第14話 赤貧女伯爵、屋敷に連れてこられた理由を知り、決意する

「このようなことを申し上げるのは失礼だと思いますが」

 露草の瞳を私に向け、ジョシュア様は話を始められた。

「率直に言わせていただくと、貴女のこれまでの生育環境と先ほ度拝見したお屋敷での状況から、貴方は伯爵としてはもちろん、貴族の令嬢として必要な教育を受けていないのではないかと思うのですが、いかがですか? 義務である学院の通学もなさっていないのですよね?」

「そう、ですね」

 頷いて、それから頭を下げる

「じいやとばあや、それと我が家の書庫にあった貴族の心得という書物で勉強しました……申し訳ありません」

「それは貴女のせいではありません。ですから恥じる必要もありません。……ですが」

 隠してもしょうがないことのため正直に話せば、ジョシュア様はそんな私に優しく微笑み、教えてくれた。

「一般的に、貴族の子供、特に後継者となる嫡出子は、幼いころから貴族としての心構え、所作などの基本となるべきことのほかに、その家に見合った教育、例えば貿易を行う家であれば経済学に語学、領地を持つ家であれば領地経営や地学などを家庭教師に学び、10歳から18歳までを王立の学園で過ごすそうです。

 学園では語学、算術などの学術の他、それぞれの粋筋に合わせ、経営、宮廷学術、淑女教育を選んで授業を受け、また、学園での生活自体が社交界で生きるための下地を作る学びの場であるそうですが、貴女はこれを受けることが出来なかった。そんな貴族として右も左もわからぬまま、貴女は上位貴族である伯爵家当主として生きることになった。当主となった以上、王家主催の夜会や茶会は必ず参加せねばなりません。しかし急にそのようなものに参加しろと言われても不安だと思います。貴族の催し物には様々な制約があります。それらが出来ぬ人間はすぐにつまはじきにされる。

 今はちょうど王家の催しもなく、社交も頻繁には行われない期間です。そこで、伯爵邸が修繕の三ヵ月の間、こちらに住んでいただき、社交シーズンになっても困らぬよう、家庭教師や当家の使用人から、貴族としての基礎をしっかりと学んでいただきたいのです」

「それは……」

(ジョシュア様にとって、私との結婚に爵位以外は何の益もないどころか、損ばかりじゃない?)

 話しを聞いた私はそう思い、どう伝えようかと言葉を選ぶ。

「ポッシェ嬢?」

「あの……この契約を、無かったことにする、と言うのはいかがですか?」

「……え?」

 ジョシュア様、それに周りにいた使用人の皆さんも吃驚した表情になるが、私は精いっぱい失礼にならないようにと言葉を考え、それを口にする。

「その、ジョシュア様が嫌というわけではありません。家庭教師を雇うにはかなりの費用が掛かるのは、じいやが調べてくれたので知っています。それだけでなくこのお屋敷にお世話になり、貴族の基礎を学んだりすると言うのは……ご迷惑ではないか、と。不出来な私にそこまでしていただくのは申し訳なく……その、心苦しいのです。子の婚姻で得をするのは私ばかり、でジョシュア様が得られるのは、評判の悪い爵位だけ。それでしたら、他にもっと良いお相手を見つけられた方が良いのではないか、と。私のことはお気になさらないでください。元々平民になるつもりでしたし、肩代わりしていただいたお金は何年かかってもお返ししま……」

「ポッシェ嬢」

 言葉を選びながら素直に気持ちを話していると、ジョシュア様はソファから立ち上がると、私の傍でひざを折り、そっと私の右手を両の手で包んだ。

「あ、あの……ジョシュア様?」

 困ったように眉尻を下げたジョシュア様は、私の目を見た。

「確かに、条件だけを見ればそうかもしれません。しかし決して条件に見合ったからという事だけで、私は貴方を選んだわけでありません」

「……え?」

 ジョシュア様の言葉に戸惑えば、彼は少しだけ目を伏せた後、私としっかりと目を合わせる。

「社交界は華やかで楽しいだけの場所だと思われがちですが、実は商売の好機を得る場であり、貴族同士の情報交換や牽制、見栄の張り合い、相手を蹴落とすために引っ張る足の探り合いなど、社交界で自家の繁栄を掴むための熾烈な戦場でもあります。わずかなミスから大きな損害を生み、テールズ家、ウォード商会双方に傷がつく……そのような場所では、夫婦は互いに相手に隙を見られることの無いよう、支え合い、守り合わねばなりません」

 そんな言葉に、私は首を振る。

「それでしたらなおさら私には荷が重すぎます。それに、そこまでしていただくのは申し訳ないのです。物事を深く考えずお引き受けしてしまい申し訳ございません。私の有責で婚約破棄をし、今からでも条件に見合うご令嬢をお探しになった方がよろしいので、は……?」

「それは出来ません」

「……え?」

 ジョシュア様の言葉に吃驚する私に、彼は真摯に私を見ている。

「契約にもありましたが、結婚後、貴女には私と共に社交の場へ出ていただきます。ですが実は私も社交界へはまだ出たことがありません。一人で出ればとも思っていましたがそれでは許されないと言う。では出なければいいと、諦めていたところに貴女に出会い、私は結婚を決めました。貴女であればと私が強く願ったのです。なにより、貴女はもう世間的にも認められた私の正式な婚約者です。貴族の婚約は、そんなに簡単に破棄したりできないものです」

「ですが……」

 はっきりとそう言い切られれば、お前が都合がよかった、と言われるよりも私を選んでくれたと言う事が嬉しい半面、それ以上に差し出せるものが何もなく、申し訳なさで苦しくなり、どんどん下を向いてしまう。

「ポッシェ嬢、顔を上げてください」

 言われ、恐る恐る私が顔をあげると、優しい笑顔を浮かべたまま、ジョシュア様は頷いてくれた。

「私は先ほど、結婚式までの3か月間、貴女にはテールズ女伯爵として必要な最低限の教養、知識、マナー、品格をしっかりと身に着けていただきたいといいました。

 それは私との婚姻契約を遂行するため、必要な知識や技術を得るためで、貴女がテールズ伯爵家当主として領地領民を守るため足元をすくわれぬようにするため責務を全うするためのもの。ですので、費用の面を考えられて遠慮する、という事でしたら契約遂行のための必要経費ですので気にしないでください」

「……ですが……」

「ポッシェ嬢」

 反論しようとする私に、ジョシュア様はその隙を与えてくれない。

「伴侶を得ると言う、これから先の人生を左右する大きな契約を結ぶにあたって、私が選んだ女性は貴女で、貴女がそれに答え、しっかり学んで身に着けてくだされば、無駄にはなりません。いわゆる青田買いというやつです」

 ジョシュア様の穏やかな声が、耳に届く。

「私はようやく見つけた婚約者を大切にしたい、貴女がそこで傷つくことの無いよう、貴族社会で生き抜くための術を身に着けてもらいたい。ただそれだけです。

 しかしそれが心苦しいと言うのならこう考えてみてください。妻となる貴女が必要な事柄を学び、身に着け、妻として。当主として社交を行い、商会の主である私を支えてくれれば、気の抜けない世界で、私にとって貴女は誰よりも心強い味方となる。そのために勉強するのだと」

「味方、ですか?」

「えぇ、味方です」

 言われた言葉になんとなく見返すことの出来なかったジョシュア様の瞳を見れば、彼はほっとしたように片を下ろした。

「社交界も、私の商売も、上辺は華やかで楽しそうに見えます。しかし、御父上の尻拭いほさをなさっていた貴女であれば、商売の、金銭の恐ろしさも御存じでしょう? 何の武器も持たず、幼いながらその場に身を置き、ここまで傍に寄り添ってくれた使用人と共に生き抜き、必要とあればそれを簡単に手放す強さを持ち、その人たちを守りたいと願う優しさを持った貴女が、さらに知識と教養を身に着けて私の傍にいてくれる。そうであれば、私にとってこんなに心強いことはありません」

 その言葉に、ふわっと暖かい何かを感じて、ぎゅっと包まれたままの右手を握る。

 じいやとばあやがいなければ領地経営等出来なかった。

 けれど、年寄りと小娘だからと聞いてもらえなかった話もあるし、あの両親では信用できないと、文字通り門前払いを食らった事も一度や二度ではない。

 仕方がないと諦めがつくまでは、何度、助けてくれる相手が欲しいと思ったかしれない。

 包まれた右手と、膝の上の左手。その両方を白くなるまでぎゅっと握ると、ジョシュア様を見る。

「もし、私がそのような風になれるのならば、がんばってみたいと、おもいます……ですが、ここでお世話になりながらというのは、ジョシュア様にも皆様にご迷惑がかかるのではないですか?」

「その様な事はありませんよ」

 聞けば、笑みを深めたジョシュア様は小さく首を振ってから手を離してくれる。

「先ほども申し上げた通り、婚前の同居に関しては屋敷の改修のためと言えば世間は納得します。それと、一緒に住むと言っても私たちはまだ知り合ったばかりですが、しかし3か月後には正式に夫婦となります。私は事業で忙しく、屋敷に戻ってこないことも多い。ですから、こうして戻ってきたときには、わずかな時間でも貴方と交流し、互いを知る時間を持ちたいと思っています。それにはこうして共に住むのが一番です。貴族の当主に会うには、先ぶれだなんだとそれはそれはしきたりが多いですからね」

 そこまで言って、それから私を安心させるように笑う。

「同じ屋敷に住もうと、結婚し、貴女の心づもりが出来るまでは節度は守るとお約束します。貴女の部屋は私のそれとは別の階にご用意しますし、生家を離れる貴女に不自由を感じさせないよう配慮もします。

 それと、当家の使用人ですが、彼らは家を守り、主人の世話をするのが仕事です。改築後の伯爵邸には彼らも共にきてもらうつもりですので、今から互いに理解し合った方がいいでしょう。婚姻後は、貴女が女主人となって彼等を纏めるのですから、その予行練習と思ってくださって結構です」

「そ、そうですか……」

(至れり尽くせりという言葉は、まさにこのことじゃないかしら?)

 ジョシュア様から説明される言葉に理解が追い付かないながらも、これでは私があまりにも優遇され過ぎているのではないかと困惑する。

 両親の借財の返済。

 じいやとばあやの慰労金。

 私が求めたものはこれだけだったはずなのに、伯爵邸の補修工事、その間の生活のお世話と貴族としての教育という、親がしなければならなかった事までしてくださるとなると、私なんかのために、どれだけお金や人の手がかかるのかと、怖くなるが、それでもいいと、目の前の人は言ってくれている。

「それから、貴女が家庭教師の講義で学ぶすべての事柄も、ここで家令、侍女長、専属侍女や多くの使用人の手を借りながら生活をすることも、彼らを采配をし家政を守る事も、高位貴族の当主としては当たり前の事であり、領地経営のために信頼できる人間を手の内に置き、その手を借りながら、仕事を行うのをなれるのも女伯爵としても仕事ですよ」

 ぎゅっと、ジョシュア様は私の手を一度握ってから、露草色の瞳で真剣に私を見つめて言われた。

「貴方が立派な女伯爵になって、テールズ伯爵の汚名を挽回することが出来れば、我がウォード商会はもちろん、テールズ伯爵領も発展します。領主として、女主人として、商会長夫人として、学ぶと言う事はとても大切なことなのです」

 そう言って笑ったジョシュア様の言葉に、私は一つ大きく深呼吸をしてから頷いた。

「……わかり、ました」

「わかっていただけてよかったです」

「ジョシュア様のお役に立てるよう、頑張ります。……えぇと、皆さんも、よろしくお願いいたします」

 ジョシュア様と、並ぶ使用人さん達にそういうと、皆さん優しい笑顔で頷いてくださった。

(皆さんとても良い方たちばかりだわ。……ジョシュア様の言葉に甘えて、自分の出来る限り、精いっぱい頑張ろう )

 落ち着かないながらも、そう決心したとき、だった。

 クゥ~っ

 と、お腹が鳴ったのだ。

「あっ! ごめんなさい!」

 鞄ごとお腹を押さえると、ふわっと笑ったジョシュア様が、セバスチャンの方に顔を向けた。

「昼食を後回しにして長話をしてしまいましたね。まずは昼食を。そのあと私は一度仕事に戻りますので、貴女は荷物の整理や屋敷の案内をしてもらってください。夕食には戻りますので、その後にこの屋敷で住むにあたっての3か月間の約束事も取り決めましょう。貴方の育ての親であるお二人はカミジョウと話し合いがありますので、夕食のときにあえますよ。ご安心ください、慰労金などの支払いについての話ですので」

「じいやとばあやの事までおきづかいいただき、本当にありがとうございます」

「いいえ、これからの私達の為です。では、食堂に向かいましょう」

 優しい微笑みを浮かべたまま、立ち上がり、手を差し出してくださったジョシュア様にエスコートされ食堂に向かったのだった。

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