風鈴

旗尾 鉄

風鈴

 エアコンのよく効いた仏間に、読経どきょうの声が流れている。

 閉めきっているせいでボリュームの絞られた蝉しぐれが、ときおりバックコーラスのように住職の声に重なった。鳴きやむときのジジジジジ……という音が、読経の息継ぎのタイミングと妙に上手く噛みあっている。

 今日は、祖母の命日。祖母の七回忌と母の二十七回忌の法要を、自宅で行なっているところだ。年忌の数字は間違いではない。私の母は早くに亡くなり、それ以来、祖母が一人で私を育ててくれたのである。

 春に墓じまいと法要のお願いに菩提寺ぼだいじを訪れたとき、この住職さんは陽気な調子で言った。

「最近は、二十七回忌をされる方は少ないですね。三十三回忌はとむらげといって大きな節目だから、そのときになさっては?」

 気のいい住職さんだ。多くこなせば、そのぶんお布施ふせが入るだろうに。だが私が自分の病のことを話し、六年後は生きていないだろうと伝えると、住職はまん丸い顔から笑みを消して居住まいを正し、よくわかりました、寺まで来るのも大変だろうから、ご自宅でお勤めしましょう、と言ってくれた。

 住職の読経は続いている。還暦を少し過ぎているはずだが、声は年齢以上に若々しい。しかも、なんとなくお経を読むのが上手い。ふし回しというのだろうか、強弱をつけてリズムがいいのだ。

 念入りに勤めてくれているのか、いつもよりお経が長い気がする。しだいに、正座の姿勢を保つのが辛くなってきた。左の脇腹から腰のあたり、私の病の中でもメインの病巣にあたる部位がズキリ、ズキリと物申しはじめたころ、読経の声がやみ、法要は滞りなく終了した。


 住職を見送った私は、すぐにキッチンへと向かった。

 痛みが募る。水を用意する時間が惜しい。ピルケースから白い錠剤を一粒、ごくりと唾で飲みこんだ。飲みこんだあと、冷蔵庫から水のペットボトルを取りだし、後追いで喉に流し込む。薬を飲んだという事実だけでもホッとして、痛みが和らぐ気がするものだ。あとは、しばらく待てば大丈夫。住職さんの茶飲み話が短くて助かった。

 着替えるのもおっくうで、私はワンピースタイプの喪服のまま、リビングのソファに沈みこんだ。三つ、四つ、深呼吸をして息を整えてから、エアコンのスイッチを入れる。リビングは炎熱地獄だ。住職が到着する一時間前から冷やしてあった仏間とは大違いである。


 これで全部終わったなあ。そう思った。

 今年の冬、私は病名告知と余命宣告を受けた。よく聞く病名だが、確実に命を奪う病である。自覚症状が少ないのが特徴だそうで、発見時にはすでにステージ4だった。医師の診立てと、亡き祖母の語った口癖ジンクスが正しければ、私はこの夏、四十の声を聞く前に世を去ることになる。

 取り乱すことはなかった。死にたかったとか、人生を捨てていたとか、そんなことはない。ああ、自分の順番が来たんだな。強がりでも虚勢でもなく、それが偽らざる感情だった。そんなふうに淡々と受け入れられたのは、祖母の影響が大きい。

 三月いっぱいで勤めていた会社を退職し、いわゆる『終活』に入った。独身で子供もいない。私の代で、この菊永きくなが家は絶える。生まれてはじめて弁護士と契約して、死後の家や土地について決めた。墓じまいをして、永代供養墓えいたいくようぼに入ることも決めた。その他もろもろのことを片付けて、最後の仕上げが今日の法要だったのだ。

 エアコンが作動しはじめた。リビングのエアコンは十年選手で、スイッチをオンにしてから動作するまで一、二分かかる。

 冷たい風が吹き出すと同時に、チリン、チリンと軽やかな音が聞こえてきた。エアコンの風が当たる場所に、風鈴を吊るしているのだ。今、吊るしてあるのは、赤い金魚が描かれたガラス製の江戸風鈴である。

 私は目を閉じて、涼しげな音色をしばし楽しむことにした。風鈴の音を聞いていると、自然と祖母を思い出す。

 祖母は、風鈴が大好きだった。






 祖母は、私の人生に最も大きな影響を与えてくれた人である。

 シングルマザーだった私の母は、私が小学生のときに病を得て亡くなった。母の死後、私を引き取り、育ててくれたのが祖母である。以来、祖母と私は、この田舎町で二十年を共に過ごした。

 祖母は実にさっぱりとした性格で、の良い人だった。他人の悪口や陰口は、祖母の口からは一度も聞いたことがなかった。定年まできっちり会社勤めをして、ボブヘアで、ちょっとハイカラで小洒落たところもあって、明るい色の洋服が好みだった。スマホを完璧に使いこなし、ネット通販で買い物をした。そして、私を本当にかわいがってくれた。祖母は私にとって『カッコいいおばあちゃん』であり、こんな大人になりたいと思う最高の見本だったのである。

 老いや病気、死など、あまり触れたくない話題についても、私にきちんと話をするのが祖母の流儀だった。

 祖母には、ちょっとした口癖があった。


「この家の女はねえ、夏に死ぬのよ」


 このフレーズを初めて聞いたのは、私が中学生のころ、母の三回忌の日だったと思う。

 寺で法要を終えて帰宅した夏の午後遅く、縁側に二人並んで座り、アイスを食べながら母の思い出話をしていたとき、ごく自然な会話の流れの中で、祖母はそう言った。私の曾祖母にあたる祖母のおしゅうとめさんも、若くして亡くなった母の姉、つまり生きていれば私の伯母になったはずの人も、夏に死んだのだという。

 オカルトや怪談めいた話ではない。祖母は単純に、この家のこれまでの事実を話していた。語る祖母は、柔らかい笑みを浮かべていた。先に逝った自分の娘たちを、懐かしく思い出しているようだった。祖母にとって夏に死ぬという言葉は、一族の絆、家族の連帯感の象徴だったのだ。

 だが、私は不安にかられた。お母さんに続いて、大好きなおばあちゃんまで死んだらどうしよう。

 私の気持ちを見透かしたように、祖母は続けた。

「大丈夫。ずっと先のことよ。人間はみんないつか死ぬけど、それもそう悪いことじゃあないのよ。順番が来たら、先に亡くなった家族が迎えに来てくれて、一緒に行くんだから。悲しくも寂しくもなんともないよ」

 祖母のこの言葉は、私の胸に素直に染み込んでいった。反発も疑問も感じなかった。あ、そうなんだ、じゃあ大丈夫。いつかの夏になったら、おばあちゃんやお母さんが迎えに来てくれるんだ。そう感じた。

 へんてこな表現だけれど、私と祖母はのだと思う。だから、祖母の死生観を私はなんの違和感もなく受け入れることができたのだろう。


 私に夏と死のイメージを結び付けさせたものが、もうひとつあった。灯篭とうろう流しである。

 私と祖母が住む町には、昔ながらの灯篭流しの風習が残っていた。

 毎年八月十六日、お盆最終日の夕暮れどきになると、町の人々は三々五々、町の中央を流れる中常川なかつねがわへと集まってくる。そうして、あたりが暗くなり、炎の光が映える頃合いを見計らって灯篭舟に火をともし、川へと流すのだ。

 この町へ引っ越してきて初めて灯篭流しを見て以来、私はその幻想的な光景にすっかり魅了された。都会育ちの私の目には田舎の夜はとんでもなく暗く、夜空と川面かわもの境界すらわからないほどだった。そんな黒一色の世界を、炎のゆらめきを透かし見せながらゆっくりと流れていく角灯篭は、まるで宙に浮かんでいるようで、本当に亡くなった人の霊魂が去っていくように感じたものだ。

 この田舎の町の夏には、死者の霊魂を迎え入れ、歓待し、そして見送る、そんなおだやかで優しい空気が確かに流れていたのである。






 張りつめていた気持ちが緩んだのだろう。法事の翌々日、私は体調を崩して起き上がれなくなった。

 迷惑はかけたくなかったが、辛さに耐えきれず、かかりつけの先生に電話をする。定期の往診日でもないのに、先生はすっ飛んできてくれた。

 この先生は三津本みつもと先生といい、わが家のホームドクターである。町で唯一の入院設備がある三津本病院の元院長だ。現在は病院を息子さんに譲って在宅医療に専念しているという、ありがたい先生である。最後まで入院をきらった祖母も、この先生にこの家で看取みとってもらった。

 診察を受け、注射をしてもらってしばらくすると、いくぶん楽になった。

「ありがとうございます。法事の疲れが出たみたいで」

 だが、先生は難しい顔を崩さなかった。

「疲れだけじゃ、なさそうだなあ」

 診察道具を鞄に戻してから、先生は続ける。

「こないだの検査の結果も出たんだけどね。佳水よしみちゃん、入院をお勧めしたいなあ。在宅希望はよくわかってるんだけどね。乃里子のりこさんのときは佳水ちゃんが看てたからできたけど、いま一人暮らしで、夜中に万一ってことになったらと思うとねえ。俺、佳水ちゃんにそういう終わり方させたくないんだよ。体調が安定するまで一時的にでもいいんだ。どうだろうなあ?」

 いずれ、こうなる可能性が高いことは予想していた。実のところ、入院の準備もしてある。祖母と同じようにこの家で最後を迎えたかったが、これ以上、この親切な先生にわがままは言えない。

「わかりました。よろしくお願いします」

「うん、うん。せがれに言って、早めにベッド空けてもらうから。身体が落ち着いたら、また戻ってこような」


 先生が帰ったあと、私は祖母の寝室だった和室へ行き、押入れを開けた。下段から、薄い緑色の整理箱を引っ張り出す。中には、風鈴を収めた箱や袋がぎっしり詰まっている。

 風鈴が好きだった祖母は、旅行のお土産やネットショップで気に入ったものがあったりすると、よく風鈴を買い集めていた。気分次第で取り換えながら自室や縁側に飾り、音色を楽しんでいたものだ。

 カラフルなデザインの風鈴がたくさんあるなか、私は黒い南部鉄器の一品を取りだした。祖母と私、共通して一番のお気に入りがこの風鈴だったのだ。

 ガラス製の風鈴がチリン、チリンと軽やかな可愛い音を立てるのに対して、この鉄製の風鈴は、リイィィンと長く尾を引く澄んだ音を鳴らしてくれる。私たちは、美しくもどこか物悲しくもある、この澄んだ音色が大好きだった。

 亡くなる少し前から、この風鈴は祖母の介護ベッドの脇に吊るされていた。祖母はときどき指で風鈴をはじいては、嬉しげに音に聞き入っていた。

 ある夜、祖母のベッドの隣で布団を敷いて眠っていた私は、風鈴の音で目が覚めた。祖母は眠っていた。風もなく、祖母が鳴らしたものでもない。なのに、この南部鉄器独特の澄んだ音色が、小さなオレンジ色の常夜灯に照らされた室内に、子守歌のように優しく鳴っていた。祖母が穏やかに息を引き取ったのは、それから数日後のことである。

 私は風鈴を手に、祖母の部屋を出た。そうして、入院用のあれこれを詰めたバッグに、この祖母との思い出の風鈴を押し込んだ。






 私は、三津本病院の緩和ケア病棟に入院することになった。

 手続きを済ませてロビーで待っていると、からの車イスを押した若い男性看護師がエレベーターから降りてこちらへ向かってきた。少し緊張しているようだ。

「菊永佳水さんですよね。担当看護師の芝谷しばたにです」

 そう言って頭を下げる。

 童顔だが、背が高くてしっかりした体格をしている。髪は短く刈り、学生時代は体育会系でした、な雰囲気が少し残っている感じだ。二十代後半だろうか。ネームプレートには『芝谷浩介シバタニコウスケ』とある。

「菊永です。よろしくお願いしますね」

 挨拶すると、芝谷看護師はほっとしたように顔をほころばせた。

「はい! ああ、よかったです。女性患者さんには、男性の看護師はやめてほしいと言われる方もいるんですよ。でもいま病棟のほう、女性の患者さんが多くて、女性看護師は手一杯なもので。あ、もちろんトイレや入浴の介助が必要なときは女性看護師が対応しますから。では、こちらへどうぞ」

 緊張の理由は、私が男性看護師に難色を示すかも、という心配だったらしい。感情が顔に出やすいタイプのようだ。看護師としてはちょっとどうかなと思うが、それでも私は好印象を受けた。真面目そうで、悪く言えば単純そうだが、良く言えば裏表のなさそうな人に思える。

 私が車イスに座ると、芝谷さんは車イスを押してエレベーターへと向かう。芝谷さん、はしっくりこないな。口に出すときは芝谷さん、心の中で呼ぶときは芝谷君にしよう。そんなことを考えているうちに、エレベーターの扉が開く。

 こうして、私の入院生活が始まった。






 緩和ケア病棟は、私の想像とだいぶ違っていた。死を待つ人々が最期を迎えるための静かな場所だと思っていたが、そうではない。明るく、アットホームな雰囲気だ。医師、看護師をはじめスタッフはとても親切で、ここまでしてもらっていいのかと恐縮きょうしゅくするほどである。三津本病院の方針なのか、緩和ケア病棟とはみんなこうなのか、そこはわからない。

 病棟は個室が八部屋、満室である。私は手前から二番目、ナースセンターからほど近い部屋だ。初日に、あの風鈴をベッド脇の手の届く場所に吊るした。祖母が一緒にいてくれるようで安心する。


 芝谷君は第一印象にたがわず、真面目に仕事に取り組む好青年だった。かいがいしく私の面倒を見てくれる。病棟看護師の中では一番年下かつ唯一の男性看護師だそうで、と呼ばれて、看護師からも患者からも愛すべきいじられキャラになっているようだ。やっぱり君付けなんだな、そう思って可笑しかった。

 私は働く芝谷君を眺めるのが好きだった。彼の手はほどよく日焼けして、節の大きな男の手だ。不健康に白く、青く静脈が浮く私の手とは大違いである。その手が器用に動いて、丁寧に仕事をこなす。快活に動き回る芝谷君を見ていると、彼の全身からにじみ出てくる元気を分けてもらえるような気がする。

 病は気から、とは本当らしい。あたたかい環境と看護のおかげで、私は小康状態を取り戻すことができた。






 盆も過ぎようとする、八月十六日のことだった。

 夕方、芝谷君が病室にやってきて、唐突に言った。

「菊永さん。私、今日これで上がりなんですけど、よかったらあとで灯篭流し、見に行きませんか?」

「灯篭流し?」

「はい。この前、灯篭流し好きだって仰ってたでしょ。今年は見れなくて残念だって。五分でも十分でもいいんです。行きませんか?」

 確かに数日前、そんな会話をした。三津本病院は中常川の川沿いに建っているのだが、私の病室からは川は見えないのだ。ただの雑談のつもりだったのに、芝谷君は覚えていてくれたらしい。最後の夏、諦めていた灯篭流しを見たい気持ちが急に強くなった。

「でも、勤務時間外に、ご迷惑でしょう?」

「大丈夫です。それに実はもう、師長に許可もらっちゃったんです。じゃあ、夕食後に迎えに来ますね」

 私と約束を取りつけると、芝谷君はずいぶん張りきった様子で、腕のストレッチなどしながらナースセンターへと戻っていった。


 七時ごろ、芝谷君が車イスを押して迎えに来た。

 私は病衣の上に、サマーニットを羽織って待っていた。薄いブルーのカーディガンだ。入院中は病衣を着ると説明されていたので、私服はこれくらいしか持ってきていない。

 寒いわけではない。見に行くという言い方をした以上、芝谷君は病棟の外へ連れていくつもりだろう。五分、十分でもいい、とも言っていたから、ごく近い場所だろうけど。ほんのちょっとしたお出かけではあるけど、私は病衣以外の恰好をしていきたくなったのだ。カーディガンを一枚羽織るだけの、お洒落ともいえないほどの服装だけれど、そうしたかった。それに……付き添いの看護師とはいえ、男性と一緒なのだから。肉体は尽き果てようとしているのに、心にはまだこんなつやめいた気持ちが残っていたことに、私は自分でも少なからず驚いていた。

 体温と血圧を測り、それを付箋にメモしてベッドの手すりに貼りつけた。

「じゃあ、行きましょうか」

 私が乗った車イスを、芝谷君が押してくれる。


 廊下に出ると、看護師の小野寺さんに出会った。今夜の夜勤のようだ。

「お、芝谷君、今からデート? 菊永さんにオッケーもらったんだ。やったじゃん」

「えへへ。行ってきます」

「あはは、気をつけてね。菊永さん、カーディガンとっても似合ってますよ」

 師長の許可をもらってあるというだけあって、ちゃんと情報は共有されているらしい。芝谷君は、エレベーターのボタンを押した。






 芝谷君に連れてこられたのは、病院の屋上だった。

 夜間は鍵がかかっているはずだが、今夜は特別らしい。私たち以外にも、看護師と患者のペアが三組ほどたたずんでいた。

 中常川が眼下に一望できる。ちょうど夜のとばりが下りて、河川敷では灯篭に火をともそうとしているところだった。

「菊永さん、きれいですよ」

 突然の言葉に、私はどきりとした。思わず見上げると、だがしかし、芝谷君は川面を指さしている。最初の灯篭が人の手を離れ、流れていくところだ。

 ああ、びっくりした。きれいなのは灯篭のことか。こんなラブコメの定番みたいな勘違いをするなんて、ちょっと浮かれすぎかもしれない。

 満月よりも少し痩せた月の光の下、灯篭が次々と流れていく。はじめて見たころからずっと変わらない、幽玄で、泣きたくなるような、私の大好きな風景だ。私たちはお互いに一言もなく、ただひたすらに灯篭流しを見つめていた。


「姉がいたんです」

 しばらくして、芝谷君がぽつりとつぶやいた。視線は川面に向けたままだ。

「亡くなりました。菊永さんと同じ病気で。今年、七回忌でした。私は大学生で、姉ちゃんになんにもしてやれなかった」

 お姉さんは、祖母と同じ年に死んだのだ。私は返事ができなかった。

「菊永さんの担当って言われて、不謹慎ふきんしんだけど嬉しかったんです。姉ちゃんが帰ってきてくれたような気がして」

 芝谷君の声が震える。鼻を詰まらせながら話し続ける。

「看護師は、本当はこういうの、ダメなんです。公私混同っていうか、菊永さんだけに特別に感情移入したりとか、ダメなんですけど、どうしても聞いてほしくて」

「……はい」

「菊永さんを姉の代わりとか、そんな失礼なことを思ってるんじゃないんです。これからも、そんなことは絶対にしません。ただ……菊永さんの最後の一日まで、ご一緒させてください」

 暗闇の中、衣擦きぬずれの音がする。芝谷君は涙でぐちゃぐちゃになった顔を制服のアンダーウェアでごしごし拭いていた。

「芝谷さん。これからも、よろしくお願いしますね」

 何千回となく言ってきた、ありきたりな言葉、『よろしくお願いします』。でも、このときの『よろしくお願いします』は、私が人生の中で一番心を込めて言えた『よろしくお願いします』だったと思う。

 私の返事を聞いた芝谷君は、せっかく拭いた顔を気にもせず、ふたたび泣いた。






 病室に戻り、ベッドに落ち着いたのは八時頃だった。

 ほんの一時間足らずの見物だったけれど、私は満ち足りた気分だった。

 冷静さを取り戻した芝谷君は、いろいろ失礼なことを言ってしまったと平謝りだった。彼をなだめて帰らせ、私はいま、南部鉄器の風鈴を眺めている。


 不思議な気持ちになっていた。なんとなく、明日が来るのが楽しみな気がする。月末には、納涼花火がある。さっきの屋上から、よく見えるだろう。秋の夕焼けは、正月の美しい雪景色は、もしかしたら自宅で見られるだろうか。

 終活をすべて終えて、これで人生は終わったと思っていたけれど、終活とはそれだけではなかったらしい。最後の一日までなにかを楽しみ、なにかに心躍らせることも終活なのだ。祖母もそうだった。息を引き取る前日まで、もし新しい浴衣を作るとしたらこんな柄にする、などといって楽しげに笑っていた。達観などできはしないし、する必要もないのだ。

 私は、風鈴に向かって話しかけた。

「ねえ、おばあちゃん。私を迎えに来るの、もう一年待ってくれないかな?」


 風鈴の短冊が、大きく揺れた。

 リイィィン。 

 風のない病室に、長く尾を引く澄んだ音色が広がっていく。

 柔らかい笑顔で嬉しそうに頷く祖母の姿が、見えたような気がした。

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風鈴 旗尾 鉄 @hatao_iron

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