第16話 女伯爵、ウォード家の眼病を心配する

 ジョシュア様がお仕事に戻られた後、私もレイラさん、アンナさんに言われ食堂を出た。

 侍女長のレイラさんと私の専属侍女のアンナさんは、食堂から私にあてがわれた部屋があるらしい二階へ向かう前に、一階にある音楽サロン、ティーサロン、ジョシュア様がお仕事でお使いになる応接室などを案内してもらい、二階に上がるための階段を上り、私的なサロン、図書室と続き、最後に『私の部屋』と念を押されたうえで、二階の最も奥にあるお部屋をあんないされた。

 アンナさんがにこやかに微笑みながら扉を上げてくれた。

「こちらがポッシェ様に使っていただくお部屋になります。どうぞお入りくださいませ」

「は、はい」

 しかし、一歩入ったところで、用意されたその部屋があまりにも目に眩しく、私は立ち尽くしてしまった。

「ポッシェ様? どうぞ、お入りくださいませ」

「は……はい……」

 2度も言われては入らないわけにもいかず、意を決してまずは一歩、部屋へ足を踏み入れる。

「……わ、ぁ……」

 それはもう、本当に私が使ってもいいお部屋なんですか? と目を疑いたくなるほど豪華なお部屋で、私は再びその場で立ち尽くしてしまった。

 染みも歪みのない柔らかな色合いの木材の綺麗に磨かれた床、皺も染みもない綺麗な淡いピンクの花柄の壁紙と白い腰板のついた壁、白い木枠にゆがみや曇り一つもない透明なガラスの大きな窓は開けられていて、外から入り込んだ風に、柔らかく揺れるレースのカーテンと、穴の開いていない落ち着いたミルク色の分厚いカーテンがかけられている。同じ意匠と色で統一された家具は皆、猫さんの足が付いていてとても可愛らしい。

 その家具とは別に、部屋の中央にはふわふわで毛足が長いカーペットが引かれ、その上には淡いピンクの布地の張られたソファのテーブルが設置されており、テーブルの上には硝子のケーキカバーのかけられたトレイの上に、先日お見合いの席で食べたお菓子まで飾られているのだ。

 そんな中、私は自分と目が合い、心が落ち込んでいくのを感じた。

(私、とても場違い……だわ)

 目の前に置かれていた、大きくて彫刻も美しい姿鏡に映る自分は、分からないようにつぎはぎをしていると言っても、所詮は数年前にメイド達が来ていたお仕着せを仕立て直した古めかしいワンピースにくすんだ靴の姿で。

 綺麗に整えられた部屋にただ一人、くすんで、滲んで、異物の様に映り込む自分の姿に、私は自分でショックを受けてしまった。

「あ、あの……。申し訳ないのですが……」

『こんな素敵なお部屋じゃなくても、屋根裏の使用人部屋とかにしていただけませんか?』

 と言う前に、私の左側に立ったアンナさんがにっこりと笑みを深め、右側に立った念押しするように私に言った。

「こちらが、当家の主人がポッシェ様のためにご用意した、ポッシェ様のためのお部屋になります。どうぞ、伯爵邸が完成するまで、こちらを我が家と思い、お過ごしくださいませ。さ、ソファの方へどうぞ」

(え、笑顔が怖い……。)

「は、はい」

 笑顔で押し切られてしまったため、恐る恐る、一歩、また一歩とソファのある方へ足を進めると、部屋の中の家具はすべて、白を基調に柔らかなピンク色の花柄の布地を使用し、一式揃いで用意されたものだと分かった。

(これは……どれだけお金がかかっているのかしら)

 動揺しながらさらにお部屋に奥に入ると、我が家では見たこともない天井とカーテンのついたベッドまである。

(わ、触ってみたい……)

 ちらっと背後を見れば、にっこりとレイラさんとアンナさんが微笑んで頷いてくれたため、上からそっと押してみた。

「わ、さらさらのふわふわ!」

 あんまりの手触りの良さに、ポフポフと、何度も繰り返しその感触を楽しむ。

(こんなふわふわのベッドで寝たら、きっとお昼に食べた生クリームに包まれる夢が見れるわ)

 そう考えてしまうのは、ところどころ穴が開いて中身がとびだしていた我が家のベッドが可哀想に思えるくらいに、しっとりとした感触と、しっかりとした弾力があって、まるで先ほど食べた生クリームの様にふわふわだったからだ。

(もっと力を入れて押したら、ぺたんこになるのかしら?)

 と思い、今度は体重をかけてぎゅうっと押し込んでみる。が、一度へこんだ寝具はとてもいい香りを漂わせながらふっくらと元に戻った。

「……すごい」

「さぁさポッシェ様。そろそろこちらへどうぞ」

「あ、はい!」

 レイラさんに呼ばれて慌ててベッドから離れ、急いでソファに向かうと、どうぞ座ってくださいと言われる。

 恐る恐る座れば、すぐにアンナさんによって、淡い翡翠色のお茶の注がれた、白にピンクの小さなお花の文様が入った可愛らしいカップが差し出された。

「こちらは、心を落ち着けるハーブティです。お食事の後でございますので、すこし座ってゆっくりなされてはいかがですか?」

 にっこり笑ってそう言ってくれたレイラさんに、私は顔を真っ赤にする。

「す、すみません! あっちこっち見て回ってしまって」

「いいえ、こちらのお部屋はポッシェ様のお部屋ですので、結構でございますよ」

 にこにこしながらそう言ってくれたレイラさんにお礼を言いながら、私は目の前に出された人生初めての『ハーブティ』なる物を口にする。

 かぎなれたお花の匂いにあら? と思いながら、目の前でたっぷりとはちみつを入れてくれたそれを口にすれば、爽やかな苦みに近い癖が少しだけあるが、その花の姿が脳裏に広がる。

「これは、カミツレですね?」

「はい。カモミールティに蜂蜜を入れさせていただきました。ご存じでしたか。」

「はい! 自分でよく淹れて飲んでいましたから。懐かしいです」

 ほっとした顔をしたレイラさんとアンナさんは、次の私の言葉を聞いて目を真ん丸にした。

「カミツレはお茶に出来ると聞いて、お花屋さんから種を買ったんです。そうしたら沢山咲いてくれたので、ばあやと一緒にお花を摘んで、お茶を作ったんです。上手にできた時には市場で八百屋さんのおかみさんや果物屋のおかみさんにあげると、お礼にって品物にならないお野菜や果物と交換してくれたんです。そういえばあの時に初めてつやつやの真っ赤な林檎を貰って、三人でおやつにいただいたんですけど、甘くてとても美味しかったなぁ」

 じいやもばあやも、久しぶりに食べるととても美味しいですね、と喜んでくれたなぁと思い出しながら、にっこり笑ってカミツレ茶を飲み、それから、と二人を見ると、レイラさんとアンナさんが何故か目を潤ませていた。

「あ、あの、どうかしましたか!? 目にゴミがでもはいりましたか?」

「ポッシェ様!」

 慌ててティカップを置いて二人に声をかけると、レイラさんとアンナさんが私の手をそっと握り、何度も頷きあいながら。

「私共が必ずや! ポッシェ様を立派な伯爵令嬢……いいえ、女伯爵にお育てすると誓います! 大変なこともおありかと思いますが、ポッシェ様なら大丈夫です! 頑張りましょうね!」

 と言ったのだ。

 そのあまりの勢いに飲まれ、私は大きくなんども頷いた。

「え? あ、はい、よろしくお願いします。レイラさん、アンナさん」

 勢いのままそう言ってきゅっとお二人の手を握り締めると、さらにうんうん、と顔を見合わせて頷きあってくれた。

 のだけれども……。

「では、今日、今この瞬間から、私共使用人の事を『さん』付けで呼んだり、『ありがとう』と頭を下げたりしては行けません。いいですね?」

 そう、はっきりとレーラさんに言われたのだ。

「え? でも皆さん年上で……」

「私共は使用人で、ポッシェ様は女主人となられるお方、そして女伯爵でいらっしゃいます。まず、身分が違います。隙を見せてはいけません」

「で、でも……」

 例え親子でも、年下の者は年上の者を尊敬し、逆らうことなく、敬わなければならないのよ! とはお母様の口癖で、いつもそう言って少しでも反論したり、言われたことを出来なければ躾用の鞭で叩かれていたため、そのようなものだと思っていたのだけれど……。

「よろしいですね?」

「は、はい……(こ、こわい)」

 レイラさんの圧のある笑顔に、対反射的に頷いてしまった。

「大変けっこうです。」

 そんな私の返事にレイラさん……じゃなくて、レイラは満足そうに微笑んだ。

「お茶をお楽しみのところもうしわけございません、ポッシェ様。」

 恐れおののく私に、声をかけてきたのはアンナで、ベッドのそばの荷物置きに置いてある私の手荷物を手で指し示した。

「侍女長とご歓談の間、わたくしがあちらのお鞄の中身を片付けさせていただいてもよろしゅうございますか? 足りないものなどありましたら、至急商会から取り寄せるように、と旦那様より申し付かっておりますので」

「必要なものですか?」

 ひきつった笑顔のまま、新しく淹れられたハーブティを飲みつつ、こてんと首をかしげると、さようですと頷いたアンナに、私は鞄の中の物を思い浮かべながらもお願いすることにした。

「取り寄せしなければならないような物は特にないと思いますが……あ、では、私が片づけをやりますので、手伝ってもらえますか?」

 すると、もちろんですとも! と頷いてくれたため、私はハーブティを飲み終え、レイラ、アンナとそちらに近づいた。

「と、言っても、ほとんど何も入っていないんですけど……」

 壊れた鞄の蓋を開けると、まず出てきたのは祖父母と私の絵姿の入った額縁。

「こちらはベッドのそばに飾りますか? それとも勉強用の机に?」

「じゃあ、ベッドに……」

「かしこまりました」

 きゅっきゅと丁寧に磨いてから、ベッドサイドのチェストの上にそれを置いてくれたアンナ。

 領地の資料や書類なども、綺麗に整理して勉強用の机に入れてくれた。

「……あとは、レイラさ……」

 きらり! と、レーラの目が光って、慌てて私は言い直す。

「レイラから先日もらったワンピースしかないのだけど……」

「さようでございますか? ……まぁ、本当に……。」

 数着のワンピースと、まともな方だった(らしい)下着を取り出すと、空っぽになった鞄。

 それを確認したレイラとアンナはなぜかまた、目頭を押さえた。

「あ、あの、目が痛いんですか? 大丈夫……で」

「大丈夫でございますわ、少々埃が入っただけでございます。ポッシェ様の御心配には及びません」

 そう言って2人とも、先ほどまでのお顔に戻ったけど……。

(ジョシュア様のお屋敷では、原因不明の眼病が流行っているのかしら? お薬がやっぱり必要なのでは?)

 と、私は心配になり……一つの仮説が思い浮かんだ。

(は!? ほこり!? もしかして私がとても埃っぽいという意味では!? それは大変だわ!)

「あ、あの、もしかして私が皆さんの目がいたくなるくらいに、埃っぽいですか? それなら、本当にごめんなさい。 やっぱり、あの……」

(場不釣り合いだし、出て行ったほうがいいのかしら?)

 と確認しようと思い、喉元までその言葉が出てきたところで、レイラがにこりと笑った。

「そんなことはございませんよ、しかしそうですね、ちょうどよい機会かと存じますので……」

 そう言いながら、何かを持ってくるように、誰かを呼ぶように、とアンナに何かを指示すると、アンナも笑顔で用意してまいります、と出て行ってしまう。

「あ、あの……。」

 困惑する私に、レイラはあの圧のある笑顔を向けてきた。

「ちょうどようございます。食後でございますので、簡単にシャワーを浴びていただき、その後、採寸させていただきたいと思います」

 にっこりと笑ってそう言ったのだった。

「は、はぁ……」

(採寸って、何?)

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爵位と金を天秤にかけた政略結婚を受け入れた赤貧女伯爵は、与えられる美食と溺愛に困惑する 猫石 @nekoishi_nekoishi

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