凡人の意地、岩をも徹す

嶺月

第1話

「変な名前じゃの」

「うっ…」

 長慶は藩主殿の率直な感想に思わず呻いた。天才・丸目長恵じきじきの指導を受け、仕官の口を求めて延岡藩くんだりまで旅をしてきたが、丸目の威名とどろく故郷肥の国ではともかく、やはりその流派名は奇妙に思われてしまうようだ。

(確かにかな文字というのは奇妙ではあるが…)

 確かにその流派を修めた長慶自身も奇妙に思わないではない。しかしこの名こそ、剣聖上泉信綱より印可状を授かった長恵が新陰流と故郷の剣術を組み合わせた長恵独自の剣理を端的に表したもの。

 名前が変、というだけの理由ですごすごと引き下がってはそれこそ師の顔に泥を塗るようなもの。そう思って長慶は熱心にその要訣を説いて聞かせたが…ふむふむと頷いていたのはただの「ふり」だったようだ。

 長慶が一息ついてさらに話を続けようとしたところ、

「よい」

「は?」

「もう良い、と言ったのじゃ」

「し、しかし…藩主様、剣という物はですな…」

「要はそのタイ捨なる技が物になっておればよい、そうじゃろう」

「は、左様でございますが」

「ならばなんのかんのと語るのではなく、実際にそれがどれほどのものなのか、わが股肱のツワモノ相手に示してもらおうではないか」

「む…それはこちらとしても是非とも願い立てしたい事でございました」

 願ってもない好機だ。もちろん天才の閃きを凡夫にも伝えるため、剣理の言語化には殊に力を尽くしてきた長慶だが、実践の方が得意であるのは言うまでもない。

 四の五の言わずにその力量を示せ、とあれば本懐というしかない。だがまさかこちらから藩の名士と立ち会わせろとは言い出せず、どうしようかと思っていたが、藩主殿は中々の武辺者のようだ。

「これ、兼末を呼べ」

 小姓に何者かを呼びつける。おそらく藩お抱えのツワモノとやらであろう。だが大名の禄を食んでいるお座敷剣術家に負けるつもりは、タイ捨の使い手として全くない。

 小姓の案内に従って、唐突に設えられた御前試合の白洲で精神を研ぎ澄ましていると、ややあって思わぬ長物を手にした偉丈夫が現れた。

「きさんが殿の御手を煩わす無礼もんか」

 こちらを挑発するような事をぼそっと呟いた偉丈夫は碌にこちらを見もせずに構えた。

(蜻蛉?)

 素肌剣法には珍しい八相に構えたかと一瞬思ったが違う。やや担ぐような角度から薩摩で流行りの示現流かと思ったが、それとも微妙に差異があるように見える。特に気になるのは大きく前後に開き、どっしりと地面を掴むような両脚だ。示現流の技は雲耀と呼ばれる神速の一撃に全てを託すと言われているが、あんな構えでは自分から動く事すら容易ではあるまい。

 無論タイ捨は最強の流派、どんな剣術の使い手でも怯みはしない。しかし手の内が知れるのであればそれに越したことは無い。相手の処方を一瞬不可思議に思った長慶はふと思いついて確かカネスエと呼ばれていた相手の名を尋ねる。

「お主、名は何という?」

「おいの名なぞ、きさんには関係なか」

「これから立ち会う者の名を知りたいと思って何が悪い」

「…薬丸兼末。これで満足か」

「名乗って貰って儂が名乗らずに済ませられるか。日比野長慶と覚えて貰おう」

「きさんの名なぞ興味なか、どうせこの一太刀でなんも無しになりゆうが」

 相変わらず無礼な兼末とやらだが、目的を果たした長慶は内心で深く頷く。

(ヤクマル、とかいう連中か。本家の示現流とは違うと聞いていたが、なるほど雲耀とかいう大仰な名前の技で先の先を取るのではなく、相手を裡に呼び込んで後の先を取る剣という訳か)

 示現流に薩摩の古来の野太刀を使った分派が合流して、特殊な地位を築いているというのは風の噂には聞いていた。話に聞くだけの流派を体験でき、しかも打ち倒せば藩の御留流も夢ではない。

 長慶は降って湧いた幸運に感謝しかけ、それはいくらなんでも皮算用が過ぎると自戒する。少なくとも所作を見る限り、単に巨躯を頼みにする木偶の棒ではなく、本当にこの藩でも指折りの武辺者ではあるに違いない。

(さてどうする?相手は見る限り完全に待ちの剣。こちらが攻めねばずっとあの構えだろうし、それで引き分けたとあっては藩主殿は納得されまい。なんとか兼末の間合いに入り込んだ瞬間の雲耀をしのげば、それで仕舞いにできるとは思うが…)

 実のところ長慶も先を取るのが得意とは言えない。というよりもタイ捨流も転を秘伝とする新陰流の分派なのだから、どちらかと言えば後の先を得意としているのだ。タイ捨の一見トンボを切るような派手な動きも蹴足も相手の動きに対応するためのものだ。

 だが結局のところ、この立ち合いは長慶が挑戦者。こちらの処方は待ちが得意だから攻めて来いとはとても口にできない。長慶は覚悟を決めてじりじりと間合いを詰めていく。相手は充分の間合いに入るまでは決して動かないだろう。そして長慶は天才・長恵と何度も手合わせして打ちのめされる中で、相手の得意を潰すのには自信がある。

(あと三寸といったところだろう。自信満々で打ち込んで来い。その長物で儂相手に二撃目を放てると思うなよ)

 もう一歩僅かに間合いを詰める。後一寸。そこに入り込めばあの四尺に届くかという野太刀が振り下ろされるだろう。だが如何な神速の太刀と言えど、予測していれば回避も防御も可能な筈。

 覚悟を決めて長慶は膝を抜き、雲耀とやらには及ばないだろうが相手の意表を突く速さで兼末の間合いに飛び込む。

 対応して兼末の野太刀が振り下ろされる。極度に集中した長慶にはその神速の一撃はゆっくりと長慶を袈裟懸けに切り捨てようとするのが感じ取れた。充分な余裕をもって長慶は兼末の一撃に刃を合わせ…


「兼末、どうじゃ?」

「見事なもんでごわす。おいの一撃をほぼ防いでみせよりもした」

「その割には目を回しておるようじゃが」

「目方がやや軽いようです。おいの剣勢までも防ぐことはできんかったようでごわすが、少なくとも剣の技ならばおいのように人に伝えられんよりはよほど上じゃと」

「ふむ。お主がそこまで褒めるとはの」

「それでは殿様。おいはここで失礼いたす」


 長慶が目を覚ました時、彼は白洲の上で大の字になっていた。大事な愛刀はどこかに跳ね飛ばされたようだ。その長慶を興味深げに藩主殿が見下ろしていた。

「ご無礼をいたしました!」

「良い良い、見事な立ち合いを見せて貰った」

「自分の未熟を痛感いたしました。残念ながらこのたびの仕官願い…」

「お主を延岡藩の剣術指南役として迎える事にした」

「は?しかし儂は見事に敗退して…」

「だが兼末の雲耀にお主は見事に伍してみせた。兼末はお主の技を甚く褒めておったぞ」

「は…それは…」

「はっきり言っての。兼末は一種の天才じゃ。その剣腕はこの藩随一じゃが、真似できるものがおらん。儂の護衛ならともかく剣術指南役は到底務まらん。お主は逆じゃと兼末は申しておった」

 はっきり言って屈辱だった。自分が一流どころの剣士には到底その才で及ばない事は、師匠を見て良く知っていたとはいえ、凡人だからこそその剣の技術に価値が有るとは皮肉極まりない言い様ではないか。

 おそらくこの話、こちらから蹴っ飛ばしても藩主は気にしないだろう。だが長慶は謹んで剣術指南役を受ける事にした。この藩にいれば、あの麒麟児と何度でも立ち会う機会が得られるだろう。長恵以来の天才をいつか打ち倒すため、長慶は屈辱を飲んで延岡藩の禄を食み、研鑽を積むことを決めた。

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凡人の意地、岩をも徹す 嶺月 @reigetsu_nobel

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