第3話 君が生きる世界
ほうきの先にくくり付けた瓶が示す行く先は目の前の大山脈。都会側の街外れでベツレムの花畑を見た気がするので、どちらにせよ目的地に辿り着くためにこの大山脈を越え都会側に行く必要がある。
「頂上を越えなくても秘密の抜け穴があるから、そこを通れば安全。ついてきて」
ついていくと、山脈の一部が割れて深い谷になっているところがあった。先をゆくルナが横幅1メートル程の隙間の中に躊躇なく入っていく。
「ここ狭くない?……って待って置いていかないで!」
慣れた様子で隙間を行くルナに置いてかれまいと急いで割れ目に飛び込む。
入ると一気に視界が暗くなった。頭上と割れ目の出口から白い光が見えるだけで何も照らすものはない。
「暗いでしょ。でも頭上はワイバーンの巣だから、灯りつけると気づかれてしまう。上空から地上の獲物を狙うからあいつら目が良いんだよね」
耳を澄ますと微かに上から鳴き声が聞こえてくるような気がする。
クロネコもそれがわかっているのか、私の膝に座ったまま控えめにシャーと威嚇をする。
岩肌はひんやりとしていて、一番暑くなる午後の時間帯には嬉しい。高度のせいか風もよく通った。
「リリィさんあそこ、」
彼女が指差した方を見ると、少し下の方に壁に穴がぽっかりと空いている箇所がある。
「穴?」
「あそこが魔導書が置かれていた神殿の入り口。ほんと見つけるのに苦労した……」
「うわぁ、さすがにここは分かんないよ」
この山脈にあるという噂があろうと、ここは凶暴なワイバーンの巣窟に捜索範囲が広い大山脈、麓の森は木が生い茂って上空から探索できない。この狭いく深い割れ目に入るのも勇気がいる。
本当にルナは行動力が凄いなぁ。私なんて何もやる気さえ起きないのだから。世界をどうにかしようとするなんて到底出来やしない。
けど、ルナの隣にいれば見られるのかもしれない。どうにかなったその未来が。
割れ目を抜けるとそこには大きな湖があった。地平線の向こうまで続く大きな湖。草原の中で水面を反射させ光るそこには水鳥や鯉が優雅に泳いでいる。
湖の真上を横切ろうとすると、水面に浮いていた青い鳥の群れが一斉に飛び立った。
「きゃっ⁉︎」
「にゃ⁉︎」
二人で驚く私とクロネコとは反対に、ルナはうわぁ〜と歓声をあげていた。
「ルナ、近づいてくるよ⁉︎」
「この子達は大丈夫。ほら」
群れが近くに来ると腕を差し出した。すると一匹の鳥がルナの腕に留まった。
他の何匹も私と彼女の肩や頭、ほうきの柄に乗ってくる。クロネコが身を乗り出して柄に留まった鳥の匂いを嗅いだ。
雀より一回り大きいが烏よりかは小さい小鳥。身体が青く腹の部分だけ白い。ピィピィと楽しそうに鳴いている。
留まっていない残りの鳥は私たちの横で並走している。
「この子達人懐っこいでしょ。大昔人間と一緒に水辺で暮らしていたみたいで、本能的に人間のこと、イテッ、好きみたい」
多分毛繕いのつもりでルナの髪を突いている不器用な子がいる。やめてーと手で追い払おうとするが、そこから落とされまいと動かない。微笑ましい光景に思わず笑みが溢れる。攻防の末ルナが諦めた。
「この子達たち珍しい鳥でなかなか見かけないの……羽が魔法の材料になるのだけど」
「えっ、」
「大丈夫狩らないから」
彼女の発言で時々心臓が止まりそうになる。
うにぁ〜お?
ピィピィ
うにゃうにゃ
すっかり仲良くなった動物同士の会話を聞きながら私たちは湖の上を飛んでいった。ルナの頭の上に乗る小鳥は完全に足をたたんで座りリラックスしている。
その青い小鳥以外にも生き物がたくさんいた。大きな純白の翼を広げて着水した真っ白な鳥に、時々水面を跳ねる小魚、それを上空から掻っ攫っていく猛禽類、水中を優雅に泳ぐ鯉の群れ、虹色に光り輝く魚。
飛んでも飛んでも変わらない景色。一面の湖とそこに住む美しい生き物たち。そこには平穏が当然のように存在していた。
すると急に水面の一部が揺れだした。一緒に飛ぶ小鳥何か危険を察知したようにピィピィ騒ぎ立てて私たちの膝の上に一斉に集まってくる。水面に浮かんでいた鳥もほとんど空に飛び上がり、あちこちで魚が水面に跳ね上がる。
私たちも飛ぶ高度を上げた。
見ると揺れていた水面が渦を巻いて水を吸い込んでいる。渦巻く水流にぴちぴちと跳ねながら争う魚が水中に飲み込まれていく。
水飛沫と共に渦の中から出現した巨大な影が宙を舞った。
「っ⁉︎水竜⁉︎」
ルナが声を上げる。これは私も知っている。
神話に描かれる幻の首長竜の一種。見る角度で虹色に光る水色の鱗を持ち、長い首から背中にかけて虹色の水がオーロラのように帯状に湧き出ている。それを飲むとたちまち全ての病と傷が癒えるのだとか。
青空と太陽の光に反射して鱗が虹色に輝く。跳ね上げた水飛沫一粒一粒が宝石のように光る。
光を透かした背の水が揺れる光の影を落とす。細長い身体がアーチ状に宙を舞うそれはまるで雨上がりの虹のような透明な美しさ。
水流は大空を跨ぐと大きな着水音共に高い水柱を立てて水中に消えていった。水が空気中に散布され、消えていった跡に本物の虹がかかる。
私は思わず呟いた。
「綺麗だね」
「うん、綺麗だ」
「醜いな」
世界は綺麗ではなかった。
目の前に広がる痩せた土壌。焦げ臭い匂いが漂う。所々、本当に少しだけ緑色の雑草が生えているだけで他の植物は皆枯れたり焼かれて灰になったりしている。
高台にある草原だった場所。
瓶が指し示すかつてベツレムの星の花畑だった場所。
今は一面焼き払われ戦場跡となった場所。
目を凝らすと遠くに都市部を守るように聳え立つ防御壁が薄らと見え、ここが都心部近郊だと分かる。
「うそ……全部焼かれて……」
私はショックで言葉が出なかった。記憶の中ある美しい花畑はもうここには存在しない。荒れ果てた現実が目の前にあるのみ。
にゃっ!
地面を散策していたクロが何かを察知しピンと耳を立てる。同時に上空から地に響くような低い音がこちらに近づくほどに鮮明になる。
やがて夕焼け空を背景に黒い塊の群れが上空に差し掛かった。唸り声を上げ一対の翼で空を飛ぶそれは鉄の小竜の群れ。六機の飛行機。翼があれど羽ばたかず、隊列を成して空を滑るように真っ直ぐ都市部を目指す。
クロが一際大きな威嚇をするが、向こうは何事もないように私たちの頭上を通り抜けて去っていった。きっとこちらの存在すら気づいていない。
何もなくなった土地を見てルナが言う。
「元々ベツレムの星は既に絶滅したと言われていた。本当は既に焼かれる前にすでに絶滅していた。こればかりはどうしようも……」
言いかけて私の顔色を伺う。きっと今はどうしようもなく絶望したような顔だっただろう。
「……リリィさんはそうもいかないか。思い出の場所だものね」
「ううん、別に良いの。特別思い入れがあったわけじゃないし」
ただ、記憶の中にある僅かな戦争前の世界の平穏の一つが無惨に踏み潰されているのを目の当たりにしてしまって。
それを見兼ねてか、ルナは無言でそっと杖を取り出した。呪文を唱える。すると杖の先からぽんと光の花が一輪出てきた。ヒラヒラと舞いながら地面に落ちて消える。
うにゃん!
それを見たクロがルナのスカートによじ登り何かを訴えかけた。
うにゃん、うにゃうにゃ
「ん、それ良いかも」
紙を一枚取り出すと、そこに魔導書を見ながら魔法陣を描き始めた。
「ルナ、それは?」
「ちょっと時間ちょうだい」
何かを一生懸命描いている。私には何をしているのか分からないので燃えるような夕焼けを見ながら、横からちらちらと描き込む様子を観察する。
数十分後、できたー!と魔法陣を掲げるルナ。
「リリィ見てて」
クロネコの毛を散らし詠唱する。魔法陣が光り出す。白い光の花が生まれ魔法陣を中心に四方に広がっていく。まるで死んだ土地が生き返るかのような。灰になった地面を地平線の先まで覆い尽くすように咲き乱れる光のベツレムの星の花畑が目の前に蘇る。
ここまで広範囲に渡る魔法はそう簡単に出来るものではない。
「凄い……闇魔法って凄いね……!」
にゃん!とクロが喜んで辺りを駆け回る。走った後は花が揺れて光の胞子が散らされる。まるで流れ星のような。
私もクロについていこうとしたその時、ふと川の跡が目に留まった。周りより一段低くなっている土地に川が流れたような凹みの道筋がある。ここの土手を滑ったら楽しいのでは。
「えいやっ!」
ほうきを取り出し、地面に当たるか当たらないかの超低空飛行で土手を滑り降りる。降り終わり振り返ると、様子を見にきたルナとクロの前でたんぽぽの綿のように光がふわふわと宙を舞っている。
催促するとルナもほうきで降ってきた。クロはバランスを保ち滑り降りてくる。
「……例えベツレムの星が見つからなくても、たどり着いた先がこれなら嬉しいな」
ルナはスカートについた塵を払いながら立ち上がり、満足そうに微笑んだ。
「私も、これなら……」
にゃぁっ⁉︎
突然悲鳴をあげながらその場からばねのように吹っ飛ぶクロ。着地してすぐ前足を振って水滴を落とす。
「あ、よく見るとまだ少しだけ水が流れてるね。クロネコ、水大嫌いだから」
ルナに言われて見てみると、確かに水が僅かだが流れている。水が来る方を見てみると、離れたところに大きめの岩があり、割れ目から水がちょろちょろと湧き出ている。
「……っ⁉︎」
風で揺れる光の花。その中に、今、はっきりと白が見えた。
半信半疑で駆け寄る。近づくほどにそれがはっきりと見え、疑いが確信に変わっていく。
岩の前でしゃがみ込んだ。そっと撫でた世界でたった一輪の白い花。確かに感触がある。間違いなく触れられている。幻じゃない。
「ベツレムの星……」
掌より小さい、六つの白い花びら。それは私が昔見たもの。
ルナとクロも駆け寄ってきた。私が触れるその花を見て息を詰まらせる。
「本、物……でもなんでこの一輪だけ」
ルナは私の隣にしゃがみ込むと、あ、と何かに気づいたように声を上げる。
「この花、根っこの部分が完全に湧水が流れる道の中にある……もしかしてだけど、仮にこの湧水の水源があの水竜がいた湖だとしたら、水竜の背に湧く虹色の水の力がこの水に含まれているのかも」
全ての病と傷を癒す幻の水。その力のお陰でたった一輪の命を紡いだのか。
「ルナ、良かったね」
「うん。悪いけど、最後の一輪を摘ませてもらう」
爪で摘み力を入れると、いとも簡単に摘むことができた。
指でその小さな一輪をくるくる摘み回してみせる。
「リリィありがとう。リリィのお陰で魔法が完成する」
「本当に良かったね」
「うん、だから……リリィ、」
一呼吸おいて話す。
「ここでお別れだね」
日が落ちる世界。逆光によりルナは今どんな顔をしているのかよく分からない。
「え……なんで」
急な出来事で理解が追いつかない。彼女は静かに言った。
「未来の無い、破滅の道に進もうとしているこの世界をどうにかしようとして闇魔法に手を出した……でも、私の力じゃどうすることも出来ない」
この現代の世界に再び起こってしまった戦争。再び世界の破滅の道をゆくこれからの未来は変わらない。変えられない。どうしようもない。
彼女はそう結論づけた。
「だから私、世界を諦めようと思うの。自分を殺す闇魔法を現代に甦らせる」
旧式魔法。それは闇魔法、人を殺す魔法。自分を殺せる魔法。
「……ルナ、」
「そもそも、戦争しないように神様は人を殺さない新しい魔法を与えた。でもね、人間って変わらないの。歴史は繰り返される。人々は魔法で地面から鉄を掘って、魔法で船を動かし採れた鉄を世界の工場に運んで、魔法でそれを加工し、魔法で空に飛行機を飛ばすの。その飛行機は魔法で生産された爆弾を腹に抱えて街にそれを落とす。それで何千何万人もの人が死ぬ。姉もそうだった。結局人間は昔も今も変わらないんだよ。人を殺さない魔法でも、人は人を殺せるの」
言葉が出なかった。何故なら彼女の言う通りだったから。でも、今までそんなこと考えたこともなかった。
「そんな顔しないでよリリィ……まあ言わなかった私が悪いか。ここでお別れ。魔法発動まで見たいって言ってたけど、私の頭吹っ飛ぶから見ない方がいい」
……やだ。いやだ。
声に出したいけどきっと涙まで溢れてしまう。
「貴方のお陰で世界の全てに絶望しないで済んだ。ありがとう」
戦争だけじゃない。やりたいことすら無い暗がりの世界で貴方は輝いていて。
私も、貴方のような気の合う人に会ったのは初めてで。
「咎めないでくれるところも優しいなぁ。クロネコのこと、よろしくね。あ、ちゃんとセンス良い名前、つけてあげてよ」
「そんなこと、分かってるよぉ……」
自然と声が震えていた。出会いたての彼女のように緊張と恐怖のせいでは無い。
「この魔法陣使ったら私の部屋にワープするから、それで帰って。早く帰らないと日が暮れるよ?じゃあねリリィ」
魔法陣の描かれた髪を手渡して彼女は背を向いた。
クロネコは理解しているらしく、私達が話す間ずっと彼女の足にすりすりしていた。彼女が背を向くと、いよいよお別れと私の方へ来る。
これでいいのか。まだ空が明るい今日の方向に歩き出した背中に、私はまだ何も別れの言葉を告げていない。これで良いわけがない。
「ルナっ!」
彼女はこちらを振り向く。
「っ……私、ルナともっと一緒に居たかった」
「リリィ……ごめ……」
「だからっ!私、ルナが生きたいと思えるような世界を作る!私が、私がこの戦争を終わらせるから。だから……その闇魔法の魔導書を譲ってほしい。世界が戦争で滅びる前に私が国を滅ぼして世界を統一する」
我ながら恐ろしく現実味のない陰謀論だなと思う。
でもこの旅を通りてやりたいことができた。道中出ルナと見てきたあの美しい世界を守りたい。
「……私、そういうの好き」
魔導書を開くと一ページだけ破って地面に置いた。
「自分を殺す魔法のページだけ貰ってく。地獄から世界がどう変わるか見てるから、頑張ってね」
魔導書を拾いに駆け寄る。まだ残る光の花に触れるたび光が溢れる。地面から目を上げた時には空を飛ぶ彼女はすっかり小さくなっていた。
「ルナのほうき、なんであんなに速いのかなぁ」
視界が滲んでいく。空が夜の青に塗り替えられていく。夕焼け空が沈んでいく。
私は逆方向を向いて、足元のクロを抱え込んだ。
七年後。
世界は二手に分かれていた。五年前まで対立していた大国の二つではない。列強を含む全世界と対立するのは突如謎の強大な力を持って現れた少女とその部下らが成す、世界征服を企むカルト的な存在。
部屋の窓から見えるのは守り抜いたベツレムの星が一面に植えてある丘。球根なので種を蒔かずとも初夏の頃に勝手に生えて白い花を一面に咲かせる。
すると突然部屋に部下が飛び込んできた。
「将軍様!東方諸国が宣戦布告を出しました。如何しましょうか」
にゃ〜お
膝の上でくつろぐ大きな黒猫が兵士に挨拶をする。
「あっ、ノワール様こんにちは。今日もお美しい」
毛並みの良い真っ黒な体毛に浮かぶ黄色の双眸。それはまるで夜に浮かぶ月のような。
「その喧嘩は買いだ。東側との戦闘に勝てば我々はこの大陸全域支配に王手がかかる」
ごめんね、と膝の上でくつろぐノワールを退かし立ち上がった。
「ルナ、もうすぐで貴方が望む世界が手に入る」
星を追う魔法使い 神月りり @singetu_lili
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