8.姉は味方なり

 そうこうしているうちに、日が昇り始める。


 視線を移せば、陽光に照らされる町の中を、砂粒みたいな大きさの人々が慌ただしく行き交うのが見えた。

 神殿に向かっているのが憲兵で、逆に遠ざかっているのが普通の人たちだろう。


 その様子を眺めていると、徐々に気持ちも落ち着いて来て、冷静な思考が帰って来た。


「……僕が逃げたら、災害がこの国を襲う。そしたら、罪の無い人たちも、傷付いたり、死んだりするんでしょうね」


「? 困るのか」


「それは、そうでしょう」


 僕は、僕を生贄にしようとした人たちに仕返しをした。

 けれどもそのせいで、関係のない人が害を被ってしまう。


 もう実行したことだし、自分の意志で決めたことだから、後悔はしないけれど。

 でも、申し訳ない気持ちは明確にあった。


「んー……。なあ、エイネ。アタシは、別にギシキをしてもしなくても、変わらないと思うぞ」


 周囲に敵の気配を感じないからだろう、サリアは草の上に腰を下ろす。

 僕も同じく座り込めば、不思議と立っている時よりも距離が近くなった気がした。


「前のお祭りでもギシキはあったんだろう」


「はい。司祭たちがそう言っていました」


「でも、このあいだ大雨があったし、地面も揺れた。これはサイガイではないのか?」


「あ……」


「そもそもだ、エイネ。サイガイで他の人間が死のうが、オマエには関係のないことだ。人間を殺すのはサイガイであって、オマエじゃないからな」


 確かに、そうかもしれない。


 生贄を捧げても災害は起こる。

 災害は自然に発生するもので、僕や誰かが意図的にやっていることじゃない。


 でも、生贄を使った儀式が無ければ、もっと酷い災害が起こるかもしれない。

 それを防ぐのに協力しなかったと考えれば、僕が災害を招いたも同然に思える。


 村の人たちや司祭たちは、嫌な目に遭えばいいと思ってしまうけど、他の人たちは、できるだけ幸せであってほしい。


 ……複雑だ。

 根本的な問題は、やはり一朝一夕では解決しない。


 僕は肯定も否定もできずに黙り込む。


 すると、サリアは「だがな」と続けた。


「アタシはオマエのことが好きだ。オマエの望みは叶えたい。それに、人間と関わって、アタシも人間を良いものに思えるようになった。少しだけな。騙してくる悪い奴は別だぞ。あいつらは嫌いだ。でも良い奴もいるだろう。そいつらが死ぬのは、ちょっと惜しい」


「サリア……」


「だから、あねうえに頼んでみよう」


「え」


 思いも寄らぬ単語が飛び出し、僕は間抜けな声を出す。


 なぜ、ここで、そういう話になるのだろう。

 あまりの突拍子の無さに頭が混乱する。


「お姉さん? えっと……どちらのですか?」


「毛皮の方だ。影の方は遠くへ行ってしまって、どこにいるかわからない」


「毛皮のお姉さんの居場所はわかるんですね」


「ああ。あそこにいる」


 そう言ってサリアが指差したのは、町の上空。


 だがそこに建造物などは無い。

 うっすらと色付く雲がいくらか浮かんでいるだけだ。


 いや、彼女の示しているのは角度からして雲より下だから……余計に謎だ。


「あの、何も見えないのですが……」


「当然だ。あねうえは恥ずかしがり屋だからな。誰にも見えない。だがアタシは匂いでわかる」


 気を悪くしたふうでもなく、サリアはあっけらかんと答えた。

 それからすっくと立ち上がり、指差した方向へと2、3歩近付く。


 状況が読めないながら僕も彼女について行けば、ぶわりと下から風が巻き上げた。


「あねうえ! あねうえ!」


 サリアは空に向かって、大きな声で呼びかける。

 不可視だというお姉さんだが、そこに居るのなら、恐らく返事をしてくれるのだろう。


 僕は緊張した面持ちで、耳を澄ませる。


 と。


「――、――――?」


 聞こえた。


 声とも音ともつかない、空気の揺らぎ。

 少し暖かく、肌がぴりぴりするような「何か」だ。


 果たして言語なのだろうか。

 少なくとも、僕の理解できるものではない。


 けれどもサリアにはしっかりと聞き取れたらしい。

 大きな身振りと共に、彼女は言葉を続けた。


「あねうえ、お願いがある。聞いてくれるか」


「――――」


「そうだ。サイガイというのがあるだろう。大雨や、地面が揺れるやつだ。最近、多いだろう。それを押さえてほしい。サイガイがあるとアタシの好きな人が困るから、もうちょっと、起こらないようにしてほしい」


「――? ――――」


 確かに、対話をしている。

 僕は未知のコミュニケーションに圧倒された。


 どういう理屈かはわからないが、お姉さんには災害を押さえ込む力? 能力? があるようだ。


「あ、あの! 僕からもお願いします!」


 ともあれ、サリアだけにお願いをさせるわけにもいかない。

 彼女と同じ方向に向かって、僕は声を上げる。


 見えないから目を合わせることはできないけれど、居るであろう場所を見据えて。


「――――」


「うわっ!?」


 不意に、木がたわむほどの突風が吹いた。


 僕は後ろにこけそうになるが、サリアが支えてくれたおかげで無事に済む。


「――、――」


 また、お姉さんが喋った。


 が、先ほどまでとは違って、明らかに距離が近い。

 見えなくても、濃い気配でわかった。


 一定間隔で緩やかな風が吹く。

 お姉さんの息、だろうか。


 そう考えると……お姉さん、もしかして物凄く大きかったり……?


「そうか、あねうえ。わかってくれたか。ありがとう」


「あ、ありがとうございます」


 サリアがやや上に顔を向けながら言うので、僕もそれに倣う。


 僕にはお姉さんの感情すら察せられないが、災害を押さえることを了承してくれたようだ。


「――――?」


「そうだ、あねうえ。アタシの好きな人だ。エイネという。アタシはエイネが好きで、エイネもアタシが好きだ。これから2人で遠くへ行く」


 サリアにぐいと抱き寄せられ、思わずピクリと肩が跳ねる。

 彼女の体温が服越しによく伝わって来て、顔がカッと熱くなった。


 それにしてもさっそく家族に紹介されることになるなんて、恥ずかしいやら緊張するやら。


 もしかするとお姉さんの機嫌を損ねて、僕の首が飛ぶかもしれない。

 できればそれはご勘弁願いたい……と半ば祈るように、僕は宙を見つめ続ける。


 数秒の沈黙。


 その後、風が勢いよく吹き上がった。


「――――、――!」


「おお、さっそくやってくれるのか。ありがとう、あねうえ。また会おう」


 サリアは、ぐるりと体の向きを変えながら大きく手を振る。


 動きからして、お姉さんは向こうの山の方に行ったのだろう。


 気付けば空は大分と明るくなってきており、鳥も鳴き始めている。

 僕は呆然として、空を見上げた。


「どうした、エイネ」


「いえ……何と言うか、凄い方ですね」


「まあな! あねうえは凄いぞ。なにせあんなに大きい。熊を丸呑みするのが好きだからな、今度3匹くらい捕まえて上げよう」


 そうして、僕たちは町に背を向けて歩き出した。


 ひとまず目指すのは国の外。

 国境を越えてしまえば、司祭たちも追っては来れまい。


 サリアとお姉さんのおかげで、心残りももう無い。


 僕の心は、いつになく晴れやかだった。

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