4話
その日、唯は凰鳴神社の裏の林の中にある月夜の墓を訪れていた。
「兄様は今、何を考えているのかしら」
最後に会ってからまだ一週間程度しか経っていないが、蝶子たちが襲ってくる気配はない。
自分から会いに行こうかとも思ったけれど、光留に会うのが怖かった。
光留は月夜の生まれ変わりだが、声と姿かたちがよく似ているせいか、別人だとわかっていても割り切れない。
そして、蝶子の最初の生である揚羽は、唯――凰花が腹を痛めて産んだ実の娘。彼女が生きている間に顔をあわせることは叶わなかったけれど、ずっと案じていた。
その二人から死を望まれている。
もう長く生きすぎた。生きることはとっくに疲れ果てている。だから死ぬこと自体は怖くない。
愛する者の手にかかるなら、それはそれで本望だと思う。自分の死が、多くの人を救うのなら、巫女姫としてそれに従うことも躊躇いはない。
だけど、最後に欲が出てしまった。
昔とは形が違うけれど、愛する人がいて、娘がいて、ほんの少しでもいいから家族のように過ごしてみたかったという欲が。
ちゃんと、二人の新たな生を祝福してあげたいのに、過去に縋ってしまう。
自分の弱さに呆れていると、不意に落神の気配を感じた。
白面の、蝶子の庇護下にある落神、白狐だ。
「あなたは、揚羽の……」
落神は静かに頷く。
――おいで、俺の可愛い巫女姫。
月夜の甘やかで、優しい声がする。
幻聴だ。彼の力の一部は幻覚を作ることだ。最初に襲われた時と違って今の体調は悪くない。これが唯を惑わすための策略なのはすぐにわかる。
「わざわざ月夜様の幻覚なんて作らなくても、私は逃げないわ」
『ソウカ、ソレハ失礼シタ。我ガ主ガ呼ンデイル』
「そう。あなたが案内役ってことね。よろしくね」
白狐はこくりと頷く。
(母娘、ヨク似テイル……)
容姿もそうだが、魂の色もそうだ。揚羽は自分を父と慕うが、本当の血のつながりはない。
だからこの親子が少しだけ、羨ましいと思った。
「……あなたに、ずっと言っておきたかったことがあるの」
『ナンダ』
「あの子を、揚羽を守ってくれて、ありがとう」
白狐は白面の下で驚きに目を見張る。
「両親がこんなだから、あの子はとても苦労したでしょう? 落神でも優しい神様がいるのは知っているけど、私はあの子のように助けるなんて発想がなかった。きっとあなたが揚羽にとって救いだったのね。だから、私たちの代わりにあの子を見守ってくれて、ありがとう」
『オ前ノ娘ヲ害スルトハ、考エナイノカ?』
「もしそうなら、揚羽はあなたを助けないはずよ。あの子も巫女姫だもの。それくらいの分別はつくわ」
揚羽の生まれ変わりとは、彼女が転生を繰り返す中で何度か出会っている。
会話して、相対しているからか、同じ巫女姫だからなのか、揚羽の多くを知るわけではないけれど、わかることもある。
『母トハソウイウモノナノカ?』
「どうかしら? 私は、あの子に母親らしいことなんてできなかったもの。多分これが最期ね」
白狐に案内され、着いた場所は月夜の墓よりも奥にある禁足地と呼ばれる場所だった。
かつては村の結界を維持するために人を寄り付かせないようにしていたが、今は手入れもされていないため、危険な場所や生物がいるということで誰も寄り付かなくなった場所だ。
「母様っ!」
「揚羽」
蝶子が唯に抱きつく。少し離れたところで光留が二人の様子を見守っていた。
「母様なら、絶対来てくれるって信じてました!」
「そうなの。あれから元気? 体調は、大丈夫なように見えるけど」
「うん、平気よ!」
母娘の再会だ。一見すると微笑ましく見えるが、これが最後の挨拶でもあると、この場の誰もが知っている。
「そう、良かった」
唯は心底安堵していた。魂の状態も、思っていたよりも悪くない。
光留が守り人としての役割をしっかり果たしているからだろう。
(でも、変ね。彼の中に魂が、二つ……?)
本来ならあり得ない現象だ。霊に取り憑かれでもしない限り起こらない現象だが、朱華を祓って以降、光留には巫女姫である揚羽が付いているから、何かに取り憑かれればすぐに対処するはずだ。だから、一つは光留のものだとしてもう一つは……。
(まさか、ね……)
彼の魂を覆っていた壁はすっかり無くなっている。そのせいだろうか。
「ねえ、母様。わたし、ちゃんと守り人見つけたよ。だから、母様が心配することは殆どない。月夜だって、母様を待ってる」
最後の「月夜が待ってる」という意味は分からなかったが、確かに唯が懸念していたことはほぼ解消されている。
守り人がいれば、巫女姫の負担は軽くなる。
「だけど、それでも心配というならわたしの、わたし達の力見せてあげる」
蝶子が手の中に日本刀を出現させ、構える。
これは、揚羽なりの甘えだ。幼い揚羽に何もしてあげられなかった。遊ぶことも教えることも、何も。
これが最期なら、応えるべきだ。
「ええ、あなた達の力を見せて頂戴。そして私を安心させてね」
唯も、手に日本刀を作り出し構える。
巫女姫の戦い方ではないが、不思議と心が凪いでいる。不安も絶望もない。
ただ楽しみだと思う。
「じゃあ、よろしくお願いします」
蝶子が律儀にお辞儀する。そして、踏み込んだ。
ガキンッ! と金属がぶつかり合う。
(重いっ……)
唯は見た目通り十六で時が止まっている。蝶子も同じ十六歳で、体型も似ている。体力的な差は無いはずだが揚羽は随分使い慣れていると感じた。
二合、三合と受け止める。
「随分刀の使い方が上手なのね」
「白狐に教わりました。なんていうか、わたしにはこれが性に合っているみたい」
「そう、みたいねっ!」
揚羽の刀を押し返し、距離を取る。
月夜は弓が得意だったが、凰花は武器の類はからっきしだった。
――私も、兄様みたいにかっこよく武器が使えたらよかったのに……。
――そうだなぁ。俺の可愛い巫女姫は何やっても可愛いけど、弓の才能だけはどこ行ったんだろうな。
――もう、揶揄わないでください!
膨れる凰花をなだめるように頭を撫でてくれた月夜の温かい手が恋しい。
「よそ見してて良いのですか?」
気付けば蝶子が目前に迫っていた。慌てて刀を横に薙ぎ払うと蝶子が飛び退く。
「母様、武器での戦いは苦手だって言ってたのに、ここぞという時に逃げるの上手すぎ」
「あら、ありがとう。きっとあなたとの鬼ごっこが楽しいからね、つい意地悪したくなるの」
「酷いですっ! わたしはいつも真剣なのに!」
今までは彼女の魂を案じるあまり、逃げ惑っていたが母娘の真剣勝負は想像してたものよりも殺伐としないのは、彼女に愛情があるからだ。
今だから、心に少しだけ余裕があるのだろう。
(彼が、揚羽を守ってくれる)
その安心感が、この戦いを楽しさに変える。
「ええ、そうね。あなたはとっても真面目でいい子だわ。だから、私も嬉しくて楽しくなっちゃうの」
もう少しだけ、我が子と遊んでいたい。
(やっぱり、私はダメな母親だわ)
本当なら素直に首を差し出してやるべきなのだろう。
だけど、許されるなら、この楽しい時間をもう少し続けたい。
唯は踵を返して走り出す。
「あ、逃げないで!」
「ふふっ、探してごらんなさい。大丈夫、禁足地からは出ないから。ほら、鬼さんこちら」
あんなに楽しそうな唯を見るのは初めてで、光留は困惑する。
「光留! あんたもぼーっとしてないで、母様追いかけて!」
蝶子に言われ、光留は肩を竦める。
「はいはい、つっても俺、この辺りの土地勘無いんだけど……」
「今のあんたなら母様の魂追えるでしょ!」
「あぁ、そう言うことか。まぁ、出来るけど」
「じゃあ挟み撃ちにしましょう。さすがにニ対一なら母様も逃げられないはずよ」
蝶子もどこか楽しそうで、今二人は全力で親子の時間を楽しんでいるのだろう。心の底から、ようやく。
禁足地と呼ばれていても、巫女は定期的に結界を張り直すためにこの地を訪れていた。当然凰花も揚羽もその役割を忠実にこなしていたから、土地勘が無いわけではない。
(昔よりも手入れされてないのは、ちょっと残念ね)
それだけ巫女も守り人の数も少なくなったのだろう。
科学が発展し、霊力の衰えた現代では致しかたない。きっとこれからももっと減る。
神様の存在は既に遠いものとなり、そのうち巫女も守り人もいらなくなる。少し寂しいような気もするけど、朱華のような少女が増えるくらいなら無いほうがいい。
(確か、あの樹の後ろに祠があったはず)
もう手入れされていないから、朽ちている可能性はあるが、最期を迎えるならそこがいいような気がした。
「蝶子! そっちだ!」
後ろから光留の声がした。
「きゃっ!」
唯の前に、炎の壁が現れる。同族の力だから、巫女姫である唯を傷つけることはない。
けれど、目印としては十分だ。
「槻夜君……」
泣きそうな顔の光留の顔に胸が締め付けられた。
そして――。
「さようなら、母様」
炎の壁を抜けて、蝶子が勢いよく跳躍する。
唯はそっと目を閉じた。
ヒュッと風を切る音の後、唯の首と胴体が、蝶子の刀によって切り離された。
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