第2話 夢

翌日、二人はまだ低い空に位置する朝の太陽を横目に大空に飛び立った。

ルナのほうきの先端に昨日の瓶が括り付けられている。それはある一方向に向かって浮遊していてそれを辿ればいずれ着くのだとか。

天候は良好。風でほうきが煽られたり雨が降る心配もなし。時期的に渡り鳥やドラゴンの群れに遭遇する心配も必要ない……といいけど。

「生き物の行動って予測できないから、季節外れのこの時期でもたまーに群れが飛んでるんだよねぇ」

決まった時期に地上に大きな影を落とし何百頭の大群でドラゴンが町の上を横切る様子を毎年のようにリリィは見ている。最近は世界温暖化のせいで変な時期に飛び立つ群れが増えてるのだとか。

「群れで来るならまだ良いよ、向こうが集団の危険を察知してある程度避けてくれるから。問題は一匹狼で飛んでる気性の荒い奴。目が合った瞬間襲いかかってくるから狩るのに苦労した記憶しかない……」

「え、ルナはドラゴン狩ったことあるの?それとも鳥?」

「どっちも。狩猟用の闇魔法があるんだよ、血抜きとか皮を剥ぐとか」

「ルナって意外とそういうの大丈夫なタイプなんだ……」

勝手に持っていた“孤高の一匹狼”のイメージが昨日今日で剥がれていく。彼女は狼じゃなくて狩人の方なのかもしれない。


にゃ〜


「猫ちゃん私の腕にすりすりしたいのは解るけどそんなに乗り出したら危ないよ」

膝に乗せた猫が甘えた声を出しながらほうきを握る私の腕目掛けて乗り出してくるので膝の真ん中にさっと戻す。ルナ曰く本人はほうきに乗るのは慣れていて落ちることはそうそうないらしいが、それでもいつの間にか前のめりになり膝のふちから下の景色を見たりし始めるので見ているこっちがヒヤヒヤする。

「よかったねクロネコちゃん、リリィさんに構ってもらえて。私は餌あげるぐらいしかお世話しないから、遊んでくれるリリィさんの方が気に入ったらしいよ」

昨日ルナの家に来た時はルナにべったりだったのがその後猫じゃらしで遊んであげると私にべったり懐いた。今も膝の上で寛いでいる。

「そういえばこの子の名前聞いてなかったな」

「その子?名前クロネコ」

「えっ、それ名前だったんだ……⁉︎」

黒いからクロネコ、とりあえずそう呼んでるだけで名前は別にあると思ってた。

「リリィさんが良い名前つけてあげて。創作魔法が得意ならセンスがあるでしょ?」

「うーん、この旅が終わるまでに考えとく」

話し込んでるうちに人里を抜けて辺り一面草原地帯となっていた。風に萌葱色の草花がなびき、まるで海のように見える。

「ねぇ、下に降りてみようよ」

前に体重をかけてほうきの先っぽを下げる。大気に沈み込むように、浮遊感を覚えながら足が草に触るギリギリまで高度を下げる。

続いてルナも下がってきた。

真っ直ぐ飛んでも遮蔽物無くどこまでも続く草原。こんなに解放された場所で飛ぶのは初めてだ。

午前中いっぱいはずっとこのような調子で飛び続けた。太陽が真上に差し掛かったとき、目の前に大きな山脈が見えてきた。大陸の端、私たちが住む田舎の魔法使いの村と大陸の中央部に位置する都心部を分ける大山脈。その頂上の一部は雲まで到達する。

「凄い山脈だね……どうやって越える?上から行くしかないかな?」

「いや、秘密の道があるから上までわざわざ行く必要はない。それに……」


ギァーーーーッッ!!!!!!


頭上の遥か上から耳を劈くようなドラゴンの雄叫びが聞こえる。うたた寝してくつろいでいたクロネコが立ち上がり空に向けてシャーッと心許ない威嚇をする。

見ると大きな翼を持つ黒い影が数匹空を旋回していた。

「頂上、ワイバーンの巣だから越えるのは危ないよ」


ギァーーーーッッ!!!!!!

シャーッ!


獣たちのやりとりを聞きながらふと嫌な予感が頭をよぎる。

「ねえルナ、なんかあのワイバーンたち、私たちについてきてない?」

言葉を聞いた途端、ルナの挙動が怪しくなる。

「えっ、そっ、そうかなぁー。気のせい……じゃない?ねぇクロ?」

助けを求めるようにクロネコへ顔を向ける。


みゃう!


「え、威嚇してる?私たちに?」


うにゃっ!


「私たちじゃなくて私に……?」


にゃん!


「っ……そこから見えるのか。目と脳みそが良い奴らだな」


にゃーにゃん


「私のせいって言われても!……しゃーないな、もうこうするしか……」

「え、どうしたのルナ?ていうかクロネコと話せるの?」

「なんとなくね。そんなことより逃げるよ!向こうが追ってくる前に!」

高度を上げ一気にほうきを加速させる。慌てて私もその後に続く。頬を切る風が鋭くなる。

「ルナ!待っ……速くない⁉︎」

二人の距離が開いていく。ついさっきまで隣を飛んでいたのにこの一瞬で既に五十メートルは離れているだろうか。どうしても置いていかれまいと私も全速力で追いかける。

私たちの逃走に気づいたのだろうか、見上げるとワイバーンが旋回を止め列をなしてこちらへ向かい降りようとしている。

もしかして、結構やばい?

ルナはちらと後ろを見て私がついてこれてないことに気がついた。減速させてなんとか数メートル程の距離まで縮める。

「前に鱗が欲しくて巣の周りを彷徨いてた時に怪しい人間だと覚えられてたらしい。あのワイバーンは私がなんとかするから、リリィさんは山脈の麓の森に隠れてて」

「一人で大丈夫なの?手伝う?」

「大丈夫……だといいけど。クロネコ貸してもらうね。じゃあ、気をつけて」

クロネコをすれ違いざまに首根っこを掴んで回収しそのまま空高くに舞い上がる。遥か上空でワイバーンの群れとルナがお互いに正面から突撃する。


(あの先頭を飛んでるやつ、群れのリーダーだな)

遥か上空、目視で観察できる位置まで近づいた。先頭を飛ぶ他のワイバーンよりも一回り大きく、翼に赤い筋が混じる個体。それは群れで一番強い証。

そいつに自分の方が強さが上であることを証明すれば向こうは怖気付いて群れごと撤退するはず。


ギァーーーーッッ!


「それじゃ、やりますか」

魔力を込めた指でそっとクロネコの毛を摘む。魔法で皮膚近くで焼き切れたその毛束を散らし杖を出して呪文を唱える。

杖の先から炎が噴き出す。大きな身体のワイバーンにとってはあまりにも貧弱すぎるその炎は宙を舞うクロネコの毛に触れた途端、一気に威力を増して襲いかかる。

かつて魔法使いはよく黒いネコやカラスをお供に連れていた。闇魔法と言われるその魔法は神の使いとされる黒い獣の潜在的な魔力によりその力を増大させる。


ギャッ!


命中した炎は一列に並んだ群れを根こそぎ焼き払う。しかしその程度では熱耐性のある鉄壁の鱗に傷をつけることさえできない。

こちらの攻撃で興奮したワイバーンが牙を見せながら一斉に突進してくる。

ルナはほうきを急旋回させて突撃の嵐を潜り抜ける。


一方、森に向かい全力で飛ぶリリィは横目で空中で繰り広げられる死闘を見ていた。米粒程の大きさのルナとその数十倍のワイバーンらがお互いの攻撃を潜り抜け相手の隙を狙う。ルナの方が小回りが効くようで相手の背中すれすれを飛んでは死角から魔法を放っている。

(なんだかかっこいいな……)

その戦う姿がかっこいいのではない。強大な敵に立ち向かう勇気が、私を逃してくれる優しさが、忘れられた魔法を復活させようとする希望が、何かを成し遂げる彼女の命が輝いているように見える。

私も、同じように成れやしないのか。

よそ見して飛んでいると突然衝撃が走る。

「きゃっ⁉︎」

木に衝突しほうきと共に地面に転げ落ちる。

「いててて……よそ見運転はするもんじゃないな……」

背中をさすりながら起き上がる。近くに落ちていたほうきを手に取り、顔を上げる。目の前には不思議な形の木が連なる深い森の入り口があった。上の方がやけに葉が生い茂る木で、その下に隠れていれば空中からは絶対に見つからないだろう。

ほうきに乗り直し、森の奥に進もうとした。


ギャーーーーッ!ギャーーーーッ!


ワイバーンの一際響く咆哮。魔法の爆発音。

どちらも遠く聞こえる。

見ると青空を背景におもちゃのような小さなルナとワイバーンが同じ場所を行ったり来たり、時々一直線に飛んだり、飛んできた炎を中心に四方に一斉に避けたり。ここから見るとまるで小鳥の戯れのよう。

隠れていればこの戦闘は時期に終わる。ルナが戻ってきて、お昼ご飯を食べて、旅の続き。

ルナは生きて帰ってくる。


……本当に?もしかしたらルナが死んでしまうかもしれないんだよ?


自然と身体が振り向いた。手に魔力を込め、ほうきに伝える。足元の草木が揺れる。砂埃を巻きあげて地上を飛び立つ。何もない空を一直線に飛び、戦火のど真ん中へと向かう。

こちらが近づいてきているのにルナがいち早く気づいた。

「リリィ⁉︎隠れて!」

「ーー創作魔法、雷竜」

小さくして持っていた魔導書を取り出す。それは学校で使っている創作魔法用の魔導書。詠唱と共に頭上に光のもやができる。それは徐々に光が集まりやがてはっきりとした輪郭を持つ光のドラゴンとなる。


グオォォォーーーーッ!!


短い呪文でドラゴンの威嚇の声を放つ。

ワイバーンは突然目の前に自分よりも大きな身体を持つドラゴンが現れ、一斉に動きを止めた。

その巨体放たれる地響きのような低い声に身を縮めてキュゥン……と情けない声を漏らす。

もうひと押しと再び呪文を唱える。光のドラゴンは咆哮と共に上空に向けて雷を吐く。直視できないほどの閃光が空を一直線に貫く。

魔法は実体のない奇跡。現代の魔法だと相手を傷つける力がない。だからさっきの雷も殺傷能力はなく、ただのお飾り。

魔法は不思議だ。雷でも炎でも、ドラゴンを焼き殺せないのに焚き火は燃やせるのだから。


ギャーッ!


リーダーが吼える。攻撃してくるかと思い身構えたが、全員回れ右をして散り散りになって一目散に退散していった。どうやらさっきのは引き上げる合図だったようだ。

去っていく群れを眺めるルナに近寄る。

「大丈夫?もう襲ってこない?」

「しばらくは大丈夫そう。リリィさん、助けてくれてありがとう……ていうか隠れててって言ったのに!!危ないし私一人でなんとか出来るから……」

「でも二人でやった方が安全で早かったでしょ」

「私だけが狙われてた。危険な場面は材料採取で何度も経験して、その度に対処してきた。リリィさんが危険を犯すことはなかったのに……」

「困ってるから……じゃ、だめかな?」

「……」

「目の前に困ってるひとがいるなら、手伝ってもいいでしょ?」

「……なんで」

ルナは俯いた。言葉が出なかった。今まで本心など誰にも話したことがないし、話す気もない。

しかし口だけが僅かに動いた。


なんでそんなに私に優しいの……


私だけじゃない。決まった仲良し組を持たず、一人を好み、一見教室内で孤立してるように見える彼女。

しかしよく見てみると、授業や行事で接点を持った相手には親切すぎるほど親切にしていた。

私が他人を閉め切った心の扉さえこじ開けられる、ただのお人好し。


「……リリィさんが死んでもさすがに蘇生は出来ないからね?」

さっきルナが何かを呟いた気がするが気のせいなのか。

「死んだらそれまでってことで」

「それでいいんだ」

「換えの命ぐらい、この広い世界にいくらでもあるでしょ」

リリィもそんなこと考えてるんだ。

「それもそうかもしれないね」

この同情はルナの自分自身の命に向けての見下し。

けれど、貴方のような類稀な人格と創作魔法の才は失ってはならない。

ねぇ、とリリィは話しかける。

「ひと段落したことだし、お昼にしない?……旅出る前にとっておきのお昼作ってくれるって約束したじゃん!」

目を輝かせてこちらに期待の眼差しを向けてくる。もしかしてこれ目当てで親切にしてくれたとか……それはないか。

「お肉……ね?」

そっと欲望を囁く。いやあるなこれ絶対お肉目的だな。

……冗談だよ冗談。

ふふっと一人で笑った。

「私に任せなさい。クロネコには大人気の料理だから」

「えっ猫?」

いきなり雲行きが怪しくなる。

「まずは野鳥を狩ります」

ますます雲行きが怪しくなった。


「お、美味しそう……」

魔法陣の上に浮いたフライパンの上で美味しそうな匂いを発するのが大鷲の丸焼き。その横の鍋にはチキンシチュー。

「でしょでしょ?」

「まさかの二本立てとは……クロネコは良いもの食べてるんだなぁ」

羨みの目を腕に抱くクロに向ける。今ルナがナイフで大鷲の丸焼きをクロ用に切り分けているのだが、クロは腕の中から手を伸ばしなんとか肉を得ようとしている。

「はい、クロの」

アルミホイルの上にほぐした丸焼きとその上にかけられたシチューを差し出す。私が離すと一目散に飛びついて顔を突っ込みながら食べ始めた。

「よく食べるねぇ」

「丸焼きは特にお気に入りだから。狩りの後によく食べるから味覚えているんだろうな。さ,私たちも食べようか」

期待しながら大鷲の丸焼きから一切れ肉を切り出して口に運ぶ。

「美味しい!ルナ美味しいよ!」

フライパンで肉を焼く、普段家で出される料理と何も変わらないのに何故か一段と美味しく感じる。これも火を起こした闇魔法の火加減とルナの料理の腕なのか。

ルナも料理にフォークを伸ばす。

「うん、今日のは一段と良くできてる。美味しい」

ご飯を食べながら二人で何気ない雑談をした。食事を誰かと一緒に食べるのも、こんなに話し込むのも、お互いに初めてのこと。

リリィは幸せだった。向こうもそう思ってくれてると良いな。

「私ね、」

ルナがクロを撫でながら話し出した。

「一人暮らしなの。両親は私が幼い頃に戦争に行って帰ってこなくて、一人で育ててくれた姉は空襲で私を庇って死んで……戦争に大切なものを奪われるこんな世界をどうにかしようと思った。だから闇魔法に手を出した」

闇魔法……旧式魔法は複雑で難しい分、現在の魔法よりも強大な力が出せる。力が戦争で惨殺を起こし、その最たるものが魔法陣だった。神と自然を模した模様と線の組み合わせで強力な魔力を発生させる。だから今の魔法では廃止された。

「実は存在を忘れ去られてるだけで闇魔法自体は禁止されてる訳じゃない。どの国にも禁止する法律は書かれていない」

それは知らなかった。しかし人を殺すから嫌み嫌われ忘れられつつあるそれは、確かに使ってはいけないとは一言も聞いたことがない。

「まあ使おうと思っても三千年も前だから当然言語が読めないんだよね。魔導書の解読からやらなきゃいけないし、そもそも三千年以上前に作られた魔導書を探さないといけない」

「三千年って……普通じゃ見つからないし古すぎてぼろぼろで読めないよね。あれ、でもなんでルナの持ってる魔導書はそんなに綺麗だしなんで持ってるの?」

ルナは魔導書を取り出してみせた。牛革の表紙に何かの模様と読めない文字が彫刻が施されている。開いた見返しのところに細かい模様が細々と並べられたとても複雑な魔法陣が描かれている。

「あの目の前の山にある神殿で偶然見つけた。そこに魔導書が置かれている神殿があるっていう噂を聞いて行ってみたら本当にあった。魔導書とそれが置かれる神殿にも加護の魔法がかけられてあるから今でも綺麗ってわけ」

ルナは魔法陣をじっと見つめた。

「凄いよねこの魔導書の魔法陣。私でも原理がわからないんだけど、三千年後もこんなに綺麗なんだよね。どこかの誰かさんがひっそり後世に長く残そうとわざわざ保管用の神殿まで用意してくれて助かった」

ルナが言うに今も世界に十数箇所で旧式魔法の魔導書がひっそりと保管されているのだそう。

旧式魔法が廃止される際にそれに反対し、新たな魔法をこの世に授けた神の意向に刃向かったとして何人も断頭台に登ることになった。それでも残そうとした人々は山の中や地中、深海、城の城壁など見つからない所に隠したという。

「ルナは戦争がある世界をなんとかする魔法を完成させようとしているの?」

「……そうだね。でも助かるのは私一人だけ。リリィ子のことは助けてあげられない」

そう言いながらルナが立ち上がる。

「さ、日が暮れる前に花畑に着きたいからもう行こ。」


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