今年も夏を迎え打つ

花恋亡

漫画脳、それは御都合至上主義

 俺、篠崎虎太郎は売れない漫画家である。

 芽はまだ出ない。


いや、少し良く言い過ぎたかもしれない。

漫画家志望のただのフリーターだ。

地元に居た頃に週刊誌の公募で奨励賞を貰って、俺でも漫画家になれると思い込んだ。

高校を卒業すると同時に上京。


風呂無しでトイレは共同の四畳半が我が城だ。


などと言えれば何かドラマでも隠れていそうだが、実際は畳の六畳間にそれと地続きの三畳程で板張りの台所、風呂とトイレはユニット式だ。

築数を想像するのが難しい域にまで達している絵に描いたようなボロアパート。


はじめこそ漫画のアシスタントで生計を立てるつもりだったが、自分よりも後から入ってきた歳下に画力も技術も追い越され、巣立って行く彼等を見送るのが辛くなってしまってアシスタントは辞めた。


今では交通整理のバイトで疲弊しきってから帰宅し漫画を描く生活をしている。持ち込みも公募も鳴かず飛ばずで、本当はコメディーが描きたいのだが編集さんのアドバイスで様々なジャンルを手当たり次第に描いては、辛辣な言葉をもらい肩を落とし帰って来るのがテンプレート化してしまっている。

ストーリーのアイディアは枯渇し、気力は下がっていく。


そして何よりこの猛暑だ。

この大都会の熱波は年々強くなり猛威を振るっている。

既に十二回経験しているはずだが一向に慣れる気配はなく。

昨年は熱中症で二回ダウンした。


この暑さをどうやり過ごすか、悩ましい。


生活費でいっぱいいっぱいな俺の懐事情では納涼グッズを買う余裕もない。

それでもやっとの思いで貯めたタンス貯金の六万円。いざ貯まっても作画用の画材を買うかエアコンを買うか決められないでいた。



 今日も今日とて台所の床によれたTシャツ姿で横たわる。この家で台所の床が一番涼しからだ。

恋人として接している扇風機のキャサリンを強風で直に当てる。


そしてもう一人、もといもう一台の恋人は畳部屋担当のステファニーだ。近所のリサイクル屋で半ジャンク品として売られていたところを保護した。

上京する日、自動車整備工の親父に何故か渡された工具箱は何かと役に立った。

首を振らないステファニーを見事に振り向かせてみたのだ。


そして今年は更に強い味方が居る。

百均で入手した霧吹きだ。床に寝たままこれを上方目掛けて噴霧する。するとあら不思議、扇風機の風と霧状の水が織り成すマリアージュ。

気化熱で涼しいのだ。

難点はびしょ濡れになるところだろう。


びしょ濡れのTシャツをキャサリンで乾かしているとインターホンが鳴った。

はいはいなんでしょう、とドアを開く。

するとそこにはこんなボロアパートには似つかわしくない、若い女性が立っていた。

どちらかと言えば可愛い系の顔立ち、髪の毛は淡い水色でポニーテール、何より肌はとても白い。もはや絹ごし豆腐だ。

そしてアンバラスな事に着物姿なのだ。白っぽい着物に水色の帯、赤い帯留め。

何事かと頭は軽くパニックになった。



「あっ私、土井中家政婦派遣センターから派遣されて来ました。ゆきンナと申します」



差し出された名刺は手書きで、尚且つお世辞にも綺麗な字とは言えなかった。



ンナとな? どこぞのK−POPアイドルなのかな?


「失礼ですね。純日本製ですよ」


それはさておき家政婦なんて頼んだ覚えはないですね。土井中家政婦派遣センターなんて初めて聞きましたもん。


「ん゙ん゙っおほんっさんはいっ」

「Yo! Yo! 

お困り事はなんだーい?

貴方のお役に立ちたーい。

暮らしのあれこれ任せたーい。

相談しよう!

そうしよう!

土井中家政婦派遣センターだぜぇYey.」


のCMでお馴染みの、みたいな顔してるね。

うん、全く知らないしそのサングラスとマイクは何処から出したのかな。

ああ、顔真っ赤だね、恥ずかしかったんだねゴメンね知らなくて。

頑張ってもらったところ悪いんだけどさ、恐らく間違いだと思うよ。

場所間違えてないかな?


「いえ、篠崎虎太郎様で間違いないです」


確かに俺は篠崎虎太郎だけど、なら誰に頼まれて来たの?


「あっよしえさんです」


……お袋じゃん。ちょっと待って確認するから。

もしもし母さんあのさ……うん、うん、えっ? そうなの? はぁ分からんけど状況は分かったわ。うんそれじゃあ。

はい。

雪女のンナさんがそっち行くから面倒みてやれって。なんか良く分からないけれどとりあえず上がってもらうか、話し聞くよ。


「ええーせっかく設定考えて来たのによしえさん話しちゃったんですか。もう」


(へへへっでも虎太郎様とンナは初めてじゃないんですよ。ンナが五歳くらいの頃に暑さにやられてしまって倒れ込んでいたところを虎太郎様がアイスを下さって助けてくれたのです)


もしかして心の声が全部口に出ちゃうタイプかな? だよね、心で思ったつもりだからびっくりするよね。それに覚えてないなぁ。

でそれの恩返しに来たと。


「はい。あの時にンナは虎太郎様に救われました。虎太郎様のお家の側で倒れていたンナに、食べていたアイスを分けてくれたのです」


えっ? 食べ掛け? 家から新しいの持って来たんじゃなくて?


「はい。もうベロンベロンに舐め回したやつです」


なんか、本当、ごめん。

で、雪女さんと言う事だけども、にわかには信じ難いんだが。


「よしえさんから虎太郎様が昨年熱中症になったとお聞きしまして、これはンナの出番だと思いました。ンナならきっとお役に立ちますよ」


ほう。

つまり雪女の力でこの冷房の無い部屋を寒いくらいに冷やしてくれる的な?

もう冷え過ぎて逆に寒くて震えちゃうみたいになるのかな。

それはとても助かる。早速お願いします。


「へへへっでは行きますよ。ふうーっ」


……ああ、うん、本当だね。

ひんやり冷たい。確かに冷たい。

君の息が届く範囲はね。

もっとこう冷風ビューって期待してたのだけども。


「すみません。これが限界です」


おーう、微風だね。

冷たさも冷蔵庫の冷気くらいかな。

でも確かに人間からこんなに冷たい息は出ないね。それに漫画家志望の端くれだ、見た目も絵に描いたような雪女だし、んー、信じるよ。


「てへへ面目ない。でもンナは恩返しがしたいのです。家事でも何でもしますから追い返さないで下さい」


まぁ、お袋にも頼まれたから俺は良いんだけどさ。言っちゃなんだけど結構な貧乏生活よ?

雪女って何食べるの?


「あっそれはザリザリ君を下されば大丈夫です。まぁ週イチでハーダンゲッツでも下さればテンションは上がりますね。あっ、でも、その、あのぉ」


急にもじもじしてどうしたの? 何? トイレ?


「はぁー。なんですかそれは。お父様のきん玉にデリカシーを置いて来たんですか?」


いや君も大概だよ?

それにせめてお袋のふくろとかにしてくれないかな、それだと悪いの親父だけになってるじゃん。


「おほんっ。違いますトイレじゃないです。ンナはあれをやってみたいのです。雪女がラーメンを食べたいのにいざ箸を付けると凍ってしまって食べれない、でも食べたい。ってやつ」


年代別アニメ名シーンでしか知らないやつ!

俺観たことないよ。ンナさんって何歳なの?


「あのアニメはよしえさんと観ましたよ。ンナは二十歳です。あと“さん”はいりません。ンナとお呼び下さい」


見た目通りの年齢なんだね。

お袋と観たって、あれか、サブスクか。

それに当然の如く俺の実家に出入りしてたのね。


「はい、よしえさんとは友達です。まぶです」


あのお袋なら不思議じゃないか。

まぁいいや、俺も興味あるからカップラーメンで良いなら今作るよ。



俺は三分経った熱々のカップラーメンと箸をンナの前に置くと、少しワクワクしながら様子を伺った。



「へへへっ行きますよ。ふーっふーっズズッ」


食えるんかーい!


「食べれ、ちゃいましたね。なんか、すみません。てへへ。それにラーメンって美味しいんですね、ザリザリ君程ではないですが」


うん、まぁ美味しいなら良かったよ。

でも雪女ってイメージ通り着物なんだね。着替えどうしようか。


「なんかこれデフォルトで付いて来るんですよ。全然脱げますし、何でも着れます。部屋着下さい」


部屋着って言ってもな、今の俺の格好みたいなのしか無いよ?


「全然大丈夫です。着替えるついでに水浴びしても良いですか? シャワー借ります」


なんか親戚の子が遊びに来たみたいな距離感!



水浴びを済ませたンナはダボダボのTシャツと短パンを着て嬉しそうにクルクルとしていた。

こうして俺と雪女の共同生活が始まったのだった。



 しかしンナはなんだか何処か抜けている。

確かに家事は一通り出来る感じなのだが、初日に作ってくれた夕飯のメニューはというと、なます、きゅうりとわかめの和え物、冷や奴、さばの水煮缶に大根おろしだった。


俺は、雪女だから火を使えないのかな?

なんて訊いてみたら「あっ、全然余裕です。ほら夏場の料理って暑くてダルいじゃないですか」だそうだ。

別に作ってもらった物に不満があった訳でもなく、思った事を興味本位で訊いてみただけだった。


だがその翌日。

仕事から帰宅するとンナは「今日はそうめんを茹でますよ。虎太郎様は何束いける口ですか? 茹で上がり後のそうめんは想像の倍の量になりますからね。心して答えて下さい」となんだか得意気だった。

俺は二束でお願いします、と答えてンナの料理姿を眺めていた。

そして茹で上がったそうめんを鍋からザルにあける時にそれは起こった。

熱々の蒸気がもろにンナの右手に掛かったのだ。鍋がシンクに落ちる音と共にンナの声がした。


「ああーやっちゃったー」


俺は火傷をしてしまったと思い慌ててンナの元へ行くと、それは火傷よりも大事に見えた。

何故なら右手の手首から先が溶けていたのだ。

パニックになる俺をよそにンナは落ち着いた様子で「全然大丈夫です。水掛けて冷やせば元に戻りますから、ちょっと冷蔵庫お借りします」と水道の水を掛けてから冷凍室に腕を突っ込んだ。

五分程経って腕を引き抜くと本当に元通りになっていた。

ンナの説明を聞くにどうやらあまりの高温にはやはり弱いらしく体が溶けてしまうらしい。

カップラーメンはふーふーして良く冷めていたから問題がなかったとの事。

でも仮に溶けてしまっても水を掛けて冷やせば元に戻るらしい。

珍妙な生き物だなと、率直に思った。それでも体が溶けるなんてやっぱり可哀想だから十分に注意する約束をした。


この日以降は料理中の失敗で手を溶かす事もなくて、誰かが作ってくれるご飯は格別で、なにより一人じゃないって事がこんなにも楽しいだなんて知らなかった。



 ある日は俺が帰宅すると、とても得意気で嬉しそうに「ンナは凄い発見をしてしまいましたよ虎太郎様」と腰に手を当てて言うから何事かと思ったら、どうやら扇風機のキャサリンの前にンナが居ると部屋がほんのり涼しくなる事に気が付いたそうだ。

確かにンナ越しに流れてくる風は冷たくて心地良かった。

よっさすが雪女っやっるぅー、と調子良く言う俺。

ンナはまんざらでもなさそうに「へへへっ」と可愛く笑った。


ンナと生活していて気付いたのは、やはりと言うべきか、この猛暑だ、エアコンも無い部屋で家事をしていると僅かに体が縮むのだ。

朝に見送ってくれたンナと、夕方出迎えてくれたンナのサイズが変わっている。

そして水浴びをして出てくると元のサイズに戻っているのだ。ともするとンナが雪女だということを忘れてしまっているのだが、このタイミングで実感する。


 ンナとの生活にも慣れた頃、二人で夕飯を食べていると遠くでドンッと音が聞こえた。はじめは雷の音かと思って身構えていたンナだったが俺が花火の音だと教えると目が輝いた。

確か大きな川の向うでいつもこの時期に納涼花火大会がやっていたなと思い出した。

一番大きな花火はこのアパートからも見える事を伝えると、ンナは窓辺に陣取ってウキウキしている。

俺は明かりを消して部屋を暗くし、ンナ越しに外を眺めた。空が明るくなるのは分かるのだが、肝心の花火は中々見えなかった。

目の前の建物の屋根から僅かに青や緑や赤の花火の頭が覗いた時は、ほとんど“見えていない”に数えても良いくらいなのに、ンナはキャッキャと無邪気にはしゃいだ。

クライマックスはもっとちゃんと見えるよ、と俺は窓辺に近付いてンナとそのタイミングを待った。

綺麗に流れる枝垂れ柳の橙色が幾つも重なって一際夜空を明るくする。

「わあ」と溢すンナの横顔も明るくなって思わず眺めてしまっていた。

どうやら花火は終わったようで、再び夕飯の続きをしている時にふと思い出した。

確か来週だったと思うけど、近くで夏祭りがあるはずなんだ。行く?

我ながらいい歳したおっさんが、花火を見て変なテンションで気持ち悪い事を言ってしまったと直ぐに後悔していたら「はいっ! 絶対に行きます!」そう笑顔で返ってきた。

おっおう、とまた気持ち悪く言ってしまった。


この約束からンナはなんだか嬉しそうで、漫画で効果音を付けるなら“ルンルン”が常に周りにある感じだろうか。

俺も内心楽しみになっていたが、そこは大人の余裕で平静を装った。


 そうして当日を向かえた。

せっかくだからあの白い着物を着たらどうか、と俺が言うと「ンナはこの格好が良いのです。でもTシャツinした方がお洒落ですかね? どっちが良いですか?」なんていつもと変わらない俺のクタクタでオーバーサイズなTシャツと短パン姿で行くと言う。

お洒落の事は分からないがTシャツは出してた方が絶対に良い気がした。


カラコロンと鳴るンナの下駄も風流で良かったが、道中で寄った百均でお揃いのビーチサンダルを買い、ついでに髪を纏めるシュシュも買ってあげると「へへへっ」っていつもみたいに溢れそうに笑った。


夏祭りの出店をブラブラと眺めながら歩く。

ンナは目を輝かせて「あれは何ですか? あれは何ですか?」って子供のようだ。

食べ慣れないりんご飴に悪戦苦闘しているンナを微笑ましく思いながらゆっくりと歩いた。


ンナの下駄を持っている俺の右手首をンナのひんやり冷たく、それでいて柔らかい手が掴む。

「虎太郎様はぐれちゃいますよ? へへへっ」そう言うンナに、俺は下駄を持ち替えて彼女の手をそっと掴んだ。

その可能性が有るのはンナの方だよ、と言ったが恥ずかしくて前しか見れなかった。


射的、くじ引き、金魚すくい、型抜きはムキになってしまうから俺はやらなかった。花火も上がらない小さな祭りをゆっくり消費していった。

締めはやっぱりかき氷で、俺は青りんごでンナはブルーハワイ。舌の色をお互い見せっこなんてして、まぁこんな夏なら悪くないな、そう思った。


帰り道、髪をほどきシュシュを手首に巻いたンナがクルクルと回る。まるで流れる髪と追いかけっこをしているようで、それがとても無邪気で、とても綺麗で、ああ漫画のヒロインみたいだな、と見惚れてしまった。

そして勝手にこんな日が続くんだと思っていた。



 しかしこの翌日からンナの元気が次第に無くなっていった。

やっと家事をこなす姿は力無くて、少しづつ細くなっていく体は水浴びをしても元に戻らなかった。

心配で声を掛けても「へへっ、夏バテですよ」と空元気で答えさせてしまうだけだった。

何もしなくて良いから休んでくれ、と頼んでもンナは無理をしてしまう。


そして遂に倒れてしまった。

慌てた俺はキャサリンとステファニーをンナに向け霧吹きを掛け続けた。

ンナは「すみません」と謝るばかりだった。


俺は翌日六万円を握りしめてリサイクル屋へ向かい、お店の人に頼んである物を一緒にアパートへ運んでもらった。

それは業務用のアイスのショーケースで膝を曲げればンナが入れる程の大きさの物だった。

冷え切るまで多少時間は掛かってもこれが最短だと思った。

冷え始めたショーケースにンナを寝かせる。


やっぱりンナは「すみません」と言うばかりだった。


とうに冷えてるはずなのにンナの元気が戻らないまま夜になった。


ンナはショーケースから出て来て俺に言った。


「虎太郎様すみません。ンナは元よりこの夏までの命なのです。虎太郎様との日々が楽し過ぎて言いそびれてしまいました。ですがそろそろのようです。ンナの最後のお願い聞いてくれますか? 今夜は、虎太郎様の胸の中で眠りたいです」



受け入れざるを得ない雰囲気があった。



俺のTシャツを両手で掴んで顔を埋めるンナを優しく包む。


その冷たさにやっぱり雪女なんだなと嫌でも実感した。


ンナが話しだす。


「ンナは生まれる前から本当は虎太郎様を存じ上げておりました。虎太郎様の故郷ではある花が咲きます。その花は冬にのみ咲き、吹雪の中、花弁を散らす事なく十日堪えますと、その花は雪女となるのです。そして花が雪女へと成って二十年を越した次の夏に必ず水となって消えるのです。今から二十年前に一輪の花が咲きました。ある日その花は小さな男の子に出逢いました。男の子は、花さんが可哀想、と言って小さなかまくらをその花に被せてあげました。吹雪く中、毎日来ては積もった雪を払い新しいかまくらを被せてあげました。へへっあの時の虎太郎様、可愛かったな」



ああ、それなら覚えてる。

急に花が無くなって寂しかったっけ。



「ンナは、雪緒ンナは虎太郎様をあの日からお慕いしておりました。アイスを頂いたのは、どうしても虎太郎様に会いたくなって出掛けたのに暑さにやられてしまった時です」



「ンナは虎太郎様が大好きです」




俺の心にあるこの感情に、名前を付けるにはまだ一緒に過ごした日々は短すぎるから、ただただ素直な気持ちを言葉にしようと思う。



俺はンナと過ごした日々が堪らなく楽しかったんだ。

おっちょこちょいで何処か抜けてて、でも一生懸命なンナが可愛らしくて、とても愛おしかった。

こんな日々が続けば良いなって心から思ってる。

このまま秋も冬も春も、次の夏も、またその次の夏も、俺はンナと一緒に居たい。



「冬は里帰りしますよ、へへへっ」



ンナは笑いながらそう言って一段と強くTシャツを掴みながら、俺の胸に深く顔を埋めた。


俺も応えるように強くンナを包み込むと、やっぱりンナはひんやりとしていて、心地良くて、知らぬ間にそのまま眠ってしまっていた。



外から射す陽の光が熱くて目を覚ませば、抱き締めていた筈のンナの姿は何処にも無くて、見慣れた俺のTシャツと短パンだけがその代わりにびしょ濡れで俺の傍にあった。



俺はそのTシャツと短パンを濡れたまま綺麗に畳むと、アイスのショーケースにそっと入れた。

何故そうしたかなんて、論理的に説明など出来ないけれど、本能的にそうしたかった。



 以前とまた何ら変わらない日々が戻ってきた。

仕事に行き、疲れて帰宅する。時折気まぐれにザリザリ君を買ってはショーケースに仕舞う。

そうやって時間は過ぎて行った。

秋になり、冬になり、春が来て、また夏を迎えようとしている。



あいも変わらず空いた時間にはペンを持ち机に向かうが漫画のアイディアなんて浮かんで来なくて、絵が下手にならないように描いたスケッチばかりが溜まっている。

それらを一纏めにしてぼんやり眺めながら、今年の夏はどうやって暑さを凌ごうかと考えていた。



するとインターホンが鳴った。



気のない返事をしながら扉を開ける。

そこには何処か見覚えのある小さくて可愛らしい女の子が立っていた。



この時突然に漫画のアイディアが浮かんだんだ。


冴えない男の所に夏なのにドジでおっちょこちょいな雪女がやって来るコメディーで、男は振り回されながらも楽しく過ごすんだ。


でもそれは、本当は時間制限付きの日々で最後には悲しい別れが訪れる。


男は心に穴がぽっかり空いて、元気が無くなってしまうんだ。


そして迎えた次の年の夏。


男のボロアパートに小さい女の子が訪ねて来てこう言うんだ。

「なんか転生出来ちゃいました、へへへっ」



それに男はこう答える。

「ザリザリ君食べるか?」



女の子は間髪入れずに言うんだ。

「リッチでお願いします」



そうやって、何度だって暑い夏を二人で過ごす。


そんなコメディーだ。


タイトルはそうだな。


「今年も夏を迎え打つ」







おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今年も夏を迎え打つ 花恋亡 @hanakona

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ