引き籠ってた俺
産坂あい
本文
家を出ただけで、そんなに驚くかよ。確かに俺は引き籠りだった。
でも、と言うか、だから、と言うか、俺にだって外に出たくなる日もある。珍しいのは解るけれど、脱走扱いはやめてくれ。
「暗くなるまでに帰ってくる!」追いかけてくる母ちゃんに叫んでから、走る速度を上げた。
小さくなっていく母ちゃんに、申し訳ないと思うけれど、許して欲しいとも思う。帰ってきてから、いくらでも叱ってくれ。形容しがたい気持ちを捨て去るつもりで、俺は家から離れていった。
久し振りの外出だから、夏の日差しが俺を焼く。目的地までは簡単だ。あれはよく目立つ。
でも体力が無かったから、駄菓子屋の軒で涼をとることにした。入口の手前にはアイスの詰まった冷凍ケースが設置されていて、俺はアイスに触れたくなる。
しかし、いわゆるお金というものは持っていないし、急ぎの用事もあるのだから、今すぐにでもこの場を後にしなければいけない。足踏みしつつも、眼前に広がっているコンクリートを眺めた。
真っ黒い地面の上で空気がゆらめいている。不思議に思って、踊る空気を眺めていると、それは黒猫をかたちづくった。衝撃の光景に目を疑った瞬間、風鈴の音がちりんと鳴って、すぐに猫は消えた。ひさしにぶら下がった風鈴を睨んでから俺は道へと飛び出した。
急がなければ。
鉄板みたく熱い道路を駆け、時にはゴミ箱や自動販売機を跳び伝って、目的地に向かう。息を吐いて走りながら、首を上に傾け、再度確認。そこには、空を突くようにそびえ立つスカイツリーがある。目的地は標高六百三十四メートルのスカイツリーのてっぺん、あそこに例の黒猫がいる。
テレビで見たのだ。朝のニュースの報道で、夏の東京を収めたドローンの映像、馬鹿でかい街の中心に生えたスカイツリーの頂上に、ホクロみたく小さな黒い点が蠢く。じっと注目すると、驚くべきことにそれは黒い猫だった。気が付いたのは、きっと俺だけだろう。
彼女を助けに行かなければ。
だから、俺は家から出た。引き籠りから脱却したのだ。だから、スカイツリーの真下までやって来たのだ。
「どうしよう」
そして、立ち止まった。見上げても遥か遠くの頂上は見えない。流石の俺にだって、スカイツリーの頂上まで飛べるほどの跳躍力は無い。立ち往生していると、低い声が背中の方から聞こえた。
「おい、暇か?」
長毛の白猫が話しかけてきた。団子みたく太った猫で、太い首には金色のネックレスをぶら下げている。
「特に」
「そうか。今、暇なのか?」
俺の目を真っ直ぐ見つめる彼に胡散臭さを感じ、ひとまず立ち去ろうとした。
「ちょっと待て」
彼に尻尾を掴まれた。振り返って言う。「何だよ?」
「時間があるなら手伝って欲しい。猫の命が関わる話だ」
「もしかして、あの黒猫か?」俺は察した。
「お前も見たのか?」
「──ああ!だから家を出たんだ!」
「私もだ」白猫が低く笑う。俺も笑う。「絶対に助けたい」
「同感だ」白猫が頷く。
「ただ──どうやってあそこまで行くんだ?」
「分からない。お前は?」
「私にも……」
俺達が俯いていると、見知らぬ猫が話しかけてきた。
「お困りのようだね」
シルクハットを被ったミケ猫はそう笑う。シュッとした細長い身体をしていた。俺が「得体の知れない猫だな。一体、何者だ」と聞くと、彼はくすりと笑った。
「僕はあそこまで行く方法を知っているよ」
「早く教えてくれ!」
俺が叫ぶと、ミケ猫は不敵な笑みを浮かべた。
「ついてこい」
□
太陽が空の真ん中に浮かぶ炎天下、俺達は図書館にやって来た。
呆けた顔で俺達を珍しそうに眺める人間達。しゃあしゃあと鳴いて威嚇してやると、彼等はどたばたと慌てふためく。おばちゃん達は高い声を上げ、職員は電話を手に取った。そのなか、ミケ猫は肩を揺らした。
「急がなければいけないな。お前ら『ツバサネコ』を探せ!もう一度言うぞ。黄色い猫が表紙に描かれている本を探せ!」
俺達は駆け出す。まず、俺はカウンターから本棚に三段跳びで移った。埃臭い本棚をいくつも伝う。そして、児童図書コーナーを見つけた。ひらけた空間にカーペットが敷かれていて、小さなテーブルや椅子の周りで子供達がこれまた慌てている。どうやら既に、白猫とミケ猫は壁際の本棚を荒らしている最中らしい。俺もその空間に飛び降りた。「俺も手伝う!」
俺が指示を仰ぐと、ミケ猫は言った。「子供達の相手をしてくれ!」
「任せろ!」咄嗟に叫んだが、俺を囲う五、六人の子供達への対応が分からない。そして、一瞬悩んだ末に思いついた。
俺の家にもタツキという名前の五歳児がいる。タツキは俺がダンスをすると、見蕩れる。もう興味津津、大注目。他の事が手につかなくなるくらい。だから、俺は踊りだした。
あん、どう、ごろにゃん!にゃんごろる!
あん、どう、ごろにゃん!にゃんごろる!
作戦通り、子供達は俺の渾身の舞踏に見蕩れて静止した。興奮する子供達のうちの一人の子供──彼が持っている絵本の表紙を見て気が付く。その表紙には、黄色い猫が載っている。「おい、これじゃないか!」ミケ猫に叫ぶやいなや、俺は少年に飛びかかる。「よこせ!」
絵本を奪取し、白猫にパスする。「頼んだ!」
「任せろ」
白猫は、ふんぬっと野太い声を発して、その絵本を背に乗せた。彼は力持ちなのだ。
それをすぐさまミケ猫が、事前に用意していたロープで絵本を括る。
「さあ、ずらかるぞ」
俺とミケ猫は白猫を挟んで走り、図書館を後にする。
□
スカイツリーの下に戻って、俺達は絵本『ツバサネコ』を読んだ。『ツバサネコ』の一節を纏めるとこうだ。
猫の身体には隠れた翼がある。
翼が生える条件は──猫が逆立ちをし、その場で三回まわって「わん」と鳴く。
「この通りにしよう」
ミケ猫が至極真面目な表情で言った。俺と白猫は顔を顰めた。
「こんなの出来るわけない」
「はぁ?やってみないと分かんないじゃん!」
「無理だ」白猫がしみじみと言う。
だが、ミケ猫が天を指差した。
「無理じゃない。今から僕達はあの頂上に行こうとしてるんだろ?これくらい出来なくちゃ」
そう言われれば、やるしかない。
俺はその場で後ろ足を上げる、白猫がその足を掴む。そのまま固定。その態勢で三周して「わん!」と発する。
俺は何をやっているんだ。そう思った瞬間。
「熱ッ!」
身体が熱くなる。特に背中だ、背中が熱い。
白猫が俺の背中を指差して言った。「君、生えているぞ」どうやら成功したらしい。首を回して背中を見ると、なんと白い翼が生えている。淡い光を纏っていてしっかり毛深い。
ミケ猫は満足したふうに頷く。「先に行っておきな。僕達は後から行く」
「分かった」
俺も頷き、辺りを見回し、手ごろなベンチを見つける。助走をつけ、ベンチを発射台にして宙へ跳ぶ。背中に力を込めて、翼をはためかせた。「じゃあ、行ってくる」ミケ猫達に一言声を掛け、俺は街から浮き上がった。
俺が昇るにつれて、日は沈んでいき空は赤くなっていく。丁度、同じ標高にあるビルの窓から白い照明が漏れている。
更に昇っていくとビルが足元の位置に来た。俺の家を探しても、小さすぎるのかどこにも見つからない。街の彼方に緑の山が生えてくる。その奥には富士山が見えた。東京って街はでかいな。俺はそう思った。
「追いついたぞ」「待たせた」
頂上まであと半分くらいのあたりで、白猫達と合流した。そして、俺達は頂上を目指して上昇していく。
遂にスカイツリーの頂上にやってきた。
先端には大きな円盤状の床が取り付けられていて、まるで誰かが空に浮かぶ大きなフリスビーを、スカイツリーの先端をぶっ刺したような構造になっていた。
そして、その真ん中に黒猫がいる。俺達は、ひらりと黒猫の前に降り立った。
すると、俯いていた黒猫が、俺達に気付いて顔を上げた。
「あらあら、どうしたの。こんなところまで」
ミケ猫は少し気取った笑い方で応じた。「貴女を助けにきましたよ!」
後ろに立った俺と白猫も首を振った。
「そう。でも、ごめんなさいね。助けなんて要らないわ」
申し訳なさそうに言って、黒猫は床の端の方に歩いていった。「落ち着くから、この場所にいるの」
俺と白猫が顔を見合わせていると、ミケ猫が俺に振り返った。
「帰ろうか」
「どうして?来たばかりじゃないか」
「彼女はきっと、ここが好きなんだろう」ミケ猫が小さな声で言う。
「ああ?どういう意味だ」
「猫ならば分かるだろう」
「なるほどな」俺は理解した。
俺にもこういう時間、空間が必要だった。俺はそれを知っている。家族と遊ぶのも良いけれど、一人で静かに考え事をする時間やそれをさせてくれる環境ってやつも同じくらい良いものだ。
「俺も猫だから分かる」
噛み締めるように呟いた。すると、いつの間にか傍に戻っていた黒猫が口の端を上げた。
「そうよ」
何も言えなかった。立ち尽くす俺の肩をミケ猫が叩く。
「だから、帰ろうぜ?」
「ちょっと待ってくれ。彼女に言いたいことがある。黒猫さん。──で良いんですか?」
「何かしら?名前はまだないわ」
「じゃあ、黒猫さん。あの、俺、ずっと家に引き籠ってて、貴女のおかげで家を出れました。ありがとうございます」
「そう」黒猫は興味なさそうに、自分の足を眺め、数秒固まった後、俺の方を見た。
「君はイエネコサンなのね。じゃあ、早く帰った方が良いんじゃないかしら。もう暗いでしょう」
イエネコサン。その言い方は突き放すようだった。俺は首を掻きながら
「はい。えっと、そうですね。帰ろうと思ってたところで……」
消えかけた声で答えた。
俺はミケ猫に「白猫は?」と聞く。
「あっちだ」
ミケ猫の指差した方向に白猫の背中がある。彼は静かに街を眺めていた。せっかく黒猫を助けに来たのに、意味が分からない。猫ってのは移ろいやすいところがある。きっと俺もそうだ。
「おい何してる」
俺が白猫に声を掛けると、彼は言った。
「綺麗じゃないか?」
白猫はスカイツリーの下を手で示した。彼の横に近付き、一緒にのぞいてみる。
街は夜でも万華鏡。立ち並ぶビルから漏れる照明の光やネオンライトが、街灯と合わさって通りを明るく染め上げ、都会の海はきらきらしている。
「確かに綺麗だ」
「──まるで祭りみたいだな」
白猫の言う通りだ。俺もそう思う。お祭りみたいな賑やかさ。遠くから見ても、なんだかうるさく感じてしまう。
いつの間にか寄って来ていた黒猫が、白い歯をこぼした。
「ここは静かでしょう?」
「こういうのが好きなんですね」
「ええ、そうよ。風の音しか聞こえない」
「本当にその通りだ」
「今は君達がいてうるさいけれどね」
「はは。早く帰りますね」
俺達は順番に黒猫とハグを交わし、スカイツリーの頂上から飛び出す。黒猫以外、皆、帰る家がある。
翼を揺らし、時に滑空して、街の上空を旋回しながら落ちていく。つれて、電車の走る音が大きくなってくる。なんとなく解る。お別れのの雰囲気だ。
「今日は楽しかった。ありがとう」俺が言うと、白猫が目を細め、しみじみと言った。
「ああ、良い経験になった」
「また会おうな」
ミケ猫が俺にハグしてきた、俺も抱き締め返して笑った。
「もちろんだ」
そのあと、俺は白猫にも近付いてハグをした。彼はまた目を細くした。
最後に、俺達は軽く自己紹介をし合って別れた。また会う時の為だ。
サヨナラをすると、疲労がどっと全身に出てきた。久し振りの外出だったから、疲れてしまうのは仕方の無いことだろう。
他人事のように、傾く視界を眺めていた。
公園の砂場に墜落したらしい。突如として翼が消えたのだ。でも、そんなことを気にしている暇なんてない。見回せば、ここは家の近所の公園だ。結果オーライ。
砂場から起き上がり、帰路につく。俺は既に約束を破ってしまっている。夜空に張り付いた月が、いそげいそげと言っている。
分かってんだよ!分かってる!
心中で何度も叫んでいるうちに玄関についた。俺は扉に向かって大声を出す。
「ごめん、母ちゃん!遅くなった!」
すぐに扉が開いて、母ちゃんとタツキが出てくる。俺は何度も謝りながら、母ちゃんに抱きついた。すると母ちゃんもタツキも、泣きそうな顔をするから、俺も泣いてしまう。
ひとしきり泣き合った後、風呂場でタツキにシャワーでごしごし洗われ、タオルとドライヤーでわしゃわしゃ乾かされた。脱衣所から出ると、既に母ちゃんがご飯の準備をしてくれていた。俺はキャットフードを頬張りながら、新しく出来た友達の話を母ちゃん達にする。
引き籠ってた俺 産坂あい @turbo-foxing
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