第15話 女伯爵、初めて『ほっぺたが落ちそう』を体験する

「……ふわぁぁぁぁぁぁ……」

 と、これは私のでっかい欠伸などではなく。

(本当に実在していたんだわぁぁぁぁ。)

 という、私の胃の奥底から漏れ出た、感嘆の息だ。

 お行儀が悪くなってしまったのは本当に申し訳ないと思うのだが、長年憧れ続けた食べ物が目の前にあり、それが口に入った瞬間に、ほっぺが落ちてしまわないように、私の両の手が自己防衛として反射的に頬を押さえた代わりの声なのだ。

(私は今、夢の中にいるのではないかしら!? だって、だって、だって!)

 目の前で燦然と輝くは、目の前には、道端に置かれているメニューの挿絵で見た事しかないような、大きくてふわふわで、白くてきつね色で赤くて紫で、厚くて香ばしくてふわふわのパンケーキなのだ。

 セバスチャンさんの手によって音もなく、私の目の前に置かれたその白い皿に盛られた伝説の食べ物は、なぜかキラキラと光り輝ていて、神々しさまで感じさせる。

「……わ……」

 上から、下から、横から、お行儀が悪いと解っていても見てしまう。

(なんて綺麗な食べ物なのかしら)

 ふわふわで分厚いパンケーキに、真っ白な山がそびえ立ち、大小さまざまで、色とりどりの果物がそれを彩ったどこから見ても完璧な造りは、思わず見惚れて、それから今日の昼餐になる予定だった我が家のパンケーキを思い出す。

(こうしてみると、ジョシュア様をお迎えするにあたり奮発して作ったパンケーキは、小麦粉とお水を使用して見よう見まねで私が作っってみたけど、白くてぺったんこの、全くの別物だったわ。あれでは、困ったお顔になられたのもあたりまえね)

 我が家にとってはとっても贅沢な一品だったあれも、ジョシュア様にとってはたしかにペロンとした何か、だったのだろう。

 感心と反省を繰り返しながら目の前のパンケーキを見ていると、何時の間にか私の後ろに控えていたらしいアンナさんが、そっと私の左側から傍に寄ってきた。

「お隣から失礼いたします。ポッシェ様……」

「え? あ、はい。 ごめんなさい!」

 多分、お行儀が悪いですよ? という事だろうと解り、頬を支えていた両手を膝の上に置き、ピッと背筋を伸ばした私に、目の前に座られていたジョシュア様が噴き出すように笑われた後。

「アンナ、今はまだいいよ。ポッシェ嬢もそんなに緊張しないで。お腹が減っているだろう? どうぞ召し上がれ」

 と、笑顔で言ってくださったのだ。

(食べる? これを? 私が? 夢ではなく?!)

 慌ててジョシュア様を見る。

「え? あ、あの、食べてもいいんですか?」

「あぁ、どうぞ。それとも、もしかしてパンケーキは嫌いかな?」

 そんなジョシュア様の問いに、私は慌て、思い切り首を振った。

「好きも嫌いもありません! こんな綺麗な食べ物、生まれて初めて見たので、その……私が食べてもいいのかと不安になったんです。……あの、本当に食べても良いのですか?」

「……ちょっと待ってくれないか……」

 ぶんぶんと首を振って嫌いを否定し、それから恐る恐る訊ねると、ジョシュア様はぐっと一瞬目頭を押さえられた後、少しだけそのまま動かなくなってから、目元から手を離し、にっこりと笑ってくださった。

「申し訳ない。もちろん、ポッシェ嬢のために用意したのだから遠慮なく食べてほしい」

 その言葉に、やっぱり食べてはダメ、と言われなかったとほっとした私だが、ふと、気になったことを聞く。

「あの、ジョシュア様はお食べにならないんですか?」

「あぁ、私は……」

 ジョシュア様の前には、とっても黒くて香ばしそうなお茶? が注がれたカップしかなかった為そう声をかけたのと同じタイミングで、セバスチャンさんが、軽く焦げ目のついた何かの金色のモノが乗っている食パンが2切れと、燻製肉の上に卵が2つ焼かれたもの、それから柔らかそうな葉っぱや赤い野菜? のサラダと思われるようなものを丁寧に並べて言った。

「ほら、私の食事も運ばれてきたから大丈夫だよ。さ、どうぞ、ポッシェ嬢。」

 それらを示し、穏やかに笑いながら、私に笑顔でそう言ってくださったジョシュア様に頷くと、私は視線を目の前のパンケーキに移した。

(ふわぁ~……どこから食べよう……。というか……美味しそう。)

 本当に食べてもいいのだと解り、眺めているうちに思わずごっくん、と、喉を鳴らしてしまった私。

 慌てて口を押えてごめんなさいというと、何故か目の前のジョシュア様も、隣にいるアンナさんや、セバスチャンさん、その他の使用人の方も、目頭を押さえてから優しく微笑み、どうぞどうぞを行ってくれた。

(皆さんがこうして言ってくださるのだがら……本当に食べてもいいのね……)

 では、と私は気を取り直しすと、手を組み、短く神様のお祈りをする。

 そして。

「い、いただきます」

 我が家の元のは全く違う、可愛らしいスズランの彫刻の入ったシルバーに手にとり、気を付けながらそっとその先端をふわふわで柔らかそうな滑り込ませた。

 ふわっ。

「ふわっ?!」

 あまりの感触に、つい声が漏れてしまって、肩をすくめてそっと後ろを見れば、使用人さん達にくすくすと笑われているのが見えて、顔が熱くなる。

(は、恥ずかしい。でも、でも! パンケーキ、まったく抵抗がありません! それに厚すぎて、お皿にもあたりません!)

 フォークとナイフを入れたら、すぐにカツンとお皿に当たってしまう我が家のパンケーキと違い、流石は分厚くふわふわのパンケーキの3段重ね。

 ただ、あまりのパンケーキの厚みに、どうやって一口にすればいいのかと悩み、少々ぎこちなくなりながらも、一番上の何にもかかっていないきつね色に焼けた部分だけ一口サイズに切ると、少しだけ見つめた後、意を決して口に入れた。

 もぐ、ふわふわぁ~。

「~~~~~~~~っ!」

 目の前で、七色の星が弾けたような錯覚をしてしまう。

 しかも信じられないことに、口の中に入ったパンケーキは、香ばしくて、とても甘くて、しっかりとした歯触りもあったのに、二回噛んだだけで、口の中に優しくまろい甘さだけ残し、どこかに消えていってしまったのだ。

(美味し、これ、美味しい!)

 息をすれば鼻からも甘い香りが抜けていき、その美味しさに感動して次に手が出せないでいると、目の前からくすくすと笑い声が聞こえて顔をあげる。

「美味しいかな?」

「はいっ! とっても!」

 うんうん、と頷きながら答えた私に、目の前のジョシュア様はそれは良かった、と笑い、それから教えてくれる。

「その小さな容器に入った金色の蜂蜜や、その隣のメープルシロップをかけても美味しいらしい。それから、上からかけられている生クリーム……その白いクリームだね。 それと果物を一緒に食べてもとても美味しいそうだよ」

 その言葉に私はびっくりする。

「そうなのですか? 今でもこんなに美味しいのに!?」

「あぁ。彼女たちがそう言っていた」

 ジョシュア様がちらっと見た視線の先にいたのは、アンナさんと、その後ろに立つお仕着せ姿の女使用人さん達で、皆一様に、私の方をみて全力で頷いている。

 私は、目の前のパンケーキに視線を移した。

(何てこと!? こんなにも美味しいのに、もっとおいしくなるの!?)

 吃驚しながらも、ジョシュア様に言われたとおり、まずは金色の蜂蜜をそっとかけて、切り分けて食べてみる。

「ふあ」

 先ほどの、香ばしさと甘さの上に、今度は花の香りのする頭に突き抜けるような甘さが広がって弾けた。

 二回、三回と噛めば、その味ごとお口の中から消えてしまうのが残念なくらいだ。

(蜂蜜……美味しかったぁ。じゃあ次は、こっちのメープルシロップ……。蜂蜜は蜂さんが集めた花の蜜っていうのは本で見て知っているけれど、これもそうなのかしら?)

 首をかしげながらそれをそっとかけると、上にそうを作った蜂蜜と違い、あっという間にパンケーキの中に消えてしまったため、残念に思いながら、しみ込んだ部分を一口、口の中に入れる。

「んっ! ぁま……」

 香ばしいパンの表面をかみしめると、じゅわっ! と、しみ込んださっぱりとした甘い蜜が口の中に飛び出してきて、ふわっふわ触感のパンケーキの味がきゅっと濃縮された香ばしさになる。

「美味しいかい?」

「はい、とっても! こんなにおいしいなんて、初めて知りました!」

 にっこり笑って答えると、やっぱり目頭を押さえながら、生クリームも食べてごらん、と仰るジョシュア様。

 そこに、アンナさんがそっと、紅茶を寄せてくださった。

「ポッシェ様。生クリームと食べられる前に、一度、こちらの紅茶など飲んでみられるのはいかがでしょうか。甘いお口の中が一度さっぱりとしますよ。」

「わ、わかりました!」

 可愛らしい菫の花の書かれた可愛らしいティーカップには、琥珀色の紅茶が注がれていて……我が家のドクダミ茶とは違い(あれも好きよ!)爽やかな甘くて柔らかな香りがする。

(紅茶なんて、お母様に入れるだけで、飲むのはお爺様がなくなられて以来初めてだわ……えぇと、音を立てずに、上手に飲む、だったわね。)

 マナーの本に書かれていたことを思い出しながら、そっと口を付ける。

「ん……美味しい」

 爽やかな苦みと甘み、それから花のような香りのする琥珀色の紅茶は、蜂蜜とパンケーキ、それからメープルシロップで甘くなっていたお口の中から鼻の奥まで、綺麗に洗い流してくれた感じがした。

「お口に合いましたか?」

「はい! とってもおいしいです!」

「よろしゅうございました」

 そう笑いながら、そっと私の口元をナプキンで拭いてくれたアンナさん。

(ついてた!?)

「ご、ごめんなさい!」

 真っ赤になって答えると、ジョシュア様がお肉を切り分けながら、笑った。

「大丈夫。でも、明日からはマナーの講師も入ってくるから、気を付けたほうがいいね」

「は、はい。気を付けます……」

 あまりの恥ずかしさに俯きながらそう答えると、アンナさんが新しい紅茶を注いでくれながら助け舟を出してくれた。

「大丈夫でございますよ。基本的なマナーは身につけておいでです。それより、生クリームが溶けてしまいますので、どうぞお食べくださいませ」

「は、はい。」

(そうね、明日から頑張ればいいんだもの!)

 そう思いなおし、今度はたくさんの生クリームの乗った部分を切り分けて口の中に入れる。

「~~~~~!」

 トロリとして、ふわふわで、優しいミルクの味は、香ばしいパンケーキに負けるどころか、それをふわっと包んでさらに美味しいものに変えてしまった。

 時折、噛みしめた時に果汁が飛び出してくる赤や緑、紫の果物も、甘くて、酸っぱくて、とても美味しい。

 つい、もう一口、もう一口と、手を動かしてしまう。

 蜂蜜も、メープルシロップも、生クリームも、果物も。

 みんな美味しくて、私は目の前のお皿に乗ったそれをどんどんと食べ進めて。

 気が付いたら、お皿の上は何にもなくなっていた。

「満足していただけたようだね」

 そこでようやく、にっこりと笑ったジョシュア様がいらっしゃったことを思い出し、私は頭を下げた。

「も、申し訳ありません、夢中になってしまって!」

「大丈夫、私も今食べ終わったところだし、ね」

 にこっと笑われたジョシュア様。

 たしかに、お皿の上のお食事はなくなっている。

「食事も終わったことだし、私は一度、仕事に戻るよ。ポッシェ嬢はセバスチャンたちと、屋敷の説明と荷物の片づけをするといい。夕食でまた会おう。」

 席を立たれたジョシュア様に、慌てて私も席を立つと、ゆっくりをお辞儀をした。

「はい、ありがとうございます、ジョシュア様。あの、お仕事、気を付けて言ってきてくださいね」

「うん。気にしなくていい。見送りも大丈夫だから、ゆっくりしておいで」

 目頭を押さえたそう言いながら、セバスチャンさんと一緒に出て行ったジョシュア様。

(よく目頭を押さえられるけれど、目の御病気でもあるのかしら? 薬草目薬、作ってお渡ししたほうがいいかしら? それにしても、本当に皆さまいい方たちばかり……私、頑張っていけそうだわ)

 そんなことを思いながら、私は食堂を出られたジョシュア様をお見送りした。

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