震える情緒

脳幹 まこと

震える情緒



 モンスターの500缶を買うことは、ちょっとした自傷行為だ。

 500缶にはキャップつきとなしがあるが、後者を選ぶ。安いし、引っ込みがつかなくなるからだ。

 抑うつになったときによくやる。

 抑うつになったからって別に死にたくなるわけじゃない。ただあれほど大切に抱えてきた命の重みというやつが、ずいぶん希薄になる。

 勘違いしないでほしいが、恵まれていたって抑うつにはなる。自分に自信があろうが抑うつにはなる。仕事や生活に今のところ支障をきたしていないから、平常と思われているだけ。

 えらい簡単に「いま、死んじゃっていいなあ」と思う。自殺したいってわけじゃない。でも、なんかいまこの時に致命的な発作が来たら受け入れるかも、となる。

 もちろん死後には猛烈に後悔するだろう。だって別にそれなりに楽しかったわけだし。貯めたお金はどうなるんだよ、とか、そういうのはあるかも。

 だから結局、500缶を飲んで自分の腎機能に爪痕を残すのは、その効果が今であれ未来であれ、あまり賢い行いではないかもしれない。とはいえ、背徳のなんたら本が売れてるんだから、賢い行動ばかりで世は回ってないのだろう。


 抑うつ気分で外を出歩くと、すれ違いざまに中指を立ててきたり、「死ね」と口走られたり、舌打ちが飛ぶ。自分ごときにそんな大層なことをするはずもないのに、そう感じられる。やった覚えもない罪の記憶に数秒苦しむ。

 誰かに「お前なんか死んじまえ」と思ったことは何回もある。誰かから「お前なんか死んじまえ」と悪態つかれたことも同じくらい。まあ、お互いさまだ。大体は当事者がえらく不機嫌で、何をしてもきっと「うるせえ、死ね」だったろうから。

 自分は一生独り身であることが確約されている。というより、自分で確約している。自分の性質はよく分かっている。浅くなら良いかもしれないが、人と深く長く付き合うのには向かない人格。根っこの部分が傲慢な存在。

 一億歩譲って、仕事で成功しようが、創作がうまくいこうが、最後に待つのは惨めたらしい孤独死だけだ。金はきっと国の所有になるか、あったこともない遠縁の誰かの懐に入るだろう。その額が多くなるか少なくなるかの話でしかない。むしろ清々しくていい。


 色々な本を読む。

 ドキュメンタリーを読んだりして感じたことは、しばしば命は粗末に扱われるということだ。

 命は大切だ。それはもちろんそう。異論の余地はない。というより原理的に異論を挟めない。「わたしは嘘つきです」的なやつだ。「わたしに命はない」と言っているようなもんだ。生きている時点で命は「だいじなもの」に位置づけられる。

 でも、善悪を問わず、命は理不尽に、呆気なく失われる。人情味とか、倫理とか、正当性とかそういうものとは関係なく。「お前なんか死んじまえ」という感情とも、もちろん関係なく。

 面白いのは、物理学でもそうだし、民俗学でもそうだが、「一切は空虚である」「現実とはそんなもんだ」という「万物、割とどうでもいい説」が世界の至るところで語られていることだ。同じくらい流布している「人間だけは特別な存在説」と真っ向からぶつかっている。

 前者が抑うつ気味なときに起こりがちで、後者が躁うつ気味なときに起こりがちな思考だと考えると、この世界もまた、情緒不安定なヤツなのかもしれない。

 自分の経験則からいくと、そういうヤツと真面目に付き合っても大体ロクな目にあわない。自分で自分を追いこんでおきながら、酷い目に遭ったら被害者面してくるから。

 だからあまり仲良くしたくない。

 言うまでもなく同族嫌悪だ。


 モンスター500缶の過剰なエネルギーを体内にぶちまけた反動がやってくる。

 中指がたくさん生まれて、非難轟々だ。


 命を大切にできないやつは死ね。


 今死ね。

 すぐ死ね。

 さっさと死ね。


 機嫌が悪いと、すぐこれだ。

 やっぱりやらなきゃよかったなあ、と心からため息をつく。

 自分自身や大気中から湧き出してくる暴言を半分は許容し、半分は拒絶する。


 そんなこと、お前に言われんでもやってやるよ。

 でも今じゃない。今じゃないんだ。

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