ひまわりと鬼の燈火
結婚式を翌月に控えた湊は、二人で暮らすために、広めのマンションを購入した。その物件には大きなベランダがついている。
マンションは郊外にあり、駅からは少々離れていた。だが、それよりも目前に公園があり、防音がしっかり効いているこの部屋を、彼女は一目で気に入り、終の棲家と決めたのだ。
待ち合わせ時間より早く着いてしまった湊は、換気をしようとベランダに続く窓を開ける。
すると、休日を象徴するような子供達の笑い声。
幸せの具現化のようだ。
外に出ると午前中特有の爽やかな風が吹き抜けている。
少々奮発して購入した、二人で座れるバンギングチェアーに、湊は腰を掛けて空を見上げた。
目の前の公園の木々は、夏の日差しを受け緑色に輝く。柔い日差しが素肌に降り注いだ。まるで、浄化の光が蓄積して吸収されるようだった。
もうすぐ結婚する。
やっと、ここまで着た。永遠のように繰り返した時間が終わる。
婚約者の陽菜と湊は、消えない輪廻転生の記憶を共有していた。
それは、出会いと別れを繰り返す永遠とも思える長い記憶だった。
§
あれは日本中が混沌としている時代。
湊は、とある戦国武将の
大人しく真面目な性格で、凡そ武功に興味のない彼は、空いた時間は畑を耕し、書物を読み、
しかし、戦国の世。
そんな穏やかな暮らしは、長くは続くはずはなかった。
湊にも戦へ出る命令が下されたのだ。
父の命を受け、先手大将として
殆ど父に顧みられる事のなかった湊だ。
父に優しい言葉をかけられ、喜び勇んで戦に赴く。
後に知った事だが、この戦いは敗北と最初から決まっていた。
敵の目を引く為だけの捨て石のような部隊。少ない兵で奇襲をかけ、敵を欺くため全滅するのが役割だったのだ。
戦の中盤、圧倒的に不利な状況の中、敵も味方も入り乱れ、自軍の上帯を見極め、それを兜に巻いてない人間をがむしゃらに斬る。
訓練された体は、勝手に敵にとどめを刺した。
斬って、斬って、どれくらいの時間が経過したのか。辺りは暗く静かになっている。
暗闇の中、生存している仲間を探しながら彷徨う視界に、小さな寺の灯りが映った。
死ぬほど渇いた喉。霞む視界で水を求め、重い鎧と
グビグビと水を飲み人心地つくと、桶を持つ己の手がはっきりと見えてきた。
黒く変色し、こびりつく血液。
戦いの興奮で熱を帯びた体と裏腹に、恐ろしさに寒気を覚えた。
恐怖のうめき声を上げながら、血液を井戸の水で何度も洗い流す。
そして、汗で張り付いた着物の上から冷水を浴びた。
この時になってやっと悟る。あれは捨て戦だったと。
湊は幽鬼のようにふらりと立ち上がり、意識は恐怖と絶望で混濁し、足は呼ばれるように勝手に進みだす。
進んだ先は本堂より西側の五重塔の裏手。白い土蔵の前の藪が拓かれている所に、翡翠色の狩衣姿の少女が立っていた。
赤い髪は月の光を受け、真珠のようにキラキラ浮かびあがる。
「ぅ、……わぁ……」
手に持っていた提灯を湊に向け、微笑んでから、お日様のような笑顔を湊に向けた。
「周りを見てください。日輪の花です。わたしの事を覚えていますか?」
辺りを見回すと、一面に黄色いひまわりが咲き乱れている。
夜目でもわかる明るい色。
湊の心は、灯が燈されたように温かくなり、無意識に言葉が紡がれた。
「ああ、陽菜。俺の想い人よ。何度生まれ変わってもお前を愛すると、この花に誓うよ」
湊は今より古い時代、とある術者に呪われ、人に仇をなす魔物にされていた。
陽菜はその身を持って呪いを解き、跳ね返った呪いは、人でも魔物でもない存在に陽菜を変えた。
「あれから、ここは寺に変わりました。わたしは夜を生き、死ぬことも無く、ずっとあなたを待っていました」
「お前が何者でもかまわない。逢いたかった」
二人はそのまま深く口づけ、絡み合いお互いの熱で溶けあうように交わった。
何時間求め合ったのか、二人は疲れ果て、お互いの手を繋ぎ深く眠りに付く。
すると……、男とも女とも知れない声が、陽菜にだけ語りかける。
「深く求めるほど恋しいのか?」
その声は、そもそも音ではない。
グイグイと割り込むように、言葉が脳幹に入ってくる。
「自分の全てを掛けて愛しています。あなたは誰?」
「私に名前などあるのだろうか? 思念の塊のようなものだ。人の子の多くは菩薩と呼ぶ」
「菩薩様」
「その男は、またもや多くの命を奪った。捨て置け。さすれば、お前だけは輪廻転生に加えてやろう」
「嫌です。彼は優しい人です」
「心根はお前と同じようだ。だが、なんと
「わたしはどうなってもいい。湊さんの業を消してください」
「この世の人間は、近い未来に戦乱を終わらせ、平和な世を実現する。一時的なものだがな。お主にはその助けをする役割を与える。それが実現し、この男と純粋な愛で結ばれていたならば。その時は、お前達を輪廻転生の輪に加えてやろう。約束だ」
陽菜は拳をギュッと握りしめる。不幸の連鎖を自らの手で断ち切るれるのならやってみたい。そう決意した。
「わたしは、どうしたら?」
「そのまま存在すれば、役目は自ずとやってくる」
その声の主が遠退く。
悪夢のような恐怖を感じながら、陽菜は目を覚ました。これから何が起こるのかはわからない。
今は
頬から伝わる温かい涙がぽたりと湊の顔を濡らす。
目を覚まそうと、湊の長い睫毛が震える。ゆっくりと開かれる瞳。
あぁ、変わらない海のような色。この
「お別れです。わたしは、戦国の世を終わらせなければ、この身の呪いを解く事ができません」
「一緒には居られないのか?」
「はい。あなたは人として生きねばならない」
湊は目を見開き言葉を無くした。しばらくすると瞳は細められ、
「わかった。ならば、俺は、私利私欲で戦国の世を長引かせている者を一人でも多く討ってやる。里の者は死んだと思っている。もう己の手は血で汚れ、捨てられた身だ」
「湊さん」
「
湊は土蔵を後にする。振り返ることもしない。
湊の為に術で咲かせた向日葵は、湊が通る所から
太陽のような愛しい人が夜に生きる鬼神にされているようで、湊は胸が痛んだ。
必ずまた戻り、その時は市井でささやかな幸福を与えてやりたい。守るために強くなりたい。
鎧で身を包んで、湊は寺を後にする。その後の消息を知る者は誰も居なかった。
§
「……湊さん、湊さん」
湊は瞳を開けると、そこには愛しい人の顔があった。バンギングチェアで揺られているうちに眠ってしまったようだ。
まだ寝惚けている湊の目の前に、ひまわりの花束が差し出される。
「結婚式用のブーケを頼んできました。なんの花なのかは当日のお楽しみ。これはお土産。11本よ。もう力は無いから999本は咲かせられないけど」
湊は顔を伏せ、フッ笑みを漏らした。
「同じ事を思い出していた。...そうだ!ひまわりの咲くところにドライブに行こう。今度は光の中で見たい」
「今日の予定は?」
「また、今度にする」
「はい」
二人は手を繋ぎ、日の光で包まれたエントランスを駆け抜けて行くのだった。
終わり
補足
ひまわりは花言葉が本数によって変わります。
999本は『何度生まれ変わってもあなたを愛す』です。11本は『最愛』です。
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