富山大空襲
太刀山いめ
富山大空襲八月二日深夜
太平洋戦争の爪痕は未だに残っていますね。
親族を亡くされた方もいらっしゃると思います。
ご不快な思いをされるかもしれませんので、少しでもご不快なら読むのをお控えください。
私の祖父の話です。空襲警報がなり、所属する連隊が出動します。
連隊長は前日の米軍の撒いた空襲予告のビラの件も有り、考え抜いた末に呉羽山と言う山に陣を張ったそうです。
唯一の対抗手段が機関砲によるB29への砲撃だったそうです。
祖父は機関砲員でしたから三人がかりで空に銃口を向けて連隊長の号令一下射撃したそうです。
ですが地上戦を主眼に配備された兵器ですから山頂付近に布陣して高さをかさ増ししてもB29の高度まで届きません。
それでも対抗策が機関砲しか無いものですから夜明けまで撃ち続けたと聞きました。
街が燃える様を見続けるしか無く泣いている兵隊さんも居たと。
弾も撃ち尽くしB29も過ぎ去り下山。連隊橋を渡ってみれば市街地は焼け野原。言葉もなかったといいます。
17歳の一少年兵として上陸作戦に向けて結成された連隊に所属した祖父。ショックだったのかその後の事については何も語ってはくれませんでした。
陸軍歩兵514連隊という部隊が昭和二十年に創設されていたとネットに書いてあった。恐らく祖父も上陸作戦に向けて徴集されたのだろう。
だが空襲には無力だったのだ。それを痛感させられた彼等のその後は分からない。
富山では納涼目的に八月一日に花火大会がある。
父は納涼は後付けで本来は富山大空襲の鎮魂の為に打ち上げられるようになったのだと言っていた。
形を変えながらも戦争の跡は未だに息をしているのだと思います。
これは故人の生前にポツポツ聞いた話です。実際の歴史に齟齬が有りましても専門家では有りませんのでお答え致しかねます。
ただ平和を願うのみです。
もう戦後、まだ戦後…語り残すのもタブーでしょうか?
富山大空襲 太刀山いめ @tachiyamaime
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