エピローグ

 セシリアが聖女に認定された。

 暫定的な地位だけど、それが覆されることはないだろう。次に瘴気溜まりが現れたら、セシリアを含む何人かの聖女候補で浄化に向かい、魔石による浄化を試すことになる。

 おおよそ、原作のストーリーと同じ展開になった。もちろんこれからも大変なことはあると思うけれど、最初の難所は越えたと言っていいだろう。

 そうして、私は変わらぬ日常を送っていた。

 そんなある日、学院の教室で帰る用意をしていると、アナスタシアに声を掛けられた。というか、「ありがとうございます」と、いきなりお礼を言われた。


「急にどうしたの?」

「聖女候補に役割を与えてくださったことです。あのままだと、私は聖女候補としてなにも成し遂げられないまま舞台を降りることになっていました」


 セシリア以外の聖女候補は、セシリアの魔力を込めた魔石で、瘴気溜まりの浄化に備えることが暫定的に決まっている。そのことを言っているのだろう。


「私のせいで危険な目に遭う、とは思わないの?」

「思いません。それに、今回は望めば辞退することが出来ますから、ソフィア様を疎ましく思う人はいないと思いますよ。エリザベス様も感謝していると言っていました」

「そう、なんだ……」


 私は胸に手を添えて、きゅっと拳を握りしめた。


「貴女たちに嫌われないでよかった。私にとって……その、数少ない友人だから」


 友達と口にするのは初めてで、私はその言葉を口にするだけで喉がカラカラになった。もし、友達じゃないって言われたらどうしよう。そんなふうに不安になってしまう。

 アナスタシアは、「友人、ですか……?」と戸惑うような顔をした。


「あ、その……迷惑、かな?」

「――っ。そんなはずありません。光栄すぎてびっくりしました! ソフィア様、私、これから、ソフィア様のお友達を名乗ってもかまいませんか?」

「……うん、もちろんだよ!」


 私は満面の笑みで答える。

 余談だけど、クラスメイトが聞き耳を立てていたので、「みなさんもクラスメイトとして仲良くしてくださいね」と微笑むと、あたりから歓声が上がり、何人かの生徒が倒れた。相変わらず、私の可愛さはちょっとおかしいと思う。


 手慣れた様子のクラスメイトによって、倒れた生徒が運ばれていく。それを見守っていると、アナスタシアと入れ替わりで、ウォルフ様とアイリス様がやってきた。


「お二人が揃っているのは珍しいですね。どうなさったんですか?」


 席を立って出迎えるが、ウォルフ様は「あー、その、なんだ」と言葉を濁した。それを見たアイリスが溜め息を吐き、実はと口を開いた。


「ウォルフ様があらためてお詫びをしたいそうです」

「お詫びですか? それなら、もうセシリアの件でお世話になりましたが?」

「それなんですが、ウォルフ様が、『その程度でお詫びをしたとは言えない。そもそも、俺が王族だから気を遣っているだけかもしれないだろ!』と私に相談してきたんです」

「――おい、アイリス、それは秘密だと言っただろう!」


 慌てるウォルフ様を見て、いまの話が本当なんだって分かった。


「ウォルフ様、先日も言いましたが、私は気にしていませんよ?」

「そ、そうか……」


 ウォルフ様が視線を彷徨わせる。


「……もしかして、なにか他にあるのですか?」


 小首を傾げると、ウォルフ様はさらに視線を彷徨わせる。なんだろうと思っていると、アイリスが「ウォルフ様は、未来のお義姉様に嫌われたくないんですよ」と笑った。


「…… 未来のお義姉様? ――あぁ、ウォルフ様はセシリアのことがお好きなんですね」


 セシリアは私の妹になったので、セシリアと結婚すると私が姉になる。それを理解した私が手を叩くと、周囲の人がなにを言ってるんだ、こいつ。みたいな顔をした。


「ソフィア様、いまのは――」

「アイリス、止めておけ。それは兄さんが言うことだ」


 ウォルフ様がアイリスの言葉を遮り、それから私に視線を戻す。


「何度も言うのも迷惑になると思うのでこれで最後にするが、疑って悪かった。それに、兄さんを救ってくれてありがとう。なにか力になれることがあればいつでも頼ってくれ」


 真面目だなぁと苦笑する。

 でも、そういう何事にも全力なところがウォルフ様のいいところなんだよね。


「そうですね……なら、これからは仲良くしてください」

「……ふむ、それで?」

「それだけです」


 微笑めば、ウォルフ様は面食らったような顔になった。だけど次の瞬間には目を細め、「それがそなたの願いなら努力しよう」と笑った。

 うん、さすがシリル様の弟、笑顔が素敵だと思う。


「ソフィア様、私も仲良くさせてください」

「ええ、もちろん。アイリスとも仲良くしたいわ」


 私はウォルフ様とアイリスに満面の笑みを向けた。ウォルフ様とアイリスは少し照れくさそうに、だけど笑みを浮かべて笑い返してくれた。

 そうして二人は踵を返す。だが、ウォルフ様は途中で足を止めて、くるりと振り返った。


「ソフィア、ひとつ聞かせて欲しい。おまえは瘴気溜まりを浄化する際、魔石に込められたセシリアの魔力を自らの魔力で押し出したと聞いたがあっているか?」

「はい、おっしゃる通りです。放出した魔力が瘴気溜まりに吸われ、セシリアの魔力を押し出すのに苦労しましたが……それがなにか?」


 小首をかしげる。


「いや、瘴気溜まりに魔力が吸われる状況で、なぜ魔石に魔力をこめられたのかと思ってな」

「それは……分かりません。もしかしたら魔力が吸われる速度よりも放出する速度が上回ったからかもしれませんね」

「そうか、その可能性もあるか」

「ウォルフ様?」

「……いや、変なことを聞いた。忘れてくれ」


 彼はそう言って今度こそ立ち去って行った。



 という訳で、帰る準備を終えた私は廊下に出て、セシリアと合流。一緒に帰ろうと廊下を歩いているとシリル様に呼び止められた。


「シリル様もこれからお帰りですか?」

「ああ。だが、そのまえにソフィアにこれを渡しておきたくてな」


 包装された箱を渡される。


「……これは?」

「そなたには色々と助けられたからな」

「お礼の品、ということでしょうか?」

「ひとまず、そう思ってくれればいい」

「……ひとまず、ですか?」


 コテリと首を傾げる。

 するとシリル様の手が伸びて、私の肩口に零れ落ちた髪を指ですくい上げた。


「ソフィア、私はあのまま死ぬつもりだったが、そなたに命を救われた。心から感謝している。だが同時に、護りたい相手に救われたことを不甲斐なく思っているんだ」

「そのようなことはありません」


 あの戦場で、魔物の群れを飛び越えようとした私に足場を作ってくれたのはシリル様だった。彼がいなければ、私は魔物の群れの中に落ちていた。シリル様がいたから、無事に瘴気溜まりを浄化することが出来たのだ。だから、不甲斐なく思う必要なんてない。そう口にしようとするが、シリル様はそれを遮り、私の髪に唇を落とした。


「だから、私はもっと精進しよう。いつか、胸を張ってそなたの隣に立てるように」


 シリル様はそう言って、クルリと踵を返して去っていく。その後ろ姿は格好よくて、さすが攻略対象だよぅと、ちょっとドキドキしながら見送った。


 それから馬車に乗り、屋敷へ向かう窓の景色を眺めていると、セシリアから「さっき、シリル様からなにをもらったんですか?」と聞かれた。


「そうね、開けてみましょうか」

「では、私が確認しましょう」


 クラウディアが箱を受け取ろうとするけれど、私はそれをやんわりと辞退した。


「せっかくのシリル様からの贈り物だもの」


 自分の手で丁寧に包みを開ける。中から出てきたのは美しい髪飾りだった。キラリと煌めく深く青い色の宝石が、シリル様の瞳を彷彿とさせる。


「綺麗ですね……」


 セシリアがぽつりと呟いた。その向かい側、髪飾りを目にしたクラウディアが口元を押さえてふるふると震えている。


「クラウディア、どうかしたの?」

「どうかした……って、これ、求愛の贈り物ではありませんか?」


 ぱちくりと瞬いた私は、特別な贈り物として、自らの目の色を模した宝石を送ることは、ロマンティックなアプローチの一環とされることがある、という伝統を思い出した。

 だけど――と、髪飾りに目を奪われているセシリアをチラリ、私は笑って首を横に振る。


「違うよ。これはきっと、そう言うのじゃないよ」

「ですが……」


 クラウディアはなにかを言いかけるけれど、私の顔を見るとその言葉を飲み込んだ。私はクラウディアから視線を外し、シリル様がくれた髪飾りにそっと指を乗せる。


 クラウディアが言うような意味なら素敵だと思う。だけど、原作の乙女ゲームをプレイした私は、シリル様の運命の相手がセシリアであることを知っている。

 いまの二人にそんな雰囲気はないし、私は乙女ゲームの強制力に抗えることを知っている。だけど、生まれ変わるまえの私が読んだ恋愛小説にこんなフレーズがあった。


 ――もし生まれ変わっても、私はきっと貴方を好きになる。


 すごく素敵な言葉だと思う。

 私はまだ恋をしたことがないけれど、運命の相手ってきっとそういうものだと思っている。だからきっと、シリル様はいつかきっとセシリアを好きになる。


 原作のセシリアとシリル様はお似合いだった。現実でも私に介入の余地はないだろう。それが残念じゃないと言えば嘘になる。私はたしかにシリル様を魅力的な異性だと思っているから。


 だからいつかきっと、私もシリル様のような素敵な運命の相手と出会えたらいいなって思ってる。そして、そのときには私を選んでもらえるよう、いまから自分を磨こうと誓い、きゅっと拳を握りしめた。


 ――数年後、私はこのときの乙女で鈍感な自分を思い出して恥ずかしさに身悶えることになるのだけれど、それはまた別の話である。

 

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乙女な悪役令嬢には溺愛ルートしかない 緋色の雨 @tsukigase_rain

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