第2話
目覚めると、私はもう1度嫌な衝動に襲われてしまった。また地獄のような社会に私は飛び込まなければならない。学校で誰かに殴られたり蹴られたりすることは無い。
ただ紙がボロボロになったり、大事なものを女子トイレに送られたり、それぐらいの話だ。けれどもそれが数年続けばどこか疲弊するのは誰にも理解されないことなのだろうか。
誰かに助けを求めたことは無い。どうせ無駄だ、と今まで切り捨ててきたし、やったとしてもそうなるのは眼に見えている。となると私の味方は正直彼女しかいないのではないか、という極端な考えにたどり着いた。彼女は絶対迷惑だと思っているだろうが。
今夜もそんな「味方」の元へ会いに行く。
「ただいま」
「おかえり」
私たちは奇妙なことにそれで通じる関係になっていた。それ自体は私の独りよがりかもしれないがそれを確認しようとは思わない。けれどもそれがやはりただの幻想であるのを認めたくはなかった。まだまだその程度だった。
「ちょっとだけ聞いて欲しいな」
彼女は少しだけ息を吸い、私にその身の上を話してくれた。それは誰かに不用意に語ることのできない程の秘密だった。私もはるかに軽いだろうがいじめられていることを打ち明ける。彼女はそれを自身のように深く受け止めたかのように見えた。
私は彼女を抱きしめた。彼女もそれを拒否することは無く抱きしめ返す。せめてこの場だけでも現実から逃げられるように、この場だけは私と彼女の楽園であるがために。
それからこの空間での過ごし方も変わってきた。互いに触れ、互いを抱きしめあう。耽美で、退廃で、私たちは現実から逃げ込んでいく。いくら非難されたとして、この場だけは誰にも邪魔されない、そんな空間。これを生み出した何かに感謝し彼女と抱きしめあう。
顔も分からない彼女と、愛を誓いあう。いや顔なんてお互いどうでも良いのかもしれない。そんなことも忘れて、すぐそこの楽園へ2人手を伸ばす。彼女は私に1つ、願いを口にした。
「この日常がさかさまだったら良かったのにね」
「それはきっと叶わぬ夢だよ。多くを求めようとしたら全部失っちゃう」
「だね。けれどさ、永遠に、永遠に雪原君といたいの。だから」
私は彼女の言わんとすることを流石に理解した。けれどもそれでこの楽園を維持できるのか不安だった。でも彼女となら、何が怖いのか。
「それで、もし失敗したらどうするの?」
「その時は、きっと生まれ変わって、どこかでさ」
「うん」
私はそれを否定しようとは思わなかった。結局彼女にとってこの社会は生きるのに不便過ぎたのだ。私も現実があまりにも「現実」ではないように思っている。むしろこっちの世界の方が現実で「現実」と呼称されるのはただの辛い夢なのだ、と。
「そしたら、明後日でも睡眠薬飲もうよ。いつもの時間に、間に合うように九時」
「うん」
「あるの?」
「あるよ」
彼女はそれに対して安堵したようで、一層深く抱きしめあった。
次の日、彼女といつものように深い抱擁を交わし、彼女はもう準備はできたよ、と私に報せた。
「明日だね」
「そうだね。最期に何かしたいことでもある?」
「うーん、そうだね……キスしようよ」
「キス? 私で良いの?」
「あなたじゃなきゃダメでしょ?」
もうお互いがどこにいるのかなんてすぐ分かるようになっていた。私たちは初めて唇を交わす。それだけで幸せだけれど、明日になればそれが永遠のものとなるのだ、と2人して信じていた。
「もし、私が私であなたがあなたじゃなかったら、どんなに良かったのかしら」
「止めなよ。ロミオとジュリエットみたいじゃないか。この愛は実るから、そんなこと言わないで」
「そうだね」
彼女は私を一層強く抱きしめ、2人は眠りに落ちる。
9時、私は薬を、どうみても許容量の数倍――致死量を迎えるほど飲み込んでいく。この悪夢から私と彼女、2人だけの世界へ走り出す。
それが「悪夢」の世界からして許されないものだとしても、「世界」でいうような地獄へ行くようなものだとしても、私は何も怖くない。
暗闇の此岸 かけふら @kakefura
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