第13話 赤貧女伯爵、お屋敷と使用人に戸惑う
大きな鉄の門が開き、そのままゆっくり中に入ると、馬車はお屋敷の前で止まった。
「さぁどうぞ」
従者さんによって屋敷の扉が開かれ、先に降りたジョシュア様の手をお借りし、鞄が開いて荷物が飛び出さないように気を付けながら馬車を降りた私は、目の前にそびえたつお屋敷を見上げた。
「あ、あの、ジョシュア様。ここは……?」
「私の住居です。3か月後にはあなたと結婚し伯爵家へ引っ越すためにここは引き払う予定です。そして今日から貴女の仮住まいになります」
「え?」
ジョシュア様の言われたことを、私は反芻する。
「私が? ここに住むのですか?」
「はい、できれば。先ほど、伯爵邸は明日から補修工事に入るとお話しましたね? 実はあなたにはあのまま住んでいただきながら屋敷の補修工事を行うつもりだったのですが、あまりにもボロ……いえ、建物として酷い有様でしたので、人が住みながらの工事は無理だと現場の監督が判断したのです。ですので、今日からお屋敷の補修孤児が終わるまで、貴女にはこちらに住んでいただきます」
「でも、ここはジョシュア様のお家なのですよね? よろしいのですか?」
ひとつ屋根の下に、婚約者とはいえ若い男女が住むのはよろしくないと祖父の貴族の心得に書いてあった為そう聞くと、ジョシュア様は質問の意図が分かったようで、困ったように微笑まれた。
「婚約期間中に同居することはお互いを解り合い、家のしきたりを知るために貴族間でもよくあると聞き及んでいます。安心してください、私とあなたの部屋は階を変え、内側から鍵もかかりますから」
そう言われれば頷くしかないのだが、大きさはともかく、輝くばかりの綺麗なお屋敷を前に、私は不安になる。
「こんなお城みたいなお屋敷に、本当に住んでも良いのでしょうか?」
「この程度、城は言わないのですが……。デビュタントの際に、王宮の夜会が開かれたでしょう?」
聞かれ、私は首を傾げながら、正直に答える。
「王城には今回、相続の手続きで何度か行きましたが、確かに大きくて立派な建物ではありましたが、このように華やかではなかったかと……。夜会は、両親はよく出かけていましたが、私はそのようなものは一度も出たことがありません」
「一度も? 待ってください、貴族の子供のデビュタントは義務です。十五歳になった年に、白いドレスを着て夜会に出向かれませんでしたか?」
それには、私は首を振る。
「いいえ? 私は夜会に出たことはありません」
(そういえば、昨年、久しぶりに王家の夜会に参加できるって、お母様がドレスとお飾りを買ってほしいとお父様にねだっていたわね。……今年の領地の作付け用にとっておいた資金を丸まるを使ってしまっていて、じいやが倒れたんだったわ)
あの時は本当に大変だったとため息をついてしまう。
結局、父に泣き諫めたじいやに対し激怒し大暴れしながらも、しぶしぶ自分の懐中時計コレクションの中から何点か売れと出してきて、なじみの宝飾店の店長さんがじいやのありさまを見て少し高めに買い取ってくれて何とかなったものの、じいやの顔の腫れやあざをみて、何度も泣いたものだ。
ジワリと溢れてきそうな涙を何とかこらえ、ジョシュア様の方を見ると、彼はは信じられないという顔で額に手を当てていた。
「……正気か? 貴女の両親は一体何をしていたんだ……早急に手配しなければ……」
「あ、あの。申し訳ありません」
溜息をまじりにそう呟いたジョシュア様に、頭を下げると、彼ははっとした表情になり、そして微笑んだ。
「いいえ。ポッシェ嬢が悪いわけではない。こちらの話です。さぁ、まずは食事を食べて、それからゆっくりとこれからの事を話し合いましょう」
「は、はい……。あ、でも、じいやとばあやは……?」
「大丈夫ですよ。もう少ししたらこちらに着くでしょう。貴女の育ての親のような方です、悪いようにはしません」
「ありがとうございます」
侍従が促すまま、優しく微笑まれたジョシュア様に手を引かれ、私はお屋敷のエントランスに進む。
「わ、ぁ……」
壊れた鞄を左腕で抱きしめたまま、ジョシュア様にエスコートされて入ったエントランスは、我が家とはまるで違い、古いマナー本や我が家の歴史書で見るのと寸分たがわない、光と花に溢れた美しい場所で、本当に、絵本にあったお城に入ったような気分になり、つい、声が漏れてしまった。
(壁紙に破れどころか皺も染みもないし、お花も豪華で大きな花がたくさん生けられて……そうか、あの本に書いてあった客を迎え入れるための最低限の設えって、お屋敷をこうやって飾る物だったのね。ハルジオンを飾らなくてよかった……)
家にあった古い貴族のマナー本を思い出して、我が家との落差に呆然としつつ、だから我が家に入った時にジョシュア様はあんな顔をされたのね、納得しながらもエスコートされるまま歩くと、ジョシュア様が急に足を止め、少し遅れて私も少し躓きながら足を止めた。
「突然止まって申し訳ない、大丈夫か? ポッシェ嬢」
「はい。申し訳ありません」
私の不注意なのに謝ってくださったジョシュア様に頭を下げていると、すっと人影が視界に入った。
「ポッシェ嬢、こちらを」
「は、はい」
ジョシュア様に言われ、顔を上げた私の目の前には、信じられない光景が広がっていた。
「お帰りなさいませ、旦那様。テールズ女伯爵様」
「「「「おかえりなさいませ」」」」
(えぇぇ!?)
そう。私の目の前には、両手では足りない数の使用人が、行儀よく一列に並び、恭しく頭を下げていたのだ。
(使用人さんの数もそうだけど、お辞儀も、挨拶も綺麗にそろっていて……凄い……。)
驚き、戸惑う私の目の前でその中の一人、ジョシュア様の一番近くにいらっしゃった、漆黒の燕尾服に身を包んだ背の高い、ジョシュア様と同じ年頃の男性が顔を上げ、ジョシュア様に微笑まれた。
「おかえりなさいませ、旦那様。外出先では大変だったご様子ですね」
微笑みながらそういった彼に、ジョシュア様は笑った。
「セバスチャン。先ほどは動揺して大きな声で電話をしてすまなかった。手配も助かった」
「いいえ、よほどのことがおありだったのでございましょう。それで、ジョシュア様」
銀縁に綺麗な飾り鎖のついた片眼鏡に少し触れながら、セバスチャンと呼ばれた人は私に微笑みかけてくれた。
「そちらの女性が、お話になられていた女伯爵様でいらっしゃいますでしょうか?」
「あぁ、今日からここに住まう事になる、私の婚約者、ポッシェ・テールズ女伯爵様だ」
頷きながら私に微笑むジョシュア様。
だが。
(え? わたしですか?)
急に話を振られた私は、慌てて頭を下げた。
「初めてお目にかかります、ポッシェ・テールズと申します」
「これはこれは、可愛らしい方でいらっしゃいますね。ですが、使用人に頭を下げられるのは感心しません」
「え?」
そう言われて頭を上げた私に対し、恭しく頭を下げたセバスチャンさん。
「初めてお目にかかります、テールズ女伯爵様。大変丁寧なご挨拶を賜り、ありがたく存じます。当屋敷の家令を務めております、セバスチャンと申します。当家の使用人は皆、伯爵様より爵位は下、もしくは持っておらぬ者ばかりでございます。軽々しく頭をおさげになるのはおやめいただきますようお願い申し上げます」
(そう言われればそんなこと、書いてあった気がするわ)
セバスチャンさんに指摘され、私はお爺様の貴族の心得を思い出して血の気が引く思いがした。
「え、あ……すみません。」
「そのように、謝られることもございません。女伯爵様の状況は主人より聞き及んでございます。これから徐々に慣れていただければよろしいかと」
にこっと笑ってそういったセバスチャンさんは、もう一度、私に頭を下げた。
「テールズ女伯爵様が当家にて心地よく過ごしていただけますよう、使用人一同誠心誠意、努めさせていただきます。どうぞそのように恐縮されず、我が家としてお過ごしくださいませ。また、この者達が本日より女伯爵様の専属侍女としてお仕え致します」
セバスチャンさんの挨拶に合わせてすっと前に出てきたのは、見たことのある背の高い女性と、私と変わらないくらいの年齢の私よりはちょっと背の高い赤い髪に緑の瞳の女性だった。
「先日は大変失礼いたしました。侍女長レーラでございます。女伯爵様の身の回りのお世話は、私と、こちらのアンナがさせていただきます」
「アンナでございます。ささいなことでもけっこうですので、何かございましたら、何なりとお申し付けくださいませ、テールズ女伯爵様」
「……え? はい、え……」
私の目の前で頭を下げた2人の女性(のうち、1人は、一度私の全身を洗ってお下がりまでくださったレーラさんのようです)が頭を下げるけれど、なにを言われているのかさっぱりわからないので、ちらっと隣に立たれたジョシュア様に助けを求めた。
「あ、あの、ジョシュア様……」
戸惑いながら声をかけた私に、ジョシュア様は穏やかな微笑みを浮かべた。
「どうかしましたか? ポッシェ嬢」
「あ、あの……専属の侍女さん、とは?」
「あぁ、その事ですが……」
「旦那様、女伯爵様」
急にいろいろなことを言われて動揺する私に、ジョシュア様はにこりと笑って私の手を取ったところで、セバスチャンさんがにこやかに微笑んだ。
「お二人ともお疲れでしょう。お茶をお入れしますので、サロンの方でお話しなさってはいかがでしょうか? 昼餐も召し上がっていらっしゃらないとのことですので、軽食を一緒にご用意いたします」
「あぁ、そうだな。それと、テールズ伯爵家の使用人で、彼女の育ての親であるお二人も一緒だ。そちらは手筈通りに。ではポッシェ嬢、当家のサロンに案内します。そちらで説明しましょう」
「は、はい」
頷いた私は、そのままジョシュア様に連れられ、キラキラと輝く豪華なお屋敷の奥へと足を進める。
「さぁ、どうぞ」
ジョシュア様のエスコートで、家令のセバスチャンさんが開けてくれた扉の先に足を踏み入れた私は、思わず足を止めてしまった。
(ま、まぶしい……)
そこには、今まで見たこともない、明るく、目に眩しい空間が広がっていたのだ。
色鮮やかで、けれどどっしりとした、王立図書館の上位貴族専用(私は伯爵だけど、家名を名乗ったら門前払いを食らってしまった)の閲覧室に用意された物とよく似た美しいソファとテーブル、天井まで伸びる綺麗に磨かれた硝子の嵌った窓とそこにかけられた濃紺のカーテン。
壁に等間隔に取り付けられた魔導灯の下には揃いのチェストが置かれ、そのそれぞれに大輪の花が生けられた花瓶や壺、照明機器などが飾られている。
(比べるのもおこがましいけれど、我が家のサロンとは何もかも大違いだわ)
と、ただただびっくりしてしまった。
「ポッシェ嬢、どうぞこちらへ」
そんな私を気遣うように、優しく声をかけてくださったジョシュア様に促され、一人掛けのソファに腰を下ろす。
(わ……)
一瞬、深く沈んだ体がふんわりと持ち上げられるような感覚がし、びっくりしてソファを見る。
我が家にあった座る部分の布地が擦り切れ、座面もぺしゃんこになってしまったそれと違い、柔らかくて細かな毛が全体にしっかりと立ち、そっと触れれば鮮やかな青から深い紺色に変わる布地には、薔薇の花の模様が僅かに違う色合いの毛で織られているようだ。
(すごい、ふわふわのさらさらだわ)
あまりのふわふわした座り心地に、落ち着かない気持ちになりながらジョシュア様を見ると、私の斜め右隣にある一人掛けのソファに腰を下ろされた。
(あら? 従者の方、ソファにハンカチを掛けられなかったわ……? あ! もしかして、あれは我が家のソファがあまりにもボロボロだったから……なのね?)
先ほどの我が家での光景を思い出し、ようやくあの行動の意味を理解し、顔から火が吹きそうな気持になる。
(貴族のお屋敷なんて自分の家しか知らなかったけれど、恥ずかしいわ……)
「ポッシェ嬢。これからお話しすることは、すべて私達の取り決めた結婚に関する契約上、必要なこととして聞いてください」
「え? は、はい」
今更だ、と思いながらも恥ずかしい気持ちでいっぱいになっていると、ジョシュア様に声を掛けられ、驚きながらも私は小さく頷いた。
「先程申し上げた通り、テールズ伯爵邸は様々な場所、特に一階の朽ち方が酷く、建築の職人たちは、あのまま人が住み続けるのは大変に危険だと判断しました。そこで、ポッシェ嬢には伯爵家の補修工事が終わるまでの間、こちらに住んでいただきたい、と言うことは先ほどお話ししましたね?」
「えぇ、はい。けれど、それではあまりに申し訳なく……」
先ほど聞いたのと同じ説明に頷いた私に、ジョシュア様は笑みを深める。
「そうおっしゃるのでしたら、その三ヵ月、私との婚姻契約を遂行するための仕事としてを、ここで『爵位相当の身なり、品格、知性』を身に着けると言うのはどうでしょうか?」
その言葉に、私は驚き、目を丸くした。
「爵位相当の身なりと品格と知性、ですか?」
「はい」
首をかしげて問うと、ジョシュア様は強く頷いた。
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