息子が異世界からの迷子かもしれないというまじめな話

水森 凪

第1話

 ある時わたしは、本当に何の気なしに、当時中学二年ぐらいだった息子に聞いてみた。


 「今まで見た夢の中で一番怖い夢ってどんなの?」


 聞かなければよかった。本当に、こんな質問さえしなければよかったのだ。

「うーんと、ねえ……」

 日ごろから無口な息子は、しばらく考えると、淡々と語りだした。


「小学校のころ見た夢でね。

 家を出て、友達の家に遊びに行くんだ。

 夕方になって、いつもの道を通って帰ってくると、ちゃんと僕の家があるのに

 ただいまーって言ったら、知らないおばさんがお帰りって出てきたんだ」

「知らないおばさん?」

「うん、僕の知ってるお母さんと全然違う人。それからお父さんが、遅かったじゃないかって出てくるんだけど、それも、知らないおじさん。

 部屋からおやつを食べながら出てきたお姉ちゃんも、やっぱり別のお姉ちゃんだった」

「それでどうしたの?」

「何が何だかわからなくて、あれここ僕の家のはずなのに、なんで別の人たちが住んでるんだろうと思ったけど、僕の名前を呼んで、すぐに夕飯にするから手を洗いなさいって、あなたの好きな餃子よって。みんな僕の家族の振りするんだ。

 それで何だか怖くなって、ここでもし、あなたたちは誰ですか、なんで僕の家にいるんですかって言ったらいきなり鬼みたいな顔になって取って食われるような気がしたから、言われるとおりに手を洗って、その人たちの息子の振りをしたんだ」

「それは怖いわねえ。で結局、どうなったの? 目が覚めて一安心、で終わり?」


 すると息子は大真面目な顔で言った。


「ううん、今も目は覚めてない。だから今もぼくは、ずっとその夢の中にいるんだよ」

「……!?」


 あまりに意外な返事にわたしは声を失った。

 覚めないというのなら、むしろ、なぜそれを夢だと思うのだろう?


「じゃあもしかして、今もわたしは、いえあんたは、知らないおばちゃんの家にいるの?」

「もう見慣れたから、いい」

「あっ、そう。よかったわね、本当のこと言ってもとって食われなくて」

「うん」

 そしてとっとと自分の部屋に行ってしまった。

 

 うん、じゃないよ。


 悪ふざけをしているようでも、いたずらを仕掛けている様子もない。息子は幼いころからどちらかというと素直で、無邪気で、中学に入っても反抗期らしいものもなく、言葉少なで、親としては扱いやすい子なのだ。

 それにしてもこんな突飛な話を聞くのは初めてだった。

 一体、どう解釈したらいいのだろう。


 そういえば、わが家には彼に絡む「ザリガニ問題」があった。

 小学校高学年のころから、ときどき彼は思い出したように、「うちに以前、ザリガニがいたよね」と言うようになったのだ。


「水槽が箪笥の上にあって、そこでぼくがいつも餌をやってたよね。二匹いて、名前も付けた。脱皮するところも見たよね」

 

 いやに具体的だけれど、家族のだれも……四歳年上のおねえちゃんも、わたしたち夫婦も、そんなものは見ていないし飼った記憶もない。箪笥の上の水槽で飼ったことがあるのは、金魚のつがいだ。ザリガニは買ったことももらったこともない。

 あんたの記憶違いでしょ、と皆が言うと、彼はむきになって

「いた。ザリガニは絶対にいた! みんなで餌もやったじゃないか! どうしてぼく以外誰も覚えてないんだよ? どうして!」とやたらむきになるのである。

 記憶力のいい娘は、断固として言った。

「わたしは友達のうちでも記憶力いい方だけどね。ザリガニなんて、絶対飼ったことはないわよ。箪笥の上の水槽で飼ったことがあるのは、白と黒の出目金と、夏のデパートの昆虫展で買ったカブトムシ。ザリガニだったら、わたしもお世話するし、絶対覚えてるわよ。あんた夢でも見たんじゃないの」


 夢……


 家族全員に否定されて、彼は黙り込み、中学に上がるとその話題を口にしなくなった。


 そして「怖い夢」の話を聞いてしばらく後のある日。

 洗面所の物入れの整理をしていて、わたしは奥から、ほこりまみれの小さなビニール袋を見つけ出したのだ。

 ザリガニのイラスト入りの袋には、こう書かれていた。


「ザリガニのえさ」


 わたしは驚愕した。

 これはどういうことなのか。

 彼のあの記憶のほうが正しいのなら、なぜ彼を除くわたしたち家族には、ザリガニの記憶がないのだろう。


 もしかしたらそれは、彼がこの夢の世界に閉じ込められる前の、彼の本当の家の記憶で、それが時空の割れ目でつながり、証拠品が転がり込んだ……まさか?


 わたしはそっとその餌の写真を撮り、袋を捨てた。

 わたしが、まかり間違って、別の世界から迷子として迷い込んできた、「そっくりな顔の可哀相な少年」を育ててきた、などと思いこまないように。

 夢を見たのは、夢から出られないのは、息子か、それともわたしたち家族なのか。

 そんな余計なことを考え続けずに済むように。


 でも、なぜか消すことのできないザリガニの餌の写真は、今もパソコンの中から語り掛けてくるのだ。

 

 わたしを買ったのは、誰?

 夢の中にいるのは、どっち?

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息子が異世界からの迷子かもしれないというまじめな話 水森 凪 @nekotoyoru

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