暗闇の此岸
かけふら
第1話
気づけば、私はこの部屋にいた。前兆も、思い当たる理由も無くただ「気づけば」その部屋にいた。いや部屋かも正直分かったものではない。その部屋には一切の光が差していなかった。
地下だろうか、と思ってみたが人工の光源が普通あるものではないのか。そう考えるとやはりこの部屋は超常的な空間なのだろう。しかし定期的な音だけはどこからか聞こえる、そんな空間だ。
私は立ち上がりその壁を探ることにした。まず目覚めた場所から3歩したところがその終わりだった。私は安堵した。どこまでも広がる部屋ではない、ことに。ただそれまでに一切のものを感じ取れなかった。それがある種気持ち悪さを醸し出している。
その場所から4歩で部屋の隅っこ、8歩ほどでもう1つ隅にぶつかった。1歩を7、80センチだとしたら、この部屋はまあまあ広い、ということになるだろう。不思議なことにそれ以上の恐怖心は感じ取れなかった。
「きゃあ!」
誰かの声がした。足がその物体にぶつかる前に私はそれを引っ込め、その人間、もしくはナニカに声をかけた。
「失礼しました。私は雪原です。あなたは誰でしょうか?」
「私は『のと』と言います。石川の」
「ああ能登さんですか」
分かったのはその人が能登という名字なのと、恐らく女性だろうということだった。私は能登と名乗る女性を知らない。顔を見れば何か分かるかもしれないがこの部屋ではそれは叶わないのだと思う。それに興味も正直湧かなかった。
「私は男ですので離れておきます」
「ああ、いえできれば隣にいてもらってもよろしいでしょうか?」
「あなたがそうであれば構いませんが……」
「ええ、お願いします」
私は彼女の隣に座り、薄っぺらい範囲で話してみた。分かったことは、お互い年齢は16歳ということだけ。聞いてみれば通っている高校も判明するかもしれないがそれ以上聞く気になれなかった。
それはその場所で私はいじめられているからだ。彼女が知ったところでどうという話でもないのだが、彼女が別に切り出さなければ話さなくても良いか、と思った。
「手、繋いでも良いですか?」
「私の手で良ければ……」
彼女が私に触れる。心臓が高鳴ることは無いが、彼女が幽霊の類でないことが分かって安心するのに不思議な感覚が追いかけてくる。
「わあ、暖かいです。私ってほら、冷え性なので」
「そうですか」
「もし、互いの顔が分かったらその時はどうしますか?」
「きっと幻滅されますよ。私の顔はよろしくないので」
「あらそれならお互い様ですね」
私は彼女の顔立ちを考えようとして、やめた。それは彼女に対して迷惑な話だろうし、失礼だとも思ったからだ。光が出せるもの、例えばスマートフォンだとか腕時計は何者かによって既に奪われているため正直今の状況は全く判然としない。
「私たち、どうしてこんなことしているのでしょう」
「分からないです。けれどカメラで監視も無いですよ。あればどこからか光が洩れますし」
「であれば良いのですが。あ、そろそろ敬語も辞めませんか? お互い同じ年ですし」
「能登さんさえ良ければそれで構いませんよ」
「じゃあ雪原君。よろしく?」
「ああ、よろしく……能登さん」
彼女の表情を読み取ることはできない。本来、人間には暗順応があるのだが、どうやら光が無さ過ぎてそれすらもこの空間には起きないようだ。
それから私と彼女は色んなことを話した。やはり不思議と恐怖は無く、むしろ安心ができる。
「能登さんはどう? 私はなんかここが落ち着くんだよね」
「ね。リアルよりもここがよっぽど楽しいな」
「それ危ないでしょ」
「はは。でも君と会えたんだし、それってすごく嬉しい」
「そう? なんか歯がゆいけど」
「ねえ、なんか眠くなっちゃった。おやすみ」
「おやすみー」
目覚めて、私は今までの空間ではないことに驚愕した。それどころか眩しすぎて暫く眼を開けてやれなかった。日時は私があの世界に行く前から計算して1日経った朝で、私はそれが夢であったことに落胆する。
その世界が頭の中でグラグラと崩れて、1日中何も手が付かなかい。所詮私の想像、もしくは願望でしかなかったのかもしれないが、あの世界で私は意識がはっきりしていた。彼女に触れることも、声も聞こえたのだ。どうしてもただの夢で片づけることはしたくは無い。それが逃避だとしても私はその世界にもう1度訪れたかった。
不思議と彼女に現実で会おうとは思えなかった。やっぱり自分の姿を知って落胆してほしくは無かったからだ。けれども、ただ彼女がどこかに確実に存在してほしかった。能登という人物が私の悲しき幻想ではないのだ、と証明してほしかった。顔さえ知らない人と一緒の世界で、一緒の夢を見ていたなんてありえない、なんて言いたくないから。
それでも現実の生活に私は合わせる必要があった。私が眠りについてしばらくすると光を持たない暗闇へと、望んでいた世界へと、いつしか導かれていた。
「能登さん? いる?」
「あ、雪原君? 会いたかったよ」
しばしお互いを探し求め、ようやく触れ合った手と手を重ね彼女と座る。
「ここは夢の中みたいだね」
「うん。それでここで寝るとあっちの世界? みたい」
私にとってはあちらよりも幾分居心地が良かった。むしろこちらを「現実」として片づけるのであれば、それで構わない、とさえも。
「じゃあ、今度から時間合わせようよ。10時に寝て、6時まで。ね、いいでしょ?」
「それは良いね。健康になりそう」
「もしどこかで会えたら、会いたい?」
「分からない。間違いなく幻滅されるだろうし」
「あはは。お互い様だよ、少なくともあなたは私の身の回りよりも優しいから」
彼女は溜め息をつき、私はそれに対して何も言えなかった。なんとなく私と彼女は同じような、そんな気がする。お互いの顔も、下の名前も住んでいる場所も私たちは知らない。けれど私たちはなんとなく通じ合っている。それはきっと彼女も思っているだろう。
「おやすみ。また明日」
「また明日」
私は彼女に見えることは無いのだろうが、手を振り私はこの世界にさよならをする。
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