不眠症の俺が熟睡するための唯一の方法。

渡貫とゐち

不眠症の学年一位と、人間不信な生徒会長


「――林田はやしだ、次、移動教室だぞ?」

「んあ、ああ……分かった」


 がくん、と体が揺れる。

 気づけば、また落ちてたみたいだ……。


「また寝てたのか。寝不足? ……けどお前、机に突っ伏して寝てることってないよな……?」

「だな……なぜか熟睡できないんだよ。だからほんとに一瞬だけ寝落ちするっていうのを昼間に何度も繰り返してる感じだな……」

「健康に悪そうな生活だな。家でもそうなのか? 熟睡できなくとも、ある程度のまとまった時間は寝てるとかさ。じゃないと死ぬぞ?」

「ないな。家では勉強する時間なんだよ。寝る間もなくな。……大丈夫だ。人間、寝ないくらいじゃ死なないようになってるんだよ」

「いや、死ぬよ。寝ないことで色々なところに不具合が出るんだからさ。今のお前が階段を踏み外せば、そのまま落ちて打ちどころが悪ければ死ぬわけだしさ。ったく、学年一位を維持するのも大変だろうけどさ、気をつけろよ」

「ああ。注意しておくよ」


 心配してくれているクラスメイトの忠告には従っておかないとな。

 移動教室なので、必要な教科書を持ってクラスメイトたちの後ろをついていく。

 大あくびをしながら目的地へ向かっていると、廊下の先に知った顔があった。

 ……先輩がどうして二年のフロアにいるんだ?



「――手伝ってもらって悪いな、桜野さくらの

「ひぅ!? は、はい……わたし、生徒会長なので……これも仕事です」

「……知らない仲じゃないんだから、そう怯えないでほしいものだけどね……桜野が人間不信というのは分かっているが……。相手が女性でもダメなのか?」

「はい……すみません」

「いや、謝る必要はない。……仕方ないことかもしれないが、生徒会は、ひとりで大丈夫か? 優秀な生徒会長というのは分かっているが、さすがに五人分の仕事をひとりでこなすのは大変だろう? 人が苦手でも、仕事を割り振るくらいはした方がいいと思うが……。今はリモートもあるのだしな」

「大丈夫です。わたし、ひとりでできてしまいますので」

「そうか……。桜野がそう言うなら、余計なことはしないが……。じゃあ、これ。生徒会への要望書だ。すまないな、放課後に渡すつもりだったんだが、打ち合わせが入ってしまって、今しかなかったんだ。頼むよ」

「はい、受け取りました。それでは失礼します」


 先輩は封筒を受け取って、そそくさと二年生のフロアを去っていく。

 先輩を見送る中性的な先生(女性だ)が、振り向いた。そこでばちっと目が合ってしまい、なんとなく気まずい雰囲気になる。

 用事がなければ先生とは深い間柄でもないので、軽く会釈をして移動することにした。


「おや、学年一位の秀才、林田くんじゃないか」

「人違いです」

「君みたいな目立つ生徒を間違えるわけ――って、君、すごい隈じゃないか。ちゃんと寝てるのかな?」

「いえ……」


 先生は、今はクラス担任を任されているが、昔は保健室を担当していたらしい。そのため必要な知識は持っている。怪我をしたから絆創膏を貼っておけばいい、以上の対処ができる人だ。


「勉強のし過ぎで不眠症かな?」

「……寝れていないわけじゃないんです。熟睡できなくて……」

「ふむ。それは寝れていないようなものだよ。疲れが取れていなければ寝ても意味がない。……体の疲れは取れるが心は摩耗していくだけだ。あまり推奨はできないが、睡眠薬を使うことも検討してはどうかな?」


 したことはある。けど、家は寝るところではなく勉強するところだ。と、親に言われ続けてきた。じゃあ学校はどんなところなのか、と聞けば、勉強するところだと言われた。おかしな話じゃないか? だが、理に適っているのだ。


 学校は先生の指導を受ける場であり、家は復習と予習をする場だ。一日中勉強しているようなものだが、その向き合い方はまったく違う。向き合い方が違うのであれば、同じ『勉強』という行為でも学校と家では別物であるという考え方。


 おかげで、俺は学年一位を取り続けている。

 ただ、代償に慢性的な睡眠不足を抱えることになってしまっているが。

 だけど昔の人からすれば珍しいことでもないのだ。きっちり七時間の睡眠を取る人はそう多くはなかった。一日三時間とか、長くても五時間とか。夜にまとめて睡眠を取る必要もないわけで。昼間の内に、十五分程度の睡眠を何度も取っておけば、夜中にまとめて睡眠を取るのと同じこと……らしい。


 そうやって育てられてきた。

 体は適応しているはず……なのだけど。


「おすすめの薬を紹介しようか?」

「いえ……大丈夫です。今はちょうど体調が一番悪い時であって、薬に頼らない方法がありますから。ご心配をおかけしました」

「そうか……。困ったら頼ってくれたまえ。そのための教師だ。家庭の問題には介入できないが、君に入れ知恵をすることはできる。たとえ親でも、法律をちらつかせてしまえば手綱を握ることはできるからね」

「意外と喧嘩腰なんですね」

「君みたいな生徒と、その毒親を何度も見てきたからね……おっと、毒親と決めつけてしまったね。違うかもしれないのだから――これは失言だった」


 と言いながら、先生は悪びれる様子もない。


「あまり秀才過ぎても心配になるのだよ。子供はバカでちょうどいい」

「成績が良いから、頭が良いというのも違いますけどね……」

「それが分かっている君は充分に秀才だよ」


 そろそろチャイムが鳴りそうだ。先生に別れを告げて、移動先の教室へ向かう。



 放課後、俺は生徒会を訪ねる。

 ノックをするとそっと扉を開けてくれたのは、桜野先輩だった。


「……いらっしゃい、林田くん」

「すみません、桜野先輩。今日、少しだけいいですか?」


 頭ひとつ分、小さな先輩にお願いすると、先輩はこくんと頷いてくれた。

 左右を見て誰もいないことを確認してから生徒会室の中へ。


 役員はいない。今期の生徒会は、桜野会長、ひとりだけなのだ。

 机の上には書類があった。生徒会の仕事を先輩がひとりで担当している。五人分の仕事量……のはずだけど、先輩の手にかかればあっという間に終わってしまうらしい。

 前期、前々期の生徒会が、仕事が遅かったという噂もあるけど……人が集まれば雑談をしてしまうから手が動かないというのはあるあるだ。ひとりだからこそ、手だけが動いて作業が捗る。だからこそ仕事が早いのかもしれない。


「仕事中でした? 待ちますよ」

「ううん、いいの。明日でもいい仕事だし」

「そうですか」


 桜野先輩は男女問わず、人間不信で有名だ。だから生徒会役員も必要としなかった……というよりは先輩が拒否したのだ。

 名前だけはあるようで、役員は生徒会に顔を出してはいないが、書類上は役員ということになっている。今期の役員はかなり得をしていると言えるだろう。


 そんな人間不信な先輩だけど、なぜか俺とは普通に話せる。理由は分からない。あの日、俺たちの歯車が、奇跡的にハマったからだろう。お互いに心を許せる相手だったのだ。


 先輩は俺に対して怯えることがなく、


 俺は、先輩の隣なら熟睡することができるのだ。


「林田くん、すごい隈……いつから寝てないの?」

「ちゃんと寝たのは……先週、先輩と一緒に……」

「全然寝れていないじゃない。もっと早くきてくれたらよかったのに」


 短い間に何度もお世話になるのは申し訳なかったから……と言おうと思ったけど、先輩を前にして大きな睡魔がやってきた。立っていられないほどに意識が船を漕ぎ、目を瞑ればそのまま眠れてしまいそうな安心感が目の前にある。


「よしよし、ほら、こっちのソファで眠りましょーねー」

「あ、はい……」


 されるがままに連れていかれ、ソファに横になる。気づけば先輩の太ももに頭を乗せていて、目の前には先輩の顔が見えないくらいの、なにかがあって――――


「ぐっすりと眠ってね。時間がきたら起こすから」

「先輩……」

「ん?」


 先輩の手が、俺のまぶたを下ろした。


「せん、ぱい、のにんげん、ふしんも、なんとか、する、んで……俺が、せんぱいの、ちゃんと――――」



「おやすみなさい、林田くん。……ありがと。実はちょっとずつ改善されてるんだよ? 最近だと昔ほど他人が怖いってわけじゃないから。でもね、わたしは今のままがいいと思っているの。この秘密の関係が……特別だから」


 寝息を立てる林田くんの前髪を撫でる。

 あっという間に熟睡した林田くんは、もうなにをしても起きないと思う。

 少なくとも十五分は。

 彼の安心しきった顔を見られるのは、きっとわたしだけなのだ。



 日が暮れてもまだ生徒会室の電気が点いていた。

 桜野が仕事をしているのか? 大丈夫と言いながらも抱え込む性格だから、無理をしているなら止めないといけない。それが教師の役目だ。


「おーい、桜野。そろそろ帰りなさ――」


 生徒会室に入ると、ソファに寝転ぶ学年一位の秀才と、彼に膝枕をして一緒に寝てしまった生徒会長がいた。……ほお。なるほどねえ。

 確かにこれは、睡眠薬よりも効く薬だな。

 桜野も、入学当初よりは人間不信が緩和されていると思えば、心を許せるパートナーを見つけられたらしい。

 この関係を周りに見せないのは、ふたりの性格によるものだろう。こうして私に知られてしまったことは、ふたりにとっては不本意だろうが……気を抜いたふたりが悪い。


 優秀だけど問題児なふたりが、ちゃんと青春をしていることには、教師としては嬉しい以外の感情はなかった。これは背中を押すこともなく進展しそうだ。

 このまま寝かせておいてあげたいが、さすがに時間の問題もある。目覚まし時計を置いて、私は立ち去るべきか? と思ったが、生徒に気を遣う必要もないか。私が起こしてしまおう。

 そして慌てるふたりをニヤニヤしながら見てやるのだ。


「桜野、起きろ。顔に落書きしちゃうぞ?」


 頬を引っ張って起こすと、桜野が虚ろな目で私を見つけ、やがてはっきりと意識が戻ってきたところで、顔を真っ赤にした。

 膝枕。林田。私に見られたこと……ひとつひとつを冷静に噛み砕くように理解した上で、桜野が両手で顔を覆った。


「もう帰宅時間だ。林田を起こしてふたりで帰りなさい」

「……先生、あの、その……」

「いい、分かってるから」


 生徒会役員を部屋にこさせないようにしているのは、イチャイチャしたいからだろう?

 そうからかうと、桜野が立ち上がった。


「ち、違います! 林田くんと会ったのはその後で――」


 同時に、林田がソファから転げ落ちた。


「あっ!? ご、ごめんなさい林田くん!?」

「分かってるからさ、早く帰りなさいよー」

「先生はきっと分かってないです!!」

「かもしれないねえ。まあなんでもいいけど。桜野が信用できるなら、大事にしなよ。心を許せる相手がひとりでもいるなら充分だよ。その子だけは、君は裏切っちゃあ、ダメだ」

「……そんなこと、分かってます!!」


 すると、目を覚ましかけた林田が、桜野の制服を掴む。そこそこ強い力でスカートを引っ張られているようで、桜野が私に助けを求めてくるけれど、


「先生っ」

「私は出ていくから。あとはふたりで仲良くね」

「先生!!」

「生徒会室の鍵は桜野が持ってていいからなー」

「せんせっ――きゃっ、ちょっと林田くん!?」


 後ろから聞こえてくる悲鳴を無視して、私は生徒会室から出る。

 あのふたりのことだから変なことはしないだろうけど……念のため、三十分後くらいにまた見にきた方がいいかもしれないわね。


「……はあ。残業決定ね。でもまあ、面白いからいいけれど」



 その後、しばらくしてから職員室の窓から外を見ると、微妙な距離感のふたりを見た。なにもなかったようで、でもなにかあったからこその距離感にも見える。

 ほんの数ミリでも、距離は縮まったと考えてもいいのかもしれないわね。


 職員室でひとり、指に挟んだ煙草と、吐き出した白い息。

 夜風が私の頬を撫でた。


「――こういう青春を不意に見つけてしまえるのが、教師の特権よね」



 私にはなかったから。

 だから憧れて、見届けたくなるのだ。




 …了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不眠症の俺が熟睡するための唯一の方法。 渡貫とゐち @josho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ