エピローグ

 心地良い日の光が、窓から差し込んでいた。


 木造りの壁と床、そこに置かれた小さな机。

 瓶に活けた花はほのかに香り、ささやかな風に揺れている。


 そんな部屋の中、僕は椅子に座って、刺繍に勤しんでいた。


 僕たちが神殿の祭壇を破壊し、逃亡してから、早くも1年が経とうとしていた。


 あの後、無事に国境を越え隣国に逃れた僕たちは、森の片隅に放棄されていた廃屋で、2人暮らしを始めた。


 近くの町の人たちは、見慣れない者たちに最初は驚いていた。

 しかし案外すぐに受け入れてくれて、僕は今、町の仕立屋で働かせてもらっている。


 サリアはというと、基本的に森で狩りをしつつ、時々町で荷運びの仕事を手伝っているといった具合だ。


 休みの日には2人で森を歩き回ったり、家でのんびり眠ったりする。

 森と町、両方にまたがるこの生活は、僕にとってもサリアにとっても、とても心地よいものだ。


 ちなみにサリアのお姉さんとも、時々会っている。


 つい先日も顔を合わせ、例の儀式は行われる兆しすら無く、災害も上手く押さえられていると教えてもらった。

 更に聞けば、国民たちが何やら騒ぎを起こし、神殿から誰か――恐らく司祭たちだろう――が逃げるのも見たのだとか。


 なお相変わらず、僕にはお姉さんの話している内容がわからないため、サリアを経由しての会話だった。


 何にせよ、生贄の儀式自体が消滅してくれるかも、という希望が垣間見えて嬉しい限りだ。


 僕は布と針をいったん置いて、ぐっと伸びをする。

 仕立屋の店主さんから課題として出されたこの刺繍だが、けっこう順調に出来てきている。


 この感じなら、明後日の提出には余裕で間に合いそうだ。


 そうしてひと息ついていると、玄関の扉が勢いよく開いた。


「エイネ! エイネ! 大変だ!」


「どうしたんですか?」


 駆け込んで来たサリアに、僕は問うた。


 「大変だ」とは言っているが、彼女の顔には嬉しさ混じりの興奮が浮かんでいる。

 何か良いことか、発見があったのだろう。


 僕の予想は的中し、サリアは息も整えないままに、笑顔でまくしたてた。


「アタシは知らなかった。だが今さっき知った。好きな者同士は、ケッコンとやらをするらしいな!?」


「ま、まあ、はい。そうですね。場合によりますけど……」


「大変なことだ、早くケッコンするぞ! ケッコンをしないと、好きな人を奪われるらしいからな!」


 いったい誰がそんなことを吹き込んだのだろう。


 少し頭を回せば、このまえ婚約が破談になったと愚痴っていた花屋のあの人や、いつになったら恋人ができるんだと道端でくだを巻いていたあの人の顔が思い浮かんだ。


 何にせよ、サリアに偏った知識を教えるのはやめてほしい。


 僕は努めて冷静に、訂正をすることにした。


「みんなそうとは限りませんよ。それに、サリアは強いじゃないですか。僕を取られる心配なんて、しなくても良いでしょう?」


「む、確かに」


 自分に勝てる人間がいないことを思い出したらしいサリアは、すんなりと頷いた。


「だがエイネ。アタシはケッコンに興味がある。できることならしてみたい」


 なあなあ、と優しく肩を揺すられ、僕はついつい頬が緩む。

 爪が少し食い込む感覚が、くすぐったくて嬉しい。


 こうも可愛らしく言われてしまったら、もはや断るという選択肢は無い。

 まあ元より、拒む気持ちはこれっぽっちも無いのだけれど。


「良いですよ。僕も、あなたと結婚するのは嬉しいです」


「そうか! ではしよう! どうやってする?」


「うーん、そうですね……」


 少々、僕は思い悩む。


 結婚の儀と言えば、神様に想いの確かさを誓うのが定番だ。

 けれどもそういう系統のものには、あまり良い思い出が無い。


 町には教会があるが、この2年、全くと言って良いほど行く気になれないままだ。

 神父さんは良い人だけれど、どうしてもあの司祭たちの顔がちらついてしまうから。


 しかし、さて、どうしたものか。


 僕は考えた末、左手をサリアに差し出した。


「サリア、手を」


「ん」


 そっと、僕たちは手を握り合う。

 掌を合わせて指を絡めた、いわゆる恋人繋ぎの形だ。


「僕はサリアと結婚します。これからもずっと一緒にいます」


「! アタシはエイネと結婚する。ずっと一緒だ」


 神様にではなく、お互いに、僕たちは誓い合った。


 僕たちにはこれが一番、似合いの方法だろう。


 何せ神殿の祭壇を破壊したことがあるのだ。

 神様の方だって、そんな人たちの面倒は見たくないに違いない。


 しばらくの間、僕はサリアと、掌を介して体温を交換し合う。

 それから視線を交わらせて、僕たちは笑った。


「できたな、ケッコン!」


「はい」


「よし、祝うぞ! 森へ行こう! とびきり大きい猪でも獲ってやる!」


「ふふ、楽しみです」


 余韻もほどほどに、外へと駆け出す。


 良い天気だ。

 青々とした草葉やの匂いが鼻をくすぐる。


 身を隠す必要も、悪意に怯える必要も無い。

 僕たちは何に咎められることもなく、森の中を自由に走る。


 ジグジギザリアーの娘、可愛くて強くて素敵なサリア。


 例えば人ひとりの人生が物語になるとしたら、その始まりは出生の瞬間で、終わりは死の瞬間だろう。


 けれども僕と彼女の、2人の物語があるならば、それはあの夜に出会ったところから始まるのだと思う。


 そして締め括られるなら、今この時のような気がした。

 なぜならこの先はきっと、語るまでもないからだ。


 たぶん、物語の最後の1文はこうだろう。


――2人は、いつまでも末永く、幸せに暮らしたのであった。

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忌種婚姻譚:ジグジギザリアーの娘 F.ニコラス @F-Nicholas

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