やがて光になる者

灰崎千尋

前編

 それは、深い深い闇の底。

 タイミラ山に掘られた細く長い坑道を、一人の男が奥へと進んでいた。彼の名はニフ。歳は二十を過ぎて少しの、若い鉱夫である。ツルハシを担いではいるが、その足取りは軽く、まるで散歩でもしているかのようだった。

 それもそのはず、坑道の中でありながら、ニフの腕二つ分先までは極めて明るい。太陽の下と変わらないか、それ以上の明るさである。その光の源は、彼の胸に吊るされた小さな石だった。赤子のこぶしほどの石は、その真っ直ぐな断面から眩い光を放ち、彼の行く手を照らしている。

 口笛を吹くような気軽さで、ニフは坑道を行く。光の当たらない彼の背後は夜よりも暗い漆黒だったが、彼は振り向かない。ニフは胸元の灯りを信じていた。いや、それだけを信じていた。だからどこまでも続くかのように見える闇の中を、ひたすらに歩いて行けた。

 やがてニフは、彼に割り当てられた鉱床へ辿り着いた。

 岩肌にべったりと張り付くように、黒々とした鉱石が固まっている。光が当たればそのほとんどを吸い込んでしまうのか、輝きは鈍い。ニフはしっかりとゴーグルを着け、慣れた手つきでツルハシを振り下ろした。

 キィイイン、と甲高い音が響く。金切声のようなその音に最初の内はニフも随分と悩まされたが、今や気にならない。いっそ歌わせてやるような気持ちで、ニフは何度もツルハシを打ちつける。キィイイン、キィイイイン、と鳴る度に、鉱石がひび割れていく。それほど硬さがあるわけではない。何度目かに打ちつけたその時、遂に鉱石が崩れ落ちた。

 その瞬間、辺りは真っ白に光り輝く。その光の強さは凄まじく、分厚いゴーグルを突き抜けるばかりか、瞼を閉じていても目を刺すほどである。しかしニフはその強烈な輝きを、鉱石を、うっとりと眺める。

 極光石きょっこうせき。一見すれば黒く尖った鉱石だが、一方向に真っ直ぐ割れやすく、割れた瞬間からその断面が発光するという石である。タイミラ山でしか採れないもので、小さな石でも炎より明るく、燃料無しに長時間照らすことができ、光が収まっても再度割れば照らし続けることが出来るので珍重されている。ニフの胸元に光っているのも、極光石の欠片である。

 辺りに散らばった極光石を、ニフはそっと拾い集める。光を通さない革袋に小さな破片まで残さず入れて、袋は人の頭ほどに膨れた。今日の成果としては、これで充分だった。ニフは革袋を肩に背負い、来た道を戻っていった。


「お疲れさん」


 坑道の入り口でニフを待ち構えていたのは、山師やましのトーバである。むっつりとした髭面で、ニフと彼の抱えた袋とを眺めまわした。


「上々かね」


 秤の方へ手招きしながらトーバが言う。ニフは促されるまま、今にも光が溢れそうな袋を秤に乗せた。


「まぁね。今の鉱床はまだしばらく掘れるよ」


 ニフはそう言いながら、帽子の土ぼこりを払ってかぶりなおした。きらきらと極光石の屑も零れ落ちる。それを見てふっと笑うニフを、トーバは目線だけで見遣った。


「なら良いが……うむ、規定量だな。そら、今日の分だ」


 トーバはニフに書付かきつけを一枚渡した。ニフは文字が読めない。だが数字ならば一応わかる。今回の報酬額も相場通りのようだった。これでもう、

 ニフは「どうも」と書付をひらひらさせながら、街へと降りて行った。



 まだ日は高い。

 麓の街には穏やかな風が吹いていた。道の脇には、極光石を使ったランプなどを扱う店や工房が並ぶ。古くからこの地域を潤わせてきたのは、貴重な極光石だった。小さな街でありながら、身なりの良い商人やその使いが行き交うのはその為である。しかし極光石の取り扱いには厳しい制限があり、販路はそう多くない。ニフのような鉱夫の数も限られていた。

 トーバにもらった書付を手に、ニフは鉱夫のギルドへ向かった。鉄格子で守られた薄暗い窓口の中には、中年の男が一人。その目元は目隠しをするように布で覆われている。


「よう。ニフかい」

「御名答。流石ロッツだな」

「そんなご機嫌な足音をさせてここへやってくるのは、お前くらいだよ」


 目隠しの男、ロッツはにやりと唇を歪めて、ニフから書付を受け取った。それを厚い覆いの中で広げると、そっと目元の布を上げ、拡大鏡で確認する。

 ロッツも昔は鉱夫だったという。しかし極光石の光に何度も焼かれたことですっかり目が弱くなってしまい、今はギルドの仕事をしている。この街ではそんな元鉱夫は珍しくない。失明していないだけロッツはマシな方だった。


「よし、記録した。今日はどれくらい持っていく?」

「そうだな……金貨を二枚と、銀貨を十枚で」


 このギルドの窓口は、鉱夫の金を預かる場所でもあった。狭い街では、ニフが鉱夫であるのは知られている。鉱夫の稼ぎが良いのも当然知られている。つまり、大金を持ち歩くのも、部屋に置いておくのも、盗んでくださいと言っているようなものだった。その為、報酬を貯めておいて必要な分だけ引き出す仕組みがギルドにあるのだった。

 ひと月に金貨が二枚あれば毎晩女を買えるし、銀貨が十枚あれば毎日浴びるように酒を飲める。ニフにそんなつもりはないが、つまりしばらくは遊んで暮らせる金額である。それだけ引き出しても、今日採掘した報酬の半分にも満たない。


「堅実で何よりだ。この街の鉱夫はそうでなくちゃいけねぇ」


 ロッツの言葉に、ニフは軽く笑って肩をすくめた。



 ギルドを出たニフは、住まいにしている宿『金鷲亭』に帰った。

 今すぐ屋敷を買おうと思えば買える金はある。実際に家を持ったこともある。しかし掃除や洗濯が面倒で、だからといって使用人を雇うのも性に合わなかったので、今はこうして宿を家代わりにしているのだった。


「おかえり、ニフ」


 宿の女将が愛想よく出迎える。


「食事にするかい」

「ああ、今日は何がある?」

袋兎フクロウサギが入ったよ」

「いいね、焼いてくれ。それと星林檎酒を」

「そう言うと思った。ちょいと待ってな」


 そんなやり取りの後、ニフはたっぷりと腹ごしらえをした。

 星林檎の酒はかぐわしく、爽やかな甘みと泡が喉を抜けていく。そうして唇を湿らせたら、女将特製の「袋兎の丸太焼き」にナイフを入れる。袋兎の背肉に豆や野菜、兎の内臓を詰めて丸め、じっくりと焼いたのを厚く輪切りにしたものである。さっぱりとしつつも肉汁滴る肉に野菜の香りや旨味が染み、噛み締めればとろりととろける内臓の風味が広がる。ソースには黒紅スグリと兎の血を使い、濃厚な野性味と穏やかな酸味が効いている。それを酒で流し、焼きたてのパンを頬張り、また肉を口に運び、と繰り返せば、あっという間にニフの皿もグラスも空になった。

 ニフがこの宿を住まいに選んだのは、料理自慢の女将がいることも、大きな理由の一つだった。


「今日も本当にうまかった」

「ハハ、ありがとうよ。仕事はどうだったね」

「いつも通りさ。ちょっと石を掘ってくるだけで女将さんのうまい飯が食える。最高だね」

「あんたらが採ってくる石がなけりゃ、あたしもこの街も生きていけないからさ。たんと食べて、また次も頼むよ」


 女将の言葉は事実だった。

 この街は極光石のためだけにあるようなもので、他に名物や産業があるわけではないし、辺鄙な山奥にあって交通の要所というわけでもない。もし石が採れなくなったなら、すぐにでも寂れて捨てられる街である。

 タイミラ山で極光石が採掘され始めたのがいつのことだか、誰にもわからない。それほどに歴史は古いが、奇妙なことに、石が枯れたことは無いという。落盤事故などで新しい坑道を掘ることはあったが、掘り尽くしたという記録は無い。そうならないように、山師とギルドが長年厳しい管理をしているのだった。

 ニフもその管理の中にいる。

 ニフは流れ者だった。「楽な仕事で遊んで暮らせる」という採掘の仕事の噂を聞いて、タイミラ山にやってきた。ギルドにはそんな人間がわんさかやって来るが、鉱夫になれるのはごく僅かである。山師とギルドの役員によって行われる様々な検査に合格した上で、厳格なギルドの掟に従う誓いを立てた者だけが、この仕事につくことを許された。

「楽な仕事で遊んで暮らせる」のは嘘ではない。しかしその仕事と生活は、次のような掟に縛られている。


一、一度に採り過ぎてはならない

一、月に一度は規定量まで採らなくてはならない

一、夜に掘ってはならない

一、生涯、街の外に出てはならない

一、坑道で起きたことを組合の他に口外してはならない

一、消えた者を探してはならない


 この掟を目にして鉱夫になるのを諦める者も多かったが、ニフにはむしろありがたかった。仕事を探してあちこちへ旅するのにはもう飽きていたし、彼は特別何ができるわけでもない若者だった。自分が鉱夫になれたのはこの辺りの相性が良かったのだろうと、ニフはぼんやり考えていた。


 腹を十二分に満たした後、ニフは部屋に戻ると寝床に体を投げ出した。いつでも清潔で、よく整えられた寝床である。今までに就いたどの仕事よりも、ニフはこの鉱夫の仕事を気に入っていた。昼間からたらふく御馳走を食べた挙句に昼寝ができ、街の人間から頼りにされる。そんな仕事が他にあるだろうか。ニフは天に感謝しながら、何に妨げられることもなく眠り、日が落ちた頃にまた目覚めた。


 極光石はこの街の商品である。照明として日常使いしている家はないが、宣伝として軒先に使う店はちらほらとある。月は頼りなく細い夜だったが、宿の窓からは煌々こうこうと灯りの点る店がいくつか見えた。そのうちの一つ、馴染みの酒場にニフは出かけた。

 酒場では、同じ年頃の若者たちと赤銅麦の発泡酒を飲み交わし、カード遊びに興じた。


「良いよなぁニフは。鉱夫になれて」

「金鷲亭の丸太焼きかー、食ってみてぇ」

「お前の稼ぎじゃ月に一度も食えねぇよ」

「俺なんて夜明け前から働くってのに」

「いったい何が違うのかねぇ」


 酔いもあってやっかまれつつ、ニフのカードの戦績は平々凡々だった。しかし山場の一戦をあっさりと勝ち抜け、「運だよ、運」などと言うものだから、ニフ以外の若者みんなに溜息をつかせた。


「なぁニフ、鉱夫って本当に掘ってるだけなのか?」


 ニフと同じく、余所者の男が言う。この街で生まれた若者はハッと真顔になり、止めに入った。


「やめとけって。鉱夫になれなくてもギルドの掟は知ってるだろ」

「だって、違い過ぎじゃないか。毎日親方にどやされてる俺たちと」


 嫉妬。羨望。自己憐憫。

 そんな視線を一身に受けたとして、ニフは自分でも何故鉱夫になれたのか肝心なところはわからない。「でもみんな、飽き性だろう?」と誤魔化しても、今夜の若者たちは引き下がらないようだった。

 するとがたり、がたり、とあちこちから音がして、静かに酒を飲んでいた年嵩の鉱夫や元鉱夫たちが席を立っていく。それが若者には、余計に気に食わない。


「何だってんだよ!」


 テーブルにこぶしが叩きつけられて、カードがバラバラと床に落ちる。余所者の若者は赤ら顔でぐるりと酒場を見渡すと、いつも隅で飲んでいる老人がまだ残っているのを見つけた。


「なぁじいさん、あんたも確か鉱夫だったよな」


 老人は白く濁った目を虚空に彷徨わせ、若者から顔を背けた。確かにこの老人も元鉱夫で、極光石に晒され続けて失明し、今はギルドに預けた金で暮らしているのだと、ニフはロッツから聞いたことがあった。


「知らん。わしは何も知らん」

「知らんって訳はないだろ。本当のところ、坑道であんたは何を見たんだ? そんな目になる前によ」


 そんな様子を見て酔いも覚めてしまったのか、他の若者たちも、一人また一人と酒場を出て行く。促されてニフも出ようとしたとき、余所者の若者は老人の胸倉を掴んでいるところだった。目を逸らしたその瞬間、老人はぼそりとこう言った。


「わしは、わしは人として死にたいだけじゃ」


 その言葉が一瞬引っかかったものの、すぐに酒の余韻でニフの頭の奥に溶けてしまった。

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