異世界案内人と隣の居候

渡貫とゐち

女神のお部屋


 果てのない真っ白な空間だった。

 その空間は平面なのか球体なのかも分からない。


「ここは……?」

「おや、死んでしまうとは情けないですね」


 十五歳の少年の耳に届いたのは女性の声だった。

 じゃらじゃらと宝石類の装飾品を身に着けた、グラマラスな女性である。

 露出度が高いのに不思議と性欲に結びつかないのは、本能で彼女の正体が分かってしまっているからなのかもしれない。


「はじめまして、異世界への案内人を務めています、『女神』です」

「女神、様……?」


 少年が姿勢を正して、正座で女神と相対する。


「は、はじめましてっ、僕は――」

「はい、全て分かっていますので、自己紹介はいりません。それに、すぐにあなたとはお別れになりますからね」


「え……? あ、あのっ、すみませんでしたっ、だから殺さないでくれますか!?!?」

「殺しませんよ!? ……私の役目はあなたを別の世界へ送り、役目を与えることです……異世界転生のためのお手伝いをするのが、私、女神のお仕事ですから」


 女神が両手を器のような形にさせると、手の平の上に出現する水の塊……。

 綺麗な球体となったそのガラスのように綺麗な球体……――水晶玉に映るのは、少年が今から送られる異世界の映像だ。


「剣と魔法のファンタジー世界です。あなたたちが好きなレベルシステムも導入されています。レベルさえ上げれば意外となんでもできてしまう『高レベル至上主義』の異世界となります……良かったですね、こういう異世界はお好きでしょう?」


「いえ……すみません、ゲームとかしないのでよく分からないんですよね」

「あ、そうですか……でもゲームであるかどうかは分かっている様子ですが?」

「まあ……。友達と喋っていれば自然と耳には入ってきますし」


 これまでに見送った男の子はみな、ゲームのような異世界を好んでいたから、彼もそうだと勝手に思い込んでいた。……人間には当たり前だけど個性があり、好みがある。全員が剣と魔法のファンタジー世界を喜ぶわけではないのだ。


「まあ、そういうこともありますよね。……よく知らないとなると過酷な異世界生活になってしまうかもしれませんね。今、あなたを送ることができる異世界はここしかなくて……。断るというのなら、あなたの魂はここで消滅することになります。綺麗な魂は時間をかけてあなたの来世の生命となるでしょう……ご安心ください」


「断ったりしませんっ、その異世界でいいので送ってください!」


「では、お望み通りに。……ひとつだけ、チートスキルをあなたの与えることができますが、どうしましょう? あなたが望むスキルを作って差し上げます。スキルではなくとも希望があればできるだけ叶えるようにはしますよ?」


「……ちなみに、スキルって、どういうものがあるんですか?」


 前例を挙げれば、時間の巻き戻しや、死亡しても短時間ならば蘇生される超回復、強制的な人心掌握や、異世界の知識が最初から全て分かっている、などがある。

 スキルでなければ、貴族の家の息子に転生したいなど。女神はたったひとつだけであれば、転生者の願いを叶えてくれるのだ。


「――とまあ、色々とありますが。あなたはなにを望みますか?」

「じゃあ――」


「私を連れていくのはなしですので」

「…………」


「私の仕事の穴を埋められる女神はいませんからね」

「じゃあ……僕のことが大好きな妹が欲しいです」

「貧乏でも構いませんか?」

「できれば貴族……いや、でも貧乏な方が兄妹の絆は深まるのかな……」


 苦楽を共にすれば。

 裕福な家庭でも苦楽はあるはずだが、貴族に生まれると大人のゴタゴタに巻き込まれる可能性がある。それを踏まえ、少年は貧乏過ぎない家庭を望んだ。


「本当に、チートスキルでなくて構わないのですね?」

「はい。別に、魔王を倒したいわけではないですから」


「私としては戦力のひとつになってほしいですが……まあ、いいでしょう……(あなたの妹に細工をすれば、あなたを動かすことも容易いですし……)」


「え? 最後の方なんて言いました?」

「異世界ライフを存分に楽しんでくださいませ、と言いました」

「口の動きが違うと思うのですけど……」


 その後、女神から異世界での生活について一通りの説明を受けた後、女神が訊ねた……

「最後に質問はありますか?」


「……聞いてもいいですか?」

「はい。疑問点はここで解消しておきたいですから」

「じゃあ……あの、」


 少年が女神の背後を指差すと、すかさず女神が答えた。


「ダメです」

「ダメって……」


「『あれ』については一切触れないでください。――質問の受付は終了しました。今からあなたを異世界へ送ります……歯を食いしばってくださいね」


「展開が早いですね……あと歯を食いしばる? 殴られるんですか?」

「私の綺麗な拳で殴るわけないでしょう。殴りませんが、ちょっと、転生するのに痛みを感じるかもしれません――という忠告です」


 淡々と説明されるのが一番怖い、と怯える少年だが、既に転生は始まっている。

 さっきまで女神の手の平の上に浮かんでいた水晶玉ほどの球体が、今では人が入れるくらいには大きくなっている。


 波紋を広げる水面。映っているのは少年が今から向かう異世界だ――――

 普通にドラゴンが空を飛んでいる異世界。剣と魔法のファンタジー。


 魔法という便利な力がある世界とは言え……。

 チートスキルがあっても過酷な生活になるのではないか? スマホに頼りきっていた現代人が、スマホがない異世界で普通に生活ができるのか……?


 道に迷ったから地図アプリで現在地を確認、もできないわけで。

 本来持っていた、人間力が試される。


「やっ、ちょっと待ってください寸前で怖くなったのでもう少しだけここに――」


「はーいダメですよー。そういうのはもういりませんから、早くさっさと異世界へいってくださーい!」


 尻を蹴って、少年を巨大な水の球体に押し込む。

 少年は、異世界へと旅立った……。彼の魂は一度崩壊し、異世界人の『母』の中で再構築されるのだ。もちろん、前世の記憶は持ったまま。


 彼の場合は、女神が叶える願いとして、兄が大好きな妹も後に生まれることになっている。生前、妹とは関係性が良くなかったのかもしれない。それか、こっぴどく妹にフラれて、異世界だけでも妹に好かれたい、という願望があったのかも――――。


「まあ、私が掘り下げるべきところではないですね」


 ひと仕事を終えた女神が肩の力を抜いて振り向く。

 大きな溜息を吐いた女神が見たのは、まるでリビングでテレビを見るように横になってくつろいでいる青年の姿だ。


 ……居候である。

 彼は少年と同じように、死んでから女神の前へ現れ、異世界転生の説明を受けた。その後、彼はチートスキルとして、特権を受け取ったのだ。


『――異世界に転生するつもりとかねえからさ、ここにいていい? アンタの仕事ぶりを見ておいてやるよ』


 と。



「――お疲れさん。外向けの顔が多少崩れていたが、まあ女神っぽかったんじゃねえの?」


「偉そうに……。あなた、退屈じゃないの? 飽きたらいつでも異世界へ送ってあげるから、遠慮せずに言ってくれる? というかもうそろそろ出ていってもらえるかな? 仕事がしにくいのよ」


「しにくいと感じているなら集中できてねえってことだ。仕事に集中しろ、女神」


 作り笑いが引きつっている女神が、一日中どころか半年以上もだらけている(不本意な)同居人を睨む。既に慣れたのか、青年は睨まれてもどこ吹く風だ。


「娯楽もないのによくもまあ長々と……。まさか一生いるつもりもないでしょう? そもそもあなたは死んでる身だから、一生と言えば本当にずっとこの空間にいることになるわよ? 美味しいものだって食べられないのに……なんで……」


 なにもない。


 女神である彼女は娯楽も食事も必要とせず、淡々と異世界へ転生者を送り届ける仕事を繰り返すだけだ。そういう『存在』であることが生まれた時から頭にインプットされているために、疲れも嫌悪も感じない。空気を吸って吐くのと同じことなのだ。


 女神が堪えられるのは分かるが、この青年、どうして退屈な世界で仕事もせずに長々と居候をすることができるのか。

 まともな人間ならもっと早くに発狂していただろう……。


「ん? 娯楽ならあるだろ」

「……? ないでしょ」

「目の前に、ほら」


 青年が指差したのは…………女神。


「…………私?」


「ああ。仕事ぶりだけじゃなく、一日中、私生活を見ているから飽きねえよ。たぶんこれからもずっと。だから気にせず普通に過ごしててくれ。やってくる客と喋ってるアンタを見るのが好きなんだよな。だから安心しろ、それがオレにとっての最高の娯楽っつーわけだ」


「…………じろじろ、見ないで」


「あぁ、いいな。そういう照れた顔も。

 その顔が見れただけで、向こう半年は楽しく過ごせそうだ」


 女神は、嬉しいような、だけど気持ち悪いような……複雑な表情を浮かべながら、


「……私をオカズにして、色々やってないよね?」

「遮蔽物のねえ空間でなにができるんだって話だが」

「すっごく遠くまでいけば、私の目も届かないけど……」

「で? オレがいなくなった時を見たのかな、女神さん」


「……ないわよ」

「じゃあそれが答えだ」


 青年は、女神を見て楽しんでいても、性欲に繋げてはいなかった。

 既に死亡している青年からすれば、そういう気も起きないが……。


 女神は肌の露出度も高く、当然、美人と言われるような美貌を持っている、

 が。

 女『神』ゆえに、ただの人間である青年に、彼女を性的に見て消費することはできないのだ。


「本当に、見てるだけで満足なんだよ。いいから、意識すんな。オレのことはそこらへんに転がってる石とでも思っててくれ」


「……うぅ……分かったわよ……」


 と言ったが、チラチラと青年を気にしてしまう女神だった。

 そして青年は、自分を気にしている女神を見て、退屈を知らずに楽しめている。


 やがて。

 異世界転生予定の死者が、この空間にやってくるのだった。




 …了

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異世界案内人と隣の居候 渡貫とゐち @josho

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