ゆめにっき

ガビ

ゆめにっき

 夢日記をつけてみようと思ったのは、鬱病で仕事に行けなくなり休職している期間のことだった。


 仕事で忙殺されている上に、時代遅れのパワハラ上司からの嫌がらせが重なったことで、身体と心を壊してしまい、まとまった休みをとっていたのだ。


 最初のうちは、何もしなくても良い自由を謳歌していただが、日が経つにつれて、食べて寝るだけの自分に嫌気がさしてきた。

 いつ復帰できるのかも分からない不安を紛らわすためにも、何か活動しなくては。

 そう思ったのは良いものの、外出するのはハードルが高いし、これといった趣味もない。

 どうしたものかと悩みながら、昼間から眠りについた。当時は四六時中眠く、少しテレビを観ているだけでも瞼が重くなり、結局惰眠を貪ることになった。


 その時に見た夢は、僕が人生の中で唯一男女のお付き合いをした木嶋リンと遊園地でデートしている内容だった。

 もうとっくに別れているはずのリンが自分に笑顔を向けている状況に、これは夢なのだと自覚した。


 明晰夢。

 夢であると自覚しながら見ること。自分の意思で夢の内容を変えられるとも言われているらしい。


 別れはしたが、未だに未練たらたらな僕からしたら、願ってもいない展開だった。

 リンは大学生2年頃の姿だった。茶髪のショートに小さい顔。スペックは良いものを持っているのだが、私服が信じられないくらいにダサいので男が寄ってくる心配はない、彼氏としては安心感を与えてくれる素敵な女性だ。


 思えば、あの頃が人生で一番楽しかったかもしれない。

 そんなリンと、夢とはいえ再会できたのだ。楽しまないと損ではないか。


 一緒にジェットコースターに乗った。

 ソフトクリームを分け合った。

 観覧車の中でキスをした。


 夢の中のリンは、頻繁に「好きだよ」と言ってくれる。恥ずかしがり屋なリンが顔を赤らめている姿は、どんな女優やアイドルよりも可愛らしい。

 ずっと、この夢の中に浸っていたいと本気で思った。


 しかし、現実は容赦なく俺を天国から地獄へ引きずり下ろす。


 ピーポー! ピーポー! ピーポー!

 救急車のサイレンによって目が覚めてしまった。


「クソッ」


 幸せな夢から覚めてしまった不快感から、つい悪態をついてしまった自分の右頬を殴る。


「‥‥‥怪我か病気で苦しんでいる人を助けるために働いてる人達に悪態をつくなんて‥‥‥僕は最低だ」


 罪悪感で身体が重くなって起き上がれない。子供の頃から使っているタオルケットで全身を包んで、外界からの刺激から己を守る。


「‥‥‥せめて、あの幸せな夢を忘れないようにしよう」


 そう。あの夢を見ている時は幸せだったのだ。これからの人生の助けになるように、内容を記しておこう。

 重い身体を引きづりながら、大学ノートにペンを走られる。


 これが、最初につけた夢日記だった。

\



 それからは、夢を見る度に夢日記を書くようにしていた。

 悩んでいた活動にも当てられたし、夢でリンと会うことが楽しみになっていたからだ。


 夢の中で、リンと色々なところに行った。


 動物園では、パンダを熱心に見ていたのでパンダのぬいぐるみを買ってあげたら喜んでくれた。

 スイーツバイキングでは、テンションが上がって取り過ぎたケーキを申し訳なさそうに僕に託してきた。自分が頼りにされていることが嬉しかった。

 京都に旅行にも行った。着物をレンタルして、恥ずかしそうに姿を見せてくれた。世界一可愛かった。


 1ヶ月も経つと、大学ノートはリンとの思い出ていっぱいになった。


 しかし、就活が始まってから、リンは素敵な笑顔を見せてくれなくなった。

 毎日、大学の就職科に通い、履歴書やエントリーシートを推敲して企業の面接に挑む日々。


 そんな中、僕は一足先に合格をもらった。

 もちろん、リンは優しいから、盛大にお祝いしてくれた。しかし、その表情はデートの時に見せてくれた笑顔とは遠い、作り笑いのように見えた。

 まるで、面接官に見せる仮初の笑顔のように。


 それからも、リンは懸命に就活に挑んでいたのが、合格をもらうことはできず、その年の就活期間は終わってしまった。

 就職浪人という奴だ。

 しかし、リンはめげることなく、来年も就職活動にリベンジすると宣言していた。それまではバイトで生活するとこのこと。


 こうして、僕達カップルは大学という共通のフィールドを失ったのだ。一緒に住んでいるわけでもないので、会う回数は減っていく。僕は変わらずリンのことが好きだったから、ある程度の貯金ができたらプロポーズしようと決めていた。


 4月になり、僕は新社会人として働き始めた。

 福祉の仕事はキツく、ついリンに電話で愚痴を漏らすことがあった。もっと楽しい話をしたかったが、話題になっている映画やドラマを追う余裕もなかったし、愚痴くらいしか喋ることがなかったのだ。

 そんなある日。

 リンの不満は爆発した。


「ねぇ! 私がどんな立場が分かってる!? フリーターだよ! そっちは良いじゃん!! 立派な仕事があるんだからさ!!! もしかして、バイト生活してる私を馬鹿にしてるの!?」

「そ、そんなこと‥‥‥」


 情けないことに、リンの剣幕に僕は圧倒されてしまい、何も言えなかった。

 そんな僕に、リンはトドメを刺す。


「‥‥‥私達、別れよっか」

「え。や、ヤダ‥‥‥」

「私、毎日頑張って働いてる裕也に酷いこと言っちゃった‥‥‥。こんな女と付き合ってたらダメだよ‥‥‥。別れよ」


 ブツッ。ツー‥‥‥、ツー‥‥‥、ツー‥‥‥。


 それは、結婚まで考えていた彼女との、あまりにも呆気ない別れであった。

\



「ほら! 裕也見て見て! 四葉のクローバー!」


 しかし、そのリンは目の前で幸せの象徴である四葉のクローバーを僕に見せてくれている。


 もしかして、これが現実なのではないか?

 別れたのが夢で、こっちが現実なのではないか?


「すごいじゃん! よく見せて!」


 そう自分を思い込ませて、リンの元へ向かう途中で、薄暗い部屋で布団も引かずに寝ている場面に飛ばされる。


「‥‥‥違う。こっちが夢なんだ。早く現実に戻らなきゃ‥‥‥」


 目を瞑る。

 いつもだったら3分も経たずに眠れるのに、中々意識を手放せない。


 10分経過。

 30分経過。

 1時間経過。

 2時間経過。

 3時間経過。


「あァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」


 辛いだけの世界から抜け出せない。


「分かってる! 分かってるよ!! どうせこっちが現実なんだろ!!!??」


 今まで出したことのない大声で咆哮する。


「休職中で! 鬱で!! リンもいないクソみたいなセカイが現実なんだろ!? 分かってんだよそんなこたぁ!!!」


 寝てばかりいて食事を怠っていた自分の身体は、ガリガリになっているのが分かる。


「‥‥‥ハァ。なんか買いに行くか」


 一体、いつぶりの外出になるのかも分からないが、このままでは死んでしまう。

 死なないためにメシを買いに行こうとしているということは、僕はまだ生きようとしているのだろうか。

 人生に絶望しているくせに、自殺する覚悟もない中途半端な僕は外という戦場に向かう。


 幸い、深夜だったので人通りは少なく、そこまでストレスは感じなかった。

 しかし、普通だった徒歩5分もかからない、コンビニまでの道のりに15分かけてしまった。


「いらっしゃいませー!」


 店員さんが挨拶してくれる。そんな丁寧な扱いを受ける人間ではないのにと、申し訳ない気分になってくる。


 店内を軽く見渡す。

 コンビニで栄養のある食べ物を求めるのは間違っている。

 とにかく、腹に溜まれば何でも良い。

 そう考えていると、ケーキコーナーに目が向いた。


 リンとバイキングでケーキを爆食したのは、夢なのか現実なのか分からないが、少しでもリンの思い出に触れたくて、置いてある全てのケーキを購入した。

 家に帰るなり、玄関でケーキの箱を開ける。フォークや皿の用意もしないで、手づかみでケーキを喰らう。

 手も口もクリームがついているのが分かるが、一心不乱で平らげた。


「‥‥‥ハハ。美味しい」


 笑い声が漏れる。


「ハ、ハハ、ハハハ。美味しい。僕、まだ大丈夫なんだ」


 リンとの関係性が切れた日、僕はもうダメだと思った。しかし、ケーキが美味しいと感じるということは、まだ人間としての機能を失ってはいないということだ。


「明日から、社会復帰、頑張ってみよう」


 最愛の人と別れても大丈夫な冷たい男は、これからの人生のために動き出した。

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ゆめにっき ガビ @adatitosimamura

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