわけじゃないだろう」

「知ってはいるけど、どれのことを言ってる?」

「“消えた者を探してはならない”」


 ニフは怪訝な顔でロッツに詰め寄った。


「それって現役の鉱夫のことじゃないのか。坑道の中とか」

「いいや。掟はちゃんと読み込んでおいた方がいい。あれはこの街が範囲だし、元鉱夫もギルドから抜けるわけじゃない」

「でも、でも話題にすらしないなんておかしいだろ。それにあれは鉱夫ギルドの掟であって、街の規則じゃないはずだ。じいさんはともかく、あいつは関係ない」


 それを聞いたロッツは深く長い溜め息をついて俯いた。


「話してどうなる。余計に気にならないか。誰かを疑い始めないか」

「それは……」


 言い淀むニフに、ロッツは声を落として続ける。


「もう昔話みたいなものだが、やっぱり元鉱夫が一人消えて、その話で街が持ちきりになったことがある。そのうちに鉱夫でもない人間がそいつを探し始めてな。ギルドは止めたがそれも疑われて。そうするうちに消えちまったんだ、捜索活動をしてた人間もな」


 ニフはハッと息を呑んで後ずさった。ロッツはその気配を察して、ふっと軽く笑う。


「その話がずっと伝わっていて、この街の人間は俺たちと同じく“消えた者を探してはならない”と思ってる。そういうことさ。なぁ、ニフ」


 格子の間から腕を伸ばして、ロッツはニフの胸倉を掴み引き寄せる。


「お前はまだ若い。楽して稼ぐのに飽きたわけじゃないんだろう。じゃあ大人しくしとけ。どうしてここの鉱夫になったんだか、ようく思い出せ。それであとは、忘れちまえ」


 ロッツは低い声でそう言うと、ニフを開放した。ニフは少しよろけながらロッツを睨み、しかし他にどうしようもなく、ギルドを後にした。



 街は穏やかなままだった。

 けれどもそこには、ニフを見てさっと目を逸らすようなざらつきがあった。酒場に行く気には到底なれない。金鷲亭の女将の心配する言葉すら、ニフにはどこか疑わしく思えた。

 寝床に転がって、ニフは屋根の梁を見るとはなしに見ていた。


『どうしてここの鉱夫になったんだか、ようく思い出せ』


 ロッツの言葉が繰り返し頭を巡る。

 飲んだくれの父親と、泣いてばかりの母親と、小さくて何もできない弟たちを置いて、ニフは故郷を飛び出した。帰りたいとは思わない。しかし、生きるために仕事を探し歩く生活にも疲れ、また仕事のために生きる気にもなれなかった。何を目指すわけでもなかった。手に入れたいものも無かった。しかしいい加減に諦めてどこかの徒弟になるかと思い始めた頃に、極光石の鉱夫の噂を聞いたのだ。

 この街に着いて詳しく聞けば、剣呑な話ではあった。一度鉱夫になれば二度と街から出られず、目が見えなくなる可能性も高いという。だからこそ報酬は高く、ギルドに認められればいつでも鉱夫を辞められ、残りの人生を預けた金で生きることもできる。

 ニフは炭鉱で働いたこともあったが、仕事の危険さで言えば大差ないし、労力は遥かに楽に思えた。独自の検査というのを受けるだけ受けてみようと申し込むと、身体検査と執拗な面接くらいで合格してしまい、拍子抜けしたくらいである。

 そのとき確かに、ニフはギルドに宣誓したのだ。「極光石とこの街に生涯を捧げる」と。

 それが今のニフを示す全てだった。

 そう思い至って、ニフは罪のないふかふかの枕を殴りつけた。じきに女将が食事に呼びに来て、「具合が悪そうだから」と尾巻鴨と白鈴豆のスープを出された。細かく切った野菜の旨味が溶けたスープにふっくらと柔らかい白鈴豆が浮かび、軽く表面を炙ってから煮込んだ尾巻鴨の肉が口の中にほどけ、その美味さがニフの腹によく滲みた。



 ニフは諦めてしまった。酒場を変え、女を買い、賭場に通った。それでもふと顔を上げればタイミラ山が目に入る。ここはそういう街だった。

 長くも短くもない、ひと月が経とうとしていた。そろそろニフはまた石を掘らなければならない。山を登る道が、やけに長く感じられた。

 坑道の入口へ行くと、いつも通りに山師のトーバが待ち構えている。深く落ちくぼんだ目をぎょろりとさせてニフを見ると、フン、と鼻を鳴らした。


「やっと鉱夫らしい顔つきになったじゃないか」


 そう言ってトーバはのみつちを構え、キィン、と小さな極光石を割る。溢れる光もニフにとってはもはや虚しいが、それを首からぶら下げて暗闇へ向かうしかない。

 思えばこの街の鉱夫は皆、世捨て人のような顔をしていた。最初の仕事で坑道の中を案内し、石の採り方を一度見せてくれただけの、名ばかりの親方。ギルドですれ違う他の鉱夫たち。ロッツ。それに酒場の隅の老人。それはあくせくと働かなくて済むからだろうとニフは思っていたが、違うのだ。彼らは自分の行く末を諦めたのだ。今のニフのように。

 坑道の中には他の鉱夫もいないのか、ニフの足音と地下水の垂れる小さな水音だけが響いていた。奥へ。今日の割り当てはいつもより深い。狭く低くなっていく坑道を、背を丸めて進んでいく。


 やがてたどり着いた鉱床はさほど大きく無く、今日だけで掘り尽くしそうだった。ニフは真っ直ぐにツルハシを振り下ろす。耳をつんざく不愉快な音に顔をしかめながら、必要以上に力を込めて。この輝く石が、枯れない石が、その時のニフには憎くすらあった。だからゴーグルを着けるのを忘れていることに気づくのが遅れてしまった。

 黒い塊へ蜘蛛の巣状にひびが入ったかと思うと、そこからぼろぼろと崩れて強烈な光が放たれる。それをまともに見てしまったニフはギャッと声を上げ、両目を手で押さえながらのたうち回った。眼球にいくつも針をさされるような痛みと、燃えるような熱さがニフの目を襲う。呻き、悶えながら耐え、なんとかゴーグルを嵌めたが、手遅れだった。ちかちかと瞬くたびに痛みは走るが、眩しいはずの光も見えない。代わりに広がるのは薄暗い闇である。

 ニフは口汚く自らと極光石を罵った。これで本当に自分はおしまいだ。この街にしがみついて死を待つしかないのだ。

 それでもなんとか、まずはこの坑道から這い出すしかない。幸い、この坑道は炭鉱ほど入り組んではいなかった。より広い方へと手探りに進めば戻れるはずである。

 ひんやり冷えた岩肌をべたべたと手のひらで触れながら、ニフは坑道を這っていった。痛みと情けなさに涙が出た。眼球に力が入るほどに痛みが増すので、涙を我慢することもできない。それが余計に惨めだった。


 先がわからないまま、ニフは随分と長く這っている気がした。胸元の極光石は引きちぎれて無くなり、外へ出られる自信はとうに失われ、手足はもう止まろうとしていた。

 その時ふと、見えないはずの視界に何かがよぎった。思わずそれを追えば、眼前には影。いや、それよりも暗い、闇そのもの。はぷるぷると震えながら形を不安定に変えていた。そうやってゆっくり移動しているのだということに、ニフは気づいた。ニフは本能的に息を潜め、をやり過ごそうとする。はしかしニフのすぐそばで移動をやめ、いっそう激しく震え始めた。そして形を保てる限界まで震えたその時、遂には何かを吐き出した。

 ごぽり。

 吐瀉物は坑道の岩肌に張りつき、その飛沫しぶきがニフの手にかかった。ニフは声にならない悲鳴をあげてそれを振り払おうとしたが、そうする間もなくころりと手元に滑り落ちる。の吐瀉物は一瞬で固まったのだ。嫌な予感と共にニフは落ちた塊を拾い上げる。あまりにも馴染みのある手触りだった。少し粘りを感じるつるりとした表面、鋭い先端、そして何故か未だに見えるその黒さ。極光石である。の吐瀉物こそが、極光石の鉱床だったのだ。

 そのことに思い至ったニフは、たまらず背を向けて逃げ出そうとした。力の入らない足腰を引きずり、腕の力でなんとか進む。しかしそれが良くなかった。ずる、ずる、と擦れる音はにも聞き取れたらしく、ニフの背後に不定形の闇が迫る。

 ごぽり。

 再度吐き出された吐瀉物がニフの足に絡みついて固まった。は喜びからか、怒りからか、わからぬ震えを帯びながらニフを爪先から吞み込んでいく。「あ」と声を漏らしたきり、ニフの喉はひりついて音を発せなくなった。呑まれたところから、ニフの感覚は無くなっていく。痛みも熱も無く、ただ溶けて無くなるようだった。ニフの頭に最後に浮かんだのは、あの老人がぼそりとこぼした言葉だった。


『わしは、わしは人として死にたいだけじゃ』






「ニフが消えたよ」


 ギルドにやってきて、事も無げにトーバが言った。

 ロッツはそれを聞いて一瞬険しい顔つきをしたが、すぐに首を横に振って、短く息を吐く。


「じゃあまた、鉱夫を増やさないとな」

「ああ。それとのこったものの処分を」

「あいつは金鷲亭に住んでるようなものだったから、その辺はたぶん楽さ」

「おお、そうだったか。頼む」

「……なぁ、トーバ」


 ロッツは改めてトーバの方へ顔を向けながら尋ねる。


「ニフは、まだもう少しやれたんじゃないか。じきにこの山にも慣れそうだったが」


 トーバはロッツの顔をまじまじと見て、たまらないといった風に吹き出した。


「ハッハッハッ! ロッツ、お前らしくもない。余所者にそこまで肩入れするとはな」


 トーバは鉄格子の隙間から指を差し入れて、ロッツの額にぴたりと当てた。


「タイミラ山は、おれの山だ。先祖代々ずっと守ってきた、この街のための山だ。だからおれの思う通りにする」

「……わかってるさ」

「うむ、良かったよ。お前の代わりはそういないからな」


 満足気に頷いて、トーバは踵を返した。その背をもの言いたげに送るロッツに、言い聞かせるようにトーバが言う。


「ニフもな、この街を照らす光になったのさ」

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やがて光になる者 灰崎千尋 @chat_gris

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