薄浅葱色の片翼の鳥

 車の中から望む、白く連なるテールランプ。

 初夏の夕べは暮れきれず、薄っすらと空が明るい。


 右手でハンドルを握り、左手は無意識に愛しい人を探す。

 探し当てれば絡む指先。

 運転席の横顔をそっと見つめれば、穏やかな優しい青い瞳が返ってくる。


 この夏に正式にパートナーとなることを決めた二人。明日には結婚する。

 だが、幸せの真っ只中に居ても、不安を感じる理由が、―――二人にはあった。


 彼らには前世の記憶がある。それは、何度生まれ変わっても、必ず引き裂かれる過酷なものだった。


 輪廻の始まりは、もう、千年以上前の平安時代。


 その時代のごうにより、一人は魔物にされて永劫えいごうの時を生きた。

 もう片方は、輪廻転生を繰り返し、愛する人に出会っては引き裂かれるという贖罪を負わされた。


 何度かの転生でようやく赦され、輪廻の輪に魂を乗せ、今生こんじょうでようやく人として巡り会えたのだ。やっと結ばれる。祈るような気持ちで明日を待っていた。


 運転席の彼が、彼女をちらりと見て優しく言葉をかける。


陽菜ひな。不安か?」


「大丈夫だよ、みなと。ただ、本当にこのまま結婚できるのか心配で、私……」


「うん」


 陽菜は車窓を眺め、窓に映る湊の横顔に向かってささやく。


「長い、長い旅は―――終わるはず……」




 §




 時は平安時代。

 その当時の湊は、宮廷の政を司る中務省なかつかさしょう陰陽師おんみょうじとして、その実力を高く評価されていた。


 当時の都は魑魅魍魎ちみもうりょうが暗躍し、疫病の発生や呪いによる殺人が横行していた。


 それをいち早くみつけ、術者をはらう陰陽師は、都にとって必要不可欠な人材だった。

 湊も忙しく執務に追われる日々を送っている。


 そんな折、引退した恩師が、陰陽寮おんみょうりょうに面会にやってきたのだ。


「お前に将来有望な弟子を預けたい」


「俺に務まるのでしょうか?」


「儂は、二人は陰陽一体となり、技の相性が良いと見立てた。お前はあの子の太陽の気質を、水の陰で支えられる。明るい所には濃い影ができる。あの子の才能は危険と隣り合わせだ。引き受けてくれるか?」


「……お望みであるのなら……」


「儂の修行場の泉に、この季節は入り浸っておる。尋ねてやってくれ」


「わかりました」




 §




 真夏の山は爽やかな風が吹き、清らかな太陽の光が降り注いでいた。蒸し暑い都に比べると、ここはとても過ごしやすい。


 久しくこの場所に帰れていなかった湊は、懐かしい我が家に帰ったような安堵の表情を浮かべる。水のせせらぎの音が耳に心地よい。


 命は、水を吸って太陽の光を浴び成長する。水の気質を持って生まれた湊には、この土地がとても気持ちが良かった。


 山の奥に湧く薄浅葱 うすあさぎ 色の泉と、この辺りに咲くレンリソウ。


 ここのレンリソウは、珍しい色をしていた。真夏に太陽の化身のような、萱草色 かぞういろ で花を咲かせている。



 ※薄浅葱:淡い青緑色

 ※萱草色:明るい黄色みががっかたオレンジ色

 ※レンリソウ(連理草):野生のスイートピー






 陽菜は朝の修行を終え、いつものように泉の中で泳ぎ、疲れをいやしていた。


 この泉の水は陽菜をいつもやさしく包んでくれる。


 ふと人の気配を感じ、泉の ほとり に視線を映した。


 泉と同じ薄浅葱 うすあさぎ の狩衣姿で、漆黒の髪を無造作に後ろで結んだ男性が、柔らかい笑みを浮かべていた。


 瞳は瑠璃色で長い睫毛に縁どられている。あまりにも美しい男性なので、泉の精が現れたのかと思ったほどだ。


「陽菜とはお前か? 俺は門下の兄弟子で樫野湊という」


 ほけーっと見惚れていた陽菜は、自分が襦袢一枚で泳いでいたことを思い出した。


 恥ずかしくて居ても立ってもいられない。あまりの事に思わずブクブクと泉の中に頭まで潜る。すると、ツルリと丸くなっている石で足を滑らせ、溺れてしまった。


「おい、大丈夫か?」


 湊は慌てて溺れる陽菜の腕を掴み、引っ張り上げる。


 激しくむせている陽菜を濡れるのも気にせずに抱き上げた。岸に運ぶと心配そうな顔をして背中をさする。


「落ち着いたか?」


 その人の声は、低くやさしく耳に入る。陽菜は一瞬で恋に落ちた。また、湊も大きな赤い瞳に魅了されるだった。


 こうして出会った二人は、湊の指導で陰陽師の修行に明け暮れる。

 恋心も手伝ってか、陽菜は真面目に修行に励み、めきめきと頭角をあらわした。


 ほどなくして、陽菜は女陰陽師として、陰陽寮に正式に採用された。女性の登用は当時としては異例だった。


 陽菜の祝いに、師匠の滝川は、翡翠色の地にレンリソウの花丸紋はなまるもんと日輪が描かれた狩衣を送った。

 この狩衣は湊の薄浅葱 うすあさぎ にレンリソウ、流水の狩衣とお揃いのものであった。


師曰く。

「レンリソウは、小葉が一枚の葉のように対生する。その様子は、連理の枝に例えられている。力を合わせて務めるように」


 そう、陽菜は日輪の力を宿していた。だから、女性であっても陰陽寮に入ることができたのだ。

 ただ、やはり男社会。

 先輩の湊が後見人となることが条件だった。

 陰陽寮に伺候するに当たり、二人は伊吹山の修行場から、京の屋敷に拠点を移した。初めて訪れた都が珍しいのか、陽菜はたいそう興奮してはしゃいでいた。

 湊は無邪気な陽菜の可愛さを愛しく感じていた。




 陽菜の中務省なかつかさしょう陰陽寮おんみょうりょうの初登庁の日、湊は慌てた陰陽博士に呼び出された。

 湊が陰陽寮を離れている間、都では不審な事件が相次いでいる。

 特に呪詛を受けたと思える不審死や病に関する案件が目立っていた。


 陽菜は陽の気での呪詛返しを得意としていたため、そういった案件を全て湊が一任された。

 無茶振り感は否めないが、それでも二人は呪詛による難事件を次々と解決に導き結果を残す。


 特に陽菜は、有力貴族の呪詛返しに成功し、一躍時の人となった。都に腕利きの女陰陽師ありと謳われるほどだった。


 湊の技とも合性が良く陽菜が返した呪詛に、湊が水の陰を刻み付け術者を炙り出す。まさに陰陽一体の合せ技を駆使しての、他に真似できないような仕事であった。


 寝食を共にし危険を共有している間柄だった二人は、当然のように慕い合うようになっていく。二人が結ばれるのにそれほどの時間はいらなかった。


 ただ、陰陽師 おんみょうじ 同士の恋愛は、朝廷の法律で固く禁じられている。その関係は二人だけの秘事であった。


 公私ともに順調で幸せな時間だが、湊は一抹の不安を感じていた。

 全てが順調に整いすぎている。いずれ、気の流れが滞る時が来るのではないかと湊は懸念していた。


 その予感は既に的中していた。愛し合う二人に、至難の時は刻一刻と迫る。




§§




 ある日、湊の屋敷に、朝廷より伝令の者が遣わされた。

 時のみかどが、病により床に臥せった事を知らせに来たのだ。




 この当時、病気は物の怪の仕業とされていた。

 憑き物を引き離す治療として、典薬寮てんやくりょうつかさによる投薬が行なわれていた。だが、一向に改善の兆しが無い。祈禱 きとう も試したが良くなる気配がなかった。


 これは呪いの疑いがある。一度見てほしいと湊と陽菜に白羽の矢が立ったのだ。


 直ぐに、二人は帝の寝所を訪ねた。初見を済ませたところ、呪いであることは間違い無かった。


 陽菜の目には、帝の陰に浮かび上がる女の姿が見える。豊かな黒髪で琵琶を持った女だった。陰の強い力が辺りを支配する。


 陽菜からその事を聞いた湊は、その女に心当たりがあった。それは、湊に恨み持つ女呪禁師じゅごんしであり、琵琶の君と呼ばれていた。


 私利私欲のために呪詛を使い、その呪詛の失敗により湊に捕らえられ、帝により共犯の愛人を処刑されている。


 男が処刑された時の、呪いを吐く恐ろしい形相は凄まじかった。今でも思い出すと寒気がする。


 その後、女は自害したが、死体は跡形も無く消えていた。恐らく呪術で魔物に転じ、此度こたび、復讐を始めたのだろう。


 蓄積された恨みが恐ろしい。嫌な予感が頭から消えなかった。


「陽菜、この件は慎重にしてほしい。この術者は呪術に長けている。その上、したたかだ」


「解ってます。貴方が一緒ならなんでもできる気がします」


「かいかぶりすぎだ」



 湊はその後も呪術の痕跡を追って奔走したが、呪禁師の尻尾は掴めないままだった。日に日に体力が落ちる帝を前に湊も陽菜も焦りを覚える。


 そんな時、湊が火急の用件で陰陽寮本部に呼ばれた。一抹の不安を抱えはしたが、無茶はするなと陽菜に伝え湊は登庁する。



 §§§



 一人になった陽菜が帝の部屋で瞑想し、透視に入っていたときだった。


 悲しみに暮れた女性の残像が脳に入ってくる。誰かがいる。


 陽菜は気配を頼りに座敷の外に出た。

 芙蓉の植え込みの影に、美しい女が座り込んでいるのが見える。


 彼女の悲しみの気配は嘘ではなく紛れもない真実だった。

 陽菜はあまりの頼りなさに思わず同情し、声をかけた。


「どうかされましたか?」


 はらりと落ちる黒髪が頬を覆う。真っ白で血の気の無い顔を女は上げた。

 よほど、ひどい気分なのだろう苦悩に満ちた表情をしている。

 陽菜を見上げ、ほっそりとした手を胸に当て少し微笑んだ。呼吸の乱れを整えているようだった。


「急に持病の癪に襲われまして」


 陽菜は心底心配し、女に手を貸した。


「肩をお貸ししますのであちらで休まれますか?」


「大丈夫です。収まってまいりました。お嬢さん、髪に芙蓉の葉が引っかかっておりますわ。お取りいたしますね」


 女の手は陽菜の頭に近付いてくる。優しそうな女性なのに微かに陰の波動を感じた。少し怖い。手を払おうとした。

 陽菜の手を避け、女が緑色の葉っぱを見せた。


「ほら、このように」


 陽菜は親切を受けたのに相手を疑った自分を恥じた。申し訳ない気持ちになる。


「ありがとうございます」




 湊が不在の時に会った、この女こそ、呪禁師の琵琶の君だった。


 琵琶の君は、自分の顔を知らない陽菜を狙って宮中まで来たのだ。その結果、髪を手に入れる事に成功した。人間の体の一部は呪詛の材料となる。


 しかし、琵琶の君の本当の狙いが、湊であることを、この時の陽菜は知るよしも無かった。





 その日の夜、二人が閨に入ると陽菜が急に高熱を出し苦しみだす。


 これは呪いだと直感した湊は、陽菜に何があったか問いただした。そして、昼間のできごとを聞く。


 瞬次に陽菜の身体の一部が採取されたことを悟った。


 何を差し置いても取り返さなければならない。


 すると、状況をあざ笑うように手紙の付いた矢が部屋の柱に刺さった。


 その手紙は湊を呼び出す内容だった。罠だと分かっていても行かなくてはならない。





 §



 手紙で呼び出されたのは処刑された男の屋敷だった。栄華を極めたころの面影はなく、無人で荒れ果てている。


 中に入ると庭の片隅に女が見える。暗闇の中、琵琶の君が幽霊のように浮かび上がっていた。


「あの日輪の陰陽師 おんみょうじ は光の気配が強すぎて、式神にするには不都合だ。その点、お前なら使い勝手が良い。その美しい見目も含めてな」


「俺に何がしたい」


「術で心臓を縛り、式神にしたい。良い鬼神 きじん になるだろう。心臓を差し出せばお前の恋人は助けてやろう」


 琵琶の君は首元にかかった翡翠の勾玉を湊に見せる。


「この中に、京都で評判の女陰陽師の髪が閉じ込められている。術で縛った。生かすも殺すも思いのままだ」


「わかった。俺のことは、好きにすればいい。だが、約束を違えたらどんな手を使ってもお前を殺す」


「あの者を生かしておく限り、お前は私のものだ。お前が不要にならない限り生かしておこう。精々、役に立つことだな」


「くっ、一度屋敷に戻らせて欲しい。追われないように痕跡を消す。最期の別れくらいさせてくれ」


「いいだろう。万が一来なかったら、女がが式神になるだけだ」


 琵琶の君の高笑いが響き、「明日の同じ時間ここで待っている」という言葉を残し暗闇に消えていった。


 湊が陽菜の傍を離れなくてはならなかった時、至急の要件にしては内容が重要ではなかった。


 内通している者がいる。罠に嵌められた。


 湊が屋敷の閨に戻ると陽菜は熱が下り、すっかり元通りになっていた。

 湊を心配して、何が起こっているのかを問いただしてくる。


「なんでもないんだ。陽菜。お前の熱は昼間助けた女が原因だったから、原因を取り除いてきただけだ。もう心配は要らない。それよりも、お前が欲しい」


「湊さん、わたしの全ては、貴方のものです。貴方の望むままに」


「陽菜っ」


 湊はいつもより激しく陽菜を求めた。陽菜は何かがおかしいと感じるが、与えられる熱に翻弄され思考を手放してしまった。








 昨晩は湊に朝方まで離してもらえず、最後は気絶するように意識を飛ばした。


 そんな陽菜が目を覚ましたのは正午もまわった頃だった。


 どこを探しても湊の姿が見えない。

 それどころか、私室の荷物も整理され、湊は最初から存在していないかのようだった。


 ただ一つ、文机の上に置き手紙が残されている。


 陽菜は縋りつくように手紙に目を通す。信じられないような内容だった。


『陽菜、好きな女ができた。その女と旅立つ。俺の事は恨んでいい。もし、再会することがあったら、お前の小刀に陽の気を纏わせ心臓を突いて殺してくれ』


 手紙にはそう綴られいた。


 湊が姿を消すと同時に、帝は健康を取り戻した。何かが起こる前触れのように不気味さが増す。


 陽菜の持ち前の明るさは息を潜め、自室に籠り泣いて過ごす日々が続く。

 後見人を無くした陽菜には仕事の依頼も来ない。


 そんなある日、師である滝川が訪ねて来た。


「お前が辛いのはわかっている。だが、伝えねばならない。最近、都で呪術による事件が頻発している。いずれも薄浅葱 うすあさぎ 色の鳥の姿をしている鬼神 きじん の仕業だ。そして、その鳥が人間に化けると大層美しい男になるそうだ。漆黒の黒髪、冷徹な青い瞳、薄浅葱 うすあさぎ 色の狩衣姿。湊としか思えない。何か聞いてはいないか?」


 陽菜は滝川に手紙を見せた。


「陽菜。湊は呪禁師に心臓を縛られ鬼神 きじん にされてしまったようだ。お前にしか呪いは解けないかも知れない。鬼神 きじん にされるときに、湊は術で弱点をつくったと考えたほうが良さそうだ」


 陽菜は打ちのめされた心を鼓舞し、閨から起き上がる。せめて、自分を捨てた理由が知りたい。ちがう、ひと目で良いから逢いたいのだ。







 §§§§







 白いヘッドライトは闇を切り裂き、湊の所有する青いステーションワゴンは停車した。


「陽菜? どうした?」


 陽菜は実家の前に着いても身動き一つしないでシートに座ったままだ。心配して湊は声を掛ける。


「いえ、何でもないわ、昔の事を思い出していました」


 陽菜は、車のドアを開け外に出る。

 湊も車から出て陽菜を引き寄せてキスをする。あまりの愛しさにキスを繰り返した。


「明日、式場で待っているから…」

「もう、わたしの前から姿を消さないでください」

「離れないよ。お前の前から何も言わずに消えたのは一度だけだ。二度はない」


 湊は陽菜を抱き寄せる。


「明日から死ぬまで一緒だ。死んでも生まれ変わり、お前を探すから」

「わたし不安で、マリッジ・ブルーなのかな?」

「はは、今更だな。また、明日な」

「はい」


 湊の車は暗闇に溶けて無くなるように遠ざかって行く。それを見送り陽菜は玄関のドアを開けた。

 それは独身最後の夜だった。







 §§§§§







 鬱蒼と松が繁る森の中にそれ程大きくない屋敷が隠されていた。母屋の閨、御帳台みちょうだいの上で、湊は裸のまま固い髪をかき上げた。傍らには襦袢を肌けた琵琶の君が横たわっている。


「湊よ。くっく、昨晩は随分激しかったな。 わたしを気を失わせ勾玉でも奪おうとしたのか?」

「うるさい」

わたし は馬鹿ではない。お前には触れられないようにしてある」


 陽菜と離れて三ヶ月あまり。湊の風貌は驚くほど変わっていた。

 無機質な無表情の顔。煌めく海のようだった紺瑠璃の瞳は今は空洞のように何も写してはいない。


「今晩、帝の息の根を止めてこい。後宮の中に大層男好きの女御がいてな。樫野湊を一晩好きにしていいと言ったら、喜んで寝殿 しんでん の中に入れてくれるそうだ」

「どこまで踏み にじ れば気が済む」

「お前のせいであの方は死んだ。愛する者と引き離されるのは辛かろう。 わわたしの背は死んでいる。お前のは生きているだろう。誠に羨ましい。早く行くのじゃ」





§





 夜、役目 つとめ を果たし湊は、帝の邸内の井戸辺であまりの吐き気に嘔吐 えず いていた。どんなに水で洗っても嫌悪感は消える事は無かった。


「そろそろ、来る頃だと思っていました。湊さん」

「俺も待っていた。陽菜」


 陽菜を見詰めた湊の顔は、かつての優しい微笑みも、深い海の水面のような煌めく瞳も何もなかった。


 同じ人間なのかと思うほどの血の気のない陶器のような白い肌と無表情な顔。


「どうして朝廷を裏切って、わたしを捨てたのですか?」

「裏切っていない。だが、数多 あまた の人を殺めた。許されるものではない」


 陽菜は、戦闘の体勢を緩めずに一歩前に進んだ。


「貴方は、間違っている」

「敵を追い詰める為だ。この身はもう人間ですら無い。人であった最期に、この体の主に呪詛をかけた」

「貴方が呪詛?」

「ああ。本来、俺は陰の気が強い。だからお前の影が性に合っていた。残念ながら使わないだけで呪詛は得意だ。お前の小刀で縛られてる心臓を貫けば呪いは発動する」

「嫌です」

「俺は、お前以外の女と何度も閨を共にした、この体は汚れている。だから、―――頼む」


 陽菜は殿中差 でんちゅうざし の小刀を引き抜く。九字を切り陽の気を集めた。


「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前...」


 陽菜の小刀が明るく光る。湊の胸元に跳び込み、心臓深く刀を沈めた。


「天に在つては願はくは比翼の鳥と作らん、地に在つては願はくは連理の枝と為らん。願わくばお前に幸、あらんことを祈る」


 湊は陽菜にそう言い残し事切れた。


 呪いは発動し屋敷で報告を待っていた琵琶の君は藻掻き苦しみ出す。

 最期の時を悟り、力の限り呪詛返しを行った。


 返す相手のいない呪詛返しは、湊の周りを渦巻き、最終的に陽菜に跳ね返った。


 中途半端な術は、陽菜を人でも魔物でもない者に変えたことを、湊はこの時は知らなかったのだ。





§§§§§§







 あれから何度かの出会いと別れを繰り返し、ようやく辿り着いた真っ白なヴァージンロード。

 湊は白いタキシードで、心を新たに陽菜を待つ。


 「俺はもう赦されたのだろうか?」


 今生は、血で汚れていない両手を湊は見つめた。

 この身は誰に縛られることもなく家族も健在で何も亡くしていない人生。


 千年あまりのうちに知り合った者たちも、命の危機にさらされているものは誰も居ない。

この日のための試練なら仕方が無いと思える。幸福だ。


 湊は硬い髪を掻き上げた。


「湊さん」


 陽菜は、大学を卒業して22歳になっても好奇心一杯のきらきらした瞳をしていた。あれだけ辛い経験の記憶があっても、損なわれない優しさ。


 この子と出会っていなかったら自分は暗闇の中、漂い消えてゆく魔物になっていただろう。恐ろしい想像に背筋が凍る。

 けれどすぐに、陽菜の笑顔がその想像を掻き消してくれる。


「これを」


 陽菜が湊のタキシードの胸ポケットに小さな花束。ブートニアを差す。


連理草 レンリソウ ?」


「今はスイートピーのほうが、一般的な呼び方よ。花言葉は『別離』『優しい思い出』などもあります。それとは別に『門出』『至福の喜び』なども」

「もう過去にはおさらばして、これからを生きたいな」

「それでも、嫌な事ばかりでは無かった」

「俺とやり直してほしい」

「『天に在つては願はくは比翼の鳥と作らん、地に在つては願はくは連理の枝と為らん』今度こそ片翼づつではなく、二人で飛び立ちましょう」

「うん、よろしく頼む」


 二人は笑顔で腕を組むと、係の人がヴァージンロードに続くドアを開ける。入場の音楽が流れだした。


「そういえば、菩薩様は教会式で怒らないかな?」

「いいんじゃないか? 日本人は正月に神社に行って、葬式は寺だし、クリスマスもハロインも祝う。それは平和な証拠だろう?」

「そうね。許して貰いましょう。お寺での結婚式もあるけど、やっぱり教会! 白いドレス!」

「ああ、みんなが待っている。行こう」


 二人は赤い絨毯の上を希望いっぱいに進むのだった。




終わり

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【短編】薄浅葱色の片翼の鳥 前世の記憶を所有している二人が現世で結ばれる物語。前世は陰陽師でした。 麻生燈利 @to_ri-aso0928

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