最終話
二十年後――。
「こうして巫女は、守り人と仲良く暮らしましたとさ、めでたしめでたし」
光留はそういって、絵本を閉じた。
「ねえ、パパ、巫女さまはどうして泣いてたの?」
絵本の最期のページの挿絵は、主人公の巫女が恋人と再会して涙を流すというモノだった。
光留の右膝に乗っている娘の頭を撫でる。
「嬉しかったから、だよ」
「嬉しいと泣いちゃうの?」
左膝に座っている息子はこてりと首を傾げる。繊細な感情の機微はまだ難しいのだろう。
五歳になる双子の兄妹は光留にあまり似ていないが、光留の愛する人との間に生まれた子供だ。
「
今年十歳になる長男の
「はーい」「はぁい」
トコトコと駆けていく様子を光留はやれやれと見送る。
元気いっぱいの双子の面倒は長男が見てくれているから問題はない。
心配なのは彼らの母の方だ。
キッチンで子供たちのおやつの準備をしているだろう妻は今、妊娠七カ月目。今年中に四人目の子供が生まれることになる。
「花南、手伝うよ」
「ありがとう、あなた」
光留が大学時代に出逢い、付き合っていた女性と結婚したのはもう十数年前の話だ。
唯や蝶子のように目を見張るような美人ではないけれど、花のように笑う可愛らしい女性で、光留の癒しだ。
「そうだ! 今日、蝶子ちゃん来るんでしょ?」
「あー、そんなこと言ってたな」
「おやついろいろ作っちゃったけど、まだ足りないかしら?」
テーブルの前には子供たち用のホットケーキやクッキー、マフィンやマドレーヌ、ゼリーにプリンにと様々なお菓子が並んでいる。
「菓子屋が出来そうだな」
むしろ十分すぎるほどだと光留は思うが、花南にはまだ足りないらしい。
「まぁ、全部食うわけじゃないから、残りは土産として持たせてもいいかもな」
「そうね、そうしましょう!」
明るく笑う妻が可愛くて、思わずキスすると、顔を真っ赤にする。
(こういうところも可愛いんだよなぁ)
父、勇希が朱鷺子を溺愛する気持ちがわかる様になったのは結婚してからだ。槻夜の家系はどうしてか妻を溺愛する傾向が強いらしい。きっと月夜の影響だろう。
否、月夜の直系と言える血筋は絶えているが、そもそもそういう家なのかもしれない。
なんて考えていると、ピンポーンと玄関からインターホンが鳴る音が響いた。
「あら、噂をすれば、かしら」
「だな。花南は先に居間に行ってて。後は俺がやっとくよ」
「いいの?」
「花南に何かあったら、俺が困る」
花南はきょとんとしたあと、ぷっと吹き出す。
「ふふ、光留君は本当に心配性ね。大丈夫よ、もう二度とあなたにあんな思いをさせないから」
花南が光留の手を取り、頬にキスをする。
「うん」
光留は、花南の額にキスを返すと名残り惜しげに手を離した。それから玄関に向かえば、妖艶な美女が立っていた。
「やっと出てきた! んもう、ただでさえ暑いのに!」
「久しぶりだな、蝶子」
「光留もね。奥さん可愛いのはわかるけど、ほどほどにしなさいよ」
「羨ましいのか?」
「べっつにー? わたしは芸に生きるって決めてるから、ちっとも羨ましくないわよ」
蝶子が三和土でブーツを脱ぎながら話していると、奥からトタトタと二つの軽い足音が聞こえた。
「あー! 蝶ちゃんだー!」
「蝶々ちゃん!」
「月兎と、花織も久しぶり。大きくなったわね」
双子の頭を撫でると二人は左右から蝶子を引っ張る。
「今日のおやつはホットケーキなんだよ!」
「クッキーも、マフィンも、蝶々ちゃんの好きなゼリーもあるよ!」
「あら、そうなの? 楽しみね」
四人で居間に入ると花南がお茶を淹れていた。
「いらっしゃい、蝶子ちゃん」
「久しぶり、花南! あなた座ってなくて大丈夫?」
「ふふっ、これくらいなら大丈夫よ。光留君も光汰も過保護なのよ」
居間から双子のホットケーキを運んできた光汰が眉を潜める。
「母さんがおっちょこちょいだからだろ。お茶も俺がやるって言ったのに」
言いながら双子の前にホットケーキの乗った皿を置く。
「くまさん!」
「くまさんのホットケーキ!」
目を輝かせながらフォークを握る二人を、周りは微笑ましく見守る。
「光汰も先に食べてろ」
「うん、そうする」
賑やかなお茶の時間に、光留と蝶子は縁側に出る。
「賑やかになったわね」
「まあな」
「花南、妊娠七ヶ月だっけ? なら今年中って感じかしら」
「ああ。今のとこ順調って医者も言ってるしな」
「確かに、魂の様子を見ても丈夫な子が生まれそう。良かったわね」
「ああ」
長男の光汰が生まれた時、花南は初産ということもあり、慌てふためいたのは光留の方だった。
知識として知ってはいても、陣痛の痛みすら代わってやれない自分が歯がゆくて情けなくて、蝶子に散々怒られたのも今ではいい思い出だ。
「蝶子は次がラスト公演だっけ?」
「ラストって言ってもタレントに転向するだけ。ありがたいことに、女優の仕事も今のところ三年先まで埋まっているわ」
蝶子は高校卒業後に、某歌劇団養成所に進学し、今では女役トップスターだ。光留の妻である花南もファンで、蝶子の出演する公演は欠かさず観に行っている。
「そりゃ良かった。花南が秋の連ドラ楽しみにしてるしな」
「あら、嬉しいわ」
互いに近況報告を終えると、二人は縁側から降りる。
「花南、ちょっと林に行ってくる。光汰、チビたちをよろしくな」
「気を付けてね」
「蝶々ちゃん行っちゃうの?」
「すぐに戻ってくるわ」
行ってらっしゃいと手を振る妻と子どもたちに手を振り返すと、光留と蝶子は林の中にある月夜の墓へと向かう。
「この祠も随分馴染んだわね」
唯が石を積んだだけの簡素な墓を、光留が宮司になってから祠として祀った。
「俺の代で終わりだけどな」
「引き継がないの?」
「意味がないのは知ってるだろ。それに、二人にとっても見たくないだろうしな」
「……それもそうね」
この祠は本当に形だけのものだ。
月夜の頭部があるという話だったが、長い年月とともに土に還っていて、今はもう何も残っていない。
唯も、蝶子に殺された後、身体は風化し、何も残らなかった。
それでも何かを残しておきたくて、空のままではあるが祠という形にした。しかし、神社の数に対して神職は少なく、後継問題もあったり、凰鳴神社の歴史を紐解いても二人は罪人として扱われていることから恐らく光留が宮司を退けば誰も面倒見なくなる。
二人は祠に向って手を合わせ、簡単に手入れすると林を出た。
「あら、境内に誰かいるみたい」
「お参りに来るのは別に珍しいもんじゃ……、あ」
光留が境内の方を見ると、若いカップルが賽銭箱の前で手を合わせていた。
男の方は背が高く、日本では珍しい銀髪に眼鏡をかけている。女の方は黒い長い髪が艶やかで、目を引くほどの美人だと遠目にもわかる。
二人がそろって顔を上げる。光留達の視線に気づいたのか、男のアイスブルーの瞳とかち合うと、眉を顰められた。
一方、女の方はまだ少女と呼べるほど顔立ちが幼く見えるが、黒い瞳は蝶子と目が合うなり輝く。
「月夜と
「うるさい。そうだと言えば放っておいてくれるのか?」
「そうしたいのはやまやまだけど……」
ちらりと花月と呼んだ少女の方を見る。
「あ、あの!
「ええ、そうよ」
「きゃああああっ! わたしファンなんです! 間近で見ると写真やテレビより美人ですね!!」
「ありがとう」
しかし、ふと蝶子は目を見開く。
「あなた、は……」
「あ、わたし、
蝶子はふと月夜と光留が呼んでいた男を見る。花月よりいくつか年上だろう青年は、よくよく見れば魂に見覚えがある。
「えっと、そちらは……?」
蝶子が恐る恐る尋ねる。
月夜は肩を竦める。
「
月夜は蝶子を見てほんのわずかに目元を緩める。
「月夜さん、お知り合いなんですか?」
花月が首を傾げる。
「有名人の顔くらい俺も知っている。花月が好きな女優なら尚更な」
花月はきょとんとした後、嬉しそうに笑う。
「ねえ、光留。もしかして……」
蝶子に耳打ちされ、光留は苦笑する。
「あぁ、まぁ気付くよな。そうだよ。あの二人の生まれ変わりだ」
「あ、そう……」
あっさり種明かしされ、蝶子は顔を引き攣らせる。
「二人とも、暑いだろうしとりあえず中入れよ。どうせ式の下見も兼ねてんだろ。嫁さんが菓子たくさん作ってて、どうやって消費しようと思ってたから、食べてくれると助かる」
「いいんですか?」
花月が菓子と聞いて笑みを浮かべる。月夜は若干嫌そうだが、花月がそわそわしているので何も言わない。
「子供たちも喜ぶからな」
そういって、光留は三人を伴って神社の敷地内にある自宅へと戻る。
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま」
「あら、お客様?」
月夜と花月を見て、花南がニコニコと招き入れる。
「お、お邪魔します……」
緊張気味の花月に寄り添う月夜に、きっとあの頃もこんな感じだったのだろうな、となんだか微笑ましくなる。
「もう、ほんとびっくりした! なんで言ってくれなかったのよ!」
居間に入るなり、光留は蝶子に詰め寄られる。
「あぁ、うん。言おうと思ったけど、お前なかなか捕まらないからな」
光留が知った当時、まだ蝶子も女優のたまごとして日々忙しくしていた。今でこそスケジュールの調整が出来るようになったが、あの頃は朝も昼も夜も関係なく駆け回っていたため、光留としてもずっというタイミングが無かった。
「で、いつ知ったの?」
「うーん、十五年前、だったかな……?」
「はぁ? 何それ、だいぶ昔じゃない!」
光留が月夜と花月に出逢ったのは、まだ大学で神道過程を履修していた頃だ。バイトで凰鳴神社の手伝いをしていた。ちょうど七五三の時期だったと思う。
「髪の色の珍しい子供だなぁ、って最初は見てたんだけどさ、花月は千歳飴落して泣いてて、月夜が花月を宥めてたんだけど、俺が代わりの飴持ってったら、めちゃくちゃ睨まれたんだよ」
懐かしいなぁ、と光留は笑う。
「で、よくよく見たら月夜の魂に似てたから、もしかしてと思って見たら、まぁ、案の定って感じだった」
「七五三で二人でって……え、まさか今生も兄妹……?」
蝶子は顔を蒼褪めさせるが、月夜がすかさず否定する。
「違う。いっときは兄妹だったが、血は一滴も繋がってない」
「どういうこと?」
「連れ子同士の再婚、で、また離婚したんだと」
光留の方を見れば、簡潔に返ってくる経緯に納得する。
「あ、なるほど」
「ちなみに、花月に記憶は全くない。間違っても伝えるなよ」
月夜に釘を刺され、蝶子はほんの少し寂し気な目をする。
「そうね。前世なんて知らないほうがいいわ」
辛い記憶なら尚更だろう。
「でも、あなたはあるのね。眼鏡は……もしかして」
「記憶は恐らく強すぎた霊力の名残だろうな。今は霊感程度のものしかないが。目は、無理に権能を使った弊害の可能性が高い。医者にも原因がわからず、そのうち失明すると言われている」
淡々と答える月夜に、ほんの少し心配になる。
「あの子は知ってるの?」
「知っている。それでも、一緒にいてくれる、と」
月夜は花月を見て小さく微笑む。
「来年二人はここで式挙げるんだよ。で、先月くらいからちょくちょく来て下見してる」
光留が補足すれば蝶子はまた驚く。
「そうなの? ていうか、え、実際いくつなわけ?」
「俺は二十歳だが、花月は十七だ」
「学生婚……」
「起業してるから問題ない」
自慢気な月夜に、蝶子は若干腹立たしくなる。
「揚羽は結婚しないのか?」
月夜の問いに蝶子は睨みつける。
「セクハラで訴えるわよ」
「振られたか」
「違います―。わたしはわたしのやりたいことをやるの。来世は記憶なんてないし、今だから出来ることをしたいのよ」
月夜はほんの少し視線を逸らす。
「そうか」
今さら父親面する気もないが、彼女は記憶のある月夜にとって、可愛い娘であることに変わりはない。
彼女は月夜の死後に生まれ、両親を知らずに育った。その負い目がないと言えば嘘になる。
だから、彼女がやりたいことがあるならそれを貫けばいいし、結婚するなら相手の男を見極めてやろうと思ったまでだ。
「それに、わたしは今が幸せなの。憧れてたトップスターにもなれたし、女優としても順調にスタート切れたし、来年は映画の主演も決まったし、忙しすぎて男作る暇なんてないの。わたしは、いまのままで十分よ」
蝶子が満足そうに言うと、花月が月夜の横から身を乗り出す。
「揚羽さん、来年の映画の主演やるんですか!? 絶対見に行きます!」
「ほんと? 絶対見てね、試写会のチケット贈るから、連絡先交換しましょ!」
「ええー! いいんですかー!?」
「いいのいいの。あなたになら何枚でも送っちゃう!」
蝶子と花月がキャッキャするのを見ながら、光留は苦笑する。
「蝶子は相変わらず母親が好きだな」
「俺は父親だったんだが?」
「それは、仕方ないだろ。お前死んでたし」
「……」
月夜が黙り込む。少し虐めすぎただろうか、と光留がほんの少し反省すると、「パパ―」と双子が先ほど読んでもらっていた絵本を持って光留に寄ってくる。
「はいはい、どうした?」
「巫女さまとそっくりー」「そっくりー」
二人は花月を見て絵本を指さす。
「絵本?」
「あぁ、うん」
今度は光留が黙り込む番だった。
「これねー、パパが書いたんだって!」「巫女さまのおはなしー!」
双子は月夜に絵本を差し出す。
「…………へぇ」
双子から絵本を受け取った月夜は、パラパラとページを捲り流し読む。読み終えた月夜は懐かしそうに目を細め、光留を見る。
「なんだよ」
「これ、“俺達の物語”だな。脚色はされているが」
光留は、はぁ……とため息をつく。
「そうだよ。別に悪く書いたつもりはないけど?」
「確かに、多少事実とは異なるが、美化しすぎているわけでもない」
「そりゃ近親相姦なんて、そのまま書いたらいろんな規制に引っかかるからな。物語のフィクションとして受け取ってもらえないと困るし」
「だとしても、形にしておきたいなど普通は思わない。俺は、お前の身体を乗っ取ることも出来たんだぞ」
月夜は呆れたようにいうが、光留は「いいんだよ」と笑う。
「お前、まさか俺の花にまだ……」
「んなわけねえだろ、俺には花南がいるんだ。鳳凰のことはとっくに吹っ切れてる」
花南を好きだと気づいた時にはもう、唯のことは過去のものとして受け入れている。
「パパはママ大好きだもんねー」「ねー」
双子に言われ、光留は「そうだよ」と答える。
月夜はもうそれ以上は言わないことにした。光留の思いは確かに花南や子どもたちに向いている。それが少し羨ましい。
「さて、お前たちはそろそろ昼寝の時間だな」
光留が双子の頭を撫でながら言うと、光汰がスッと立ち上がる。
「俺、寝かしつけてくる」
「うん、頼んだ」
女性陣に囲まれ、ずっと居心地悪かったのだろう。
これ幸いと抜け出す口実を手に入れた光汰は、双子の手を引く。
「えー、僕、まだ蝶ちゃんと遊びたいー」
「かおちゃんも、ママと蝶々ちゃんとかじゅちゃんと遊ぶのよー」
「だぁめ。夜は花火見に行くんだろ。お昼寝しないと花火見れなくなるぞ」
「花火!」「やだ、かおちゃん花火見る!」
「じゃ、兄ちゃんと一緒にお昼寝しような」
「はぁい」「はーい」
光汰に手を引かれ、双子は奥の部屋へと引っ込む。
「しっかりした長男だな」
「まあな。お陰で助かるけど、ちょっと寂しいよ」
「小さい頃のお前に似てる」
フッと月夜が思い出したように笑う。
「そうか?」
「生意気そうなところとか、無愛想なところとか。あぁ、自転車で水路に突っ込んだこともあったな」
「え、ちょ、なんでそれ知ってんだよ。小学生の頃の話だろ、それ。俺、裕也にも言ったことないんだけど」
「さて、どうしてだろうな」
意味深な月夜の顔に、光留はサーっと顔が青褪める。
「お前、まさかずっと意識が……」
生まれた時から月夜の意識があったのだとすれば、魂が分離するまでの間、ずっと見ていたことになる。黒歴史も含めて。
くつくつと笑う月夜は答える気はないようだ。
意地が悪いと光留は本気で頭を抱える。
「マジで勘弁してくれよ……」
「これに懲りたら俺を揶揄おうとするなよ」
一応光留も月夜の魂の生まれ変わりのはずなのだが、元は同じ魂なのになぜこうも差が出るのか解せない、と複雑な気持ちになる。
「あ! そうそう、すっかり忘れてたけど、はいこれ。花南の分。花月ちゃんにもあげるわね」
「え、これ、揚羽さんのラスト公演のチケット、ですか?」
「そうよ。良かったら観に来てね」
「う、嬉しいです! わたし、チケットの抽選外れて、すごく悔しくて……絶対観に行きます!」
「そうしてくれると嬉しいわ」
「ありがとう、蝶子ちゃん、わたしも絶対に観行くわね」
女性陣が喜んでいる横で光留が首を傾げる。
「ていうか、わざわざ花南の分は用意しなくてもいいんじゃないか?」
「そりゃあんたの原作者権限で家族全員分席はとれるだろうけど、気持ちの問題よ、気持ちの! わたしは、花南と花月ちゃんに観てほしいの!」
「あ、そう。まぁいいけどさ」
「良かったな、花月」
「はい! 月夜さんの分もありますよ」
花月から手渡されたチケットを月夜も受け取る。
「”古の巫女の物語”……さっきの絵本か」
「あれは幼児向け。チビ達用に再編したやつだけど、こっちが原作」
光留は花月と月夜に一冊の本を手渡す。
「そうなのよねえ、で、何故かうちの脚本家と演出家がこの本いたく気に入っちゃって、舞台化ってわけ」
「俺も特にメディア化狙ってたわけじゃないんだけどな」
「でもすごいわ。光留君にこんな才能があったなんて」
花南が小さく拍手する。
「たまたまだよ。俺は作家になりたかったわけじゃないし、今のままで十分だよ」
「ふふ、そうね。光留君が有名になって、今よりも女性参拝客が増えたらわたし、実家に帰りますから」
「頼むからやめてくれ。花南に出ていかれたら生きてけない」
「大袈裟ねえ」
ころころと笑う花南を光留はぎゅっと抱き締める。
「はいはい、ごちそうさま」
蝶子と月夜は呆れた目を向け、花月は頬を赤らめていた。
「でも、わたしが母様の役やるなんて思ってもみなかったわ」
ポツリと呟く蝶子の言葉を拾った月夜が、くすりと笑う。
「ほう、揚羽が凰花か。適役だと思うけどな」
「そりゃあなたにとってはそうでしょうよ。見た目も母様そっくりって言われてたくらいだし……」
「嫌なのか?」
「嫌っていうわけじゃないけど、複雑ではあるわね」
何度も転生しているとはいえ、揚羽にとって凰花は母親だ。大好きな母の役をやることになり嬉しくないわけではないが、娘としてはこの物語の結末は世間的にも賛否両論ということもあり、どう受け止めるべきか悩みどころだ。
「もう母様に聞くことも出来ないんだし」
「……俺から見た彼女を語ることは出来るが、巫女姫としての彼女が知りたいわけじゃないんだろう?」
「そうよ。あなたから見た母様って、なんか美化されてそうだし、ありのままの母様を演じたいのよ」
「彼女も、揚羽くらい気が強ければよかったのだろうな」
月夜は懐かしそうに目を細める。
「子供の頃の彼女はとにかく泣き虫で、転んでは泣いて、雷が鳴っては泣いて、しまいにはお化けが出ると泣いていたこともあったな」
「うそ。巫女姫でしょ? 幽霊やお化けなんて日常茶飯事じゃない」
唐突に月夜から聞かされた、凰花の幼い頃の話に蝶子は驚く。
「甘える口実が欲しかったのもあるだろうな。そういう意味では揚羽と正反対かもしれない。泣き虫ではあったがお転婆で、庭を駆け回ったり、炎に手を突っ込もうとしたり、泥だらけになっていたりと、本当に目の離せない娘だった……」
「それ、本当に母様?」
月夜の話は、揚羽の知らない話ばかりだ。揚羽が凰花に出会ったとき、彼女は落ち着いた物腰柔らかな女性という印象が強すぎて、想像が出来ない。
「本当だ。彼女と最期にした鬼ごっこを覚えているか?」
「ええ。母様、逃げ足早いなっていつも思ってたけど」
「あぁ、彼女と鬼ごっこをすると、俺も追いかけるのに苦労した」
月夜の話を聞いて、何となく彼の苦労が目に浮かんだ。
「で、でもあなたが過保護にしたのも悪いんじゃない?」
「否定はしない。周りから心配されるほど溺愛していたのは確かだしな」
当時、月夜も散々言われた。巫女姫を甘やかすな、可愛がりすぎるな、と。何度言われてもやめなかったのは、やっぱり彼女を愛しすぎていたからだ。
「だから、周りが思うほど彼女は強くない。光留が見誤るくらい虚勢を張るのが上手かっただけだ」
ほんのわずかな苦みを持った月夜の言葉に、蝶子も母と会話した時の姿を思い出す。
「少しは参考になったか?」
「ええ、おかげさまで」
「公演、楽しみにしている」
柔らかな表情をする月夜を見て、蝶子は何とも言えない気持ちになる。
父親だとは一度も思ったことはないけれど、彼はやっぱり揚羽の父親でいたいのだろう。
「月夜さん、誰のお話ですか?」
花月が月夜の横で、少しだけ怒ったような表情をする。
「花月の小さい頃の話だよ」
「え、嫌です! そんな昔の恥ずかしい話、揚羽さんに教えないでください!」
「あら、可愛らしいと思ったけど?」
「え……」
「花月は今も可愛いけどな」
今度は恥ずかしさで顔を真っ赤にする花月。
「もう、揶揄わないでください!」
「本当の事だよ。俺の花月は世界一可愛い」
「つ、月夜さん!」
花月を抱き寄せ、月夜が額にキスを贈ると、ますます顔を赤くして俯く。
初々しさが微笑ましい。
そうして、賑やかな時間が過ぎていく。
過去の悲劇は、未来の幸福のために。
長い、長い彼女の旅は終わり、今こうして新たな幸せを掴んでいる。
――君に出逢えて、君に恋して良かった。
光留は心の中でこっそりと彼女を想った。
そして、最愛の妻に向って微笑む。
「花南、愛してる」
「ええ、わたしも」
古の巫女の物語 葛葉 @obsidian0119
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