【BL】ネットワークセンターの神様 数奇な7月

畔戸 ウサ

第1話 7月 満島洋人の願い

 笹の葉サラサラ……


 機嫌良く七夕飾りを眺めながら炭酸水のペットボトルを傾けていた男の鼻歌がフッと途切れた。

 動きを止めたその男は年の頃、三十前後の青年で、安物のTシャツに身を包んでいた。ワゴンセールの商品であっても売れ残り必至と思われる、色も柄も微妙なTシャツだ。値段以外に服を選ぶ基準はないのかと問いたくなるようなその恰好から「裸じゃないだけマシ」と、お洒落には全く頓着しない男のポリシーが伝わってきた。

 しかし、注目すべきは、散々な恰好であってもそれを帳消しにする顔面のポテンシャルだった。並みのハンサムでは服装のダサさに引き摺られてイケメンレベルを下げてしまうところ、男は奇跡的な高水準を保ったまま、物憂げにペットボトルを煽っていた。


 この美男子——星野誠は、彼が勤務する通信会社の中でも一際異彩を放つ男である。神様が手塩にかけて作った美術品かと誰もが目を疑いたくなるほど美しい容姿を生まれながらに持ち、本人が望むと望まないとに関わらず、これまで数々の女性の注目を集めてきた。風呂上がりなのだろう、首にタオルをぶら下げ申し訳程度にしかドライヤーがかかってない髪は、窓から差し込む月明かりを受けて艶やかに光っている。


「前から思ってたんだけど……」


 こんなにリラックスして甘え切った姿、会社の人間が見たら卒倒しかねない。しかし、誠の視線の先にいたのは男性で、卒倒することも赤面することもなく「何ですか?」と平然として聞き返してきた。

 二人は、電力系通信会社で働く先輩後輩であり、恋人同士である。女性社員が躍起になって手中に収めようとした王子様は、二年前、営業部に所属する満島洋人によって捕縛されてしまった。誠が有名なのは言わずもがな。そして、誠を捕まえた洋人も、目覚ましい成果を上げ社内で注目される若手社員であった。

 二年前の人事異動でコールセンターに配属された二人は、すったもんだの曲折を経て付き合うことになり、現在進行形でその関係は続いている。


「金銀スナゴのスナゴって何だろう? 今までなんとなく歌ってたけど……」


 子供のような疑問を抱くイケメンに笑いかけて、満島洋人はテーブルの上のピスタチオに手を伸ばした。


「小さな砂ってことじゃないですか? 砂の粉って書くのか砂の子って書くのかは分かりませんけど……」


 コールセンターはその名の通り、お客様からの問い合わせを処理する部署である。ユーザー向けに開設されているフリーダイヤルは、問い合わせの内容によって大まかに『サービス全般』『料金関係』『技術問題』と三つに分かれており、洋人はサービス全般を受けるコールグループ、誠は技術問題に対応するテクニカルサポートグループで働いていた。

 テクニカルサポートグループのフリーダイヤルは年中無休の二十四時間体制だ。日勤だけの洋人とは違い、誠の方は夜間勤務もあり、更には非常時に駆け付ける持ち回りの当番日もあった。

 今日は珍しく二人の休日が重なり、午後からデートの約束をした。とは言え、誠は持ち回りの夜間当番日なので、ひとたび召集がかかれば会社に駆けつけなければならない。当然ながら遠出も出来ないし、アルコールも飲めないという条件付きの休日であった。


「でも、確かになんとなく歌ってる歌って、ありますよね」


 カリ、とナッツを噛み砕きながら洋人は開け放たれたベランダを見た。チープな色合いの短冊が揺れる笹の枝がそこにある。水を入れたペットボトルに差し込まれたそれは夕飯の買い物に出かけた時に洋人が花屋で購入した物だった。

 七夕までにはまだ日数があったが、せっかくだからと洋人は百均で七夕飾りのセットも一緒に買ってマンションに戻ってきた。

 誠は、もともと手先が器用なのだろう。あっという間に折り紙で七夕飾りを作り上げ、願い事を書き始めたのだが、『給料があがりますように』だの『休みが多くなりますように』だのその内容は短冊ではなく社員満足度アンケートに書くべきものばかりだった。

 挙句の果てに『洋人と激甘ラブラブエッチがしたい』などと、もはや願い事とも呼べない煩悩を短冊に書き込んだので洋人はすぐさまそれをゴミ箱に廃棄して、それは直接口頭で受け付けます、と誠を諭した。

 出来上がった笹をベランダに飾ると、無味無感だったベランダに風情のある夏の情景がそこに生まれた。


「誠さん、クラリネットの歌知ってますか?」


「壊れて音出ないやつ?」


「ですです。あれで呪文を唱えるじゃないですか。僕、ずっと『 パキャラマド』だと思ってて。つい最近まで知らなくて、子供の頃、間違ったまま大熱唱してたんだなって……」


 洋人の言葉に誠が笑う。

 夕方三十分ほど夕立があったせいか、外から入ってくる風は涼しくクーラーも必要ない。虫が入って来ないように部屋の電気を消し二人でくだらない話をしながら夜風に当たるこの瞬間に洋人はそこはかとない幸せを感じていた。


「どんぐりころころもそうだよな。あれ、ずっとどんぐりこだと思ってたけど……」


「どんぐりこじゃないんですか?」


「いやあれ、だよ。池に落ちたんだから」


「うわぁー……今初めて知りました」


 二十年目の真実に衝撃を受け洋人が天井を仰ぐと誠はさらに肩を揺らした。

 

「まぁ、発音似てるから皆気づいてないだろうけど」


 ピスタチオの殻を皿に転がした誠は炭酸水を床の上に置くと、そのままゴロンと後ろに倒れ、胡座をかいていた洋人の足を枕代りに仰向けになった。


「そんな所に置いてたら引っ掛けちゃいますよ」


 洋人の指摘に誠は寝転がったまま手を伸ばしてペットボトルを掴み、洋人に渡した。


「もういらない」


「じゃ、冷蔵庫に入れてくるので、どいてください」


「嫌だ」


「もー、我儘言わないでくださいよ。炭酸ぬけちゃいますよ」


 洋人は甘えて動こうとしない誠の額に一つキスを一つ落とした。

 それを受けた誠は動くどころか、猫のように目を細め洋人の首に手を伸ばしてきた。少しだけ笑った、その口角を見ただけで誠が上機嫌であることが解った。洋人は誠を見つめたまま、持っていたペットボトルをテーブルの上に置いた。

 唇がしっとりと重なる。

 月明かりが照らす静かな空間の中、二人の舌が絡む微かな音だけが繰り返される。


「あの……誠さん……」


 ——ピリリリリ——


 ここから先は……と、場所移動を提案しようとした洋人の声に笛を吹くような甲高い電子音が被さった。

 二人はハタと動きを止め、テーブルに置かれた飲み物の向こうに視線を送る。

 並んで置かれた二人のスマートフォンは画面が光っている気配も、機体が震えている様子もない。

 それでもピリリという呼び出し音は留まることなく、尚も電話の持ち主を探していた。


「…………誠さんですよ」


 洋人が部屋の隅に置かれた誠のボディバックを顎で示す。


「えぇー……このタイミング?」


 洋人のシャツに手を差し込んでいた誠は「何かの間違いだろう」と現実逃避に走り、中々起きようとしない。そうこうしているうちに、今度は別の場所から「ピンポーン」とメールの着信を知らせる音がした。


「いてっ……!」


 洋人が了解もなく膝枕を強制終了して立ち上がったものだから、誠はゴンと床で頭を打った。


「…………暴風と落雷で荒れてるみたいですよ」


 いち早く社用携帯を確認した洋人が画面を向けると、そこには隣県で発生した障害のひっ迫した状況が記載されていた。誠は渋々といった体でバッグの中からスマホを取り出した。


「はーい、星野です。どんぐらい凄いの?」


『星野さぁぁぁぁんっ‼︎ 今すぐ来てください! あちこち停電起こってて、ユーザーからもガンガン電話が入ってきて、処理が追いつきません!』


 夜勤の担当者の悲痛な訴えに深々とため息をついて誠はチラ、と洋人を見た。


「えーっと。……じゃ、あと二時間ぐらい……あ」


「満島です。三十分以内に行かせます。それまで頑張ってください」


 ふざけたことを言い出した誠から社用携帯を奪って、洋人は夜勤の担当者に一言伝え、 誠の手にポンと置いた。


「急いでるんでしょう? 僕の車使っていいですよ」


 洋人は半眼で誠を見上げ、玄関を指さした。その瞳には「サボってないでとっとと行ってくださいよ。保守でしょ」という言外の訴えが滲んでいる。

 往生際の悪い誠はその後も何だかんだと屁理屈を並べようとしたが、当然のことながら洋人はそれを良しとしなかった。


 どうにかこうにか服を着替えさせ誠を送り出した洋人は一息ついて、汗をいっぱいにかいたビールの缶を口に運ぶ。つい今しがたまでキラキラして見えた七夕飾りが、気のせいか、少しだけ寂しく見えた。

 コクンと苦い液体を飲み干し、ゴミ箱を漁った洋人は一度は捨てた煩悩駄々洩れ短冊をテーブルに広げ手修正を加えた後、


「よし……できた」


 こよりを通して笹にしっかりと結び付けた。


——二人で激甘ラブラブエッチができますように——

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