5話


 蝶子の刀が目の前に迫り、唯は目を閉じた。

(――あぁ、やっと、やっと終われる)

 冷たい刃が首筋に触れる。痛みはない、苦しくもない。ただ静かに闇に意識が引きずり込まれる。

 けれど、落ちる寸前に、誰かに手を引かれた。


「やっと捕まえた! 俺の可愛い巫女姫。俺の、愛しい月花!」


 突然聞こえてきた声に、唯ははっとする。

「月夜、様……?」

 信じられない。だって彼は、すでに生まれ変わっているから、本来であれば唯の魂を追ってこられないはずだ。

 けれど、顔も声も唯を引き戻した力強さも、何もかもが、彼が生きていた頃と何一つ変わらない。

「あぁ。すまない、ずっと独りにして、辛かったな」

 抱き締められる温かな腕の中で、唯――月花は涙を零した。

 胸がいっぱいで、言葉が出ない。

「月夜様……私は、私はっ……」

「うん、今までよく耐えたな。大丈夫、これからはずっと一緒だ。さぁ、共に逝こう。今こそお前に名を贈れる」

 どういう意味だろうと首を傾げる。

「名前……?」

 月夜は、唯の頬に手を添えて顔を上げさせる。

「約束しただろう? お前に名前が貰えなかったら、俺が贈ってやると」

 まだ兄妹だった頃の、幼い約束。

 ずっと覚えていて、大切にしてくれていた。月夜だけの存在になれるのが、とても嬉しい。

「はい。覚えています」

「”月花”、俺の花。お前は、永遠に俺だけの花だ。嫌か?」

 月花は首を横に振る。

「いいえ、嬉しいです。やっと、あなただけのものになれた。どうか、もう二度と放さないでください」

「あぁ、もちろんだ。愛してる、月花」

 唇が触れあう。甘くて優しい口づけだ。二人で溶け合うように、幸せな笑みを浮かべて、消えた――。




 唯の首がごとりと落ちた。

 覚悟していたとはいえ、光留にとっては衝撃の絵面だ。

 恋した少女の首が転がる。その表情はどこか安堵しているようで、それがいっそう切ない。

 だけど、光留が、月夜がやるべきことはここからだ。

「月夜、今だ!」

「わかっている!」

 月夜があらかじめ準備していた術を光留の中で展開させる。

 月夜が離れる瞬間は、身体中に激痛が走った。

 光留が守り人になったことで魂を覆っていた壁がなくなり、魂の癒着が始まっていた。それをかつて神だった月夜の権能で半ば強引に分離させるのだから、多少なりとも身体に負荷がかかる。

 更に、蝶子が唯を殺した反動も光留が依り代になることで受けている。

 気絶してもおかしくないくらいの痛みが、光留を襲っていた。

「ぐっ、あああっ……!!」

「光留! 待ってて、すぐに修復を。思ったより破損してないのが救いね」

 蹲る光留に駆け寄り、蝶子が祝詞を唱える。痛みは徐々に和らいでいるが、時間はかかるだろう。

 本来魂の分離は人間の霊力で出来るものではないが、月夜の前世は神だった。名もない力の弱い神だったというが、人間に比べれば数倍強力だ。その権能を使えば、容易ではないが切り離すのは可能だった。

 すべては彼女を救うための手段であり、布石だ。舞台が整えば、後は月夜に任せるしかない。

 光留は僅かに胸の痛みを覚えながら、ぼんやりと自分の中から出て行った月夜の魂を視線で追う。

 光留から離れた月夜は、唯に駆け寄る。

 彼女の身体は本来の人間の寿命をとっくに超えている。首から下は徐々に光の粒子となって溶け始めている。急がなければ肉体ごと魂が消滅する。

 彼女の首を抱き締め、自分と唯――月花を繋ぐ巫女と守り人の繋がりを辿る。

「待っていろ、すぐに迎えに行く」

 唯の――月花の冷たい唇に口づけし、月夜は月花の意識へ入り込む。

 そこで二人がどんな会話をしたのか、光留と蝶子にはわからない。だけど、月花の首が溶ける直前、月花を抱いた月夜が姿を現す。


 ――槻夜君、揚羽。ありがとう。


 一言、それだけ言うと二人は幸せそうな笑みを浮かべて闇に溶けて消えた。

 残ったのは光留と蝶子、そして落神の白狐だけだ。

「逝ったな」

「そうね」

「なんか、あっけなかったな」

「何それ、まるで母様が悪役みたいじゃない」

「そういう意味じゃないって」

「わかってるわ。でも、やっぱりちょっと痛いわね」

 蝶子が胸を抑える。前世のとはいえ、自分の母を殺したのだ。生前は関わることはなくとも、母娘の情はあり、辛くなるのも無理はない。

 光留も痛みは引いたが何だかとても眠かった。

「光留? ……寝てていいわ。仕方ないから、父様に送ってもらうようお願いしてあげる。あなたはゆっくり休みなさい」

 蝶子が光留の頭を優しく撫でる。

 蝶子の優しさが余計に苦しくて、切なくて、涙が溢れてくる。だけど眠気に勝てず、光留は意識を手放した。




 あれから一週間が経過し、蝶子は光留の家を訪ねていた。

「身体は大丈夫そうね。魂の回復も順調だし、後遺症もなさそう」

「ああ、蝶子がすぐに癒してくれたからな。助かった。ありがとう」

「どういたしまして」

 月夜と分離した影響で、数日寝込んだが今では日常生活は問題なく送れている。

「なんていうか、あっという間だった気がするわ」

「そうだな。俺も、あんまり実感ないし」

「母様達、今頃転生の輪に入ったかしら?」

「どうだろうな。でも、月夜が一緒なんだ。あいつがなんとかするだろ」

「そうね。……きっと二人でいちゃいちゃしてるのよね」

 悪いことではないのだが、大好きな母親を取られて釈然としない。殺したのは蝶子だが、それはそれだ。

「俺も月夜に脅されなくなったし、なんかちょっとスッキリしたな」

「なんだかんだ言って、仲良かったものね」

「別に仲良くはねえよ。単純に利害が一致しただけだし」

 それでも、月夜が唯に関する情報を与え続けてくれたのは、彼なりの嫌がらせと優しさもあったのだろう。

 実の兄妹だからこそ、芽生えた絆と愛情と葛藤と、様々な感情が二人を強く結びつけた。

「母様の魂は月夜に縛り付けられちゃってるし、私が切ったときに鳳凰神との縁も切っちゃったし。月夜は無茶な権能使って魂が欠けた状態だし、心配だわ母様が」

「二人が生まれ変わったらまた兄妹か?」

「どうかしら? 近くに生まれる可能性は高いだろうけど、絶対とは言わないわ」

「そっか。今度こそ幸せになれるといいな」

「そうね。わたしも来世はもう記憶は引き継がれないだろうし、巫女姫業も今回で廃業ね」

 光留は首を傾げる。蝶子は巫女姫という役割に誇りを持っていると思っていたからだ。

「凰鳴神社で巫女にならないのか?」

「嫌よ。わたし、やりたいことがあるの。巫女姫のままでも出来るかもしれないけど、出来るところまでやりたいの。中途半端にはしたくないわ」

 そういって蝶子は光留に一枚のチケットを渡す。

「はいこれ。学園祭のチケットあげる」

「え、英華の学祭のチケットってなかなか手に入らないって聞いたけど……」

「そう。うち結構セキュリティ高くて、外部呼ぶのも大変なの。だから超レアよ。お友達も一人くらいなら誘っても大丈夫だけど、ボディチェックされるから、あまり不埒なこと考えないほうがいいわよ」

 エリート女子校の学祭のチケットというレアなアイテムに、光留はふっと笑う。

(裕也でも誘えば喜ぶんだろうな)

 巫女姫と守り人という関係上、立場や場所が変わっても蝶子との縁を切ることは出来ない。守り人を降りようとも思わない。

 それは、蝶子に恋をしているからではなく、巫女姫の高潔さを誇りを大切にしたいと思うからだ。

「わかった。見に行くよ」

「ええ、ぜひ来て頂戴。わたしも初舞台にあなたが来てくれたら少し心強いわ」

「舞台?」

「そう。わたし、演劇部に所属してるの。うふふ、なんたってヒロイン役よ! 相手は学内でも王子様と呼ばれるくらい人気の高い先輩で、そこらの男子よりもカッコいいんだから!」

 蝶子の自信満々な笑顔が眩しい。

 その時、コンコンと部屋をノックする音が聞こえた。

「光留、入るわよ」

「は?」

 良いとも駄目とも言う前に、お茶とお菓子を乗せた盆を持った朱鷺子が部屋に入ってくる。

「お邪魔してます」

 蝶子がお嬢様らしく朱鷺子に挨拶する。

「いらっしゃい。光留が女の子を部屋に上げるなんて初めてだから心配したけど、まさかこんなに美人さんだなんて……」

 朱鷺子がニコニコと蝶子を見る。

「あなたが光留の巫女姫ね」

 朱鷺子は凰鳴神社で巫女をしているからか、蝶子が巫女姫だとすぐに気付いた。

 それが光留にはなんだか気恥ずかしい。

(別に付き合ってるとかそう言うのじゃないんだけどな……)

 朱鷺子のことだから絶対勘違いしてそうだな、と思いつつも光留は素知らぬ顔をする。

「はい。光留君にはお世話になっています」

「そう。光留は、あなたの助けになってるかしら?」

「そうですね、まだ会って間もないですが、相性は悪くないと思います」

「そう、なら良かった。この子無愛想だし、不器用だし、素直じゃないから、女の子にはちょっとキツく感じるかもって心配してたのよ」

 朱鷺子がため息とともにここぞとばかりに息子にダメ出しをする。

「ふふっ、確かに。でも、ちゃんと男らしいところもありますよ」

「あなたにそう言ってもらえるなら、大丈夫ね」

 朱鷺子は光留を見る。

「ちゃんとあなたの巫女姫を大切にしなさいよ。じゃないと本当に結婚出来なくなるわよ」

「はいはい、わかってる。でも、蝶子と結婚するつもりもないよ」

「そうね、わたしも遠慮するわ」

「あら、そうなの?」

 朱鷺子は少し残念そうな表情をする。

 光留と蝶子は顔を見合わせて、ため息を吐く。

「無いな」

「無いわね」

 二人にとって巫女姫と守り人という関係は、あくまでビジネスパートナーくらいの認識だ。

「顔は好みなんだけどねぇ……。モデルとまでは言わないけど、綺麗な顔立ちだし……」

「言っておくけど、鳳凰曰く俺の顔と声は月夜そっくりだそうだ」

「え、何それ、やだ、ちょっとフクザツ」

「どういう意味だよ」

 蝶子が本気で微妙な顔をするのを見て、光留もイラっとする。

「母様と好みが一緒までは許せるけど、月夜じゃねえ……」

「顔と声だけな。俺はあんなドSじゃねえよ。……お前も、顔は鳳凰そっくりだよな」

「うふふ、よく言われるわ。というか、それならあなたがドMなのかしら?」

「んなわけねえだろ。フツーだよフツー」

 お互い、やっぱりこいつとは恋愛なんて無理だと再認識する。

「あらあら、二人ともほんと仲良しさんねえ」

 朱鷺子はのんびりとそんなことを言う。

 仲が良いかはともかく、蝶子とはずっとこんな感じだろうな、と光留は思う。

「ま、あなたとは長い付き合いになるだろうし、これからもよろしくね、守り人さん」

「あぁ、よろしくな。俺の巫女姫」

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