最終話 ハレルヤ

 俺はいつものように教会へ向かっていた。

 今日も金属がぶつかる音や水が勢いよく流れる音なんかが聞こえている。

 

 (このうるさい音ももう少しで止むだろ)


 そんなことを思いながら歩いていると、見慣れた白い建物が見えてきた。

 教会の敷地へ足を踏み入れて、すぐに異変に気付いた。

 いつもならもうとっくに消えているはずなのに。何故かずっと聞こえたままだ。


「何だ? いつもだったらもう消えてるのに……」

 

 不思議に思っていると、一人の修道女と目が合った。


 「あなたは……」


 「ああ、どうも。お祈りに来たんですけど」


 すると、修道女がちらりと背後の建物を見てから、すぐに顔を前に戻して言った。


 「日を改めていただいた方が良いかもしれません……」


 「何かあったんですか? 牧師先生が体調を崩されているとか?」


 俺が尋ねると、今度は顔を伏せて、


 「先生は礼拝堂にいらっしゃいます。ですが……」


 その時、悲鳴が聞こえた。

 修道女と俺が同時に建物を見た。

 聞こえたのは複数人の女性の声だ。


 「すみません、失礼します!」


 俺は断りを入れて、教会の扉を開けて中へ入った。

 礼拝堂の方から何やら声が聞こえる。 

 俺はそのまままっすぐ走っていって、その扉を開けた。


 目の前にいたのは十数人の修道女たち。席を挟んだ教壇の前には瑠希るきの片腕を掴んだ無表情のままの牧師の姿。

 よく見てみると、彼女の右手には燭台が握られている。

 目に光は宿っていない。

 完全に『音』に当てられている状態だ。

 俺は礼拝堂の中に入ると、彼女たちに言った。


 「皆さん、すぐにここを出てもらえますか?」


 「ですが……」


 修道女の一人が心配そうに言う。


 「お願いします」


 もう一度言うと、修道院長と思われる五十代半ばの女性が、「分かりました」と答えた。続いて、彼女たちに向かって、


 「皆さん、ここは彼に任せましょう。さあ、行きますよ?」


 そう口にすると、扉を開けて礼拝堂を出ていった。他の修道女たちも戸惑いながらも後に続く。

 俺は彼女たち全員が出たことを確認すると、ゆっくりと牧師と瑠希るきに近付いていった。


 「クラウディさん、先生が!」


 今にも泣きそうな声で訴える。

 俺は黙って頷いた後、


 「大丈夫だ。必ず助ける」


 ゆっくりと距離を縮めていく。

 

 「牧師先生、クラウディです。分かりますか?」


 予想はしていたが、彼女は俺の声には反応しなかった。

 ただ呆然と宙を見つめている。


 瑠希の顔に浮かんだ不安の色がより一層濃くなった。

 二人の前で立ち止まる。

 無気力に見えても、油断は出来ない。

 俺は軽く息を吸った後、まっすぐ牧師を見つめた。


 「わたしの目にはあなたは高価でたっとい。わたしはあなたを……」


 俺が聖書(イザヤ書)の一説を口にした時、牧師の体がびくりと震えた。次の瞬間、すぐに掴んでいた瑠希の手を離した。

 手にしていた燭台を持ったまま、くらい目で俺を見据えながら向かってきた。

 

 すぐさま彼女の腹部に自分の手の平を当てる。触れた時、自分の手が震えていることに気付いた。


 「先生、すみません」


 緑色の光が出現した。数秒間、バチバチという音が響いて、やがて光が消えた。

 よろめいた彼女をすかさず支える。

 ゆっくりとその場に座らせた。


 「先生!」


 瑠希が目に涙を浮かべて駆け寄ってきた。


 「まあ瑠希ちゃん、どうしたの?」


 自分の背中に腕を回す彼女の頭をなでながら、牧師が不思議そうに尋ねる。瑠希はただ、先生が無事でよかったですとだけ口にして、笑みを浮かべた。

 

 「気分はどうですか?」


 「とても不思議な気分よ。恐ろしい夢から覚めたような、解放されたような……」


 「それなら、よかった」


 俺が口元に笑みを浮かべてそう言った時、礼拝堂の扉が開いた。

 正気が戻った牧師を見て、修道院長と修道女たちが安堵の表情を浮かべる。


 「先生、お祈りをしたいのですが」


 「ええ、もちろん」


 柔らかな笑みを浮かべて、牧師が言った。

 不快な音はいつの間にか聞こえなくなっていた。

                   

                          (了)


 


 

 

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クラウディの騒々しい世界に祈りは届くか 野沢 響 @0rea

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