#3. 思春期の起きれない謎 〜夏の終わり、決断の時〜(田村の視点)【起立性調節障害】

高校1年生の岩井梓と内科医田村の物語。



 「岩井さん。お入りください。」田村医師は、白い診察室で控えめに挨拶をした。外の暑さとは裏腹に、冷房の効いた室内は静かで落ち着いた雰囲気に包まれていた。


 16歳の女子、高校1年生の岩井梓は、母親と一緒に診察室に入った。母親は少し不安そうな顔をし、梓は背中を丸めて小さく歩いていた。田村は彼女たちに向かって微笑んだ。「こんにちは。どうぞ、おかけください。」


 梓と母親がそれぞれ椅子に座ると、田村は最初に母親から話を聞くことにした。「では、お話を伺いますね。どんな症状でお困りでしょうか?」


 母親は少し息をついてから言った。

 「はい、実は梓が高校に入ってから調子が悪くて。最近は下腹部が痛むし、気分もすぐれないと言っているんです。」


 田村はうなずきながらメモを取り始めた。「それは大変ですね。これまでの診断結果など、何か分かっていることはありますか?」


 「はい、実は6月から小児科、産婦人科、精神科も受診したんですが、どこも特に異常はないと言われたんです。」母親は少し肩をすくめた。「1週間前からまた具合が悪くなって、朝が起きられなくて学校にも行けなくなってきました。」


 田村は少し考え込んだ。母親からの情報は大切だが、梓自身の気持ちも知る必要があると感じた。「お母さんの心配も大変わかります。梓さんのことが心配ですよね。もしよかったら梓さんと2人で話をさせてもらってもいいでしょうか?」


 母親が部屋を出て行くと、梓は少し肩の力が抜けたように見えた。田村は優しく微笑んで話を続けた。

 「どうぞ、リラックスしてお話ししても大丈夫です。最近の体調や気分について、どんなことが気になりますか?」



 梓は少し戸惑いながらも口を開いた。「部活に行かないといけないという気持ちが強いんですけど、朝は全然起きられなくて…。学校にはあまり行けてなくて、夕方からの吹奏楽の練習には行けるようにしているんです。」


 田村は頷きながら話を聞いた。「なるほど、部活はとても大切にしているんですね。それについてもっと詳しく聞かせてください。」


 梓は目を輝かせながら話し始めた。「中学のときから吹奏楽をやっていて、トランペットを弾くのが好きでした。中学ではコンクールで金賞を取ったりして、高校でも吹奏楽の推薦で入学しました。でも、朝は5時に起きて、練習をして、夜は9時まで練習して、帰るのが10時過ぎです。課題を終わらせるのは夜中の2時とかになっちゃうんです。」


 「それはかなりハードなスケジュールですね。」田村は感心しつつも心配そうな顔をした。

 「そのような生活が続く中で、学校の授業や勉強に影響が出てきているのでは?」


 「はい、日中眠くて授業にも集中できなくなって、勉強もついていけなくなっています。」梓は少し苦しそうに言った。「友達も2人できたんですが、部活が優先で遊びに行けないことも多いです。それに、学校ではいじめもあって、時々クラスメートに無視されたり、悪口を言われたりしているんです。」


 田村は理解を示すように頷いた。「吹奏楽が中心の生活で、友達との時間や学業に支障が出ているのですね。思春期で身体の変化もある中で、精神的にも辛い部分があるのかもしれません。」


 次に、田村は母親からも話を聞くことにした。母親は少し疲れた顔をしていたが、話し始めた。「もともと梓は真面目な子で、部活に対しても一生懸命でした。でも、夫が単身赴任で家庭のことは私がしっかりしないといけないという気持ちが強くて、子供のことにも必死になってしまって…。梓がトランペットで成功したいと言ったので、推薦で有名な高校に入れたんですけど、部活が中途半端になっているのが心配です。」


 田村は優しく話を聞いた。「お母さんも大変ですね。梓さんに対する気持ちは理解できますが、今は梓さんの健康が一番大切です。」


 その後、田村は体調の詳細を確認するためにいくつかの検査を行った。

 採血や心電図を使って貧血や甲状腺機能の異常、心臓の問題を確認し、特に問題は見つからなかった。

 次に簡易tilt testを行い、寝ているときと起きているときの血圧と脈拍の変化を調べた。結果として、血圧が下がることが確認され、問診と合わせて起立性調節障害の診断が下された。



 「診断がつきました。」田村は梓と母親に説明した。「起立性調節障害という状態です。これにより、朝起きるのが難しくなり、体調が不安定になることがあります。」


 母親は少し驚いた表情を見せたが、梓はほっとしたように見えた。「それなら、どうすればいいのでしょうか?」


 田村は優しく説明した。「まずは身体、精神、そして環境を整えることが大切です。睡眠時間が短すぎたり、休息が足りなかったりすることが原因です。また、吹奏楽中心の生活や友達との交流が少ないことも負担になっています。お母さんもプレッシャーを感じているでしょうから、少し休むことが必要です。」


 母親は考え込みながらも納得した様子だった。「でも、部活動はかなり厳しくて…。休むことは難しいのですが…。」


 田村は少し考えた後、「診断書を書いて、まず1週間の休養を取るようにしましょう。幸い、1週間後にはテスト週間になるので、合わせると3週間は休みになります。薬などの治療よりも、まずは生活の見直しが重要です。」と提案した。




# 2ヶ月


 2ヶ月経って、夏休みが終わり9月になった。再び診察室にやってきた母親と梓は、やや疲れた様子だった。


 「お久しぶりです。」田村は微笑みながら声をかけた。「どうですか、調子は?」


 母親が話し始めた。「部活を休んでいる間は、勉強もできて朝も起きられるようになったんです。でも、夏休みが始まってから部活動が本格化してから、体調がまた悪くなってきたんです。朝起きられずに遅刻することが増えて、先輩や先生に怒られることが多いんです。」


 田村は注意深く耳を傾けた。

 「そうですか…それでは、梓さん、どうしていますか?」


 母親に診察室を退出していただき、梓とだけ話をした。


 梓がゆっくりと話し始めた。「吹奏楽が楽しくなくなってきました。周りの人が上手で、自分がついていけなくなってきたんです。楽器奏者として食べていくわけではないと考え始めました。」


 「それは辛いですね。」田村は優しく言った。「何かしたいことが見つかったのでしょうか?」


 梓の顔がぱっと明るくなった。「実は、医療職に興味を持ち始めました。先生のように話を聞いてくれて、だれかを少しでも助けられる人になりたいと思ったんです。」


 田村は驚きと喜びの混じった表情を浮かべた。「それは素晴らしいですね。医療職にはいろいろな役割がありますが、具体的にはどのような職業に興味がありますか?」田村は興味津々で聞いた。


 「心電図を取ってくれた人がとても優しくて安心できたので、検査技師になりたいと思っています。」梓は目を輝かせながら答えた。


 田村はその言葉に微笑み、「臨床検査技師は医療の中でもとても重要な役割を担っています。人の健康を直接支える仕事ですから、興味を持つのは良いことですね。」と応じた。


 梓が話している間、その表情は吹奏楽をしているときよりもずっと生き生きとしていた。彼女は自分の将来に対する明確なビジョンを持っているように見えた。田村は、これが一時的な感情ではないことを確認する必要があると感じたが、彼女の変わった姿に満足感を覚えた。


 次に母親との話に移った。母親は少し困惑した様子で言った。「吹奏楽に戻ってから、表情がまた暗くなってきたんです。梓が自分で決めたことなら、それに従うべきかもしれないと思う一方で、せっかく高い学費を払って有名な高校に入れたので、頑張ってほしい気持ちもあります。」


 田村は静かにうなずいた。「お母さんの気持ちはよく分かります。しかし、梓さんが本当にやりたいことを見つけたなら、その道を進むのも大切です。今後どうするか、家族でしっかり話し合うことが大事です。」


 「はい、分かりました。」母親はしっかりとした声で答えた。「家でじっくり話し合ってみます。」


 田村は二人に向かって、「それでは、次回の受診までにしっかり話し合って決断してください。起立性調節障害については、現状であれば改善の兆しが見られません。吹奏楽を続けるかどうかは、家族の話し合いと梓さん自身の気持ちを尊重して決めてください。」と伝えた。


 「診断書も必要に応じていつでも書けますので、その際は遠慮せずにお知らせください。」田村は続けた。


 その後の2週間で、梓と母親はじっくりと話し合い、家族全員でどうするかを決める時間を持った。



## 2週間


 そして、2週間後。再び診察室に入ってきた梓と母親は、すっきりとした顔をしていた。


 「部活やめました!転科します!」梓が明るい声で言った。


 田村は驚きと共に微笑んだ。「本当に決断されたのですね。転科の手続きが無事に進んで、普通科に移行できるようになったとのこと、良かったですね。」


 「はい、たくさん話し合って、学校とも相談しました。」母親もほっとした様子で続けた。「梓がやりたいことを見つけたことで、家族全体も前向きな気持ちになれたように感じます。」


 その後、梓はたまに田村の外来に顔を見せるようになり、診察よりも近況報告が中心になった。彼女の姿は以前の疲れたものとは異なり、前向きで充実感に満ちていた。



###2年後


 時が流れ、2年後のこと。田村は診察室で一人の学生を見つけた。彼女は自信に満ちた眼差しで、スーツを着てきていた。


 「こんにちは、田村先生。」梓がにこやかに挨拶した。「おかげさまで、医学部に合格しました!」


 田村は驚きと喜びを込めて「おめでとうございます!本当に良かったです。」


 「はい、心を診る小児科の医師になりたいと思って、一生懸命勉強しました。」梓は笑顔で答えた。「先生が私の話を聞いてくれて、助けてくれたことが、私の夢を見つける大きなきっかけになりました。」


 田村は感慨深く頷きながら、「それを聞いてとても嬉しいです。多くの人に助けの手を差し伸べることができるでしょう。」と答えた。田村はあずさが医師を目指すことも聞いており、診察も本日が最後として手紙を渡した。


 梓は笑顔で「ありがとうございます。これからも一生懸命に頑張ります。」と力強く言った。


 田村は心の中で、また一つの人生が変わったことを実感し、医師としての役割を果たすことの大切さを改めて感じた。




※実在する人や団体に関係はありません。


#小説 #医療



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