【短編】薄浅葱色の片翼の鳥 前世の記憶を所有している二人が現世で結ばれる物語。前世は陰陽師でした。

麻生燈利

鬼の燈火

 だいだい色のホオズキは精霊への道標みちしるべ

 みなとは、ホオズキの陰に何かを感じる。

 それは、悲しみ、喜び、苦しみ、愛おしさ。全ての感情が絡まるような思い。なぜそう感じるのか、純粋に知りたいと思う。




 極暑と表現するのがしっくりくる夏休みの午後。

 湊は一人、剣道の道場で瞑想する。


 竹刀を受けるイメージ。しのぎを使って擦りあげ、大きく横にそらし弾く。素早く攻撃に転じ、胴体を撃つ。


 イメージは固まった。立ち上がり竹刀を中段に構える。


 くうの一点に集中して背筋を伸した。


 剣道の構えは自然体から入り、無形の心と有形の体が一体となって、隙のない状態となる。気声を上げ、足を踏み込み、竹刀を振り上げた。


 ものごころが付く前からずっと願っていた。強くなりたい。強くならなくては守れない。

 何を守るのか、男なのか女なのか、そもそも人間なのかもわからない。

 打ち消しても湧き上がる不安を払拭するため、

――――強くなる。


 一人稽古の最中さなか、ふと背後に気配を感じた。

 振り向くと、幼馴染の陽菜ひなが道場の入り口から顔を覗かせている。


「今日は、鬼灯寺ほおずきでらでお祭りだよね。今年も行く?」

「ああ」

「良かったらさ、一緒に行かない?」

「いや、一人でいい」

「あのさ、湊。まだ、えっと、そこのお寺の裏手の、えっとね……」

「どうした?」

「何でもない。なんでもないよ」

「変な奴だな」


 スポーツドリンクを一気に飲み干すと、鋭い眼差しを向け、稽古を始めた。湊にとって陽菜は、傍にいるのが当たり前の存在。親しき仲の礼儀を忘れる時がある。


 そんな湊に、幼馴染なんて損なだけだと、陽菜は寂しく思う。


 今日だからこそ、陽菜は湊に伝えたい事があった。それは、遥か昔から続く輪廻転生りんねてんしょうの記憶。二人に関わる前世を陽菜だけが思い出してしまった。

 けれど、迷いもある。知らないほうが湊のためでは無いのか? 話すことによって、湊をがんじがらめに縛ってしまうのではないか?


(思い出さないほうが、幸せなのかもしれない)


 その記憶は美しいだけでは無かった。悲惨ひさんな事、凄惨せいさんな事実、悲しい別れ。二人は出会っては別れ、それでも求め合う。

 一人で抱えるにはあまりにも重い。

 そんな記憶の断片を組み立てながら、陽菜は足取り重く帰宅した。




 竹刀を振っているのに、雑念が頭から離れない。途切れた集中は、なすすべもなく様々な思考を呼び覚ました。湊は軽くため息を吐く。


 最近の陽菜はとても大人びて見える。ときおり見せる寂しそうな表情。達観たっかんし諦めたような仕草。

 幼馴染以上の感情が自分に向けられているのを感じるときもあった。

 どれも、湊の神経を逆なでし、落ち着かなくさせる。

 陽菜のことは大切にしたい。

 だが、一歩前に進むことに躊躇いがあった。

 なぜなら、ホオズキの記憶は、あまりにも衝撃が大きすぎて、自分自身を維持できない可能性を感じるからだ。

 自分は罪人である。

 この消せない罪悪感がある限り、自分は陽菜に相応しい人間にはなれない。

 だからこそ、真実を知りたいのだ。




 §




 夜になり出掛ける準備を済ませた。

 何のために、毎年そこを訪れるのかは、思い出せない。ぽっかりと胸に穴が空いているようだ。そこに、どんな愚かな自分が居ても、湊は受け入れる覚悟だ。


 呼吸を整え、意を決して玄関を開けた。熱気が室内に潜り込んでくる。

 暑さに絡めとられるように外に出た。まるで異世界にでも旅立つように、密やかな沈黙がそこにある。濃い闇に身を任せた。今はそうすることしかできない。


 鬼灯寺ほおずきでらに夏の市が立つその夜。

 大門には巨大な提灯ちょうちんが灯る。

 普段は閉じられたこの門は、今夜だけ特別に開放されるのだ。


 仁王像は両側から睨みを効かせ来訪者を見張っている。その眼差しは、拒むような威圧感があった。

 門を抜けると、煩いくらい響く風鈴の音。朱赤の回廊かいろうにぐるりと囲まれた境内。祭り独特の熱気。


 参道には、ホオズキや風鈴の屋台が並んでいる。ナツメ球の灯りが幻想的で郷愁を呼び起こした。


 湊は屋台の並ぶその道を足早にすり抜け、本堂の裏側に進む。目的は市ではない。市で売られているのは、人工的に育てられたホウズキだ。

 それでは無く野生のホオズキがここにはある。

 導かれるように歩みを早める。頭の中の虚ろなイメージが湊を呼ぶのだ。


 苔むした石標。古い玉砂利。足元には、夜露でしっとりと濡れた草花が広がる。葉陰に隠れるように咲く白い花はホオズキの花。

 林の小道を抜けると突如視界が開けた。抜けるような夜空と夏の月。奥にぼんやりと浮かび上がる白壁の土蔵。漆器で装飾された格子の窓を見上げると、誰かが湊の名を呼ぶような気がする。


 これはデジャヴというものなのか、湊は目を閉じる。瞼の裏に感じるのは鮮烈なオレンジ。おひさまの色。


 その時、暗闇に光る狩衣かりいが見えた。十七歳の夏にして、やっと記憶の片鱗が蘇る。

 それは、ゆっくりと迫り上がり、湊に過去の出来事を見せた。



 §§



 戦国時代が終息し、侍が治める世が始まった頃。

 その時代の湊は、十万石大名の長子として生を受けていたが、お家騒動に巻き込まれ蟄居ちっきょの身となっていた。

 預けられた先は、鬼灯寺ほおずきでら

 小僧と同等の待遇で働き、白衣はくえの上に黒の布袍ふほうを纏い、寺の修行と雑務で忙しく過ごす毎日。

 元々、勤勉で真面目な湊は、このまま僧侶になるほうが自分には向いていると思っていた。家督は継ぎたいものが継げばいい。


 そんなある日、堅実さを見込まれ、寺にまつわる秘密の仕事を任される事となった。それは耳を疑うような不思議な事柄。


 五重の塔の裏の雑木林に世間から隠された土蔵がある。

 そこに平安の世から生き延びている、高貴な人間が幽閉されていた。ホオズキの魔力により封印されている人ならぬ者。

 生かされる代わり預言者のような力で幕府に助言を与えている。


 湊に与えられた仕事は、その御方の世話役だった。


 早速、夕食を持たされ土蔵に向かう。危険は無いと住職は言っていた。その事を信じ、お勤めに参る。


 到着した土蔵は林の中、周りにホオズキが群生し、結実前の白い花が可憐に咲いていた。


 気配を感じ上を見上げると、二階部分の窓に人影が見える。月の光を受け、長い髪がキラキラと光っていた。そのひとはこちらを見て、ひどく驚いている様子を見せた。


「名前は? まさか湊じゃないよね」

「なぜ? 知っているのでしょう?」

「貴方をずっと待っていたから……」


 人影が一瞬消えて、湊の目の前にぽうっと姿が浮かび上がった。

 人ならぬモノは少女の姿で湊に話し掛ける。


「土蔵から出られるのは内緒にしてください。わたしの事を覚えていませんか?」

「会ったことは無いと思いますが……」

「忘れるのは、仕方がありません。わたしは陽菜です。樫野湊さん」


 夕食に付き合ってくださいと湊の手を取る。次の一瞬で土蔵の中に移動した。


「実は……、貴方とお会いするのはこれで3度目です。一度目は平安時代。二度目は戦国時代。貴方は、あれからの二度生まれ変わった」


 陽菜の言葉はどれも真剣で、疑うのが忍びないほどであった。不思議な力を使う少女の切実さに、胸が打たれる。


「平安の世から生きていると聞いています。真実だとしたら、こんなところで一人、お辛かったでしょう?」

「辛いとは、―――感じたことはありません。わたしは貴方を待ちたかった。ある望みを託しています。それは貴方にしかできない事です。二度目に会ったときは叶えられなかった」

「俺にしかできない? どんな事ですか?」

「言えません。そのうちわかります。きっと……」


 陽菜は食事が終わると食器を湊に渡し、パアンと手を叩く。瞬きする間に湊は外に出ていた。


「湊さん、明日も待っています。色々な話をしましょう。わたしの事は陽菜って呼んでください」


 明りの灯る格子窓で陽菜が大きく手を振っていた。


 湊は、修行の合間を縫って陽菜が住んでいる土蔵に通う。彼女の存在が頭から離れないからだ。

 しかし、昼間うちは窓が固く閉ざされ、人が居る気配さえ無い。それでも湊は、その場所を離れ難かった。


 夜になれば逢えるのだろうか? 昨晩のことは夢かもしれない。

 暫く土蔵を見上げていたら、尼僧である院主いんじがやってきた。


「湊殿。まるで魔物に魅せられてしまったようですね。あれは、妙に魅力のあるおなごですから」

「あの方は何者なのでしょう?」

「さぁ。……わかっているのは、死なないという事だけです。彼女には心に決めた人が居るようで、誰が言い寄っても応えない。だから、早々に諦めたほうが身の為ですよ」

「昼間はどうしているのでしょう?」

「彼女は陽の光を浴びられないと伝わっています。遠い昔は人間でしたが、今は闇の中で生きている。太陽を浴びて焼け死んでも、夜には蘇るのです。永遠を生きるのは苦しい事でしょうね」


 院主いんじは曖昧に微笑む。その笑顔の裏側には、恐れとも憐れみとも言えない、得体のしれない想いが見え隠れしていた。


 夜になり再び食事を持って土蔵を訪れた。陽菜は弾けるような笑顔で、窓から身を乗り出し手を振っていた。


 一瞬のうちに湊は土蔵の中に移動する。驚いた。心臓に悪いので、声くらいかけてほしい。


「今日は二人分持って来ました。一緒に食べましょう」

「わぁ、ここに閉じ込められてから、誰かと食事なんて、初めてです」


 陽菜は嬉しそうに微笑む。人ならぬ者には、とても見えない明るい笑顔だった


「まだ、わたしの事を思い出しませんか?」

「申し訳ないが、一向に心当たりが無い」


 陽菜は瞳を伏せる。その横顔は物悲しそうで、思わず抱き締めたくなった。胸がギュッと締め付けられる。この感情はなんだろう、湊は拳を握って耐えた。


 そんな毎日が十日ほど経った頃、急に陽菜の瞳が懐かしく感じた。忘れていた何かが湊の頭をよぎる。

 ふと陽菜の懐から見える殿中差 でんちゅうざしが気になった。

 鞘に収まっている刀身は術がかけられている。

 そう、あの日からずっと。


 走馬灯のように走る景色。そうだ、思い出した。


 魔物だったのは湊だ。切っ掛けを掴めば、数珠繋ぎのように記憶が蘇える。


 平安の時代に、湊は人に仇なす魔物だった。想い人だった陽菜に救いを求め、その刀で絶命したのだった。


「どうして? お前が、こんな……」


 二人の間に夏の夜風がすっと吹いた。熱い体を冷ますように。


「―――思い出してくれた?」


「ああ、俺はお前が守護する主を呪い殺すため、人に化け屋敷に潜り込んだ。その時、お前にその刀で殺された」


「そうです。貴方を心から愛していました。貴方はわたしの知らない間に魔物にされてしまった。人に戻すために、わたしは、貴方を刺しました」


「まさか、あの呪術はお前に跳ね返ったのか?」


「そうです。貴方は消滅し、わたしは、人ならぬ者となった」


「お前は? お前は、ずっとこのままなのか?」


「それはわかりません。観音様と約束をしています。わたしがここに居るのは、この国から戦を無くすためです。その役目を終え、観音様との約束が実れば、呪いはとけ、人に戻れます」


 それからも変わらず、修行の合間に土蔵の前に赴き、夜は食事を運んだ。

 どうすれば愛する者を救えるのか? その事ばかり考えていた。


 仏の道に答えがあるのではと、一層修行に励んでも、書物を読み漁っても、滝行に限界まで挑んでも、仏の加護は得られない。

 悩んで悩み抜いた。

 きっと、何も見てはいなかったのだろう。ふと気が付くと、足元のホオズキが結実していた。

 青々とした葉にオレンジ色の実を付けたホオズキは、大変に愛らしく、湊は力が抜けるのを感じる。そして、ようやく答えが出た気がした。


 仏の道にすがってもしかたがない、このままここに居ても、無駄に時間が過ぎるだけだ。

 陽菜が永遠を生きても、自分は何度でも生まれ変り必ず探し出す。


 その日の夜、湊は陽菜に婚姻を申し込んだ。陽菜は喜びの涙を流した。


「嬉しい」

「ここから一緒に逃げよう。命をかけて幸せにする」


 しかし、陽菜は首を横に振った。自分はここに居なくてはならないと。

 どんな事があろうと、離さないと湊は決めていた。


「陽菜、愛している。何があっても傍にいる」


 湊は初めて陽菜の頬に触れた。柔く暖かい。吸い寄せられるように唇を重ねる。


「純粋な愛は存在します。欲もなく相手を真実の愛のみでみつめるこの瞬間。これが菩薩様と約束した、呪いを解く鍵です」


「呪いが、……解けるのか?」


「わたしは長く生きすぎました。この体は維持できないでしょう。わたしは、もう、」


「そんな…」


「この場所でホオズキの花が咲く頃、貴方に逢いに行きます。次の世まで待っていてください」


 そう言い残し、陽菜の体は淡く光り段々と薄くなる。溶けるように金の粉となり、ふわりと空気に流される。


 湊は腕の中に確かにあった愛しい存在が、消えて無くなるのをなすすべもなく見守った。

 涙が頬を幾筋もつたい、拭うこともできなかった。




 時は流れ、剃髪をして修行を終えた湊は鬼灯寺 ほおずきでらに、院主いんじとして帰って来た。

 懐かしい土蔵は同じ場所にる。今にも窓が開き、陽菜が笑顔で手をふる姿が見られそうだった。


 陽菜はもう居ない。だが、いつかまた逢える。


 それからの湊は、天寿を全うするまで、その寺で経を捧げ、陽菜の事を想い続けた。


 そして、ホオズキが白い花を付ける頃、誰でも寺を訪れる事が出来るように、寺を開放し祭りを催した。それ祭りは、今日まで引き継がれている。



§§§



 湊は目を瞑り、頭の中に流れてくる映像に身を委ねる。瞳を開け現実の世界に引き戻されても、暫く動く事ができなかった。

 見るともなく空に視線を合わせていると、「湊」と鈴を転がすような声が聞こえた。


「遅いから、おばさんが心配してるよ。ここだと思って、迎えに来た」


 振り返ると浴衣姿の陽菜が立っている。守るべき存在はすぐ近くにいた。


「一緒に食事をした事を思い出した」

「そう、それで?」

「成人したら、今度こそ結婚してほしい」

「ふふふ、考えておきます」


 止まった時間がようやく動き出した。二人は見つめ合い、しっかりと手を繋ぎ、祭りの喧騒に戻っていくのだった。

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